38.反省しました
肩を揺らして蹲ったままのアレンに、ヴォルフガングはさてどうしようかと思う。
今度こそ、側にいてアレンを守ろうと思っていた。しかし結局ローゼマリーを撃退したのはアレンで、彼女が矢面に立つ事になってしまった。
不甲斐なさに歯噛みしたくなるが、今はアレンだ。
「外は冷える」
「……すみません。もう少しこのまま。あと少ししたら立ち直ります」
「何故こちらを見ない?」
「あの、今ちょっと顔を見られたくないので。あと少しだけこのままでお願いします」
アレンを覗き込もうとしたら、両手で顔を覆ってしまった。それほど辛い思いをさせたのかと、ヴォルフガングは側に膝をつき、アレンを抱え上げる。
「ひゃっ、ちょっと、ヴォルフ様?」
「泣いているかと」
「泣きませんよ。ただ、あの、今凄く酷い顔をしているので……」
ゴニョゴニョと濁して、未だに顔を覆ったアレンを抱えたまま、ヴォルフガンは庭園を抜けて馬車まで戻る。
「いいのですか?私まだ挨拶が……」
「先に済ませた。伯爵からは労いも貰ったので、あなたが気にすることはない」
「そうですか……」
夜会が始まる前は、任せておけと大口を叩いておきながら、先日といい今日といい先陣切って事を起こすとは、婚約者として全く役に立ってない。
反省だ。大反省。
「すみませんヴォルフ様。私、ろくにお務めも出来ず」
「それを言うなら私だ。今夜もまた役立たずだった」
「いいえ。ヴォルフ様は挨拶周りに、顔つなぎと情報収集と幅広く動いていらっしゃいました。私ときたら」
「挨拶周りには同行しただろう。それはそうと、いつまで顔を隠している?」
「もう暫く。ところで何故私はヴォルフ様の膝の上なのでしょう」
馬車に乗り込んだところまではいい。しかし抱え上げられたアレンは、そのままヴォルフガングの膝の上で馬車に揺られている。
「寒いだろう」
なるほど。上着をアレンに貸しているから、寒さ対策の為か。いいですとも。ヴォルフガングの為になら湯たんぽにもなりましょう。
「それに、もっと甘えてくれていいと言ったはずだ」
甘える。
ここにきてそれを出されるとは思わなかったが、とりあえず甘える為に顔を隠したまま、ヴォルフガングの胸に寄り添った。
アレンの背に回った腕の力が強まる。
「私の婚約者殿は勇ましい」
「淑女らしくなくてすみません」
「責めているわけではない。だが、邸の庭とはいえ一人で出るものではない。側にいたいと常に思っていてくれているのではなかったか?」
「それはもう。ただ、あのままあそこにいると、いたたまれないと言いますか、やってしまった事の一人反省会と言いますか……」
またゴニョゴニョと言い募るアレンだが、顔を覆っているお陰で、いつものように溌剌とした声が聞こえない。それがとても惜しいと思う。赤くなった耳と同様に染まる顔が見たいのに。
「彼女が出て行った後は、思ったより和やかに再開していた。余計な恨みはかうものではないな」
「どれだけ疎まれているのでしょうね」
「今夜の話も侯爵には行く。益々出てこられなくなるだろうな」
それは願ったりだ。さすがに連日で皮肉の応酬は疲れる。
「そろそろ顔を見せてはどうか」
「まだちょっとお見せできないので」
「何故?私には見せられないと?」
「見せられませんね。誤解のないように、ヴォルフ様に見せたくないのではなく、酷すぎてヴォルフ様には見られたくないのです」
とは言っても、このままの状態でいるわけにはいかない。何度か深呼吸を繰り返してそろりと手をおろすと、目と鼻の先にヴォルフガングの輝くご尊顔があった。
なんで覗き込んでいるのだ。
「可愛いじゃないか」
「ふわっ!」
「あなたはいつでも可愛い」
でたな突然のデレ。
鼻先が触れる近さでそんな事を言われては、アレンの心臓がもたない。
「酷いとは?」
「……凄く、嫌な顔をしていたと思います。悪辣といいますか、ベルムバッハ嬢が人様の悪口を言う時みたいに生き生きした顔といいますか」
アレンの言い草にヴォルフガングは笑いをかみ殺す。嫌味を言うのに『生き生き』で、それが『悪辣』と同等に並ぶとは、ローゼマリーを称するのに的を射ている。
「それなら私もだ。相手は兎も角、女性を威圧するなと言われた」
「私を庇ってくださったのでしょう?不可抗力です」
「庇いきれてなかったな。結局今夜も、私はあなたに守られている」
「そんなことございません。ヴォルフ様が最初に否定してくださったから、安心出来たんです。それに私はああいう、人様の神経を逆撫でするのは得意ですからね!よくお兄様に注意されました」
胸を張っていう事ではないのだが、少しばかり元気になった様子のアレンに安心する。
「私は剣は使えないし、お互い得意な事で補えたら素敵じゃないですか。そうしたら、私はヴォルフ様の……いえ、いいです。えーと、なので、その、少しばかり醜悪な顔は見逃して欲しいと言いますか」
役に立てるのなら、側にいても許されるだろうか。
言いかけてやめた。
確認するまでもなく、役に立つからと婚姻を迫ったのは自分だ。
俯くアレンを不思議そうに眺め、ヴォルフガングは首をかしげる。
「醜悪とは?あなたは常に可愛らしいじゃないか」
「心臓が痛い……」
「具合が悪いのか?」
「デレの過剰摂取……」
「デレ?」
分からない、というように更に首をかしげるのはやめてほしい。なんだそれ、あざとい。可愛い。自分よりも、ヴォルフガングの方が可愛い。
「もう!ヴォルフ様あんまり可愛いとか、そういうあざといのやめてください。いえ、褒めてくださるのはありがたいですし、可愛いも綺麗も言葉にするのは大事です。もちろん、すーっごく嬉しいです!人は意思の疎通を行ってこそですからね!でも、あんまり言われると……」
「嫌だったか」
「嬉しくて。……ドキドキして、心臓がどうにかなってしまいそう……」
身体中が脈打つみたいにドキドキして、きっと全身真っ赤だと思う。熱い頰を冷ますように手を当てて見上げれば、ヴォルフガングは一瞬間があった後、ぎこちなくも両腕でアレンを抱きしめた。
だからそういうデレだというのに!
でも幸せだからいいか。
幸せだ。
好きな人の膝の上で、好きな人の温もりを感じて抱きしめられている。
これでヴォルフガングにも、アレンに恋愛感情があればもっといいのに。いや、欲張るのは良くない。
ほぅっと息をつくと、馬車は次第に速度を緩めて止まる。
「着いたな」
「はい……え?」
馬車の窓から見える風景は、エーベルの屋敷ではない。着いたとは一体どこに。
「少し出られるだろうか」
「はい。あの、ここは?」
馬車から降りると、辺り一面緑の草原である。小高い丘のようで、街の光が点在して見える。
「王宮の裏山側にある丘だ。一応馬車でもここまで来られるが、整備はされていないから好んで来るものはいないな」
「ヴォルフ様はよく来られたのですか?」
「……自主訓練に。寒くないか」
「はい。上着をありがとうございます。ヴォルフ様は寒くないですか?」
「ああ。冬場にシャツのみで訓練する事もあるから、慣れている」
「慣れないでください」
クスクスと笑いながら促されて、路から草原へと踏み入れた。少し進むと足元に白く輝く絨毯が現れる。
「わあ!冬なのに花が咲いてます」
冬の夜だというのに珍しく、白い花が咲き乱れている。背丈が低く、5枚の花弁が星型のようで、花弁は大きいが前世で言う所のペンタスに似ていた。
明るい月の光が白い花弁に反射して、キラキラと輝いて見える。
「凄い……初めて見ました。綺麗です」
「冬にだけ咲く花だ。暖かい地域に生息する種類だからクライスナー領にはないな。昼間に見ても綺麗だが、月の明るい夜は特に光る」
「本当に光って見えますね、不思議。小さくて可愛い花」
ヴォルフガングの腕の中でうっとりと花を見つめるアレンの様子に、少しは気晴らしになってくれたかと思う。
「ヴォルフ様、ありがとうございます!凄く綺麗。こんなに綺麗なものを見せてくれて嬉しい!」
嬉しそうに微笑むアレンに目を奪われる。
花よりも、月に照らされて神秘的な美しさを滲ませるアレンに見惚れていたヴォルフガングだが、彼女の笑顔はそれ以上だ。
「不快でないなら良かった」
「不快なわけないじゃないですか。とっても綺麗ですよ」
「私はあなたの好む花も知らないから」
気にいるのか分からない。
何だそんなこと。
はっきりいって、花の種類などどうでもいいのだ。ヴォルフガングがアレンを気遣っての行動ならば、そんなのは瑣末な事だ。
それに、ヴォルフガングが綺麗だという景色をアレンに見せてくれた。
「花はなんでも好きですよ。でもこの場合は、ヴォルフ様が私の為を思って行動してくれた、という事が大事なのです」
「そういうものか」
「はい。その気持ちが嬉しいのですよ。それに、ヴォルフ様だけが知ってる場所に、私を連れてきてくれたのも嬉しいです。最初に言ったでしょう?」
ーーー天気が良かったらヴォルフ様と遠乗りできるし、紅茶が美味しかったらヴォルフ様に淹れて差し上げられるでしょう?そうしたら楽しい事が二人一緒にできるわ
天気の話でも紅茶の話でも。
何気無い事を一緒にするのが大事なのだ。
「ヴォルフ様と一緒なのが嬉しいです!遠乗りは先日できましたし……」
と、そこまで言って思い出す。
遠乗りと言えば、記憶が飛んだアレだ。
口付け。
当たり前のように抱かれてくっついていたが、意識すると顔に熱が上るのが分かる。そっとヴォルフガングを伺えば、アレンの変化をどう取ったのか、唇を引き結んでしまった。
ヴォルフガングは平常通りに見えていたけれど、そうではなかったのだろうか。
お互いいつも通りに振舞って何事もなかったような態度だったが、ここにきてお互いがそうではなかったのだと気付く。
(ど、どうしよう。何か言わないとヴォルフ様の事だから勘違いしてしまいそうよね。そうだチャンスよ!二回目!二回目を強請る……じゃなくて甘えたらいいんじゃない?ってそんなにしたいのか私!いやしたいけど、でもそれはそういう如何わしい意味ではなく、純粋に触れ合いたいというか進展したいというか。ぶっちゃけ覚えてないのが惜しいというか)
アレンが脳内で自己弁護している間にも、ヴォルフガングの眉間には皺が寄り始めている。
こういう場合はだいたいヴォルフガングが謝罪するのだ。嫌だったのならすまない、とかなんとか、自分に非があると思って。悪くもないのに、また謝罪されてはたまらない。
(えーと、えーと、ど、どうしたらいいの?覚えてないから二回目してくださいって言う?まさかそれは、さすがにダメでしょう。じゃあキスしましょうってストレートに言ったらいい?それ、なんか情緒がないわ。はしたないって思われても嫌だし)
ウロウロと視線を彷徨わせて、ふと目の端に映ったヴォルフガングの手が、硬く握り閉められていることに気付く。
微かに震える程強く握った拳は、何を思っているのだろう。それがふと緩んだ瞬間、アレンは咄嗟に指先で袖を掴んだ。
まさか掴まれると思っていなかったのか、びくりとヴォルフガングの手が反応する。
突然で驚かせただろうか。
(だって、どこかに行ってしまいそうだったんですもの)
掴んだ袖から、ヴォルフガングへとゆっくり視線を向ける。
月の光に照らされて、銀色の髪が輝く。さらりとした銀糸は滑らかで絹のようだ。
真摯に自分を見つめる目も、宝石の様な澄んだ紅い瞳も綺麗だ。
アレンの金貨の騎士様。
惹かれたのは外見だけど、誠実で真摯で真面目で固いけど可愛いらしくて、中身も大好きだ。
(ヴォルフ様が大好きなの)
ぎゅう、と袖を摘む指先に力を入れると、ヴォルフガングの手がそれを優しく解いた。
アレンの手を包み込み、空いている方の手で頰を撫でる。
優しい手。表情。
影が降りてきてアレンがそっと目を閉じると、唇に柔らかな感触が降りてくる。
重なったところからピリっと電気が走り、触れた温度の気持ちよさも伴って、身体中痺れる様な感覚に包まれた。
熱が離れれば、ぴったりとくっついているにも関わらず、寂しいと思ってしまう。ふと見上げれば、慈しむような切ない瞳が視界に飛び込んできた。
初めて頰にキスした時のような、熱い眼差しではなく、ひたすらに優しい瞳に息が止まりそうだ。
ユリウスの言っていたのはこの事か、と思う。
確かにこんな顔を見せられては、女性が浮き足立つのも分かる。
でも、今更遅い。
(ヴォルフ様大好き。今以上にもっとたくさん、私の気持ちが伝わりますように)
そうして何度か静かに触れ合って、月の輝く夜は更けていった。
感想ありがとうございます。
主人公の呼び名が複数ありますが、主人公自身の中に
アレン→ヴォルフガングのみ、小説の地の文
サンドラ→家族、友人、親しいと認識した人
アレクサンドラ嬢、エーベル嬢→知人、他人
という括りがあるので、変更は無いです。ややこしくてすみません。




