44.招待されました
園芸店へ足を向けて、アレンはチラリと時計を見る。そうして視線は出入り口へ。
書店からの通り道、調理器具を扱っている店とここまでそれほど離れていなかったはずなのに、いつまでたってもイリナの姿が見えない。
それどころか、ヴォルフガングもだ。
そっとクルトの背後に近寄り、後ろ向きのまま声をかけた。
「クルト、本屋に行ってイリナの様子を見てきてくれない?」
「それはできません」
「私はここから離れないから。ヴォルフ様が来られても逃げないわ」
「できません。僕はサンドラ様の従者で護衛です」
そこは少し融通を利かせてくれてもいいと思う。だが、クルトの言うことは正しい。
仕方がないから、クルトを引き連れたまま書店への道を戻る。
何度か往復して、イリナの姿を影すら見つけることが出来ず、漸くただ事ではないと理解したアレンは、店の前だというのにその場に立ち尽くしてしまった。
どんな理由だろうと、イリナがアレンを置いて帰ることはあり得ない。親が死んでもそれは絶対だと、それほどの信頼関係はある。
この通りで事故があったとも聞かない。
では、なにか事件に巻き込まれたか、まさか誘拐か。
だとすると、目的はなんだ。
「あんた、邪魔だよ」
考え込んだアレンの背を、後ろから来た通行人が路地へと押し込んだのだが、ふっと声が耳元に近くなる。
「アレクサンドラ=エーベル嬢。一緒に来て貰おう」
「なに……」
「大声出すなよ。そうすりゃあんたのツレには手は出さない」
「今でも出してないでしょうね」
ジロリと睨み上げるが、顔を背けた男性は肩を竦めるばかり。チラリと視線をやれば、その背後には、ちゃんとクルトがいる事が分かる。
では、アレンのやる事はひとつだ。
手で、クルトにここに止まる事、ヴォルフガングに伝えることを示すと、アレンは未だ背に手を添わせる男性へと向き合う。
「いいわ。どこだか分からないけど、招待されましょう。ただし、それなりの節度は守ってもらうわよ」
「いい身分だな」
「その通りよ。まさかそれを忘れて、こんな茶番を侵したわけじゃないでしょうね。ああ、パゲーノは元気かしら?もう随分歳だったけど、穏やかでいい馬だったわ」
ニッコリ微笑むアレンは、固まった男性にさっさと連れて行けと顎で差す。
何故馬の名などだしたかって?
そんなの決まってる。この男は、アレンの知る馬の厩番だったからだ。
もう何年も前、数えるほどしか訪ねた事はないけれど、アレンはしっかり覚えている。
エルマー=ブッケル伯爵子息の屋敷で見た。
エルマーはアレンの元婚約者だ。
アレンがブッケル家を訪れたのは三年前。婚約者の初顔合わせだった。それも領地なので、王都の屋敷へは一度もない。
学園に通う間はお互い王都に住んでいたというのに、一度も行き来した事はないのだ。
アレンは父の仕事に、相手はヒロインに夢中だったからだ。
嫌な流れが的中したな、と思う。
アレン宛にあったブッケル名義の手紙には一切目を通していない。アレンがクライスナー領へ訪れた前後の日付だったから、おそらく婚約解消についての謝罪なり弁解なりだと思っていた。
予測がつくその内容も面白いと思えなかったので、放置していたのだ。
今回、これほど無茶な手段でアレンを呼び寄せるとは、余程切羽詰まっていると見える。
ケヴィンの処遇が決まりヒロインとヨハンの処罰を見て、漸く己の立場を理解したか。
それにしては、いささか乱暴で杜撰だ。ということは、素直に謝罪して対面を保つというには、考え辛い。
ケヴィンの様に反省して改める、というよりはヒロインの様に逆恨みしてくる方向で心構えしておいた方がいいだろう。
それにしても、だ。
馬車の中で、目の前に座る侍女に視線をやる。
もちろんイリナではない。ブッケル家の侍女だ。何度か領地で見たことがある。
「到着しました。エルマー様がお待ちです」
素っ気なく言う侍女に、アレンは盛大な舌打ちをする。目を丸くしてアレンを見る侍女を、彼女の顔色が悪くなるまで睨みつけると、アレンは一人でさっさと馬車を降りた。
彼女はエルマー専属だったと記憶しているが、はっきりいっていい印象はない。
エルマーが、アレンにどういった感情を持ち接していたのか、ブッケル家の侍女の態度を見ると明らかだ。
今思えば、軽んじられていたのだと思う。
エルマーの態度がそうだったから、彼女達もアレンを扱うのに主人に右に習ったのだ。
プロとしてあるまじき態度だ。
薄々感じてはいたが、エルマーと婚姻を結び、夫婦になれば自分は女主人だ。それから徐々に慣れていけばいいと思っていたが、そんなこと今では有り得ない。
アレンはヴォルフガングが好きだし、彼以外と婚姻を結ぶなど今では考えられない。
気持ちが否定的になれば、どうでもいいと思っていたことすら、癇に触り始めるというものだ。
クライスナーで、アレンは使用人に粗末に扱われた事はない。立場を考えれば当たり前だが、心持ちも態度に出るものだ。
ベルントやブルクハルトがアレンに丁寧に対応していたから当然だが、当初ヴォルフガングはアレンを疎ましく思っていた。
支える主人の意向が使用人にも滲み出てしまう事は、どんなに訓練されていてもあるのだ。
特にアレンはそういったことに敏感だ。敏感だから、反応する事と無視する事を選択して対応している。
だから余計に、クライスナーとの格の違いが癇に触る。こんな奴らに軽んじられていたのか、それを放置していたのか。
おまけにイリナを、こんな恐ろしい目に合わせるとは。
そしてアレンは根に持つのだ。
今回の相手の出方次第では、ヒロイン以上にやり返してやろうと決心したところで、屋敷の扉が開かれた。
侍女長よりは少し若い使用人に先導され、二階の一室へと案内される。
中には、数人の若い侍女が控えていた。
「お着替えをしていただきます」
「私の侍女を連れてきなさい」
「エルマー様がお待ちです」
「イリナを連れてこいと言っているのよ」
「お着替えをしていただいてからです」
「あ、そう」
無表情で淡々と答える使用人に、アレンは棚に置いてある置物の小瓶を投げ渡す。
「受け取ってね」
「きゃっ!」
「あら、落としちゃったわ」
「な、なにをっ……!?」
ひょい、っと渡した小瓶は、軽さも相まって簡単に侍女にぶつかり、突然の事に取り損ねた彼女の手から落ちて割れた。
「大変。落としちゃって、それいくらするのかしら。白磁の陶器だもの、銀貨十はくだらないわよね」
「な、な、なんてこと……!」
「あなたが悪いのよ?あなたが取り落としたんですもの。銀貨十枚って何ヶ月ぶんのお給金かしら」
「わ、私じゃ……」
「あら私が悪いの?私は受け取ってってちゃんと言ったわ。聞いてくれないあなたが悪いのよ?」
さも自分は悪くないと言うアレンに、侍女達は青くなる。震えているのは、怒りか恐怖か。
「もう一度言うわね?私の侍女を連れてきなさい」
「それ、は……」
「この部屋誰の部屋かしら。素敵な調度品がたくさんねえ。ねえ、このローテーブル傷ひとつなくてセンスがいいわね。さあ、ちゃんと聞いてね。私の、侍女を、今すぐ、ここに連れてきなさい」
アレンの手には、今し方割れた小瓶の破片がチラついている。
「聞こえないみたい。このくらいの音を出したら聞こえるかしら?」
ギーッと、耳障りな低い音がする。
アレンの手にある陶器の破片が、ローテーブルの天板に大きく線を引いた。
同時に、侍女達の悲鳴が響く。
「やめて!やめてください!」
「あら、あなた私に命令するの?何か勘違いしていない?」
「分かりました!だから、それ以上は、やめてください……」
「勘違いするなと言っているのよ。あなた達にあるのは、連れてくるか来ないかの選択肢じゃないの。今すぐ連れてくるか、連れてきた上でこのローテーブルの無事を見届けられるか、よ」
テーブルをバン、と叩くと侍女達の肩が震える。
アレンより年下の少女には、刺激が強かったのは申し訳ない。
「さあ、さっさ動きなさい!十数えるうちに連れて来ないと、ローテーブルだけじゃなくなるわよ!いーち、にー、さーん、じゅう!」
「やめてぇ!まだ四でしょう!?」
ギーッとまたローテーブルに傷が入る。立派な調度品はこれで台無しだ。
「あら、手が滑ってしまったわ。あんまりノロマなんですもの。そんなにノロマではエーベルではやっていけないわね。ブッケル家は寛容なのねえ」
アレンがニッコリ微笑むと、後ろで控えていた侍女が数人泣き出す。
失礼な。笑顔を見て泣くとは何事だ。
「お嬢様、そんな物を触ると手が傷つきます」
「イリナ!」
「はあ、相変わらず私が見ていないとやりたい放題ですね」
奥の扉から困ったような顔で、イリナがブッケルの侍女に連れられて来た。
少し疲労感はあるが、見た目は怪我もないしどこも汚れていない。
「イリナ!無事だった?無体な事や如何わしいことはされてない?」
「淑女がそのような事を口にすべきではありません。……大丈夫です。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
頭を下げるイリナだったが、それは阻まれた。
アレンに首元に抱きつかれたからだ。
「いいのよ!私こそごめんなさい。やっぱり一緒に行くべきだったわ」
ギュッと抱きつかれて、イリナはアレンの背を撫でる。
「クルトは?」
「ヴォルフ様に伝言を頼んだわ。クルトに任せておけばなんとかしてくれる。イリナはこっちをお願い」
「畏まりました」
感動の再会と見せかけて、小声で状況確認をする。目配せし合うと、二人はそっと離れた。
「イリナも無事だし、帰りたいのだけど?」
アレンが室内を見回すが、すっかり疲弊している侍女達は、それでも着替えをするよう指示してきた。
全員を部屋から出して、支度はイリナに任せる。
気が乗らないけれど、向き合うべき時がきたのかもしれない。
それに、何がしたいのか本当の狙いは掴めてないが、イリナにした事の落とし前はつけてもらわなければ。
ドレスも化粧も整えて部屋を出ると、扉の前にいた侍女達が息を飲む。それもそのはず、田舎風情の村娘はどこへやら、目の前には見た目も立ち姿も洗練された、どこに出しても恥ずかしくない貴族令嬢がいるのだから。
「私は暇じゃないの。ノロマなのはブッケル家の人間に対してだけにして」
しかし目の前の美しい令嬢の微笑みからは、極太の針が突き刺さる。さっさと案内しろと言われて、侍女はアレンの先に進んだ。
一階の奥側手前の扉の前で、先導していた侍女が足を止める。
大広間ではなさそうだが、居間や執務室といったところか。
「エーベル嬢をお連れしました」
「入れ」
中から高めのテノールが聞こえる。
約四カ月ぶり、元婚約者のエルマー=ブッケルの声だ。




