24.準備しました
「ルッツ!ごきげんよう!」
「お嬢、今日はどうした」
広大な農場を背に、農道の馬上からアレンが手を振ると、藁を束ねた荷車の傍からルッツと呼ばれた青年が顔をだした。
彼はホルガー農家の息子で、アレンが子供を助けた時に彼女の馬を駆ってくれた青年だ。
アレンが度々農場を訪れるようになってから親しくなった。最初は無口で無愛想な印象だったが、それならヴォルフガングに勝てる者はいないし、今は随分気安く接してくれる。
「冬支度は随分進んだのね。王都に行く前に様子を見ておこうと思ったの。何か必要なものはないかしら?」
「そうだなぁ。こっちにはないけど気候が似てて育ちそうな苗とか種?技術書とかも欲しいよなぁ」
「いいわね。めぼしい物があったら見繕ってくるわ」
春からはホルガー農家の協力を得て、新しい作物に取り掛かる。現在その為の種まきも終わり、越冬を待つばかりだ。クライスナー領は畜産も安定して上質なのでそこも巻き込もうと思っている。
つい話し込みそうになっていたら、クルトが慌てて馬を引いてきた。
「アレクサンドラ様!時間ないですよ。今日は街道にも行くんでしょう?」
「分かったわ。じゃあねルッツ」
「おう」
ルッツと別れたアレンは、一歩後ろからついてくるクルトを振り返る。
「さあ西の街道に行きましょうか」
「行くだけですよ!もう帰らないと、ヴォルフガング様が戻ってくる時間ですからね!森には入りませんよ!埃だらけでお会いするのは恥ずかしいですよ」
「分かってるわよ。クルトも口うるさくなったわねぇ」
「アレクサンドラ様には、このくらい言わないと効果がないと学習しました」
きっぱり言い切るクルトに、アレンは苦笑する。
あれから、クルトは変わらずアレンの従者として付いている。とりあえずは向こう三年の減俸と行動範囲の制限。クルト宛の手紙と荷物は一度屋敷預かりで、中身を確認するというペナルティが課せられた。もちろん彼が出す手紙と荷物もだ。
解雇どころか刑罰だと思い込んでいた本人にとっては、かなり軽い処分だ。それどころか破格の対応である。
「僕は、いいんでしょうか……解雇、いえ、罰されるとばかり……」
処分を言い渡す時、世界の終わりと言うほど、思いつめた表情をしたクルトだった。引き続きアレンの従者をしていても、常にこうだ。
処分を聞いた後も、軽すぎる処罰に納得出来ていないようだった。
「辞めたかったら辞めてもいいわよ」
「え?」
「一応この邸では、私に何が起こってるか使用人は知ってるのよね。そこであなたがいきなり辞めたら、犯人ですって言ってるようなものじゃない。次の就職先なんてないわよ。でもまあ今ならそれなりに対面が保てる期間は過ぎたし、辞めても変に勘ぐられる事もないでしょ」
アレンはヴォルフガングにしか報告してないけれど、彼から執事や侍女長に話はいっているはずだ。
そんなあからさまな辞め方をすれば、当然クルトが犯人だと分かるし、貴族相手の噂話はすぐ広まる。特に使用人達の口コミは侮れない。
仕えていた屋敷で問題を起こせば、おそらく次の就職先は望めない。運良くあっても、今より給与も待遇も落ちるだろう。
クルトの境遇を考えて、解雇はしないけど辞職するかは好きに選ばせる事にした。普通に辞めたのなら、クライスナー家、特にヴォルフガングの補助で三年務めたのだ。次はすぐに見つかるだろう。
だから、あまりにも軽い処罰に、自責の念に駆られるというのなら、自分から辞めてもらっても構わない。
「……アレクサンドラ様は怒ってないんですか?僕は、許されない事をしました。僕の事なんて見たくもないのでは……」
「別に怒ってないわよ」
「どうして……」
あの時は勢いに任せてクルトに激励を飛ばしたりしたけど、クルトのやった事には怒ってない。むしろ可愛いものだと思っている。
「だってあの程度鼻で笑っちゃう。そもそも私だって、クルトだろうなって思ってたし」
「え!?そ、それで、なんで僕を側に置いてたんですか!?」
「いつボロを出すかなって見てたの。ちなみにイリナはクルトの監視ね」
他人の仕事に口を出さないイリナが、何かにつけてクルトを巻き込んでいたのはこの為だ。
姿が見えない所で何かされるより、見張っていた方が楽だ。
「そんな……お二人には筒抜けだったわけですね。本当に……僕は何をやってるんだろう。情け無いです……」
赤くなったり青くなったり、器用に顔色を変えるクルトは今にも倒れそうだ。
バレないように悪事を働いているつもりなのに、嫌がらせしている本人に観察されていたというのは、滑稽以外のなにものでもない。
「でも運が良かったわよ。相手が私なんだから」
確かに、他所の貴族であれば処罰はもっと重かっただろうし、子爵家も連帯責任として処分された可能性もある。
では、アレンでなければどうなっていただろう。たまたま今回はアレンが標的になっていたが、コリンナの逆恨みがヴォルフガング本人に危害を加えたら。
万が一にも自分や幼馴染が、ヴォルフガングに何かできるとは思わないけれど、つい好奇心で聞いて、クルトは猛省した。
「ボーデ伯爵令嬢をお茶会にご招待するわ」
にっこりと、しかし確実に作り笑いだと分かる微笑みをアレンが見せてから、クルトはより精力的に動くようになる。
貴族女性のお茶会とは、社交であり情報収集の場であり、時に戦場だ。
短い間ではあるが、クルトはアレンがどういう令嬢か、なんとなく把握している。
令嬢にしては破天荒だが、頭はいいし行動力はある。おまけに貴族としてはソツがない。個人の財産もあり後ろ盾も強い上に、クライスナー領でも信用を獲得しつつある。
なにより、ヴォルフガングの唯一の婚約者だ。
そんな彼女が遠回しに、舞台に引きずりだす、と言っているのだ。クルトを罰するのではなく、その後ろを呼び出す、と。
これは運がいいのではない。ある意味いいのかもしれないが、幼馴染の浅はかさに助けられた。
彼にしてみれば、成人して尚幼稚な幼馴染など、社会的に抹殺される未来しか見えない。
なんせアレンは、あれからすぐにペルニー家に直々に手紙を出したのだ。主にクルトに助けられていると、アレンの従者として間がなく、慣れないながらも必死にやってくれているので有難い、と。
要するに、余計な事で手を煩わさないようにしろと言っているのだ。
それはペルニー家と付き合いの深いボーデ家にも直ぐに伝わった事だろう。お陰で憂鬱な手紙は全く来なくなった。
アレンとしては、ヴォルフガングに騎士団を案内されたという令嬢が、どんな人物か知りたかったのだ。所謂嫉妬だ。あとはほんの少しの意趣返し。
クルトから運良く引っ張り出せればいいかとは思っていたが、予想以上に上手くいった。
でもこれはヴォルフガングには言えない。
嫌がらせされるか弱い令嬢を装いつつ、クルトを利用したので、クルトに恐縮されるのもむず痒い。
この事は自分とイリナとの胸の内に秘めておこうと思う。
「まあブレスレットを投げたのはいただけないけど。餌にしたのはこちらだし、壊されなかっただけいいわ」
「申し訳ありません!」
という、一連のやりとりがあり、現在クルトはアレンに忠実な従者となっている。
クルトがどうしても辞めたいというのなら止めはしないが、彼にいて貰ってありがたいのは事実だ。
男手があるというのはとても動きやすいし、彼は騎士の経験もある。
お陰で街道辺りの森へも行きやすくなった。
教会や孤児院へ訪れてる際に、西の森周辺を探索している。こちらはヴォルフガングにも、絶滅危惧種の存在や害獣の有無を確認した。運良く熊や狼はいないらしい。
探索許可を貰うのに、ヴォルフガングには理由を聞かれたので正直に答えている。
「街道を?」
「はい。西の森を突っ切れないかと思いまして。そうしたら隣国まで一日足らずで行けるでしょう?輸出入の移動経路の時間短縮です」
「……考えた事がなかったな。既に街道は南北にあるから、それを使うものだと思っていた」
「時間短縮できたらいいなと思うし、道も平坦だから移動し易そうなんですよね。でも、平坦な道を繋げる事で万が一隣国といざこざがあった場合は不利ですよねぇ」
村娘風のワンピースに釣竿を担いで言うアレンに、ヴォルフガングは思案する。
アレンがこちらに来てから二月、何やら動き回っているのは知っている。彼女は領地のあちこちに顔を出しているようだし、教会と孤児院とも懇意になっている。寄付や顔出しは、貴族の領主夫人として課せられた務めでもあるので、何も言わずとも動いてくれるアレンに、ヴォルフガングは感心するばかりだ。
だが。
「ところでその格好は?」
「裏山で魚釣りしてきました!お夕飯はお魚です」
「……そうか」
何故貴族の令嬢が魚釣り……そこだけは理解に苦しむが、敷地内なので好きにさせている。
それに食材というのなら、今日の食事はアレンのレシピという事だ。
彼女の料理は美味い。
初めて貰った差し入れは今まで食べたことがない味で、美味しさに夢中になってしまった。
また作って欲しいと強請れば、その夜ヴォルフガングの好む味や食材を聞いてきたので、社交辞令でなく承諾してくれたという事だ。
実際、その後に作ってくれた鳥や芋の揚げ物は、やはり美味しかった。
あまりにも美味しかったので、差し入れされたマティアス以下騎士団員から、レシピを強請られていたくらいだ。
彼女はレシピの提供や作業を指示するだけで自分で料理はしない。おそらく、料理人の仕事は取らないようにしているのだろう。その証拠に手作りは簡単な菓子だけだ。
アレンが幼い頃からエーベル領で、川釣りや乗馬をしていた事は、アルノルトから聞いている。領内の改革も、彼女の手腕があるものも聞いた。
貴族令嬢としては多少風変わりだが、よくこれ程の令嬢が今まで誰の口にも上がらなかったものだと思う。エーベルでは、上手く隠していたのだろう。
本当に、自分は得がたい人を得られたのだと思う。
今も、領内の輸出入に関する話を、貴族婦人同士のお茶受けのように話す。
「大きく接している隣国とは友好関係を築けている。戦の心配は早々ないだろうが、西の街道が繋がると南北の通りが閑散とするだろうな」
「そうすると、今まで南北の国境に構えていた商店辺りが打撃ですよね」
街道には何もないが、国境を越えれば越えてきた荷や、人相手に見越した商売がある。前世でいうところのサービスエリア的なものか。
数は少ないが商品単価が上がるし、どうしても必要な者は利用するので、割と悪くない商売だったりする。
「では西の街道は交通料を取るのはどうでしょう?急ぎの商人なら払ってでも通りたいでしょうけど、旅人や懐の厳しい人や、時間に余裕のある人なら南北を利用しますよね」
「金額はどうする?」
「人と荷で差をつけましょう。人だけなら取らなくてもいいです。荷馬車の大きさや量で決めたらどうですか?それほどお金に余裕はないけど利用したい人と、いくらでも利用できる商人や貴族が同じでは不公平ですからね」
「なるほど」
高速道路の交通料のようなものだ。前世でもその方法はよく使った。
少し遠回りになるけど高速代金を払いたくない時は下道を使ったり、むしろ高速に乗っても同じ時間で現地に到着する場合はわざわざ高速道路は利用しなかった。
「交通料もずっとというわけではなく、街道に費やした作業費が回収できたらなくす方向でもいいと思うんです。費用として10……20年、くらいですかね。そのくらいあれば、南北の国境にある商店も、身の振りを考えられるでしょう?」
「ああ」
「それに別にクライスナー領が作らなくてもいいんですよね」
「うちではなく?」
「はい、公共事業にしてしまうんです。国に進言して、国から作業費と人夫を寄越してもらうんですよ。その場合は交通料も税金として国の物になりますが、作業費に関する領地の懐は痛みません。ついでに街道の整備中は人夫の宿や食事が必要なので、領内にお金を落としていただけますね!」
「……」
「でも街道も領地ですからね。やっぱり領内の事業として行うのが一番いいです。十分な人手の確保と作業にかかる費用を出してからですね」
次から次へと案を出すアレンに、ヴォルフガングは黙って思案する。それをどうとったのかアレンが神妙な顔をして口を開いた。
「あの、私ただ思いついたことを言ってるだけで、まだ計画書が準備できてなくて。それに、森を大きく開拓するとなると生態系を壊してしまう可能性もあります。植物や動物も森の恩恵がありますでしょ?地形を大きく変えてしまうから、災害の影響もどのくらいあるか……だから、無理にとは言いません」
「分かっている。不可能ではないという話だな」
「はい。それに、上手く行ったら森やその周辺の警備がし易くなるかと」
「警備?」
ピクリとヴォルフガングの眉が上がる。騎士団の仕事に物申す、と思われてしまっただろうか。
流石にアレンにも、そこまで口をだすつもりはない。
「騎士団のお仕事に口を挟むわけではないのですよ。実はカイが騎士団に入りたいらしくて。新兵のお仕事は境界警備が多いって聞きました。警備範囲が狭くてこまめに警備した方が効率がいいかなって」
「カイ……孤児院か」
「はい。12歳になるのでそろそろ就職なんです。まだ入団試験を受けられるかも分からないんですけど」
騎士団は平民でも入れる。孤児院出だからといって希望できないことはない。
カイは元々体を動かすのが好きな子だったし、戦災孤児である彼らにしてみれば、ヴォルフガング達騎士はヒーローだ。
自分でも気が早いと思うが、仲良くなれた子供達が仕事とはいえ国境警備に着くとなると、どうしても心配してしまう。
「基礎はどの程度だ?試しに受けさせてみるか」
「いいんですか!?」
「合否は本人の努力次第だが、受験は自由だ。クルトに指導させてみよう」
「ありがとうございます!」
「冬が開けたら、街道の件と合わせて行おう」
「はい!」
そうして冬支度を穏やかに過ごしつつ、王都へ旅立つ日を迎えるのだった。
事業的な事とか諸々ふんわりと受け取っていただければ幸いです。フィクションなので。




