27.怒らせました
「ヴォルフ様酷くないですか」
ムッとした顔でアレンが言う。
「あなたをイノシシだと言ったわけではない」
「言ったも同然です!思っててもいいんですよ。思うのは自由ですけど、表向きでもそこは否定してくださらないと。父だから良かったものの、侮られてしまいます」
「それならそれで対処のしようがある」
違う。根本的に問題点が違う。
チラリと横を伺うと、ヴォルフガングは眉間に皺を寄せて前を向いている。何を考えているのか、アレンが足を止めても気付かない。
(そこは否定しないとダメでしょうヴォルフ様!婚約者がイノシシ呼ばわりですよ?そりゃお父様だから冗談だと思ったのかもしれないけど……もしかしてヴォルフ様も私のことイノシシだと思ってるのかしら?それともヴォルフ様にとってイノシシは褒め言葉?……突撃してやろうかしら)
アレンがその場で、キョロキョロと周りを伺っても誰もいない。よし、とドレスを持ち上げてヴォルフガングの背中目掛けて、駆け出した。
絨毯だから足音には気付かれないはず。背中に体当たりしたって、きっとヴォルフガングならビクともしないだろう。アレンのひ弱さに認識を改めればいいのだ。
だが、もう少しで手が届く、という瞬間に振り向いたヴォルフガングが体を避けた。ぶつかって勢いを殺そうと思っていたアレンの手は空を斬り、そのまま前のめりに体制を崩す。
「あっ……!」
倒れる、と目を瞑ったところで、体が重力に逆らって持ち上げられた。
目の前には、ヴォルフガングの綺麗な顔。いつもは見上げるそれが、しっかりと目線の合う高さに納まっている。
「何をしている?」
「イノシシではない、証明を」
「ほう、証明?」
「イノシシと衝突したら無事では済まないでしょう?私はか弱い淑女ですから、そんな事ありえませんもの」
ヴォルフガングの冷めた視線に、飄々と答えるアレンだが、実は頭が現状に追いつけていない。
足が地についていない事だけは理解して、ヴォルフガングの肩に手を置いて体を支えたところで、頭の中に疑問符が飛ぶ。
(なんでこんなにヴォルフ様と近いのかしら)
アレンの今の状態は、ヴォルフガングの腕が背中と臀部下辺りに添えられて、子供のように対面で抱き上げられているのだ。
アレンの返答に、ヴォルフガングははぁっと息をつくと、呆れたように彼女と視線を合わせる。
「私の知る淑女は、ドレスで走ったり人にぶつかってきたりしない」
「では私が初めてですね!ところでヴォルフ様、なんでこんなにヴォルフ様のお顔が近いのでしょうか」
「私が抱き上げているからでは?」
「……抱き……」
キョロキョロと自分の状態を確認して、アレンの顔が真っ赤になる。
白い肌が赤く染まる様や、菫色の澄んだ瞳が潤むのを見るのはなかなか楽しい。
「ヴォルフ様、おろしてくださいっ!」
「このまま運ぼう」
「ダメです!おろしてください!」
「悪戯する子供にはお仕置きが必要だ」
「子供っ……!?だ、ダメです!晩餐会ですよ!?こんな状態で行ってはっ……!」
アレンがヴォルフガングの腕の中で、バタバタと足を動かしても、ヴォルフガングは平然と歩いてしまう。やっぱり、アレンがぶつかったってビクともしないではないか。うん、イノシシではない。
いや、そんな事を言っている場合ではなかった。
ヴォルフガングの肩をバシバシと叩き、なんとか彼の足を止めようとするアレン。
「ヴォルフ様っ!」
「気にすることはない。婚約しているのだから」
「気にします!やめて、ごめんなさいっ!」
「何についての謝罪だ?」
「ぶつかってごめんなさい!もうしません」
(ヴォルフ様怒ってる?機嫌が悪いわ。流石にあれはダメだったかしら)
今まで単独行動以外でアレンがした事に、注意はあっても怒られたことはなかった。お互いに、どの程度なら許される範囲か図りつつ行動していたからだ。
しかし、久しぶりに家族と会えて気が緩み、つい実家での行動そのままだったのはいただけなかった。ついでにイノシシ呼ばわりは、撤回してくれないヴォルフガングに拗ねたのもある。
「ヴォルフ様、ごめんなさいっ……!」
「……アレン」
「恥ずかしい……から、ダメ……です」
赤い顔で、困ったように涙目で訴えれば、ヴォルフガングは暫く硬直してからアレンを降ろした。その後、二、三度深呼吸をしてから眉間を揉んでいる。そんなに重かったのだろうか。
「ごめんなさい。重かったですよね」
「いや、軽すぎるのではないか」
(そこは否定するのに、なんでイノシシはしないの?)
解せぬ。だがまあこのまま子供のように運ばれて、辱めを受けるのは回避できた。
というか、子供とはなんだ。
もしかして、ヴォルフガングにはアレンが子供の様に見えているのだろうか。ヴォルフガングにとっては子供だから、抱擁以上の事をしないのではあるまいか。
だとしたら、これは由々しき事態だ。
「何をやっているんだね、君達は」
お互い黙りこくって向き合っている二人に、後ろからアルベルトの声がかかる。
呆れた様な顔は一体どこから見られていたのか。
「いちゃつくのは構わないけどね、まずはお披露目だよ」
そう言うと、さっさとアレン達を追い越して、メインダイニングへと向かってしまう。チラリと振り向いた母の微笑みが居た堪れなかった。
反省。とても反省しました。
滞りなく両家の挨拶が済み、静かに食事が行われる中で、アレンは心の中で深く頭を下げていた。
穏やかとは言い難い空気は、ヴォルフガングの機嫌の悪さが影響している気がする。
先程から眉間の皺は普段の三割増し。どうにもピリピリしている気がするのだ。幸い、彼の様子に慣れているのかクライスナー家は平常だし、両親も気にする質ではない。だが、アルノルトとケヴィンは気まずそうだし、アレクシアが可哀想なくらい怯えている。
紹介した時からまずかった。
ヴォルフガングの態度も表情も、型通りで厳し目なのは通常運転なのだが、まだ成人してないアレクシアは家族以外の男性と接触がない。
ヴォルフガングの噂の事もあり、あまりいい印象はなかった上に、当のヴォルフガングがアレである。
逆にケヴィンをアレクシアに紹介した時、それはもう面白いくらい彼は赤くなっていた。そうだろうとも。アレクシアは自慢の妹だ。天使だ。母譲りのプラチナブロンドはサラサラで、アメジストの瞳は大きく、華奢で繊細でまごう事なき美少女だ。
しかし、家族を陥れた相手を気に入るかというと、茨の道だろう。ご愁傷様です。
ヴォルフガングの不機嫌は、やはりアレンが原因か。
昨日、クライスナー夫妻に身内に認められた様で嬉しかったのだ。だからつい、アレンもヴォルフガングに対して身内の様に接してしまったのだが、それが悪かったのかもしれない。
食事が終わりサロンへ移動したところで、ケヴィンに呼び止められた。
「兄上には許可をとりましたので」
促されるままテラスへ出ると、ケヴィンはまた丁寧に頭を下げてくる。
「改めて謝罪させてください」
「もう謝罪はいただきました。これ以上は結構です。っていうか先程からなんですか?今更畏まられても逆に疑ってしまいますわよ」
「そうだな、戻す。お前こそ、それやめろ。ダンスの時が地だろう」
暫く視線を交わして、アレンはため息を吐いた。
「はあ、それもそうね。っていうかお父様達の手前、畏まらなきゃいけないのは分かるけど、今更じゃない?いつまでもその態度じゃ、何か企んでるのかもって、気持ち悪いわ」
「体面じゃない。本当に悪かったと思ってる」
「槍が降るわね。どういう心境の変化だか」
アレンが嫌そうに言うと、ケヴィンはバツの悪い顔をする。
「……ヘルテル子爵令嬢に会った」
「誰それ?」
「……クラーラ=ヘルテル。元婚約者の横恋慕相手くらい覚えとけよ」
「へぇー」
「……はあ、本当に知らなかったんだな。そりゃ嫌がらせなんてするわけもないよなぁ」
当然だ。嫌がらせする程元婚約者を好いていたわけでもないし、横恋慕されたからといって嫌がらせなどするものか。
そもそも、そんな事をするほど暇じゃない。
「ご令嬢にお会いした割には、更に愛でも深めた様子じゃないわね」
「……やめてくれ。本当に反省してる。どうかしてた」
苦々しい顔をするケヴィンが意外だが、彼が王都に戻る時にはブルクハルトも同行していた。この一月で絞られでもしたのか。
ポツリポツリと口を開くケヴィンの話を要約すると、ヒロインとは、二度と会うことはない。という事だった。しかも自分の意思で、今後の接触は拒否したいのだそうだ。
あれほど入れ込んでいたのに、一体どうした事か。
「それにしてもよく会えたわね。謹慎中じゃなかったかしら?」
「確かめたい事があったんだ。彼女の友人が協力してくれて……いや、良くない事だってのは分かってるけど……」
あの件に関わった人物はアレンを含めて五人。ヒロインに元婚約者に、大商人の息子にケヴィン。そしてアレン。
ケヴィン以外は現在謹慎処分中だ。
彼らの処分については、アレンも報告は受けていた。
元婚約者とは婚約破棄ではなく、婚約解消。彼は跡継ぎを外された。姉がいたから彼女が婿取りして継ぐらしい。エーベル家からは援助をしていたのでそれも打ち切っている。そもそも彼との婚約は、その援助目当ての所もあったのだ。
なので、エーベルとしては婚約の話自体を白紙にしたかったが、そうするとブッケル家は最初の援助金から返却しなければならない。
三年間の援助金と賠償金と婚約破棄騒動を天秤にかけて、婚約解消=賠償金をとったというわけだ。
攻略対象の一人であった大商人の息子のところは、クライスナー家が手を回した。辺境との専属と言える取引は旨味があっただろうに、取引を打ち切られてしまった。おまけに大臣である有力貴族から睨まれている。今頃大打撃だろう。
それでなくても商売は信用第一だ。でまかせを声高に言い募る跡取りというのは、将来が不安でしかない。
ちなみにこの大商人の息子は、ヒロインの幼馴染だ。
ヒロインは謹慎のうえ外部と接触禁止。子爵令嬢が上位貴族の婚約者を寝取った上に、(寝取ったらしい。アレンもそこまでするとは思ってなかったが)婚姻前の男女のアレコレは憚られる。まだ決定ではないが、そのうち修道院行きか、領地へ監禁というところか。
そしてケヴィンは騎士に席を置けるものの、一生一兵卒。
どれも、悪役令嬢ものによくあるざまぁというには温いが、立場だとか身分だとか考えた大人の事情の上ではこんなものだ。なんとも世知辛い。
「それで確かめられたのかしら」
「……悪い夢を見てるみたいだ」
暗い表情で落ち込んでいるケヴィン。どうやら彼の希望は打ち砕かれたらしい。




