19.和解しました
「これはいいな。片手で食べられる」
「……ヴォルフ様、お仕事しながら食べようとか思ってないですよね?」
「食事の時間が惜しい時がある」
「いけませんよ。休憩時間にはちゃんと休憩しないと。お行儀が悪いし、消化にも悪いです。そんなにお仕事が溜まっているなら、振り分ければよろしいではないですか。優秀な副隊長殿がいらっしゃるのだから。ねえ?」
チラリと視線をマティアスにやれば、ポークサンドを頬張ったままサッと顔を逸らす。副隊長なのだから、分担できるものはやればいいのだ。
「婚姻もまだなのに嫁気取りか」
ボソリと聞こえたケヴィンの呟きに、眉を顰めたヴォルフガングが諌める前にアレンが反論する。
「まあ!婚約者のお体を心配するのは当然ですわ。まだ婚約者のいないクライスナー様には、お分かりになりませんでしょうけど。早く運命の出会いがあればいいですわね」
「……っ」
心底哀れんで言うアレンの、生き生きとした表情ときたら。隣でヴォルフガングは吹き出しそうだ。
ケヴィンとヒロインが上手くいってないのは分かっている。ヴォルフガングから聞いたのだ。
元婚約者との婚約解消や、違約金問題、評判だってガタ落ち。その他の諸々があって元婚約者とヒロインも上手くいくはずがない。彼と親友だったケヴィンも然り。彼だって真面目に身の振りを考えた方がいい。
八つ当たりはお門違いだ。
ついでに「運命の出会い」とは、ゲーム中ヒロインがそれぞれ攻略対象者に言っていた言葉でもある。ケヴィン相手には古傷を抉ってやるつもりで言った。
そもそも、断罪の場面では逆ハーレムに近かったようなのだが、逆ハーレムとは一人の女性に複数の男性が群がる状況だ。
重婚が禁止されている上に一夫一妻制のこの国で、逆ハーレムからどう運命の出会いを起こすのか。理解に苦しむ。
「もちろん婚約者だからじゃありませんわよ?私はヴォルフ様だから心配しているんです」
「ご心配なら、アレクサンドラ嬢が毎日見張りに来ればいいんじゃないですか。それこそ昼メシ作って。婚約者の為なら苦でもないでしょう?」
ポークサンドを飲み込んだマティアスが、薄笑いを浮かべて言う。おっとここはアウェイだった。
「ご冗談を。お仕事の邪魔はしませんわ。今日はヴォルフ様が教会の訪問に許可をくださったから、その御礼を兼ねてですのよ?せっかくのご休憩時間に私に時間を割かせるなんて、言語道断です。稀にならともかく毎日だなんて、お仕事中に相手をさせる非常識な真似はいたしません」
アレンが軽く流す言葉はもちろんケヴィンへの嫌味だ。
在学中は、ヒロインが攻略対象者のいるそこかしこに顔を出して、作業の手を止めさせていた。
生徒会役員である王子と元婚約者の伯爵令息、もちろん鍛錬中のケヴィンも含まれる。
彼らの作業中に話しかけては、手を止めさせる。彼女の相手をするということは、それだけ業務が滞るのだ。
学生とはいえそれぞれちゃんと役割はある。生徒会の仕事の遅れ等はアレンも聞き及んでいる。まあ咎めもしなかった彼らにも非はあるが。
ケヴィンがダメージを受けた所で一人脱落。マティアスの相手なら話が通じるぶん楽だ。
「仕事中に訪ねてくるより、昨日の方がよっぽど非常識だと思いますがね」
「単独行動して、ご迷惑おかけしたことは反省しておりますわ。ですがお陰で、ヴォルフ様とよくよく話し合うことができましたの。むしろ私達には必要な事だったと思います」
アレンが同意を求めるように、ヴォルフガングに顔を向けると、彼は眉間に皺を寄せて頷いた。
(あら、可愛い)
戸惑っているのか。なんだか、昨日からヴォルフガングの見せる顔が可愛いく見える。
アレンは元の年齢を入れると40歳は超える。そんな彼女の精神年齢からすれば、ヴォルフガングは20も年下だ。愛情があれば熊さえ可愛く見えるのだから、20以上年下ならば尚更のこと。
それでも、17歳のアレンとして彼に恋をしたのだ。
可愛く見える事もあるけど、やっぱり彼は凛々しくてカッコいい。
まっすぐヴォルフガングを見つめるアレンだったが、今度はそれを遮るようにマティアスが冷やかす。
「お熱いっすね。隊長は寛大ですが、あんまりお転婆が過ぎて愛想つかされないようにした方がいいっすよ」
「その為に話し合いしましたのよ。マティアス様、見えてる事だけが事実ではありませんよ?そんな事では運命の出会いどころか普通に出会いがあっても、お付き合いを続けて行く事は難しいのではなくて?」
「俺のことはいいんですよ」
苦い顔をして黙ってしまったマティアスに、アレンは小さくほくそ笑む。
初対面での舌戦は7:3で勝ったが、彼は数少ないヴォルフガング愛好者の同士だ。彼にはヴォルフガングの異名をなんとかしてもらう、という任務もあるので、このくらいにしておこう。
そろそろ足元を固めておかねば、今後がやりにくい。
「私がヴォルフ様をお慕いしている事が信じられませんか?」
突然切り込んでくるアレンに、室内の空気が固まる。本人を目の前に何を言い出すのかと、マティアスはヴォルフガングに視線を向けるが、彼は無言でマティアスの発言を許した。
「……俄かには」
暫く視線を彷徨わせ、次にしっかりアレンと目を合わせたマティアスが頷く。アレンはふむ、と思案するように顎に指をかける。ヴォルフガングを伺えば、止めもしないし次を促している。
では、とアレンはヴォルフガングに体を向けた。
「例えばの話をしましょうか」
「ああ」
「目の前に剣と皆殺しスイッチがあるとします」
アレンの物騒な例え話に、ヴォルフガングが怪訝な顔をする。
「皆殺しスイッチ?」
「100万の敵を一瞬で消し去るボタンですね」
「待て、その物騒な物は」
「まあ聞きましょうよ」
ヴォルフガングを手で制してアレンは続ける。
「目の前に剣とそのスイッチがあるとして、目的のために敵を殺すなら、自分も傷つきながら剣を取るのがヴォルフ様ですね。私はヴォルフ様をそういうお人柄だと思っています」
ヴォルフガングは眉を顰めるが、マティアスは微かに頷く。
「効率はとても悪いです。人の命を奪うのは、慣れることではないでしょう。それでも敵の命も、それを奪う責任も実際に自分の手で負うのがヴォルフ様だと思います」
「……」
「スイッチ一つで済ませたり、スイッチを押すことすら部下に命じてるような輩より、私は好感がもてます。もちろん、スイッチを押すことに罪悪感がないとは言いません。責任の感じ方は人それぞれでしょうが――。古くて固くて面倒くさい、それでも人を蔑ろにしません。きちんと人と向き合います。短い間柄ですけど、私はヴォルフ様をそういう方だとお見受けしますし、そんなヴォルフ様をお慕いしています」
静まり返った室内に、微笑むアレンの声とイリナが片付ける食器の音が響く。
「と、まあ私がどれ程言葉を紡いでも、結局のところ何を信じるか、ですわ。人は自分の信じたいことが真実ですからね」
アレンはそう締めくくると立ち上がる。イリナが素早くお茶以外を片付けてバスケットを持った。
馬車までの道中、前回見回れなかった施設内部を、ヴォルフガングが説明しつつ送ってくれた。
「アレン」
「はい」
「ありがとう。美味しかった」
「はい!お口に合ったのなら何よりです!」
お気に召して貰ったのなら何よりだ。アレンが上機嫌で頷くと、ヴォルフガングが言いにくそうに言葉を続ける。
「その、よければまた、作って欲しい」
「もちろんです!いくらでも!ヴォルフ様はどのお肉が好きですか?お魚もお嫌いではありませんよね?帰ったら次のメニューを決めましょう!」
「ああ」
「それではお帰りをお待ちしています!お仕事励んでくださいませ!」
手を振るアレンが見えなくなるまで、ヴォルフガングは馬車を見送った。
執務室に戻ると、マティアスがなにやら難しい顔をしている。
「どうかしたのか?」
「いやー……嵐のような人ですねえ」
「ふ、そうだな」
ヴォルフガングの微笑みに、マティアスは目を瞬かせる。
驚いた。こんなに静かに微笑む人だったとは。
婚約者の彼女は嵐のように慌ただしいというのに。
アレンを思い出して、マティアスはため息を吐き出す。
まったく、あの女はああ言えばこう言う。
ヴォルフガングに、アレンと婚約した事を告げられた時、上手くやったなと思うと同時に、多少期待はした。
初対面で舌戦を繰り広げた時は、負け戦に苦々しく思ったけれど、彼女はヴォルフガングの剣を見ても、恐れるどころか好意的だった。あれが演技というのなら、今後誰の嘘も見抜けないと思う。
意外だったのは、ヴォルフガングが彼女を気にかけていることだ。今までは仕事仕事で、最後まで兵舎に残る事の多かったヴォルフガングが、五時の鐘が鳴ると早々に帰る。曰く、アレンと食事を共にしている、というのだから驚きだ。
まさか尊敬する隊長が、ほぼ初めての女性との接触に、浮かれているわけではないと思うが。
なにより、昨日からのアレンの態度だ。
彼女はハッキリと、ヴォルフガングに求められたいと言った。求めないヴォルフガングに拗ねているようでもあった。貴族令嬢が言うには明け透けすぎて、こちらが恥ずかしくなる程だ。
今日も顔を出した時から、ヴォルフガングしか見ていない。
いい加減、彼女にあそこまで言わせておいて、疑うのは潔くない。難癖をつけているようだ。
ここらで腹をくくろうかと思う。
「……いいんじゃないですかね。俺はアレクサンドラ嬢を信用します」
「どうした?お前は反対し続けると思っていたけどな」
今日のやりとり然り、初対面後の感想然り。マティアスの態度は、二人の婚姻をよく思っていなかった。
「ま、賭けっすかねぇ。いえ、噂を聞いて最初はどうかと思いましたけど、美人だし頭はいいし物怖じしないし、何より人を見る目がある。あんたにピッタリですよ」
なるほど。
マティアスも自分と同じ、アレンを噂だけで判断していたか。先入観がある上での対面とくれば、疑うのも無理はない。
しかし、それも先程のアレンの言葉で覆されたようだ。
「……過大評価し過ぎだがな」
「そんなことないでしょう。ヴォルフガングは辺境の英雄だ」
「お前も過大評価し過ぎだな」
実際に、過大評価し過ぎだと思う。
例えば本当にそんな危険なスイッチがあるとして、今の自分ならばアレンの為に迷わずそのスイッチを押すだろうから。
「お前と兄上のことは認める」
「……突然ですね」
クライスナーの屋敷に付いて、それぞれ自室に戻ろうとした時、突然ケヴィンが言い出した。
帰りの馬車の中では、一言も口を開かなかったのに、突然どうしたというのか。
「お前が兄上を、だ、大事、に思っているのは分かった。だからそれを、信じる」
「どういう風の吹きまわしで?」
「別に!……信じたい事が真実なんだろ?兄上にも支えてくれる人が必要だ。それがお前なのが嫌だけどな!……けど、信じるよ」
アレンの態度で、それを信じられると思ったのだと、ケヴィンは言う。
真っ赤な顔で言い募るケヴィンは、本心からアレンとヴォルフガングを認めているのか。その不機嫌そうな顔は渋々ではないのか。
しかしそんな単純な事でいいのだろうか。相変わらず素直な攻略対象者だ。
まあ信じるというのなら否定する事ではない。アレンの言葉も態度も嘘偽りのない本心なのだから。
「でも!クラーラの事は許してないからな!」
そう言い残して、ケヴィンは足早に自室へと去って行った。残されたアレンは眉間に皺を寄せて立ち尽くす。
「許さないのはこっちなんですけど……」
「和解成立ですね。おめでとうございます」
「……和解、っていうのかしら」
「まあ半分ほどは」
「謝ってもらってないわよ?まあ今更どうでもいいけど。それに別に、あの人に認めて貰わなくても良いんだけどね」
「そう仰るものでもないですよ。味方は多い方がいいです」
「背中から撃たれるのではない?」
「お嬢様」
「まあいいわ!思惑はどうであれ言質は取ったわ。後からつべこべ言うのは卑怯というものよね!」
「お嬢様……」
これで身内からは、問題なく認められた婚約者という事だ。ヴォルフガングとの事さえ上手くいけば、ヒロイン関係なぞどうでもいい。
アレンは上機嫌で、次回の差し入れは何にしようかと思いを馳せるのだった。




