45.向き合いました
居間のソファセットに一人腰掛けていたエルマーは、立ち上がりアレンと顔を合わせて目を見張る。
アレンが着飾って彼と対面したのは初めてだ。いや、初対面の時は、流石に今までよりはまともだったはず。
エルマーは、綺麗な栗色の髪を整えて、相変わらず柔和な面立ちは変わらない。ただ少し、青い瞳は陰りが見えた。
「アレクサンドラ……」
「人を呼びつけておいて出迎えもしないの?ブッケルのマナーはどうなっているのかしら」
久しぶりだなんて思わない。会いたいとも思ってなかったからだ。そして出迎えなぞ望んでいないが、高圧的に言い放つ。
なんせ自分は彼の中では、ヒロインを虐める悪役令嬢だ。お望み通り振る舞ってやろうじゃないか。
挨拶もなく、突然のアレンの言い草にエルマーは更に驚いた顔を見せるが、気を取り直すように微笑みかけてきた。
「ああ、アレクサンドラ、元気そうで良かったよ。とても素敵だ!僕の為に着飾ってくれたんだね」
「なんですって?」
「お互い誤解があったようだが、やり直そう。君もそう思ってくれるなら、僕らはきっと大丈夫だよ」
一歩踏み出すエルマーに構わず、アレンは眉間に皺を寄せる。
「クラーラとの事は、僕は彼女に騙されたんだ。沢山の男性と通じていて……なんて酷い女だ。ああ、でも彼女は去った。僕らの前にはなんら障害はないよ」
「通じていたのはあなたもでしょう?責任転嫁が過ぎるのではなくて?」
「アレクサンドラ、浮気は男の甲斐性だよ。君もブッケル夫人となるなら、寛容にならなければ」
(なにを、言って、いるんだ、お前は!!!)
きっと音が聞こえたら、アレンの眉間の青筋は盛大な音をたてていただろう。
クラーラが多情だと責任転嫁しておいて、自分が指摘されれば開き直る上に、反省も悪気もない。
なんて情けない男だ。ヴォルフガングとは大違いだ。
ヴォルフガングなら、自分の非は認めた上で更に謝罪も重ねるところだ。いや、その前にヴォルフガングは浮気などしない!
「冗談はよして。何故私があなたとやり直さなければならないの?それになるのだとしたら、私はクライスナー夫人よ」
「アレクサンドラ、意地を張ってなんになるんだい?婚約解消の事なら、真摯に謝れば許してくれるさ。父上は寛大だからね」
(お前の親父など知るか!)
「謝る?私が?何を?」
「大人になってくれよ、アレクサンドラ。理解できないのかい?」
「ブッケル様、理解していないのはあなたではなくて?私は、クライスナー伯爵家の嫡男、ヴォルフガング様と正式に婚約を結んでいるのよ。あなたとやり直すなんてあり得ないわ」
「……本気かい」
(本気に決まってんだろーが!って、いけないわ、さっきから脳内のアラサーな私が出てる)
子供を諭すような口調だったエルマーだが、アレンの言葉に目を見張る。アレンとヴォルフガングの婚約を、知らなかった訳ではないだろうが、信じていなかったのか。
しかもアレンがエルマーとやり直すと、こちらの方こそ素直に信じているのはなんなんだ。
「本気も!本気!正真正銘の事実よ!だいたいなんなのあんた!さっきから私があんたとやり直すのが当たり前みたいに言ってるけど、あんたと結婚するなんて冗談じゃない!あんたと夫婦になるなんて!この先、何があっても、絶っっっっ対に!ごめんよ!」
だん!と足まで踏み鳴らして叫ぶアレンに、エルマーは呆然と立ち尽くしている。
驚くのも無理はない。アレンが且つて、エルマーにこれほど感情を露わにしたことなど、一度足りともないのだから。
いつも、半歩後ろを付いてエルマーの言葉に頷き、控え目に同意して、反論も口答えもしなかった。
地味な格好にダサい眼鏡に、ささやかな微笑み。従順な妻になるだろうと、お互いが思っていた。
結婚すれば、愛情はなくても信頼関係は作れる。その上で、課せられた責任を果たせばいい。
エルマーとて、最初からアレンを軽んじていたわけではない。アレンと同じように、決められた婚姻という契約の上で、基本的には穏やかに家庭を作れば、それでいいと思っていた。そしてたまには少しの火遊びにでも興じればいいかと。
きっとアレンは気付かないが、実情がどうあれ、表向きが穏やかであればいいのだ。
だが、お互い考えは同じでも、最低限の歩み寄りさえしなかった。第一印象の良くなかったエルマーは、手紙を贈ることさえ怠ったのだ。
そのうちアレンを、疎ましいとは思わずも、婚約者として形だけの尊重もしようとはしなくなる。
それが、使用人達の態度にも伝染した。
薄々気付いてはいたが、専属の使用人達はエルマーに甘い。フォローもせずに過ごすまま、いつしか、エルマーにそうさせるアレンが悪いのだと思うようになる。
学園に入学し、形だけのエスコートはしたが、相変わらず野暮ったいアレンにため息ばかりだ。
そうして、クラーラと出会う。
彼女に夢中になってからは、アレンの非しか見えなくて、愚痴を零すたびにクラーラは気持ちのいい言葉を返してくれた。
そのうち形ばかりのエスコートもしなくなった。それでもアレンは何も言わない。
クラーラと一緒にいても、アレンは動じる気配すら見せない。クラーラに比べて劣る自分を、恥じているのだろうと思っていたのだ。
まさかアレンが、エルマーがアレンに気を向ける以上に、自分に興味が無いとは露ほども思ってなかった。
「君は、僕を、騙していたのか……」
「騙す?人聞きの悪い事を言うのはヘルテルと同じね。あら、思考回路が同じだなんて、あなた達お似合いじゃない。大人しくヘルテルと結婚すれば?もう同衾してるんだから、何度ヤっても同じでしょ」
「っ……きみ、君は……」
明け透けな物言いをするアレンに、エルマーは二の句が告げない。
彼女は、こんな女性だったのか。
あの大人しく従順なアレクサンドラは、なんだったのか。
「騙す騙すって言うけど、あなたの言葉を借りるとヘルテルにも騙される事になるわね。敢えて言わせて貰えば、簡単に騙され過ぎなのではなくて?もう少し人を見る目を養った方がいいわよ?女に現を抜かしている場合では無いのではないの?」
「なっ……、し、失礼だぞ!」
「あら、自分で騙されたって言ったじゃない。私はあなたの言葉を反芻してるだけ。それが失礼?事実を言ってるに過ぎないわ」
冷めた口調で言うアレンに、エルマーははく、と酸素を求める様に口をぱくぱくさせる。まるで水の中の魚が呼吸しているようだ。
「ところでひとつ訂正するけれど、やり直すというのは、お互い信頼関係が成り立っていた場合に適した言葉ね。そんなものハナから無かった私達には不適切だわ」
「は……?」
「もしかして私達の間に信用や信頼があったとでも思っているの?勘違いはやめた方がいいわよ?」
「君は、僕を信用していなかったのか?ずっと疑っていたのか」
「だから勘違いはやめた方がいいわ。疑うというのも、それ以前に信頼関係があってのものだもの。私達、お互いそんなものなかったじゃない」
キッパリ言い切るアレンだが、それを言うのは自分自身にも痛い。
エルマーだけじゃなく、お互い信頼関係を築こうとしなかったのはアレンも同じだ。
ゲームの登場人物だと思っていた。
結局ヒロインと結ばれるのなら、深入りするのが嫌だった。我が身が可愛いのは当たり前。
それでも、人として少しくらいは歩み寄るべきだったと、今なら思う。形だけでも、婚約者だったのなら尚更。
別にエルマーの事は嫌いではなかったのだ。
悪い人柄でもなかった。もう少し、アレンが目を向けていれば、それなりな態度で返してくれる程度には、弁えた人物だったと思う。なんせ、乙女ゲームの攻略対象者になるくらいなのだから。
それらを頭から拒否したのはアレンだ。
何度も言うが、我が身が可愛い。だが、やり様はいくらでもあったと思う。
だから今は、向き合う時がきたのだ。
そう思えるのは、ヴォルフガングと会えたからだ。
会えた後で反省しても、後の祭りなのはいなめないのだけど、それでも向き合えただけマシだ。
ヴォルフガングは優しい。
どれだけ自分が傷ついても、人と向き合う事を止めない。全てを正確に捉えるのは難しいが、それでもその人自身を理解しようとする。
理解しきれるはずはないと分かった上で、その努力は怠らない。
そして、相手の良いところは伸ばすのだ。
そういう強さは、ヴォルフガングの素晴らしいところだと思う。アレンが愛してるヴォルフガングの一部分だ。
ヴォルフガングの隣に並ぼうというのなら、アレンもヴォルフガングを見習うべきだと思う。
そうして、向き合った上で決めた。
完膚なきまでに叩き折ろう、と。




