06.喧嘩しました
「傍若無人の内容を聞いても良くて?」
アレンの表情は変わらない。相変わらずニコニコと笑ってはいるが、確実に怒っている。
戦場では負け知らず、百戦錬磨のヴォルフガングが、思わず身構えるほどの覇気を纏うとはどうしたことか。
真実を突かれて機嫌を損ねたというところか、とヴォルフガングは思い当たる。
しかしこれはいい機会だ。
相手を怒らせてみるのも、その真意を図る手段になる。戦場でもよくある手法だ。
少し話に乗ってみるかと、敢えて肯定し難い話題を選んだ。
「同窓生に嫌がらせをし、あまつさえ謝罪もせずに立ち去ったと」
「どなたにお聞きになったの?それを真実だと?」
「その場に立ち会った弟に聞いた。あなたには以前からその節があったのだと」
ケヴィンかー!!!!
あの野郎、ない事ない事言いふらしてるのお前だったか!
敵だ。ケヴィン=クライスナーは敵。
ここでアレンは初めてケヴィンを敵認定した。今まで相手にするのも馬鹿らしいと思って放っていたのだが、ここに来て裏目にでるとは。
鬱陶しい羽虫がチョロチョロしてる程度だと思っていたが、羽虫は真っ先に処理しておくべきだった。
今度会ったらヒールで靴先を踏んでやる!
口元の笑みは絶やさないまま、すぅっとアレンの目が半分開かれて、ヴォルフガングを見据える。
「ヴォルフ様は信じていらっしゃるのね。ご自分の目で確かめた訳でもないのに」
「家族の言う事を疑えと?今日初めて会ったあなたよりは信用はあると思うが」
「確かにそうでしょうね。兄弟仲が良くて微笑ましいですわ。その兄弟愛で目が曇らないといいですわね」
綺麗な微笑みを浮かべたまま、アレンは太い釘を指す。
なんだろうか、こんな女性は、というかヴォルフガングにこんな言い方をする人間は、今まで男性でさえも居なかった。
「既に曇っていると言いたそうだが」
「あらだって、私は自分の目で見て耳で聞いたもの。兄弟愛がどれほど美しいか。今この場で」
だから、兄弟という名のフィルターに覆われて、真実を己で明らかにせずにその言葉を信じた。故に、既に曇っているとアレンは言っているのだ。
なんという盛大な皮肉。
弟からたまに届く手紙や、卒業パーティーの件は話に聞いていた。人として道に外れる行いをする者がいても、そういう人間もいるのだ、程度の感想しかなかった。
なんせ十代という時を戦場に費やしたのだ。あそこ以上の地獄なんてない。あれに比べれば、子供の戯れという認識だった。
戯れが過ぎた小娘が放逐された先に、厄介払いとして白羽の矢が立っただけだ。
どうせ甘やかされた貴族の娘が、こんな辺境の田舎で過ごせるわけがない。おまけに相手は、粗野で乱暴者の銀の悪魔だ。後悔して泣き暮らす前に、さっさと帰ればいいと思っていたというのに。
それがどうだろう。
アレクサンドラという娘は。
貴族らしい切り返しに、頭の回転も早い。表情を取り繕うのは多少失敗しているが、それも含めて威圧感がある。
ついでに、初対面からヴォルフガングを恐れない。それどころか、明らかに好意的だ。
目つきが悪いのは自覚しているし、体の大きさはそれだけで女性を威圧する。
銀の悪魔と呼ばれるのも、戦場での振る舞いや手にかけた命の数を思えば、確かに悪魔でしかないだろう。
先走る噂、話題、それらが尾鰭付きで回り、女性どころか殆どの相手には怯えられる。婚約の打診として名があがるだけで、泣かれた事もあるというのに。
何か、下心があるのだろうと踏んでいたが、真っ直ぐ見上げてくる視線や、目が合うと嬉しそうに微笑む顔に嘘が見えなかった。
本当に、自分の立場が分かっているのだろうかと疑ったが、それは肯定する。
分かっていても来るしかなかったのだろう。
正直、祖父が整えたこの婚約も、厄介事を押し付けられたとしか思っていなかった。
アレンをエスコートした後、居間に戻って祖父と両親に問いただしたのだ。
祖父が目をかけていた、かつての部下の娘だと聞いて、情け深いのは美徳だが相手の為にはならないし、どうせ本人が逃げ出すに決まっている。
ところが、ブルクハルトは絶対に逃がすなと言う。
温情ではなかったかと問うと、そう言っておけばエーベル伯爵は娘を手放せざるを得ない、とまで言い切った。
アレクサンドラに何があるというのか。
どうせそのうち、何をやってもやらなくても逃げ出すだろうと思い、会話の途中で殊勝な態度に改まったアレンに、カマをかけてみる事にしたのだが。
ある意味、それは別の効果を上げたようだ。
さてこの場をどう収めるか。
ヴォルフガングは、努めて柔らかく言葉を選ぶ。
「偽りだと?弟が嘘を?」
「嘘とは申しません。本人が信じているのならそれは真実なんでしょう。その人の中では」
「……」
「揉め事が起こった時に一方の話だけを聞くのも構いませんわ。それを信じるのも自由です。ただし、信じた上で取った言動に伴う責任は、己にあるのだと自覚なさいませ」
今度こそ、キツく睨まれてヴォルフガングは瞠目する。
これまた強烈な批判がきたものだ。
六つも年下の子供に説教されるとは思わなかった。
暫く無言で睨み合う二人だったが、アレンの眉が次第に下がってくる。
そのまま顔を真っ赤にして、庭園を出て行ってしまった。後に彼女のメイドが続く。
ヴォルフガングには、アレンの明確な何かは掴めていないが、今まで会ったどの人間とも違うのだという事だけは分かった。
そして、泣きそうな彼女の様子を思うと、少しだけ罪悪感が胸を刺すのも初めてのことだった。
「終わったわ…………」
「むしろ始まったのだと思いますが」
充てがわれた自室のベッドに突っ伏して、アレンは項垂れる。
やってしまった。
どうして自分は頭にくると、ああいう皮肉な物言いをしてしまうのか。それだけで他人の癇に触るというのは、よく分かっているのに。
母にも兄にも散々注意された。人の神経を逆なでするから、控えなさいと。
笑って毒を吐くのは兄のアルノルトも同じだ。だが、アルノルトは計算して言葉を選ぶ。毒を吐くにも、立てるべき相手は立てる。引き際も知っている。だがアレンの方が父に似ているのは素で追い詰める所だ。
小賢しいと思われた。嫌われた。
「どうして止めてくれなかったの」
自分の責任を棚にあげ、アレンは縋るようにイリナを見る。いつもだったら、言い過ぎるアレンに肘鉄の一つも入る所なのに。
「その必要はないと判断しました」
「必要あるわよ。生意気な口をきいて、絶対引かれたわ。ゼロスタートどころかマイナススタートよ」
「諦めてないんですね」
「当たり前でしょ!そんな簡単に諦めたら勿体ないじゃない!」
なにせ相手は全身金貨の価値があるのだ。
「多少成長したと思いましたが、やはり残念です」
はあーと溜息を吐くイリナに、アレンは憤慨する。
「それにしても、ヴォルフ様が身内贔屓だとは思わなかったわ」
「そういう方には見えませんけれど」
「見えないも何も事実じゃない。でもまあ、今のうちから分かってよかったわ。大人だと思っていたけれど、ヴォルフ様にもそういうところがあるのね」
「幻滅したのでは?」
「まさか。元々神が創った完璧な造形なんだから、少しばかり欠点がある方が人間らしいじゃない。そっか、容姿は完璧だから中身に欠点を作ったわけね。そっちか。存外抜けててそこも可愛らしいわ。情に厚いのはブルクハルト様譲りかしら」
「可愛いの定義とは」
首を捻るイリナの疑問は軽く流しておく。
「とはいえ、弟の話だけで判断するなんて、クライスナー兄弟ってそんなに仲が良かったのかしら」
ゲームでは、ケヴィンは随分ヴォルフガングにコンプレックスを抱いていたようだけれど。
学園での愚痴を聞いてもらう程仲が良いのだろうか。やはりこの世界は、ゲームに似ているようで違う世界なのだ。
「自由だとは言ったけど、偏った意見に流されるなんて、未来の辺境伯としてそれじゃダメよね。私にとっては人間らしくてヴォルフ様の魅力のひとつだけど、騎士としてはどうかと思う。公正な判断が出来なければ、部下に示しがつかないんじゃない?」
「そうですね」
とは言ったものの、イリナはヴォルフガングの意図がある程度分かっている。
あれはワザとだ。アレンを怒らせようとしているのが見え見えだった。アレンに対峙している時と、庭園に来るまでの対応が全く違ったのだ。
アレンは頭にきて客観的に見られなかったようだが、ヴォルフガングは完全に仕事相手のような態度だった。
アレンを怒らせようとした真意は、おそらくアレンの目的を見極めようというところか。
目的も何も、この残念なお嬢様は、ただヴォルフガングに恋をしただけなのだが。
あれだけ熱視線を送られて気付かないのは、流石に恋愛音痴過ぎるのではなかろうか。
それとも女性に縁遠過ぎて、その手のことが分からないのか。
何にせよ、色恋に程遠い二人が歩み寄るには、相当な根気が必要なのではないかと、優秀なメイドは遠い目をするしかなかった。
「さて、イリナ用意して。お父様に手紙を出すわ。婚約解消に関する調査書の、写しを用意してもらいましょう」
「お戻りになられた時でもいいのでは?」
「こういうのは早い方がいいのよ。簡単に用意できないでしょうし、戻った頃に出来上がってれば御の字よ。まあ、弟の言葉を鵜呑みにしてるヴォルフ様が、調査書を信じてくださるか分からないけど」
「その前に、読んでくださいますかね」
「そこはブルクハルト様宛の言伝ても同封してもらうわ」
根回しは大事だ。
婚約解消に至るまでの二週間で、父と兄は方々手を尽くしてアレンの身の潔白を証明してくれた。
卒業パーティーで、観衆の中高らかに演説されたアレンの罪とやらは、全くの出鱈目だったというわけだ。
イリナの言う通り、証拠もないのによくもまあ、あんなに堂々と人を罪人扱い出来たものだ。
元婚約者にしても、出会った時はあれ程短慮な人間ではなかったのに、やはり恋は人を狂わせるのだろうか。
「元婚約者にしても、騎士見習いにしても、公爵の令息にしても、大商人の息子にしても、恋すると盲目になってしまうのね。やだなぁ私もああなるのかしら」
銀の悪魔を可愛いと称するところは、既に片鱗を見せているかもしれないが、イリナはアレンに関しては心配していない。盲目となってもアレンならおそらく、明後日の方向に行くはずだ。
普段が余りにも客観的に見すぎるから、多少盲目になった方が、自分の事に目を向けられるのではないかとも思う。
それに。
「調査書が無駄にならないように、婚約者の地位を確固たるものにしておかないとね。……今まで信じていた物が根底から覆されたら、銀の悪魔はどんな顔をするかしら」
こういうところだ。
アレンがアルベルトに似ているといわれるところは、皮肉屋な所でも笑顔で逃げ手を塞ぐ所でもない。
素でこういう事を言ってのける情緒面だ。
人を踏みつける訳ではないし、子供特有の残酷性を未だに抱えてる訳ではない。
それでもイリナは、アレンがたまに感情を切り離して発言してしまう所が、アルベルトと違って危ういと思ってしまう。
「……とは言っても、ヴォルフ様の悲しいお顔は見たくないわね。うーん、でも弁解はしておきたいし……悩ましいわ」
だが、ヴォルフガングに恋をして、少しはいい方向にいっているらしい。
まあ何の事はない、前世の記憶があり二十数年ぶんの人生経験が現在の実年齢に加算されているので、歳の割には達観しているだけなのだが。
アレンがイリナに相談しつつ手紙を書き上げたのは、既に夕食の時間がせまっている頃だった。