32.出席しました
生誕祭の日は一日大仕事だ。昼から風呂に入り、髪も化粧も綺麗に整えて、新調したドレスに高いヒールの靴を履く。
前世の記憶でいけばコルセットは滅びろ、と思うのだが、これがなんとかブラの無い時代の胸を形作っているので無下にはできない。
「ヴォルフガング様は、お嬢様に似合う装いを熟知していらっしゃいますね」
「そうかしら?似合う?」
「お綺麗でございますよ」
今日のドレスは銀色一色。本当は薄い灰色なんだろうが、光沢のある生地なので光に反射して銀色に見える。
上部はチューブトップ型で、全体はAラインだが少し後ろ側の裾を引く。チューブトップではあるものの、首から胸元まで細かい総レースで露出が激しくない。肩から腕にかけては、手触りがマットサテンに近い薄く柔らかい生地で、手首に近づくほど袖口が広めになっている。その上にさらに細かいレース生地が重なり、二重になっているのだ。
アレンの黒髪とのコントラストが美しい。
鎖骨あたりに、大きめのルビーを細工したブローチを飾って、完全にヴォルフガングの色である。
アレンは素直に喜んでいるが、ドレスに興味のないアレンに代わり、最終的に色やデザインを決めたのはヴォルフガングだ。ここまであからさまだといっそ清々しささえ覚える。
女性に贈り物をする時は、男性はドレスや宝石など自分の髪や目の色を模した物を贈る。ヴォルフガングも例に漏れずだが、晩餐会といい生誕祭といい、アレンの露出ががっちり控えめなのが男心を表しているな、とイリナは思う。
これで相思相愛でない(とお互い思っている)のだから、世の中の七不思議だ。
ヴォルフガングは濃灰色のスーツに、今日は長めのジャケットを合わせている。王城に赴く正装を見るのは初めてだが、美形はどんな格好をしても素敵だと、アレンは惚れ惚れするばかりだ。
ちなみにアレン曰く、『挨拶のキス作戦』は地味に行われている。
晩餐会の翌日、クライスナー家を見送る中で何事もなく帰ろうとしたヴォルフガングを引き留めて、早速強行してみた。
「忘れものですよ」
「忘れもの?」
「はい」
ヴォルフガングを見上げて、はしたないが少しだけ跳ねれば、察したのかヴォルフガングの目が泳ぐ。二人に視線がないのを確認してから、やっと掠める程度のキスを頰にしてくれた。
挨拶くらい、見られてもアレンは気にしないが、ヴォルフガングとしては、周りが見ないふりをしてくれているのだとは、思いたくない。
「強請るものではありません」
「だって強請らないとしてくれないんだもの。強請るしかないじゃない。それに、婚約者には当たり前なのだと、条件反射にしてしまうのが手っ取り早いわよね」
「強請るのではなく、甘えるのですよ」
強請るとか手っ取り早いとか、淑女が言うセリフではない。頭を抱えるイリナだが、恋愛低スキルはどうやっても成長しないらしい。
だが、晩餐会後のやり取りのお陰か、迎えに来たヴォルフガングはきちんと手順を踏んでいた。アレンの希望通りのようで彼女は機嫌が良い。
向かい合って馬車に揺られていると、ヴォルフガングが切り出した。
「紹介したい相手がいる」
「はい。どういった方ですか?」
「王都での騎士時代の同僚だ。あなたを紹介して欲しいと」
アレンが王都に来てから生誕祭まで、個人的な用事を済ませている間に、ヴォルフガングも騎士団に顔を出したりしていたらしい。そこで婚約の話から簡単な祝賀会を開かれ、アレンの話になったのだという。
「伯爵家の出だが気さくで人当たりが良い。ただ、軽口が行き過ぎるところもある」
なるほど、マティアスの友人バージョンだと思えばいいのか。
いくつか挨拶周りは必須だな、とヴォルフガングと打合せをしつつ、馬車は城へと到着した。
王城とは外から見ていても豪華なものだが、中は一層輝いていた。大理石の柱に磨き上げられた廊下。豪華な刺繍が施された絨毯に、煌びやかかなシャンデリア。地味に暮らしていたら、来ることは無かっただろうなと思う。
続々と人が集まる広間の扉を前に、アレンは深呼吸をする。ヴォルフガングの腕に添える手を、気遣わしげに握られて顔を上げた。
「さあ、参りましょうか」
「ああ」
アレンの好戦的な目を見て、ヴォルフガングも微笑み返す。二人の様子に、周りの貴族達が視線を捕らわれたことに気付かないまま、開かれた扉を進んだ。
結果的に言って、生誕祭は穏やかだった。
王の登場までは、ヴォルフガングの顔見知りや仕事関係などあちこち挨拶に動き回っていたが、登場してからも和やかな雰囲気は変わりない。
王の隣には王妃、その逆隣に第一王子と第二王子が並ぶ。そういえば、第二王子はこの乙女ゲームの攻略対象だった。ヒロインが伯爵子息を選んだ事で、王子とその側近の宰相子息と公爵子息にまでいかなかったんだろう。
攻略対象なだけあって、王子も宰相子息も整った顔だが、学園で見た事あったな程度の認識しかない。
ゲームは終わったし、今後アレンが関わることはないだろう。
王族への謁見も済んで、ヴォルフガングと再度挨拶をしている間、アレンの噂や評判はどうかと思っていたが、相手方に処分が下されたことで、概ね憐憫の情を向けられる事が多かった。
まあ腹に別の事を思っていても、表に出さないのが貴族である。おまけにこの場には、クライスナーとエーベルの家長がいる。下手な事は言えないだろう。
一通り挨拶や紹介が終わったところで、アレンは一人で食事を楽しんでいた。ヴォルフガングは昔の上司という事で、アルベルトと共に騎士関係者と歓談中だ。
せっかく来たので王宮の食事も食べたい。使える食材や調理法があるなら、詳細を領地に持って帰ろうとも思っている。
立食形式なので、少しづつ料理を取って食べていたら、一人の男性と目が合った。アレンが気付いた事で近づいてくる。
「こんばんは、美しいお嬢さん。お一人ですか」
「こんばんは。食事中なので失礼します」
食事をしている人間に話しかけるとは何事か。基本的に食事中は話しかけないのがマナーなのだ。どんなに美形でもマナーがなってないのはいただけない。
そう、美形なのだ。金髪を背中まで伸ばして、瞳は綺麗なブルーグレイ。背は高く、スラリとした容姿は女性の視線を引くのに十分だ。それを本人もよく分かっているのか、アレンに断られると思ってなかった顔をしている。
甘いな。この場でアレンの目を引くのは、ヴォルフガング以外いる訳がない。
しかし、アレンの食事が終わるのを待つかのように、彼はその場から離れない。鬱陶しくなって、アレンは一旦皿を置くと、すかさず飲み物を手渡された。
「どうぞ。失礼かと思いましたが、この場を離れて私の知らない間に、あなたが他の男性に声をかけられるのが我慢できなかったので」
「ありがとうございます。子供ではありませんので、ご心配は無用ですわ」
「お一人ですか?お連れの方は?」
「上司とお話し中ですの」
「なんてことだ!あなたのような美しい方を一人にするなんて。私なら仕事よりあなたを優先しますね」
「ユリウス!」
手を取られそうになったところで、横からその手を阻まれる。相手の手を掴んだのはヴォルフガングだった。
「ヴォルフ様。お話は終わったのですか?」
「ああ。ユリウス、軽々しく触れないで貰おう」
「なんだヴォルフ、もう来たのか」
(え?知り合いだったの?)
厳しい表情のヴォルフガングにアレンを紹介してもらうと、彼が馬車で言っていた同僚だった。不機嫌なヴォルフガングとは裏腹に、ユリウスと呼ばれた青年は軽く片目を瞑ってみせる。
「お目にかかれて光栄です。ユリウス=フリーデルです。ヴォルフとは学生時代からの親友です」
「え」
「え」
「え、ってなんだよヴォルフ。まさかお前、俺の事ただの同僚とでも言ったんじゃないだろうな」
その通りである。
アレンが驚いたのは学生時代からの親友だなんて、聞いてなかったからだ。
「酷えと思わない?アレクサンドラ嬢。俺は同僚じゃなくて親友だと思ってたのに。あ、俺こっちが素だからこのままでいいかな」
「いや、一年しか一緒ではなかったし。騎士団に入団してからの方が長いから」
「一年ったって、お前が学園に通ったのはたったの一年半だろうが。その中で三分の二もつるんでたんならもう親友だ親友」
「一年半?」
学園に通うのは普通三年だ。ヴォルフガングが一年半しか在籍していないのは初めて聞いた。
「あれ?アレクサンドラ嬢は知らない?こいつ飛び級してるんだよ。俺が三年に上がったら、昨年入ったばっかの一年がいるじゃない?そりゃもう驚いたね」
飛び級するには昇級試験がある。これは滅多に合格者が出ないほど難しいし、簡単に出来ることではない。ということは、ヴォルフガングは相当成績が良かったのではないだろうか。
そういう話はしたことがなかった。
昔の話は聞かなかったのだ。ヴォルフガングは自身の事を詮索されるのは好きではなさそうだったし、過去の対人関係は口にしたくなさそうだった。それに二人にとっては大事なのはこれからだと思っていたから、敢えて聞かなかった。ヴォルフガングも、アレンの過去については聞いてこない。
それにしてもチートだ。
まさかの。
今になってヴォルフガングがチートだと発覚。
辺境伯家の長男で跡継ぎ。美形で頭脳明晰、若くして戦争の英雄、仕事はできるし人望も厚い。現在は辺境騎士団の隊長。
乙女ゲーム悪役令嬢の婚約者が、チートキャラだったとは。
「ユリウス様はヴォルフ様より年上なんですね」
「見えない?ヴォルフ、老けて見えるもんな。学生時代も、三年の中にいても違和感なかったしな」
「うるさい」
「いやぁ、それにしてもヴォルフにやっと春がきたか。アレクサンドラ嬢、こいつ顔面凶悪だし言葉も足りないけど良い奴だから」
「ええ、ヴォルフ様は素敵です。とてもお優しいですわ」
アレンが微笑むと、ユリウスは一瞬瞠目した後に破顔する。
「アレクサンドラ嬢いい子だね。よかったなヴォルフ。いい嫁さんが来てくれて」
ユリウスは見た目の王子様然とは裏腹に、口調も態度もかなり気安い。ヴォルフガングが言っていたそのままだな、と思う。しかし、いい子とは。
親友というなら、アレンに纏わる騒動は気にならないのだろうか。
「あ、俺ね、別にそういうのどうでもいい。ヴォルフが受け入れてるからそれで充分。というか、妹君の方に興味があるかな」
「妹ですか」
「そう。凄い美少女らしいじゃない?紹介して欲しいな」
「ユリウス」
「なに。他の女性の話は失礼とかいう?もちろんアレクサンドラ嬢も美人だけどね。生憎俺は人様のモノに興味はないから、純粋にフリー同士で先を見据えておきたいの」
「妹はまだデビュタント前ですし、成人しておりませんので。父か兄にどうぞ」
「無理無理!エーベル卿に一介の騎士が話しかけるなんてできないし、アルトはガードが固くてさ。なんだろね、笑ってるくせに不機嫌で断ってくるんだよ。あれ怖いよね」
ユリウスの言いように笑ってしまう。兄の様子が手に取るようだ。しかしあの兄を愛称で呼ぶというのは、一介の騎士といいつつそれなりの関係を築いている上に、認められているのだろう。
「ところでアレクサンドラ嬢、食事を邪魔してごめんね。ヴォルフを借りてもいいかい?婚約祝いのドリンクでも、と思ってさ」
「婚約祝いなら先日貰った」
「目出度いことは何度でも!だ。せっかくだから王宮の高い酒で祝ってやるさ」
アレンの承諾を得て、ユリウスはヴォルフガングを引きずって行く。ヴォルフガングとは真逆の人柄だが、本当に仲が良さそうだ。年相応なヴォルフガングが見れて笑みが零れる。
フリーデル伯爵家ね、とアレンは頭の中のメモに書き込む。頭の中の貴族名鑑を巡れば、フリーデルは穏健派で王太子である第一王子派だ。
先の戦争でも、王と共になんとか回避しようと尽力してきたと聞く。
(あら?ゲームでヒロインが王子と結ばれる場合は、どちらが王になるのだったかしら?ヒロインは将来は王妃だったような……ということは、第二王子が立太子したの?今は第一王子が王太子なのに?王太子が代わるなんて、病気か死亡か余程素質がないか、それこそスキャンダルでもないとあり得ないけどねぇ)
しかし今のところ、第一王子は容姿も人柄も能力も、評判はとても良い。穏やかな王に続いて誰もが納得いく、賢王になるであろうと認められる人物だ。
壇上を見れば、王族への挨拶はまだ続いている。王を筆頭に、貴族達へ和かに挨拶を返す王子達を眺めていると、不意に背後から甲高い声が聞こえてきた。
「将来性のある見目のいい殿方には愛想がよろしいのね」
内容からして不穏な流れである。




