112:聖都の刺客
「なんじゃこりゃー!?」
開演の声は、まるで雄鶏だ。
早朝の漁が終わったばかりの港町が、ドッと群衆の笑い声で湧いた。
「船のマストの上ぇ~っ!?」
「なんでこんな所にっ」
「またか、あのクソガキどもがぁ!!」
パンツ1枚という、半裸状態のたくましい成人男子が、3人。
脱出芸人『笑う狼群』の叫び声は、船上5m程の高さもあって、よく港の波止場に響いた。
「今度は何だ!」
「あ、リーダー、上だ上!」
「帆柱の上の方に、『ここを引っ張って』とか、ワザワザ書いてあるっ」
「ふざけやがってぇ~~!」」
リーダー『腹筋殺し』のキレ芸を、観客は『待っていました』と大爆笑。
帆柱の上部に遠見の台座がある。
その上に ── 作業用の足場だろうか ── 細い丸太木が十字に組まれて、四方に張り出している。
『笑う狼群』の3人は、その上に跨がっていた ──
── いや、彼らの『設定』を重んじて、あえて『何者かに跨がらせた体勢で捕縛されていた』と、言っておこう。
両脚は丸太木を股に挟んだ形で、両足首を縛られている。
両手はロープにつるされ、頭上で両手首を縛られている。
つまり、両脚はほとんど使えず、両手が結ばれた状態のままで、腕力と握力だけで50~60cmほど上まで自分の身体を持ち上げないといけない。
「手を変え品を変え、こんな下らない事をよく思いつくっ」
一歩間違えれば、観客を冷めさせてしまうような、メタ発言。
しかし、ヤツらはやはり『元・劇団員』なのだろうか。
真に迫る演技力で、まさに憎々しいとばかり。
俺は、その台詞に少し苛立つ。
まさに先日、芸の『入り』があまりに芝居臭いと、皮肉を言われたばかりだから。
── 所詮ニセモノ、これが『芸』だってわかっている
── だけど、見ている間くらいは、現実を忘れて没頭させてほしい
『だから、そう演ってるんだろうが!』
そう怒鳴り返した自分の声が、脳裏で虚しく繰り返された。
「くそがぁ、この程度ぉ、魔剣士の修練に比べればぁっ」
『がんばれ~!』
「うるせえ、黙って見てろっ」
『ワハハハハッ』
「他人が困ってる姿を見て、わらうなーーっ」
観客を怒鳴りつけるなんて、芸人の禁じ手だ。
それを芸として完成させ、笑いまで取るなんて、並の発想ではない。
あの時の俺に、こんな『能力』があれば。
そんな口惜しさが、思わず握り拳を振るわせた。
「── 何をしとるか、オノレらっ」
厳めしい声が、急に響いてきた。
「何のイタズラじゃあ、ワシの船じゃぞ!」
薄毛で白髭の老漁師が、怒りに顔を赤くしている。
思いがけない闖入者に、盛り上がっていた群衆も静まりかえった。
大柄な老人がズンズンと進めば、自然と人波が二つに割れる。
「── ふん、『ご迷惑をおかけします』じゃと?
『笑う狼群の脱出芸をお楽しみ下さい』か……」
老人は不機嫌そうに、マストの上部に縛られた半裸男3人に目をやり、大きく鼻息。
「ふんっ
なにが『腹筋の暗殺者』じゃ!
物騒な芸名しおってっ」
すると、臆する事無く本人たち ── 『笑う狼群』が声をかけた。
「ご老人、この船の持ち主か!?」
「助かったぁ、この縄をほどいてくれっ」
「クソガキにこんなイタズラをされて、ほとほと困ってたんだっ」
「ふんっ」
老漁師は、周囲を見渡し、また不機嫌の鼻息。
そして苛立たしげに歩き回り、こう告げた。
「── オノレら、きちんと払ってやらんかぁ!
無銭見物なんて、真剣に芸をやるヤツらに、失礼じゃろうがっ
ほら、見物賃を入れてないヤツ、早く入れんか!
ほらそっちも、こっちの連中もじゃっ」
100人を超えそうな人だかりに対して、あまりに実入りの少ない集金箱を、わざわざ持って回って、そう促した
そして、帆柱に縛られた3人に向けて、大声で告げる。
「── そこの芸人たち!
今日だけはワシの船を勝手につかった事、許してやる!
真剣に生きとるヤツは、目を見れば解るからなっ
ただ、次からは許さんぞ!
ちゃんと持ち主に、断りくらい入れんか!」
「おお!」「じいさんっ」「話がわかるっ」「サイコーだ、あんた!」
静まりかえっていた観客が、一気に歓声を上げた。
「な・ん・で! そんな話になるんだよぉ~~!
いいから、俺たちを助けろよぉ~~~っ」
そこはさすがに、芸人集団をまとめるリーダーだ。
すぐさま安定のキレ芸を披露して、ドッと笑いを誘う。
盛り下がりかけた場が、すぐさま温まってくる。
「ほぉ……ええ声しとるな、しかも腹から出とる。
ありゃ、もしや芸人やないで、プロの役者かなんかか?」
老漁師も感心の声でつぶやいた。
▲ ▽ ▲ ▽
「くそぉっ くそぉっ くそぉっ
もういい! 誰の助けも借りん! 今までも俺はそうやって生きてきたぁっ」
リーダー『腹筋殺し』が、中断していたロープ登りを再開する。
わずか50cmほどとはいえ、両手首を結ばれて自由がきかない状態。
両手を擦り合わせるような動きで数cmずつしか登れないため、1分近く時間がかかる。
そして、残り10cmまで迫った時に、それは起きた!
ロープ上端は油でも塗られていたのか、滑って一気に落下。
「ああぁ~~~!
── オ、フォッ!!」
落差30~40cmとはいえ、丸太木で股間を強打!
男なら誰でも悶絶必至!
同時に、カァ~ン!と丸太木に下がった鐘が鳴り響く。
当然、観客は大爆笑!
口笛の音さえ飛び出す!
俺も、思わず噴き出すほどの、大笑い。
── やりやがった!
── コイツ、やりやがった!!
それと同時に、打ちのめされるような悔しさを感じる。
男なら、誰だって理解できるだろう。
あの、金的を強打した後の、なんとも言えない長引く痛み。
── それを、鐘が鳴り響く『余韻の音』で表現するだとぉ……!?
── 金的の苦痛と、鐘の音、だとぉ!?
── 本来なら決して結びつかないような、点と点を結びつけやがった!
天才的……っ!
天才的な発想力……っ!!
「て、手が……油で、ベタベタにぃ……
これでは、もう登れない……っ
た、頼む、『凍てる狼』ぃ……」
金的の痛みで、いまだ悶絶するリーダー。
『笑う狼群』1番の美青年に話を振る。
「フッ、任せろ、リーダー。
俺が冷静沈着に、この仕掛けを攻略するっ」
『きゃぁぁ~~!』『凍てる狼さまぁ~~!』
自信たっぷりの発言に、若い女達の歓声が飛ぶ。
チームの頭脳役は、落ち着いてロープを腕の力で登り始めた。
「こうやって、両手の指と指の間に、ロープをからませて、登っていけばっ
例え、油で滑ってもっ」
確かに堅実な攻略法。
観客の間から『おぉ~っ』と感心の声も上がる。
『策士策に溺れる』
その典型を演って魅せる辺りが、さすがは頭脳派芸人。
リーダーの倍の時間、2分以上をかけて頂上までたどり着いたが、そこに作戦の穴がある。
解放のロープの方に片手を伸ばすと、指にからめて落下を防いでいたロープが、バラバラと外れてしまう!
「うああぁ~~~!
── オォンッ!!」
鳴った!
また鳴った!
カァ~ン!とっ
金的の鐘の音が、高らかに!!
さらに、ビィィィィ……ン!と、痛みの長続きを隠喩する余韻を残していく。
「アァ……ァァ……アァ……ッ」
という、『凍てる狼』苦痛の声と響き合う!
『金的の醜態』なんて、言うなれば『ありふれた一発芸』だ。
それの潜在能力を最大限に引き出すために演出を凝らして、観客から限界まで笑いを引き出そうという、悪魔的発想のハーモニー!!
こんなに『音』を効果的に利用するなんてっ!
そう来ると解っていた同業者すら、思わず吹き出してしまった。
▲ ▽ ▲ ▽
「俺の出番だなぁっ」
やる気に溢れた、スキンヘッドの熱血漢。
芸人集団『笑う狼群』の最後の1人。
『燃ゆる狼』が大声を上げて、衆目を集めた。
「要は片手で登ればいいんだろぉ!
【剛力型】で鍛えた俺には、楽勝だぁっ」
真打ち登場とばかりに、意気揚々と。
自分が吊されたロープを、片手の握力と、引っ張る反動だけで上り始める。
「俺はなぁっ
油で滑るのだって、慣れたもんなのさっ」
上端部の油で濡れた落下誘発ゾーンは、人差し指と中指の間で握って、抵抗を増して対応。
1分半ほどで、余裕のクリア。
『引っ張って』と書かれた紙のついたロープを、思い切り引き抜く。
「── どうだぁ!」
「よくやったぁ『燃ゆる狼』っ」
「フッ、今日ばかりはお前を見直したぞっ」
歓喜に沸く、芸人3人。
だが、熱血漢の情けない悲鳴を期待してた観客たちは、『ああ~……っ』と少し残念がる声。
そんな時だった。
シュルルル……ッ!と、不意打ちに音が響き、ガクンッと『燃ゆる狼』が落下!
「なんでだぁあ!!
── ヒャィ……ァハァッ!」
野良犬が蹴られたような、情けない悲鳴!
同時に、チリン!チリリン!チリチリリン!と、股間強打の丸太木に吊された鈴が暴れて、長々となる。
唖然としている観客を置き去りに、事態はさらに進行!
「まさかっ!」「俺たちもっ!?」
『燃ゆる狼』のロープが落ちた反動でもあったのか、両手に繋がるロープが引き上げられ、すぐに落下!
「オゴォォォ……っ!」「ンバァァァ……ッ!」
カ・カン!!と、鐘の二重奏!
さすがは屈強な熱血漢。
『燃ゆる狼』は耐えがたい痛みの中でも、大声を張り上げる。
「なんで俺だけ、かわいい鈴の音なんだよぉっ」
「し~る~かぁぁぁぁ~~っ!」
「アァ……ァァ……アァ……ッ」
カオスである。
置いてきぼりの観客が、一斉に大爆笑!
しかし、事態はそれに終わらない!
キリキリキリ……ッと木材が軋む音が響き始めた。
「な、なんだっ」「次はなんなんだよっ」「もう勘弁してくれぇっ」
芸人3人が跨がる、股間強打用の丸太木が斜めに傾いたと思ったら、帆柱から分離したっ!?
『うわぁぁぁ~……っ』と3人で声を揃えた絶叫!(見事!)
あえなく海水に落下!
畳みかける、という言葉のお手本のような展開だ。
周囲の大爆笑が、さらに倍増。
身を折って腹を押さえている者、呼吸困難でヒィヒィ言っている者、地面に座り込みバシバシ叩いている者 ──
── 観客たちの、この上ない反応だった。
▲ ▽ ▲ ▽
── やりやがった……!
── コイツら、やりやがった……!
それを尻目に、芸人はひとり怒りに震える。
抱腹絶倒の観客を見渡せば、何人か見覚えのある顔があった。
── そこの2人!
── 何をバカみたいに大口あけて笑ってる!?
── お前達も名の知れた芸人だろうが!
── 笑ってばかりじゃなく、少しは悔しがれよ!
そのだらしない、何も考えてない大笑いに、憤りを覚える。
── 今、ヤツらがどれほどの大道芸の資産を、浪費したか!
── 名も無いような新人どもに、無数の資産を消費しつくされたんだぞ!
── 芸の世界に身を置いているのに、この意味が分からんのか、キサマらはぁ!?
あまりに、プロ意識がない。
まるで、ただの観客だ。
そう思いながらも、短くフッと吐息。
気分を切り替えるためだ。
見事な幕引きを見せた新進気鋭の若手3人が、ザバリと海から上がってきたからだ。
胸中には、怒りも憤りも悔しさも、渦巻く感情は無数にある。
だが、俺は芸人だ。
同業者の礼儀として、いの一番の拍手だけは欠かす訳にいかない。
俺の拍手につられて、観客も拍手という最大級の賛辞を始める。
── コイツら、なんて目をしてやがる……っ
上演後に観客から寄越される、爆笑と歓声と口笛と拍手。
干魃の後に降る慈雨のような物だ。
『見物賃以上の価値がある』
『俺はこの瞬間のために生きている』
そう豪語する芸人も少なくない。
それを、溢れんばかりに一身に受けながら、まるで満足していない。
まるで飢えた狼のような、不満や苛立ちのかいま見える、ギラギラとした眼光!
── なるほど、『笑う狼群』……っ!
── その名の意味は、笑いを食う飢えた狼、か!?
── この程度の観客の数ではとても満足できない、そういう訳か!
まるで海藻のように、濡れた髪が顔に張り付いた様!
股間を押さえて苦痛を思い出し、身じろぎする様!
ようやく笑いがおさまってきた観客に、思いだし笑いを強いる!
全てが完璧で、全てがプロだ!
そして、去りゆく3人の背中には、ぞれぞれ『歓声』『爆笑』『大感謝』の文字が!
「なんて連中……っ
なんて連中なんだ、貴様らは……っ」
俺は、芸人は、名人は、意を決する。
「── <聖都>が『昇還祭』の三日目!
芸術祭の第三部『大道芸頂上決戦』で、必ず貴様らを倒す!
そう、この俺が!
大道芸の正統派最古参『お手玉芸』の達人級演者にして、着ぐるみ芸の第一人者!
この『かしこいお猿さん☆ラッキー君』がなぁっ!」
▲ ▽ ▲ ▽
風雲急を告げる。
闘いの予感に導かれた名人たちが、<聖都>へ続々と集結し始めていた、
『昇還祭』の三日間の最終日。
それは、初代<聖女>が天に還ったとされる日。
その記念すべき祭日に、<聖都>の大聖堂前中央広場で競われるのが、芸術祭の第三部『大道芸頂上決戦』である。
── 『最高の芸人』!!
その栄誉を得るため、芸で食う演者たちが牙を剥く!
まさに、大道芸の戦国時代が始まろうとしていた!
※ 芸術祭の第三部『大道芸頂上決戦』は、有志一同による自主開催になります。
そのため芸術祭の第一部および第二部とは異なり、賞金・賞品・後援者契約などのない、名誉褒賞のみの大会です。
あらかじめご了承の上、振るってご参加ください。




