39.お茶会しました
(ハ・ラ・ショー!!おめでとう私!大人の階段を一歩登りました!ありがとう神様仏様ご先祖様!)
ヴォルフガングに屋敷まで送ってもらった後、アレンはいつも通りベッドの上で感極まっていた。
今度こそ忘れてない。しっかり記憶に焼き付けている。
ヴォルフガングとの口付けを!
ヴォルフガングの表情も仕草も言葉も熱も、全部覚えている。
寒さなんて気にならないくらい、夢みたいなひと時だった。
甘い時間を過ごした後は、ヴォルフガングに抱えられて馬車へと戻る。そして、訪れた時同様屋敷まで膝の上だった。
正直恥ずかしい。重くないだろうかと言うことも気になったが、離れたくなかったからあまんじて受け止めた。
別れる時には忘れずにお休みのキスもしてくれた。
完璧だ。
流石は金貨の騎士様。完璧すぎる。
月明かりに照らされて輝く銀糸。優しく切ない表情。
暗い中に浮かび上がる姿が神々しく、どれを取っても非の打ち所がない。
ポーッと頰を染めたかと思えば、ニヤニヤと口元を緩めるアレンに、イリナは早く寝ろと言わんばかりに頭からシーツをかけた。
「少しくらい余韻に浸ってもいいじゃない」
「先程から一時間以上ニヤニヤしっぱなしです。帰りも遅かったですし、そのまま旦那様方の前に出られるとバレますよ」
「お父様達、何か言ってた?」
「いいえ何も。ですがおそらくは黙認しているだけかと」
「もうそれバレてるじゃない。私はいいけど、ヴォルフ様に不名誉な印象を与えるわけにはいかないわね。残念だけど今後寄り道はやめましょう」
婚約者なのだから、睦まじい触れ合い程度は両親も大目に見てくれている。だが、流石に婚姻前に深い関係になるのは印象がよくない。
「聞き分けのいいお嬢様は珍しいですね」
「寄り道しなければいいのよね」
「そういう問題ではありません」
思い出してニヤニヤしはじめるアレンに、イリナは厳しく節度のある付き合いを!と言い含める。
そんなの分かってる。
どっかのバカ令嬢みたいに、私利私欲の為に婚前交渉などするものか。
ヴォルフガングが望んでくれるなら吝かではないが、やはりきちんと段階を踏んで結ばれたい。それに、暫くはお互い立て込んでいて会えないのだ。
早くクライスナーの領地に戻りたいものである。
数日後、馬車から降りたアレンは、空を見上げてショールを手繰り寄せる。せっかくお茶会に招待されたというのに、今日は生憎の曇り空だ。
「クルトもお茶会は初めてよね。今日はしっかりね」
「はい。勉強させていただきます」
王都に来てから、クルトは領地同様アレンの従者としてエーベル家に在中している。
その間、アレンのエーベル領の仕事の報告、個人的な手紙の処理、王都で必要物資の買い出し、その他山のような雑務を手伝っていたのだが、この際だから従者からアレン専用の執事見習いにしようということになった。
クルトは騎士経験もあるので、従者兼護衛兼執事見習いである。肩書きが凄い。
エーベル家の執事から指導を受け勉強しているが、さすが文官向きというだけあって覚えがいい。
クライスナー領では、アレンはほぼお茶会など出席していないので、今日は実戦として連れてきた。
アレンが招待されたお茶会は、クラッセン伯爵家の令嬢主催だ。ビアンカの友人で、彼女からも一緒にどうかと誘われた。
学園を卒業して、婚約者のいる者は婚姻が結ばれるまで、社交で顔つなぎや勉強をする。クラッセン伯爵令嬢も現在、お茶会を催して練習中なのだそうだ。いつもの顔ぶれだとマンネリにもなるそうで、アレンにも声がかかった。
今回は内輪で友人を招待しているので、エスコートも必要ないのだという。
ちなみにクラッセン嬢も同じ学園、クラスだったそうだがアレンは覚えてない。
ビアンカにそう告げると、それでも構わない、クラッセン嬢は内向的で社交を上手くこなせていないから、一緒に彼女を元気づけてやってほしいとの事だ。
アレンに何ができるというわけでもないが、こちらも社交には慣れてないので練習仲間がいると思えば、多少気持ちが軽くなるかもしれない。
お茶会の行われる広間に案内されると、アレンに気付いて、ビアンカが少女と共に来た。室内には二人だけのようだ。内輪の練習とはいえ、もう少し招待されていると思っていたが。
「ようこそお来しくださいました。ディアナ=クラッセンです」
「お招きいただきありがとうございます。アレクサンドラ=エーベルです」
「ごめんなさい。あの、ビアンカに聞いて、私も是非エーベル様をご招待したかったんです。気に触ってしまったら申し訳ありません……」
「いいえ。私も不慣れなものですから、失礼がありましたらすみません。ご容赦いただけるとありがたいですわ」
ディアナは申し訳なさそうに視線を彷徨わせるが、同じクラスだったというだけのアレンを招待してくれたのはありがたいことだ。なにより、彼女がどうも頼りなさそうで、ビアンカの言うことがよく分かる。
緑の髪に濃茶の瞳、眉の下がり具合や雰囲気が内向的なのを表している。ビアンカとは真逆だが、細身でなかなか整っている綺麗目な少女だ。
「あの、よろしければディアナとお呼びください」
「はい。ではサンドラと」
友好的に微笑んでみれば、ディアナは狼狽えた後、アレンの背後に控えるクルトに目を向けた。
「あ、ありがとうございます。あの、そちらの方は……」
「私の執事見習いですわ。本日は勉強させていただこうと思いまして、同行させましたの」
「クルト=ペルニーでございます」
クルトが控え目に笑みを浮かべて挨拶すると、二人とも微かに頰を赤らめる。クルトも可愛い系の美少年だからこの反応は頷ける。
「どうぞこちらに」
ビアンカとディアナと同じテーブルに案内され、美味しいお茶に癒される。
「とっても美味しい。お菓子も、それを飾る装飾も品があって素敵ですわ。練習とお聞きしましたけれど、十分なのではないですか?」
慣れてないとは言うものの、少女らしい初々しさの中に品があり、なかなかいいではないか。
母のように豪奢で完璧、非の打ち所がないとはいかないが、隙があるのが逆にいい。
ニッコリ微笑むと、ディアナは頰を染めてため息をつく。なんだろう、このキラキラした目は。
「ディアナったら、サンドラに見惚れてるわ」
「ビアンカッ……!だ、だって、ほ、本当に、アレクサンドラ=エーベル様が……!凛々しいだけじゃなくこんなに美しい方だったなんて……あ!す、すみません!失礼なことを!」
「構いませんわ。お褒め頂きありがとうございます」
アレンが目を合わせて微笑めば、ディアナは更に真っ赤になって俯いてしまう。
自分は可愛いタイプではないだろうと思うが、美しいと言われてもピンとこない。顔は整っている方だと分かっているが、所詮整っているだけ。
アレンの理想の美人はヴォルフガングだ。
しかし凛々しいとは?
「ディアナはサンドラに憧れてたのよね」
「ビアンカッ……!」
「なぁに、いいじゃない。女性なのに乗馬が上手くて、素敵だって言ってたでしょ」
「もう、もうやめてよ!ご本人の前で!」
聞けば、ディアナはアレンが学園の乗馬クラブに所属していた頃を知っていると言う。
普通貴族令嬢は乗馬はするより見る方や、乗っても補助付きで横乗りするだけだが、アレンは己の末路を知っていただけに、どうせ断罪されるならとやりたい事をやっていた。
元々領地で乗っていたのも、乗馬!カッコいい!という好みに振り切った結果である。断罪されても逃げる手段になるじゃないかと気付いたのは、卒業間近だった。
「ビアンカ、からかい過ぎよ。ディアナ様、ビアンカは大袈裟に言っているだけだと承知しておりますわ」
アレンが宥めると、ディアナは安心したように、だけど少し残念そうな顔をする。
「……いえ、あの、あ、憧れているのは、本当です。その、まっすぐ前をみてて、背筋が伸びててカッコいいなって……あの、私……」
ディアナはぎゅっと手を握ると、涙目のままアレンを見上げてくる。
「あんな、酷いこと言われてても、強くて……私も、サンドラ様みたいになりたいって、思ってました……」
はて、酷い事とはなんだろう。
首を傾げたアレンに、ビアンカが助け舟を出す。
「ヘルテル子爵令嬢関連の噂よ」
「誰それ?」
アレンの返事に二人ともポカンとした顔をする。どこかで聞いたことがある気がするが、どこだっただろうか。ごく近い頃に聞いた覚えがあるような。
思い出せずにいると、クルトがこっそり耳打ちしてくれた。
「ああ、ヒ、ヘルテル嬢ね」
危ない。ヒロインと言いそうになってしまった。
笑って誤魔化すが、ビアンカは呆れたような目を向けてくる。
「はあ。私本当に聞きたいことがたくさんあったのだけど、よく分かったわ。サンドラは彼らに興味がないのでしょう?クライスナー様とご婚約が成立したから、すっかり吹っ切れているのだと思ったのだけど、それ以前の問題だったのね」
図星だ。
ヒロインの行動があまりにも予定調和過ぎて、その界隈だけゲームを見ているようだったのだ。ただヒロインは真性お花畑で、逆ハーレムを狙う転生者ではなかったが。
「婚約してから三年の間に数える程しか会ってないのよ?それで好ましく思えという方が無理ではなくて?」
「親の決めた婚約者なんてみんなそんなものじゃない。そこからどう関係を築くかでしょ」
「ビアンカは上手く関係を築いているの?」
「残念ながら私はまだ婚約者はいません」
渋い顔でカップを持つビアンカに、薮蛇だったかとディアナへと話を振る。
「ディアナ様は?」
「あの、私は……」
「ごめんなさい。いらっしゃらないのでしたら……」
「いえ、いる……いた……。解消に、なると、思います……」
更に地雷を踏んでしまった。
遠い目をするアレンに、ビアンカはムッツリと紅茶を啜っている。知っていたなら教えておいて欲しい。
「ディアナが後ろめたく思うことはないわ。あんなの婚約解消して当然よ」
「ビアンカ、相手を知っているの?そんなに問題のある方?」
「名前を口にするのも嫌。あの女の取り巻きに成り下がったアホよ」
(おおぅ……こんなとこまで被弾してる)
ビアンカに、ヒロインは幅広く手を広げているとは聞いていたものの、取り巻きとその婚約者を実際目にしてしまうと、なんとも後味が悪い。
「ディアナを散々蔑ろにしておいて、事が判明したら掌を返したように無関係を装って。おまけにディアナを庇いもしない!」
「ビ、ビアンカ……」
「あっ……!」
「庇う?」
はっと口を塞ぐように手をやるが、ビアンカはディアナと顔を合わると、ディアナが小さく頷く。
「ディアナ、一時期あの女と仲が良かったのよ」
ディアナは入学してからヒロインと同じクラスだった。ヒロインは、ヒロインになるだけあって容姿はいい。サイコ気味な中身は兎も角、はたから見ると明るく社交的で親切で、基本的な貴族の躾もなっているので、すぐに親しくなったそうだ。
最初は内向的なディアナを引っ張ってくれる、いい関係だと思っていた。それが自分の婚約者を紹介し、次第に上位子息を侍らせるようになってから、おかしいと思い始めた。
婚約者のいる子息と距離が近い事を、遠回しに口にすれば、それが自分の婚約者から咎められる。
ただの友人なのに疑うのか、と。
しかし明らかに男女の距離感となっても、ディアナが少しでも彼女の気に入らない事を言えば、周りから責められる。そのうち何も言えなくなった。
徐々にヒロインから離れようとすると、急に下手にでてディアナの言う通りにするから、嫌わないで、友達よね?と泣く。
そしてまた、彼女の涙に絆された周りから責め立てられ、動けなくなるのだ。
友達なんかじゃない。
ただ自分は都合よく使われているだけだ。分かっているのに、責められるのが怖くて言われるがままだった。
そんな時に、乗馬クラブでアレンを見て、噂も婚約者の不義も気にもとめていない彼女の姿が、とても美しいと思ったのだ。
どうしてあの人はあんなに強いのだろう。
心無い噂話は辛い。婚約者にエスコートもされないのは惨めだ。なのにアレンは、堂々と前を向いて彼らに一瞥さえ寄越さない。
あれほどとは言わない。そんな大それたことは願わないから、せめてほんの十分の一でもアレンの強さがあれば、と思った。
客観的な自分の評価は、時に槍となって刺さるのだと思う。特に好意的な色眼鏡で見られている場合は。
ハッキリ言って恥ずかしい。いたたまれない。
ディアナの目が、尊敬を含んでアレンを讃える度に、穴を掘って入りたくなる。
そんな高尚なものではないのです。
ただただ、平穏に暮らす以外はどうでも良かっただけなんです。
でも流石に、ヒロインと攻略対象者なので、揃ってどっかに行ってくれた方が万歳でした、なんて言えない。
表面上は真面目な顔を繕いつつ、二人の話を聞く。
「卒業パーティーでサンドラを追い出して、それであの界隈は大団円のつもりだったでしょうけど、事実が判明したら今度は周りがね」
距離を置ける範囲の者は上手く逃げたが、そうでない者には飛び火する。ディアナはヒロイン自ら友達だと声高に主張していたお陰で、逃げられなくなった。彼女の婚約者はディアナが矢面に立たされても、助けもしないのだとか。
そうして、ディアナは現在孤立しているのだそうだ。どうりでこのお茶会も自分達だけだ。
幸い、元々友人だったビアンカが側にいて、弁解して回ることで、少しづつディアナの立場も元に戻りつつはある。
ビアンカも、早くにディアナとヒロインを離したいと手を尽くしたそうだが、取り巻きに邪魔されて近づけなかったそうだ。
何よりビアンカがヒロインを嫌っていて、言葉も口調もきつくなる。そうするとすぐに泣いて話にならないし、攻略対象者達が庇う。ビアンカが悪者にされる状態に、ディアナから遠慮したという。
優しい人達だ。
アレンに纏わる噂に対しても、二人共アレン以上に、聞くに耐えない言葉に胸を痛めていたようだ。
当時はただの同級生というだけだったのに、なんて優しいのだろう。
自分の事に必死だったとは言え、余りにも周りに目を向けなさ過ぎた事は、勿体ないことをしたなと思う。
けれど。
しんみりした空気の中でお茶を入れ直して貰う。
誰ともなしに口を開きかけたところで、遠く声が聞こえてきた。なんだか外が騒がしい。
「何かしら?ディアナ、他にも誰か来るの?」
「いいえ、今日はもう誰も……」
ディアナが立ち上がり、外へ向かおうとしたところで、激しく扉が開かれる。
姿を表した人物に、全員動きが止まる。
そこにはーーー。
クラーラ=ヘルテルがいた。




