25.王都にきました
賑やかな街並みと人混み、整備された街道を馬車で進みつつアレンは窓から顔を覗かせる。
たった三ヶ月足らず離れただけなのに、随分久しぶりな気がする。それだけクライスナー領での日々が濃密だったということか。
アレンはほぼエーベル領にいたので、王都には学園に通う三年しかいなかったから特に思い出はないが、それでも街並みは懐かしい。
馬車での四日は意外と快適だった。ヴォルフガングは警備も兼ねて馬での移動が多く、あまり同乗してはくれなかったが、頻繁にアレンを気にかけてくれる。
休憩中に馬に乗りたいと言えば、王都で乗せる約束をしてくれた。
城下に入り、先にクライスナーの屋敷へ着いた。
アレンが感激したのは、屋敷に客間ではなくアレンの部屋が用意されていた事だ。しかもヴォルフガングの隣だ。
まずは王都の屋敷での使用人に顔合わせして、それから久しぶりに全員揃ったクライスナー家と打ち合わせだ。
お互いの家族の顔合わせは今回が初となる。会食はエーベル家で行われるが、打合せはブルクハルトとベルントが全て請け負ってくれた。
「マルガ様とは久しぶりにお会いできるから嬉しいわ。サンドラは明日にはエーベルの屋敷に戻るのでしょう?」
「はい。会食の準備がありますので。イルザ様、母とは面識がおありですか?」
「ええ、学園の時は二つ後輩だったのよ。あの時からマルガ様は本当にお綺麗で、話題の中心には必ずマルガ様がいらっしゃったわ」
意外にもイルザの方が歳上だとは。しかし、イルザと母が二つしか違わない割にはベルントは父よりずっと年上に見える。
「旦那様とは十離れてるの。私は体が弱くて貰い手もなかったのだけど、顔見せの時に一目で惹かれてしまって。どうしても旦那様がいいって我儘言ったから引き受けてくださったの」
「一目惚れですか!ロマンチックですね」
アレンと同じ一目惚れに親近感が湧く。
「ふふ。旦那様も、見た目はあれでしょう?でも凄く紳士なのよ。ヴォルフは旦那様そっくりだからどうなるかと思ったけど、本当にサンドラが来てくれて安心したわ」
「ああ、サンドラには感謝している。だが私はイルザを引き受けたなんて思った事はない。私こそイルザに惹かれたから私と共にと望んだんだ」
「あら、でも旦那様はずっと仏頂面だったわ。それも素敵だったけど」
「イルザが美しくて緊張していたんだ」
おおう、惚気か。聞いてるこっちが照れる。
チラリとヴォルフガングを伺うと、呆れて眉間に皺が寄っている。おそらく両親のこの様子は、通常運転というところか。
ヴォルフガングとベルントは、瞳の色以外はそっくりなのだ。自分と同じ顔で淡々と惚気る親、というのはその空気を遮るのもやり難い。
しかしこうしてみると、クライスナー家は自分の意見ははっきり言うタイプだ。そういえばヴォルフガングも、口下手というわけでもないのだなと思う。
それなら、女性と会話が弾まないというのは、単に興味がないのだろう。
言うべきことは言うが、そうじゃないと判断したら言わない。つまりほぼ言わない判断をしているわけだ。
そんなヴォルフガングだが、アレンには素直に賛辞を述べるしお世辞ではないと分かる。
それは、凄く特別感があって嬉しい。
二人の世界に入ってしまった夫妻を置いて、ヴォルフガングはアレンを自室へと連れ出してくれた。
ソファに腰掛けると、ヴォルフガングが長い息を吐き出す。呆れた顔に、アレンはつい笑ってしまった。
「仲がよろしいんですのね。素敵です」
「他所では控えるように言ってるんだが」
「それって私が身内だと認めていただいてるんですよね。嬉しいです。私、お二人が憧れなんです。お二人みたいな夫婦になりたいです」
「……努力する」
口元を手で覆って目線を逸らすヴォルフガングに、アレンは首を傾けるが、自分の言った意味にやっと気が付いた。
「あの、違うんですよ。ヴォルフ様にもベルント様みたいに言って欲しいということではなく、いえ、言ってくれたら嬉しいんですけど。あくまで理想です!微笑ましいというか素敵だなっていう、雰囲気とか、空気感が理想なので、無理しなくても大丈夫ですよ」
「だが嬉しいのだろう?」
「それはもちろんです!ヴォルフ様に褒められたら一晩で三千里駆けられる自信があります!」
ピシリと背を正していうアレンに、ヴォルフガングはまた咳払いする。
面白かったら笑ってくれていいのですよ?
「ではやはり励むとしよう。あなたが喜ぶのなら三千里も一里も大差はない」
(デレキター!いやいやいやあるでしょうよ!っていうか、ヴォルフ様いつからこんなセリフ言うようになったの!?無表情だけど!セリフとお顔があってないけど!それにヴォルフ様、甘いセリフを言うのに三千里駆ける程の覚悟が必要なの?無理しなくてもいいんですよ?嬉しいけど頭が追いつかないから抑えて!ヴォルフ様少し抑えて!)
ぶるぶると悶えるアレンだが、ヴォルフガングはそんなアレンを不思議そうに見つめている。
ヴォルフガングの特別待遇の威力が凄くて、アレンは赤面させられっぱなしである。
おそらくは、クルトの件があり、初めて二人抱きしめ合った時から、明らかに距離が近くなったのだ。
エスコートとは違い、自然とアレンを気遣かって当たり前のように隣にいる。
そして、別れる時にはそっとアレンを腕に囲ってから離れるのだ。
例えば、朝仕事に見送る時や帰ってきた時。寝る前などはもう少し強く抱きしめてから、耳元でおやすみを言う。
多分あの時の、抱きしめてもいいかというのは、あの時だけではなくこれからもという意味で、継続されているのだ。
あの後はもう、ヴォルフガングと別れてからアレンの浮かれようは凄まじかった。
部屋に入るなり走ってベッドにダイブした後は、ゴロゴロと転げ回って奇声をあげる。枕に顔を埋めていなければ、何事かと騒ぎになっていただろう。
枕に顔を押し付けて、奇声をあげつつ足をバタバタさせては不気味な笑い声をあげる。そうして暫くのたうちまわってから、現実に戻ってきた。
イリナに、可哀想なものを見る視線を向けられたのは、無理もない。
アレンとしては、好きな相手に甘い空気で色気駄々漏れで抱擁されて、嬉しいけれど動揺しない筈がない。
必死で表情を取り繕ってにやけるのを我慢するしかない。
だって嬉しいものは嬉しいのだ。ただ淑女としては、だらしない顔を本人には晒したくないだけで、イリナにならいくらでも見せられる。
(でもこれは進歩よね。触れ合いが増えるのはいい事だわ。愛情への第一歩よ。どうせならもう一歩踏み込んで、親愛の口付けとかしてくれるともっと嬉しいんだけど。欲張るのは良くないけど!更なる進歩の為に!まずは親愛の口付けを目指しましょう。先当たってはおやすみのキスよ!)
そう決意を新たに、アレンは気持ちを引き締める。
ここまで明らかに両思いなのに、どうしても一歩進んでいないのは、お互いが恋愛音痴な故の弊害でもあった。
翌日アレンは、久々にエーベルのタウンハウスへと戻ってきた。玄関を開けると、廊下にズラリと使用人が並び、アレンを出迎える。
「ただいま!みんな久しぶり!」
「お帰りなさいませアレクサンドラお嬢様」
「元気だった?変わりないかしら」
「はい。お嬢様もお変わりないようで安心いたしました」
執事の懐かしげな微笑みに応えて、軽く挨拶を交わし、アレンは屋敷奥のサロンへ向かう。勢い余って盛大に扉を開くと、驚いた顔の美女二人に迎えられた。
「お姉様!」
「まあサンドラ!扉は静かに開けなさいと言っているでしょう。はしたないわよ」
「お母様、久しぶりに会った娘にいきなり小言ですか。でも変わりないようでなによりです。シア、また一段と可愛いくなったわね!」
「お姉様ったら。お元気そうでなによりです!」
三カ月ぶりに会ったというのに、今学園から帰った娘に対するような母親と、相変わらず天使のように可愛い妹。
遠く離れたところに嫁に出るという覚悟はあったけれど、やはり家族と気安く触れ合えると安心する。
出された紅茶を飲みながら、離れていた間の話は尽きない。
マルガもアレクシアも、相変わらず口の回るアレンに呆れつつ、微笑ましく思う。地味な格好で社交よりアルベルトに付いて回っていたアレンだが、それが一際家族の中心だったのだと実感する。
「アルトにも話を聞いたけれど、楽しくやっているようね」
「お兄様ですか。何か変な事は言ってないですよね。そうだこれお二人にお土産です!」
アレンが取り出したのは細長い木箱と、正方形の木箱二つ。それぞれマルガとアレクシアの前に置く。
マルガへは緑の石が入ったネックレス、アレクシアにはピンクの石のブローチだ。もちろんクライスナー領産である。
ネックレスは、石を中心に薔薇のモチーフで土台は金。細かい葉と蔦と薔薇が石の周りに咲き、立体的だが接触部の邪魔にならないように仕上げられている。チェーンの部分にも、首元に近づくごとに小さな薔薇と蔦が巻き付いているように施され、中心より小さめの石がバランスよく配置してある。
ブローチは完全に立体で、大きめの石をチューリップの花弁を施した細工が包むようにカットされている。枝と葉の部分は短めに、銀細工が美しい。
「素敵!」
「綺麗な細工ね。石の加工も素晴らしいわ。これはクライスナーの職人かしら」
「ええ。これだけ細かい細工と加工ができるなんて、王都でも珍しいでしょう?絶対お母様に似合うと思ったの。次のお茶会か夜会にでもつけていただけると嬉しいわ」
ニコニコ微笑むアレンに、マルガは片眉を上げてニヤリとする。全くこの娘は相変わらず抜けがない。
「シアは来年デビューね。その時にはまた新しいのを贈るから、普段使いにでもしてちょうだい」
「ええっ!?こんな豪華な飾り、普段使いは無理ですよ」
「そうねぇ、普段使いだとドレスが負けてしまうわ。あ、じゃあ今日の晩餐会に使ったらいいわ。ドレスの色も合うでしょう?」
マルガの提案にアレクシアは頷くと、ブローチを陽にかざしたり細工をそっとなでたり嬉しそうだ。
「あなたのそれもクライスナー産なのかしら」
マルガがチラリとアレンの左腕を指す。およそ装飾品など付けたことのない娘にしては、珍しくいいブレスレットが収まっている。
「はい!ヴォルフ様が贈ってくださいました!」
今日一番という程の笑顔を見せるアレンに、親娘二人は顔を見合わせた。
「そう。ヴォルフガング様は良くしてくださってるのね」
「ヴォルフガング様……お義兄様、になるんですよね……どんな方、なんでしょうか」
「凄くお優しい方よ!もう全然噂なんて当てにならないの。髪はプラチナシルバーで、瞳は紅いスピネルでしょ。お顔は整ってるし背が高くて、体も引き締まってて彫刻みたいよ。なにより笑顔が素敵なの!金貨の微笑みよ!」
うっとり連ねるアレンに、マルガとアレクシアはまた顔を見合わせる。
「それって」
「ええ」
高価そうだな。
という感想しかでてこない。これはアレンの説明が、価値を連想させる物に振り切っているのも原因なのだが、なるほどこの娘(姉)が気にいるはずだ。
「ええ、と、それでは、乱暴な方……なのではないのですか?婚約者候補が皆んな逃げ出したって」
「そんなのウソウソ。婚約者候補なんていないわよ。私がヴォルフ様の初めての相手なの!」
ドヤ顔で胸を張るアレンに、マルガは吹き出しそうになる。
「優しくて真面目で誠実で、部下の信頼も厚いの。部下に慕われている方が乱暴なんて有り得ないでしょ。ちょっと思い込みが激しいけど、それも繊細故なのよね。可愛いらしいのよ」
「え?」
「それに照れ屋みたい。照れると顔を背けてしまうのだけどそれもまた可愛いし、笑いを堪える時は咳払いで誤魔化すのよ。もうほんっと可愛いくて!あ、でも普段は凛々しくて素敵よ。それに笑顔がとても美しいの!」
「はぁ」
アレンが繰り広げる怒涛の賛辞に、アレクシアは呆然と聞き入るしかない。成人男性を可愛いやら美しいやら表現するのを初めて聞いた。隣のマルガは、既に肩を震わせて俯いている。
「でもね、あの二つ名はいただけないと思うのよね。イメージも悪いじゃない?だから払拭してやろうと思って。目指せ"金貨の騎士"計画!」
握り拳を掲げるアレンに、耐え切れずに遂にマルガは吹き出した。
淑女らしからぬ声をあげて笑う母親に、真面目な顔で言い募る姉と、疑問符ばかりが浮かぶ妹。
イリナが晩餐会の用意に呼びに来るまで、サロンは始終賑やかだった。




