03.辺境にきました
エーベル家のそこそこ乗り心地のいい馬車に揺られてはや四日。窓から見える風景に次第に変化が現れた。
ポツポツと人家が見え始め、さらに進むと商店が並ぶ通りに差し掛かる。大きさでいえば王都には及ばないがかなり賑わっている。
道や街並みも整備が行き届いていて、店のテントや露店の敷物など色とりどりで可愛らしい。農業主体とは聞いていたけど、活気があって商業方面でも期待できるのではないだろうか。
更に商業街を進んで民家を通り、農村地帯が見えてくる。広大な地域を進んで小さな林を潜ると、その先に大きな館が現れた。あれが領主の屋敷か。
「随分大きな御屋敷ね」
クライスナー辺境伯家は、代々続く騎士の家系だ。
隣国との国境を守る為に、常に前線に立たされている。屋敷自体が要塞の任を兼ねているのだろう。
あれから、王都に在郷中だというクライスナー元将軍に向けて、すぐに手紙を出した。驚くべきは、その翌日には返事が来たことだ。
既に邸の準備は整えているから、いつでも訪れるように。身一つでも構わない、とまで記載されていて、あまりの用意周到さに疑惑が頭を擡げる。
これはどこまで計られているのか、きっと父親も噛んでいるだろうなと思う。
しかしまあ、ここまで望まれているのなら、逆にその魂胆を見極めるのも一興だ。
アレンは、自分にそこまで望まれる価値があるとは思わない。
記憶を思い出してから、農地改革一辺倒でやってきた。それまでも、女だてらに馬に乗って野山を遊びまわっていた。
記憶を思い出してからは、引っ詰め髪に伊達眼鏡、ドレスも地味に、野暮ったく控えめにやってきたのだ。
極力目立たないように、そんな自分のどこを気に入ってくれたのか。
結婚適齢期を超えたのに、未だに相手の見つからない孫に充てがう為だというなら、それはそれで構わない。
貴族の婚姻に個人的な色恋は求めてない。だったら、私的な愛情はなくとも、それなりに円満に、あとは跡取りでも無事に作れば万事オッケーだ。
そしてほんの少しだけ、領地経営に関わらせてくれたらいう事はないのだけど。
無事に婚約解消してから、父達は後始末を本当に二週間でやってのけた。勿論、契約不履行の違約金はいただいた。
アレンは顔すら出さず、全て父と兄に任せておいたのだが、特に支障はなかったようだ。お礼に元婚約者の領地の話等、細かい情報を父に進呈しておいた。あの父なら上手いこと調理してくれるだろう。
そうして出立の準備にあたり、ここ二週間で、アレンはゲームの内容を微かに思い出していた。
例の乙女ゲーム。
実は、ヴォルフガング=クライスナーは登場していた。
攻略対象者の騎士はケヴィン=クライスナーだ。彼のルートで、ある程度親密度が上がったヒロインに、身の上を語る時に登場していたのだ。
偉大な祖父と、その血を強く継ぐ優秀な兄として、説明文の一行とシルエットでの出演だった。要するにモブだ。
幼い頃から兄と比べられ、激しいコンプレックスに苛まれるケヴィンが、ヒロインに心情を吐露し励まされ、次第に自信を持ち、最終的には兄を超えてヒロインと結ばれる。
そんなエンディングだった。
(シナリオ一行のモブなら覚えてないわよねぇ)
おまけにシルエット。
惰性でやっていたゲームのモブなんて、余程でなければ覚えていないし、その余程があるとすれば一体どう引っかかったのか聞いてみたい。
シルエットで見たヴォルフガングは、身長も体躯もケヴィンより大きかったし、刈り上げにも見える短髪の弟とは違って普通の長さの髪だった。
しかし、前情報はそれだけだ。
流石はモブ。
(っていうか、ルートによっては私もモブよね。プレイヤーがエルマー様を選ばなかったら、私という悪役令嬢は出てこないんだもん)
アレンが悪役令嬢として登場するのは、婚約者のエルマールートか逆ハーレムルートのみ。全ての攻略対象者に対して必ず邪魔をする、ラスボスのような悪役令嬢ではない。故に油断していた部分もある。
そんなピンポイントで、ヒロインがエルマーを選ぶとは思わなかったのだ。
ゲームの攻略対象者には、王子と公爵、商人の息子もいた。それだけ個性豊かで、何故選ぶ相手が普通の伯爵令息なのか。関わりたくないので聞かないけど。
芋づる式に卒業パーティーを思い出したアレンが、淑女にあるまじき苦い顔をした所で、馬車の速度が緩まった。
「お嬢様、お顔が酷いですが大丈夫ですか」
「ええ、イリナありがとう。どっちの意味の酷いのかは聞かないでおくわ」
クライスナー領に来るに当たって、アレンと共に来た侍女はイリナのみ。まずは顔見せなので充分だし、彼女はいつもの無表情の割には雰囲気が上機嫌だ。
というのも、今日はアレンが珍しく着飾っているからだ。
普段は長い黒髪を三つ編みにして、伊達眼鏡と地味目のワンピース。卒業パーティーという晴れの舞台でも、引っ詰めの編み込みに伊達眼鏡、化粧っ気無しで地味な生成りのドレスという出で立ちだった。
動き易さを重視して着飾るのを良しとしないアレンが、初めてイリナの好きにさせてくれたのだ。
ずっと、彼女を飾りたくて仕方がなかったイリナは満足気である。
背中まである豊かな長い黒髪は、今日は解いて整えている。伊達眼鏡はもうかけていないし、化粧も落ち着いた感じではあるがしっかりしている。
華美ではないが、上品な青いドレスと高めのヒール。
第一印象は大事だと、イリナに気合を入れられた。
「はぁ〜、緊張するわね。どこかおかしなところはないかしら」
「お綺麗ですよ」
(さあ、第三の戦場ね)
クライスナー元将軍が望んでアレンを招いたとはいえ、当人のヴォルフガング=クライスナーと辺境伯夫妻は分からない。
婚約破棄騒動に巻き込まれた崖っぷちではあるが、ただの愚かな小娘に成り下がるつもりもないのだ。
従者にエスコートされて馬車を降りる。
アレンを待っていたであろう執事が、丁寧に礼を取るとサロンへと先導してくれた。
廊下は珍しい大理石で、壁も柱も重厚な造りである。窓硝子の厚みが、やはり要塞も兼ねているのだと感じさせる。おまけに広い。
騎士の訓練場や宿舎も併設されているようだ。
エーベル家に比べて華やかさはないが、落ち着いていてアレンの前世の好みと合致した。
元日本人だからか、華美な物より質素で侘び寂びを感じる方が好きなのだ。
それを地味だと、イリナには言われてしまうのだけど。
先導していた執事は、入口から奥の南側にある大きな扉の前で立ち止まる。中には、正面奥のソファに初老の男性が腰掛け、良く似たそれより少し若い男性、その傍に美しい女性が待っていた。
しかし、話に聞くヴォルフガング=クライスナーの姿はない。本人は居ないのだろうか。
壮年の男性が立ち上がりアレンに声をかける。
「やあ、よく来てくれた」
「初めまして。エーベル家が長女、アレクサンドラ=エーベルです。拝謁のご機会をいただき恐悦至極でございます。この度のお話、身に余る光栄です」
アレンは背を伸ばし、面前の三人に向かって美しいカーテシーをして見せる。
「ベルント=クライスナーだ。父のブルクハルトと妻のイルザ。そう畏まらないでくれ」
「そうよ。リラックスしてね。とても美しいお嬢さんで嬉しいわ」
にこやかに微笑む夫妻の印象は上々。
ブルクハルト元将軍も、アレンを見据える瞳は、静かながらも穏やかだ。
さあこの人が、アレンをどういった思惑で望んだのか。己から目を外さないブルクハルトと、無言で視線を交わしていると、何やら足音が近づいてきた。
次第に大きくなる声と共に、それはこの部屋へと向かってくる。
アレンが振り返った瞬間、重厚な扉が勢いよく開かれ、銀色の髪を乱して一人の青年が入室して来た。
「失礼!一体どういうことですか、私の婚約者がきたなどと……」
良く通る声を張り、青年は大股でクライスナー夫妻の元へとたどり着く。
「ヴォルフガング、お客様の前だ」
「そうですよ。貴方も挨拶なさい」
「客……」
ヴォルフガングと呼ばれた青年は、まるで今気が付いたかのように、隣のアレンに体を向けた。
頭二つ分は見上げる赤い瞳と目が合う。
その瞬間、室内に雷が落ちた。