33.誘われました
アレンが声の方へ振り返ると、見事な金髪を腰まで伸ばし、濃い青目の美女が立っていた。周りに数人の貴族令嬢と思われる女性達もいる。
美女は釣り上がったきつめの眼差しで、確実にアレンを見下しているのが見て取れる。
さて困った。
明らかに敵意を剥き出しにされているのだが、アレンは彼女が誰だか分からない。故に、先程のセリフも眼差しの意味も分からない。
父親世代の貴族名鑑は頭に入っているが、その子息令嬢となると、社交も友達作りも行ってなかったお陰でさっぱりだ。何かヒントをくれれば思い出せるかもしれないのだが。
だがまあ、伯爵子女のアレンに対してこの態度ならば、おそらく家格は上だろう。チラリと彼女の傍にいる令嬢に視線をやると、こちらも馬鹿にしたように口を開いた。
「あなた、ローゼマリー=ベルムバッハ侯爵令嬢に対してなにをしているの」
「これだから田舎者は。礼儀を知らないのね」
「失礼しました」
アレンが頭を下げると、頭上で満足したように笑い声が聞こえる。人に頭を下げさせて何がしたいのやら。下げた頭の影で、舌を出されている可能性は考えないものか、とアレンは息を吐く。
「婚約者がいる癖に、随分と殿方に目がないのかしら。それとも、二度あることを見越して保険でもかけてらっしゃるの?」
クスクスと笑う声がいやらしい。
後半はアレンの婚約破棄騒動を揶揄しているのだろうが、こちらが本題だな、と思う。
ユリウスに気があるなら、さっさと本人に群がればいい。そうではなくこちらに来たという事は、アレンに用があるのか。
さて、売られた喧嘩はリターン率と利息によっては買うが、まずは見積りだな、とアレンは頭の中の算盤を弾く。
ローゼマリー=ベルムバッハ。ベルムバッハ侯爵の長女で現在二十歳。金髪青目の美女で、美貌だけでいえば今世代でダントツだ。美貌だけでいえば。
一人娘に甘い侯爵のお陰か、傲慢、我儘、差別主義となんとも救いようのない人物だったはず。
ベルムバッハ侯爵自体が自ら商売もやっていて、貴族の中では権力も財産もトップに入り、影響力が強いお陰で娘のやる事に苦言も進言もできる相手が少なかった。それ故に増長している面もある。
そういえば侯爵家は過激派だったような。
ああ、そうか。
なるほど、過激派のベルムバッハ侯爵が第二王子を担ぎ上げて、ゲーム内では王を継ぎヒロインは王妃ということか。ということは、ヒロインの幼馴染家であるファラー商会も傘下とみなしていい。
なるほどなるほど。ゲーム内では分からなかった内政絡みでああなっていたということか。
パチパチと四則演算が弾かれる間、アレンが無言のお陰で目の前の美女は機嫌が悪い。
「ローゼマリー様に答えないなんて、なんて礼儀知らずなの」
アレンはすかさず、取り巻きを睨みつける様に視線を向ける。ローゼマリーは泳がせる。取り巻きが怯んだところでターゲットはこいつにする。
「許可をいただいておりませんので」
貴族同士が話すときは、上位の者の許可がなければ下位の者から口をきくのは許されない。知らないのか?と言わんばかりに冷ややかに微笑めば、ローゼマリーがイラつきながら返事をするように指示する。
「初めまして。アルベルト=エーベル伯爵が長女、アレクサンドラ=エーベルでございます。この度、陛下にも改めて許可をいただきました、クライスナー伯爵が子息ヴォルフガング=クライスナーの婚約者でもございます。お見知り置きを」
「……ローゼマリー=ベルムバッハよ。あなたなんて覚える価値はないけど」
「お互い、奇遇ですね」
「なんですって?」
アレンはニコニコと微笑むが、ローゼマリーはアレンの返しにヒクリと頰を痙攣らせる。侯爵令嬢とはいえ、我儘三昧の娘らしい。腹芸は出来なさそうだ。
「あら、私も私自身に覚えてもらえる程の価値はないと存じ上げておりますわ。ですから、ベルムバッハ様の言う通り奇遇だと申し上げたまでですの」
「あら……そう」
「そんな価値のない私にどういったご用件で、お声をかけてくださったのでしょう?とても光栄ですけれど、ベルムバッハ様自ら声をかけて下さる程の価値は私にはございませんのよ?お時間の無駄でしょう?」
とりあえず、エーベルとクライスナーが後ろにいるぞ、でしゃばりませんよ、恐れ多いですよ、そんな控え目な自分に何しに来たんだおめー?と盛大に投げてみた。幾分か声を張って。
ちなみにアレンの対応に、取り巻きは引いてる。
さて、ここまで言ってどう出るか見ものだ。
「婚約破棄なんて醜聞を晒しておいて、この場にどんな顔して出てこられるのかしら。すぐに次を見つけるあたり尻軽なのかしらね。恥ずかしいことだわ」
「そんな理由でわざわざ私の所まで足を運んでくださったのですか?ベルムバッハ様は才女だとお聞きしましたが……嘆かわしいことですわね」
「どういう意味!?私が無能だとでもいいたいの?」
「いえ、その……破棄と解消は別物ですけれどご存知ないようで。差し出がましいようですが、破棄は契約において、一方的に不履行や違反することで、お互い相談の上で納得して無効にすることは解消と申します。まさかベルムバッハ様がご存知ないわけはございませんよね。ほんの少しご記憶から遠ざかっただけかと。いいえいいえ、決してベルムバッハ様が悪い訳ではございませんわ。学園を卒業して三年ですもの。勉学から離れるぶん何かと不利になってしまうものですもの。時の流れは無情ですわよね」
アレンが一気に言い募ると、彼女達周辺が静まり返る。ドン引きだ。
要約すると、『暇なんだな。語学の勉強をやり直せ、その上でもっと捻った嫌味を言いに来い、この年増』である。腹芸は出来なさそうだが、嫌味は正しく受け取ったらしい。アレンの憐憫の眼差しに、ローゼマリーは綺麗な顔に青筋を立てている。
「もちろん私の様な者がこの場に訪れるのは大変失礼な事だと存じておりますわ。ですが、私の矜持よりも陛下の生誕を蔑ろにする方が不敬でございます。なにより、私が辞する事でクライスナー家に腹に一物ありと思われては申し訳が立ちません。大事な婚約者ですもの。ベルムバッハ様ならばご理解いただけますわよね?」
「っ……!!」
アレンは和やかに微笑むが、その周りは一層凍りついた。
ローゼマリーには今までも現在も、その性格が災いして婚約者はいないのだ。侯爵家からの打診をしても、なんだかんだと理由をつけて断られ続けている。
エーベル家はアルノルトがまだ婚約者がいないのだが、伯爵で家格が下がるのはプライドの高いベルムバッハ家では許せないのだろう。声がかかったことはなかった。
以上を踏まえて、全て分かった上でアレンは言った。
地雷を踏み抜いたのだ。
まあ地雷はどうでもいいとして。
彼女がアレンに突っかかってくる理由が分からない。ただアレンを馬鹿にしたい、という理由でわざわざ声をかけるだろうか。……彼女ならやりそうな気もする。
「私を馬鹿にしてるの?よくも私にそんな口を……!」
「あら、何か失礼な事を言ってしまったのなら謝罪いたしますわ。私ったら本当に至らなくて申し訳ありません。今後の為にもどこが失礼かご教示願えませんこと?」
純粋に分からなくて驚いた、という体を崩さないアレンに、ローゼマリーは般若の形相で持っていたグラスを投げつける。
グラス共々、入っていた赤ワインがドレスに散った。
アレンの背後にいた女性のドレスに。
「キャー!」
一気にその場が騒然となる。
てっきり目の前にいたアレンがその惨状に見舞われていると思っていたのに、別の女性、しかも年配の貴族だったお陰でローゼマリーは真っ青だ。
「大変!ベルムバッハ様、グラスを投げるなんて!手が滑ってしまわれたんですか?!どこか手の病気でも患われているのではなくて?医師に診ていただいた方がよろしいですわ!」
「あ、あなた、どこに……」
ローゼマリーの左側から顔をだし、大声で捲したてるアレンに頰が引き攣る。彼女はローゼマリーの手を掴んで、やってきた給仕や使用人に、ドレスが濡れた女性共々引き渡した。
その後を、ローゼマリー一派やベルムバッハ侯爵が遅れながらも慌ただしく出て行く。
してやったり。
べーっとアレンが舌を出していると、背後からそっと口元を塞がれる。
手元へ視線を向けると、顰めっ面をしたヴォルフガングが立っていた。
舌を引っ込めると、テラスへ出るように促される。
テラスは二人が出ると同時に、中の騒動が気になった者達が入って行く。
静まり返った庭先は、深い紺青の空に綺麗な月が輝いていた。
「怪我はないか?」
「ありませんよ。ドレスも無事です!」
アレンの逃げ足の速さを侮ってもらっては困る。
ローゼマリーがグラスを持っていた事もあり、投げるなり中身をかけるなりするだろうなと思っていた。
褒めて褒めてと、犬が尻尾を振るようにドヤ顔を向けるアレンに、ヴォルフガングはつい頰を撫でる。
「何かあったら私を呼んで欲しいのだが」
「何もないですよ。挨拶しただけです」
「挨拶であんな事になるのか」
「なりましたね。ヴォルフ様、どこからどこまでご存知ですか?」
「……挨拶しあったところか」
ほぼ最初からではないか。
「すまない。すぐに行くつもりだったのだが、ユリウスに止められた」
因みに一連の会話を聞いていて、ユリウスは腹を抱えていた。
「ローゼマリー嬢があんな事を仕出かすのなら、やはり側にいるべきだった」
ローゼマリー嬢、だと?
「ヴォルフ様、ベルムバッハ様とは面識がおありで?」
「昔、5年ほど前か。年に数度会った程度だ」
年に何度も?それは気になるところだ。
ヴォルフガングに対して、出自だとか経歴だとかは知っている。だが、名鑑に書かれるような事以外は知らない。二人にとって大事なのはこれからだから、知るのはそれでいいと思っていたが、もう少し情報を掴んでいた方がーーー。
いや違う。
ヴォルフガングの事を知りたいのだ。
ユリウスが、自分の知らないヴォルフガングを、当たり前のように話す事がモヤモヤした。
ヴォルフガングが何を見てどう思うか。今現在だけじゃなく過去もどう思っていたのか、どんな人と会って何を感じたのか知りたい。
ヴォルフガングの言い草では、あまりいい思い出はなさそうだけど、彼が許してくれるならそれさえ引っくるめて聞きたいと思う。
綺麗事だけじゃなくて、嫌なことも辛いことも酷くても、全部知りたい。
受け止めたいと思う。
「いいですね、羨ましいです」
「羨ましい?」
「はい。私の知らないヴォルフ様をご存知なんですよね。これを羨まず何に嫉妬するというのでしょう」
「嫉妬……したのか」
「しますよ!いつ会ったのかどこで会ったのか、会ってどう思ったのか、聞きたい事ばっかりです!」
ムッとして言い募るアレンに、ヴォルフガングは口元を押さえて横を向く。
「でもヴォルフ様が言いたくない事は聞きません。いい思い出ばかりとは限りませんし、その、しつこいとお嫌でしょう?」
「構わない」
「本当ですか?私しつこいですよ。細かいし、色々聞いてしまいますよ」
「ああ」
頷くと、アレンの表情がパッと明るくなる。
ああ、本当に可愛いらしくて堪らないな、と思う。
「明後日、空いてるだろうか。遠乗りにどうかと思うのだが」
「空いてます!遠乗り!約束ですね」
王都に来るまでの約束を覚えていてくれた。
程なくして途切れていた音楽が流れ始める。先程の騒動も一部の事だったし、出来た使用人のお陰で元どおりというところか。
更に上機嫌になったアレンに、ヴォルフガングが手を差し出す。
「踊って貰えないだろうか」
「はい!喜んで!」
ホールへ戻ると、目立つ二人を避けるように人が割れる。なんだか注目を浴びていると思うが、有名な割には滅多に社交にでないヴォルフガングが原因だろう。
(カッコイイでしょう?素敵でしょう?私の婚約者なんですよ。誰にもあげませんけどねー)
ムフフと笑うアレンに、ヴォルフガングも柔らかい表情で語りかける。
「上機嫌なあなたは可愛らしいな」
「う、あ、ありがとうございます」
「不機嫌でも可愛いが」
「ぐは、ああありがとうございます。ヴォルフ様も素敵ですよ。やっぱりダンスがお上手ですね」
(でたよ、突然のデレ。破壊力凄いからホント、心臓がもたないわ。でもそういう突飛なところも好きだわ)
「そういえば、ローゼマリー嬢だったな。ダンスが下手だと言われたのは」
「ヴォルフ様、その話は明後日、是非とも詳しくお話しいただいてもよろしいでしょうか」
「?ああ」
綺麗な作り笑いになったアレンに、ヴォルフガングは首を傾げる。
二人の心情はさて置き、悪役令嬢と銀の悪魔の仲睦まじい様子は、一晩で王都を巡ることとなった。
感想ありがとうございます。




