29.落ち着きました
「おぉう……なんというサイコパス」
「サイ……なんだ?」
「いやこっちの話」
一通りケヴィンの話を聞き終えて、アレンはぶるりと身震いした。寒気を覚え腕をさするアレンに、ケヴィンが上着をかけてくれる。
恐ろしい。何かと企んでそうなヒロインだとは思っていたが、ここまでとは。
というか、精神が幼いのだろうと思う。子供の頃に許された状況のまま、成人まできてしまったのか。
おそらく、一番言うことを聞いた、という幼馴染が関係しているのだろう。
昔から豪商に名を連ねるファラー家だが、結局のところ出は庶民だ。だが、貴族に近しい庶民であり、子供の線引きは曖昧だ。
庶民の中では格上、貴族と並ぶと格下。でも、金も権力もある。そんな人間が、幼い頃から自分に惚れていてチヤホヤしてくれる。ヨハンを見た庶民は、子供といえど右に倣えになるだろう。
そうして、彼女の環境を作り上げたというわけだ。
ある意味哀れだが、アレンにとってはヒロインの事など知ったことではない。
そしてケヴィンの自分勝手な反省も知ったことではない。
「というか、あんた達も勝手ねぇ」
「なんとでも言え。もう、思い出すと気持ち悪い……」
クラーラの、何かを見ているようで、何も見ていない目が恐ろしい。
あの苦々しい顔はそのせいか。ケヴィンは随分堪えているようだ。
「それが勝手だって言ってるの。要するに理想の彼女を当てはめてただけでしょう。勝手に女神に仕立て上げて、勝手に幻滅するのね。わざわざ会いに行かないで、夢だけ見てた方が幸せだったんじゃない?」
「そういうわけには、いかなかったから」
「何故?」
「……お前だよ」
アレンが言った、信じたいことが真実だと、それが気にかかっていた。
どんなに調査書が嘘だと、クラーラを信じていると思っても、罰せられた自分が現実だ。ならば真実を見極める為に話をしたかった。
それに、アレンが真っ直ぐ兄を見る目が、頭から離れなかった。愛しい彼女に酷い仕打ちを犯した女が、これほど真っ直ぐに誰かを想うのか。アレンの目が、ヴォルフガングだけを見ていて、それが羨ましくもあった。
クラーラは優しかった。可愛く可憐で、兄にも父にも祖父にも劣等感を抱いていた自分に、欲しい言葉をくれた。
言葉だけだった。
アレンのように、目で、言葉で、行動で、心で、体全部でヴォルフガングを愛しているのだと、ぶつけられたことはない。
会いに行って、クラーラからその感情を向けられたら、と期待をしていたことは否めない。けれどどこかで、それは無いだろうとも思っていた。
彼女の言葉はとても綺麗で、癒されたのは嘘ではないが、アレンと兄のように綺麗でもなんでもないけれど、お互いを見て生きている言葉ではないのだと、漸く理解した。
恋というより、独り相撲だったのだ。
「私?私がなによ」
「なんでもない」
じっと見てくるケヴィンに少々居心地が悪い。
「ええと、慰めた方がいい?」
「やめてくれ。取ってつけたような慰めは必要ない」
「でも失恋したんでしょ?」
「あーやめろ。なんかもう、恋だと思ってたのも嫌だ!」
「そ、そうなの?」
ケヴィンにとっては黒歴史になっているようだ。
けれどこれは、思い込みの恋とはいえ失恋ではないのだろうか。アレンの恋愛経験は今が初めてだけど、ヴォルフガングに恋をしているこの気持ちを失うのは辛い。
「でも失くしたんでしょ?辛くない?」
首を傾げるアレンの目に、少しだけ気遣う色が滲む。その姿に向き直ると、ケヴィンは落ち着いた目で首を振った。
こういう顔は、ヴォルフガングに似ているなと思う。
「何か、あー困ったことでもあれば、なんでもするから」
「なんでもするなんて言うものではないわ。いいように使われるわよ」
「いいんだよ、お前には借りがある」
「じゃあツケにしておくわ。そのうち馬車馬のように働いてもらうから」
「そうしてくれ。とはいえ、実家のお荷物で一生下っ端の俺じゃ、今後の付き合いも考え物かもしれないけどな」
「大丈夫よ。馬車馬には純種も雑種もないのよ」
「ふはっ、お前は……ホンットそういう……」
そうして、ケヴィンは声を上げて笑う。ひとしきり笑い終えて暫し沈黙が流れた後、ふっと小さく微笑んだ。
「ドレス、綺麗だな」
「でしょう?!ヴォルフ様が贈ってくださったの!」
「そっか。……婚約おめでとう」
「ありがとう」
アレンの心からの笑顔に、ケヴィンは少しだけ胸が締め付けられる気がした。
「冷えただろう」
「ヴォルフ様」
ケヴィンとの話がキリよく終わったところでサロンに戻ると、ヴォルフガングが出迎える。
アレンの肩に乗るケヴィンの上着を早々に剥ぎ取ると、控えているイリナに目配せして厚手のショールを用意させ、自らアレンを包んでくれた。
「兄上、改めて婚約おめでとうございます」
「ああ。ありがとう」
「兄上にも、ご迷惑をおかけしました」
「今後を見せてもらう」
「はい」
ケヴィンがアルノルト達の固まっている一団へ足を向けると、ヴォルフガングは少し遅れてからアレンの手を引く。
「冷たいな」
「長話しすぎましたね」
「私達も行こう」
「はい」
進む先には兄と会話するケヴィンがいる。
その表情は、卒業パーティーよりも随分と大人びているように見えた。憑物が落ちたというか。
ともあれ、これでケヴィンとの蟠りにケリがついた。漸くひとつ、落ち着いたのだ。




