22.暴きました
いつものように、仕事から帰ったヴォルフガングと夕食を済ませて彼の部屋を訪れたところ、目の前に封筒を差し出された。
「夜会の招待だ」
「夜会?私にですか?どなたから」
「陛下だな」
「はい?!」
宛名の書かれた封筒を裏返すと、この国でただ一人しか使えない封蝋がしっかり刻まれている。
中身はこれからの社交シーズンに向けて、王家主催で開催される夜会への招待だった。
何故国王?と考えて、そういえばシーズンに重ねて現王の生誕祭があったはずだ。
それに、アレンとヴォルフガングは婚約したとはいえ、書類上のものでお披露目などしていないし、アレンの両親にも会っていない。
そのついでのように、アレンとヴォルフガング揃っての招待だった。
アレンは兎も角、クライスナー家は国の重鎮だ。領土は王都に次いで大きいし、軍事力は国内随一、王の信頼も厚い。そんな次期クライスナー辺境伯が、婚姻に至る顔見せも挨拶もしないというのは、多少憚られる。
「王から直では断る方が不敬ですね。でも私達までいなくなると領地はどうするのです?」
「王都で一度、家族のみで会食をと思っている。あなたの御家族には、兄君以外には挨拶もできていないからな。夜会が終わったら私の両親が入れ替わりで領地に戻ってくる」
「ということは、私達は暫くは向こうの夜会に出席ですか……」
次期辺境伯が王都に来るとなれば、それはもうお茶会なり夜会なり招待が山程くるだろう。顔見せに婚約者として二人で出る事が重要なのだ。
「分かりました!お任せください。婚約者として立派に務めてみせますわ」
「ああ、頼む」
アレンに関して、その点は心配していない。こちらにきて早二カ月、たったその期間でアレンは領地の主要部分には馴染んでしまった。おまけに農園の責任者とも懇意にしているようだ。
「出発はいつですか?」
「一月後を予定している。できるだけギリギリで王都入りしてシーズンが終わる頃には戻りたい」
「その意見には賛成です。冬支度も佳境ですものね。なんで社交シーズンって重要な時期にあるのかしら」
眉を寄せるアレンに頷く。それは同意見だ。
ヴォルフガングが近づいて、アレンは少し身構えた。
頰に手を添えられ、上を向くように促される。
「あの、ヴォルフ様、もう大丈夫なんですよ?」
「確認する。口を開けて」
アレンが食べたパウンドケーキの異物混入の件から、ヴォルフガングはやけに過保護だ。
二、三日すれば口内の切り傷なんて治ったというのに、未だに傷の具合を確認する。
あれから、何度か異物混入はあった。アレン手作りのお菓子や、イリナでない使用人にお茶を頼んだ時など。食事は流石にヴォルフガングと一緒だからなかったが。
それから身の回りの物も多少無くなっている。ドレスや装飾品なとどという大袈裟なものではないが、ハンカチやレシピのメモなど。自分で処分してない物が無くなるというのは、最終的に捨てようと思っていた物でも気分が良くない。
ハンカチが切り裂かれて部屋の前に捨て置かれたのは、アレンも微妙な気持ちになった。
ヴォルフガングにはなんでも話すと決めているので、一連の出来事は報告しているが、彼が過保護になった最大の理由は、アレンが手にしたハンカチで手の甲を引っ掻けてしまった事だ。
洗濯後のハンカチに針が仕込んであったのは、アレンの確認不足だった。嫌がらせが行われることは分かっていたのに。
アレンが怯むくらい、ヴォルフガングの不機嫌は凄まじかったが、お陰で口内の傷の後は同じように、手を取られて隅々まで確認される。
ヴォルフガングはとても大事なもののようにアレンを扱ってくれる。もちろん自分はヴォルフガングにとっては、「預かりもの」のような立場なので、当然かもしれないが。
嬉しいような照れ臭いような。幸せでふわふわしてしまう。
触れてほしいと思っていたら、別方向から転機が訪れたのだから怪我の功名という奴だ。怪我なんかなくても、ヴォルフガングなら好きに触っていいのに。
でもきっと怪我がなければ触れてもくれないだろうな、と思う。
が、アレンがそんな事を思っていると、手の甲に柔らかい感触があった。
慌てて視線を向けると、ヴォルフガングがアレンの手の甲に口付けを落としている。
チュっと音がして離れたそれは、温度と湿り気をもってアレンを混乱させた。
「え」
「もう治ったな」
「はい、え、あの、え」
「あなたでも驚くのだな」
どういう意味だ。
いやそんな事を言っている場合ではない。確かにこれは貴族間では普通の挨拶だ。アレンならば当たり前にいなせるだろう。ヴォルフガングの言うことも最もだ。
だけど、その相手はヴォルフガングなのだ。
普通でいられるわけがない。
瞬時に真っ赤になったアレンを見て、ヴォルフガングは吹き出すのを堪えている。
からかわれた!
酷い!
ヴォルフガングに恋するアレンの乙女心を弄ぶなんて!でも笑顔が素敵!
「からかってますかヴォルフ様!」
「からかってなどない」
「もう!そんな顔でごまかされるのは私だけですからね!」
「ごまかされるのか」
「当たり前じゃないですか!そんなキラキラしい笑顔が通るのは私だけですよ!他の人にしてはダメですからね!」
「キラキラしい……」
よく分からないというように首をひねるヴォルフガングだが、そんな仕草もキュンキュンする。
「絶対ですよ。夜会でそんなことをしてはダメですからね。ヴォルフ様がそんなことしたら、みんなヴォルフ様に夢中になってしまうじゃないですか」
「それはない」
「いいえ!ヴォルフ様は甘いです。世の中にはギャップ萌えというものがあるんです!」
「わかった。しない」
ギャップ萌えとはよく分からないが、ヴォルフガングとしても、元よりアレン以外にするつもりはない。
「あなただけだ」
アレンを見つめつつヴォルフガングが言い切ると、アレンは更に赤くなった。暫く視線を彷徨わせてからヴォルフガングを見上げて、ふにゃりと嬉しそうに笑う。
その笑顔に、今度はヴォルフガングが撃ち抜かれる番だった。
「元気が貰えました。明日は頑張ります」
「そうか」
ヴォルフガングは少し眉を顰めるが、何も言わずに部屋へ戻るアレンを送り出してくれた。
いつも通りの仕事と共に王都行きまで加わって、アレンは元よりイリナも準備に忙しくなるだろう。
せめて領地を発つまでには、諸々の事情に始末をつけていきたいところだ。
翌日アレンは、別館で内装と調度品の確認をしていた。壁紙は希望通り、後は家具を入れれば問題なしだ。
寝室はアレンとヴォルフガング用に、大型ベッドとソファやローテーブルが入る。
広々とした室内で、ここにベッドが入るのか、としみじみ思ってアレンは頰を染めた。
いやいや、変なことは考えてませんよ。
だって、寝室といえどそれぞれの部屋にもベッドはある。ヴォルフガングが、一緒にここで寝てくれる可能性は今のところ半分だ。
残念ながら半分なのだ。
随分歩み寄れたと思う。ヴォルフガングが、あんな風に気安く接してくれるようになったのなら、期待はできる。
それでもアレンを愛しているかと言われれば、それはないだろう。
その半分は世継ぎの為だと思われる。
大丈夫。夢は見るけど、現実は履き違えない女なのだ。
壁紙や窓枠に触れて感触を確認する。左腕にヴォルフガングから貰ったブレスレットはない。
今日はわざと置いてきた。誰の目にも留まるところに。けれど、目的を持って見た者なら持っていけるように。
(上手く引っかかってくれればいいんだけど)
いい加減やられっぱなしでは気が済まない。だいたい相手にも当たりはつけているので、時間を見計らってから裏庭へと足を向けると、先客がいた。
「クルト」
「!」
声をかければ、アレンの予想通りの人物がビクリと肩を震わせる。
「こんなところで何をしているの?」
「アレクサンドラ様、こそ、こんなところで何を……」
「私は探し物をしているの。クルトは?」
「僕は、ゴミの処分を、頼まれて」
「そう。じゃあそれは返して貰える?ゴミじゃないから」
ゴミの処分といいつつ、何も持っていない状態で何を言っているのか。青い顔をするクルトに向かってアレンがにこやかに手を差し出せば、彼は怯えたように胸の前で手を握りしめた。
「早くした方がいいと思うけど」
「何を、言って……僕は何も持ってません」
「何も持っていないの?ゴミの処分をしにきたのに?でもその手の中の物はゴミではないわよ?」
「これは、頼まれたので……」
「困ったわね。早く返してくれないと、来てしまうわ」
「え?」
クルトがアレンに視線を向けると同時に、アレンの背後にはヴォルフガングが現れる。
「何をしている」
「ほら来てしまったわ。ごまかせなくなってしまったから、とりあえずそれは返して」
「あ……あ……」
ここまで計画通りだ。
昨夜、ヴォルフガングの部屋を訪れたのは、犯人の炙り出しを実行するのだと、ヴォルフガングに宣言する為だ。
アレンの話を聞いてヴォルフガングは最後まで難色を示したが、危険な事はしないしイリナの他にも護衛をつけるからと承諾して貰った。
ただし、ヴォルフガングも影から見ている事を条件に。アレンの手に負えなくなったら、助けてもらうという事で、それまではヴォルフガングは知らない体で収拾をつけたかったのだが、遅かった。
ヴォルフガングに睨まれて、クルトは益々青くなる。大きな瞳が潤み、震える腕を振り上げた。
アレンに向かって投げつけられたそれは、危なげなくヴォルフガングが掴む。
「怪我は?」
「ありません。ありがとうございますヴォルフ様。それ私のなんです」
「何を投げたんだ?」
「宝物ですわ」
宝物?とヴォルフガングが手を開くと、華奢なブレスレットがあった。赤い石が入ったそれは、自分がアレンに贈った物だ。
「ヴォルフガング様が悪いんです!」
アレンとヴォルフガングがほんわりした空気でいると、クルトの悲壮な声が響いた。
大きな瞳に、溢れ落ちそうなほど涙を溜めてクルトは叫ぶ。
「ヴォルフガング様が婚約なんてするから!」
静まり返った裏庭に、微妙な空気が漂う。
恋敵か。やはり恋敵なのか。
「ヴォルフ様、これは痴情の縺れというものでしょうか」
「違う」
「どう見ても修羅場なんですけど……」
「断じて違う!」
ヴォルフガングとクルトの間に恋情的な何かがあったとは思わないが、クルトの方にはあったのかもしれない。彼はヴォルフガングに傾倒しているようだったから。
「まずは事情聴取です」
この場で一番冷静な声が聞こえたと思ったら、いつのまにかイリナがクルトの背後に現れる。そのまま、彼の頭を殴打して気絶させてしまった。
「イリナ、暴力はよくないわ」
「暴力ではありません。応急処置です。そもそも、お嬢様の受けた苦痛に比べたらこのくらい軽いものです。さ、運んでください」
これまたいつのまに呼んでいたのか、イリナが手を打つと数人下働きの男性が現れてクルトを抱えて行く。
「応接室に運びますので、早急にお越しください」
イリナが頭を下げて立ち去ると、その場は静まり返る。
早々に二人きりにされてしまったアレンとヴォルフガングだったが、暫く見つめあった後、微妙な空気を引きずったまま、屋敷へと戻るのだった。
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