02.決まりました
エーベル家に馬車が着くと、待機していた従者に先導されアレンは重厚な扉を潜る。数名の使用人と執事に促されて、そのまま居間へと進んだ。
てっきり執務室に行くものだと思っていたのだが。
「戻りましたアレクサンドラです」
「入りなさい」
入室の許可と同時に、扉が開く。そこにはアレンの父アルベルトだけでなく、母のマルガ、兄のアルノルト、妹のアレクシア。家族全員揃っていた。
(おおう、公開処刑だわ……)
アレンは一瞬怯むが、ここからが本番だ。イリナが早馬を出してくれているので、全員事の顛末は理解しているはず。
「おかえりなさい、サンドラ。酷い目にあったわね」
「話は聞いたよ。大変だったね」
まずは母のマルガと兄のアルノルト。
「お姉様大丈夫?本当に酷い話ですわ」
続いて妹のアレクシアが、労いの言葉をかけてくれる。ゲームの様に蝶よ花よとはならなかったが、みんな平等に愛してくれる、素敵な家族だ。全員で心配してくれる心がありがたい。
「後のことはこちらにまかせて、お前は何も心配しなくていいからね」
「お父様……」
「でもね、サンドラ。あんな事態になる前になんとかならなかったのかな?」
(キター。笑って釘を刺すこの手法!分かってましたとも。ここからが正念場よね)
年齢を感じさせない艶やかな黒髪と、整った甘いマスク。ニコニコと微笑む父アルベルトに、アレンは引き攣った笑みを浮かべ、気合いを入れなおす。
アレンの父アルベルトは、いつもにこやかな表情を絶やさず、大変人当たりの良い紳士だ。
結婚して夫婦仲も良く、すでに成人した子供がいるというのに、未だに御婦人の人気が絶えない。
しかしその顔に騙されてはいけない。優しく人心掌握しながら、己の有利に事を運ぶ姿は娘のアレンから見てもえげつない。
アレンは父が怒った所を見たことはないが、怒られずとも、自分が悪かったのだと言わせる話術に何度嵌ったことか。
だけど負けてはいられないのだ。
死ぬよりマシな辺境伯の後妻だが、はいそうですかと素直に頷きたくはない。
「お言葉ですがお父様。あの方は良くないと私再三申し上げたではないですか。私にあの方を宛がったのはお父様ですよ」
「でも婚約して三年だね。三年あったら少しは良い方向に進むものじゃないかい。それともその努力さえ怠ったのかな」
「男女の仲ですもの。歩み寄れば必ずしも良い結果が出るというものではございません。歩み寄る気がない方相手でしたら特に」
「……」
「……」
言外に、婚約者なら手綱握っとけ、ポンコツ連れてきたのはお前だろ、と言い合っているわけだが。
顔だけは笑顔の不毛な睨み合いを続ける親娘に、仲裁に入ったのはアルノルトだった。
「父上もサンドラも、起こってしまったものは仕方がないでしょう。両家の話し合いに問題はないから、後はサンドラの事ですよ」
「すみませんお兄様」
「いいんだよ。まずは父上の話を聞こう」
婚約不履行は両家の問題だ。
これに関しては心配していない。この父がいて、こちらが有利に動くのは分かりきっているから。
しかし、貴族が一方的に婚約破棄などをされてしまったら、過失がないとはいえ嘲笑は免れない。
おまけにあれだけの観衆の前で公に晒されて、エーベル家自体の醜聞となってしまった。時間が経てばエーベル家の挽回は出来るだろうが、余程の事がなければアレンには今後、碌な見合い話は来ないだろう。来たとしても条件の悪い相手が殆どだ。
アレン自身は、領地に引っ込んで一生独身でも構わないのだが、基本的に貴族の令嬢は政略結婚で家同士を繋ぐことが役割でもある。
それが難しいアレンに、どんな今後が待ち受けているか、家長の言一つにかかっているのだ。
「サンドラの嫁ぎ先が決まったよ」
「は?」
間抜けな返事をするアレンを他所に、両親と兄妹は揃って落ち着いている。
これはやはりゲーム強制力か。四十歳上の辺境伯の後妻は決定だろうかと身構えるアレンに、アルノルトは落ち着くよう促した。
「サンドラは、ブルクハルト=クライスナー元将軍を知ってる?」
「ええ、はい。クライスナー辺境伯家の御当主、ですか。数年前の隣国との戦争での立役者だと」
「戦争前にとっくに当主は譲っていたのだけどね。今は王都で騎士団の指導をされているよ」
クライスナー辺境伯家はその名の通り、辺境地にて隣国との境を守護する家系だ。代々騎士として武勲を挙げ、王家の信頼も厚い。
七年前に起こった隣国との戦争は、当時騎士団の総団長であったブルクハルト将軍がいなければ勝てなかっただろうと言われるほどだ。その鬼神の如く戦う様は人間ではないのではないか、とまで語り継がれている。
筋骨隆々の立派な体躯に、豊かな髭と厳つい相貌が有名だ。御歳六十を超えていたはずだが、未だに騎士団の誰一人敵わないのだという。
正に鬼将軍。
現在は家督も将軍職も譲って、一指導者として王城に勤めているが、尊称として将軍と呼ばれ続けている。
その人の後妻になるのだろうか。
「ブルクハルト元将軍から打診があってね。お前と婚約を、と。御令孫とね」
「え?孫?」
「そう。今日の渦中に彼の御令孫がいらしてね。話を聞いて是非にと」
渦中といえば、同名でケヴィン=クライスナーが思い浮かぶ。そうか、彼は騎士だった。ブルクハルト元将軍の孫だったか。
という事は、ケヴィン=クライスナーの嫁になるのだろうか。冗談ではない。
ケヴィン=クライスナーといえば攻略対象者。既にすっかりヒロインに攻略されている相手の嫁など、悪手でしかないではないか。
あの時は無礼な振る舞いに、つい頭にきてぞんざいな扱いをしてしまったが、悪役令嬢なんかが目の前に現れたら、その途端に斬りかかられそうだ。
「殺されるのでは……」
あの時のケヴィンの様子を思い出して、遠い目をして呟くアレンに、アルノルトが不思議そうな顔をする。
「おや、珍しいねサンドラが噂を気にするなんて」
「噂?」
「そう。ヴォルフガング=クライスナーといえば、戦場では銀の悪魔で有名だからね」
「ヴォルフガング=クライスナーとは?」
「やっぱり知らなかったか」
「全然、ちっとも」
ヴォルフガング=クライスナー、ブルクハルト元将軍の孫でケヴィンの兄だ。現在23歳。
長身と騎士特有の筋肉質な体躯、七年前の戦争ではわずか16歳で一個小隊の隊長を務めた猛者らしい。
それだけならまだしも、珍しい赤目で切れ長の瞳に睨まれたら、その恐ろしさは石になるほどだとか。
銀色の髪が凍える冷たさを伴って、銀の悪魔と呼ばれている。
戦場ではブルクハルト元将軍に続いて武勲を挙げ、祖父譲りの鬼神の如き強さは一度暴れだすと手がつけられず、粗野なお陰で未だに婚約者の一人もいない。婚約の話がきても、乱暴された令嬢が逃げ出す始末で手に負えないのだそうだ。
どこの熊だそれは。
そんな相手に嫁ぐのか。
やはり遠くを見るアレンに、アルベルトが続ける。
「実はね、昔ブルクハルト将軍にはお世話になってね」
「あ、はい。その先は言わなくて結構です」
決定だ。
これはもう反抗するのが無意味な程の決定事項だ。
「なんてね、それは置いておいて。この話は将軍のご厚意でもあるんだよ」
「厚意ですか」
「お前の醜聞が少しでも貴族間で薄らぐようにね。その間だけでも、こちらに身を寄せてみてはどうか、とね」
なるほど。ブルクハルト元将軍は、随分と情に厚い方らしい。
ヴォルフガング=クライスナーの噂とやらは、全く良いものを聞かないが、そもそも噂なんて今初めて知ったのだ。噂どころか存在すらも。
噂通りの人物だとしても、これはもう既に決定事項だ。今更覆せないのなら、少しでも快適に過ごせるように前向きになるしかない。
23歳未婚、婚約結婚経験なしなら、四十歳以上年の離れた相手の後妻になるより全然余裕の許容範囲内だ。
それに、どれだけ粗野だと言っても、曲がりなりにも騎士だ。
騎士の中には庶民の出も、教育の行き届いていない貴族もいるから、多少言動に粗雑さが見られる者もいるが、流石にドメスティックバイオレンスまではいかないだろう。
もしDV野郎だとしても、アレンならそれに打ち勝つ手段を持ってる。幼い頃から馬に乗り、野山を駆け回った経験は伊達ではない。
対抗手段は力ではないのだ。
となるとあとは領地だ。
辺境というからには王都からは離れているだろうが、規模はどの位だろうか。
特産物や流通はどの程度なのかが気になる。
「お父様、クライスナー領の規模はどの位でしょうか」
「うーん、単純な広さだとウチの倍はあるかなぁ。配下にいくつか子爵か男爵家があったはず。その代わり自然が多くて特産がこれといって目立つものではなかったよ」
「後で資料をいただいても?」
「構わないよ」
「サンドラ!父上も!」
既に経営目線になりつつある親娘に、釘を刺すアルノルト。この二人は外見もさる事ながら、基本的な考えが似てるのだ。
「ああ、そうそう。サンドラは直ぐに返事の手紙を書くようにね。そこから話を詰めても、婚約解消の後始末には二週間もかからないと思うよ」
「え、じゃあもう二週間後には、お姉様はお嫁に行ってしまうの?」
「シアったら。そんなに早く式の準備はできませんよ。まずは先方にお邪魔して、お互い顔見せしないとね」
マルガが説明すると、アレクシアは安心したように微笑む。
婚約の申込の返事か。
それにしても、今日の今日でよくそんな話がきたものだ、とアレンは漸く不自然さに気付く。
「……お父様、もしかして」
「おや、やっと気付いたかい。実は以前打診された事があったんだよ」
しかしその時には既に、アレンには婚約者がいた。なのでお互い残念だと笑って流していたのだが、今回の事で此れ幸いと申込の手紙が届いたのだとか。
イリナが出した早馬よりも早かったそうだ。
「それに、あの場に将軍も同席していたようだよ」
「は?知りませんよ!?どこに?」
「警備の方だから分からなかっただろうね。末の孫の卒業パーティーでもあるからね。驚かそうとしたらしいよ」
将軍はそういう所がおありなんだよ。と、アルベルトは苦笑する。
鬼神の如き強さで未だに騎士団は頭が上がらない。かと思えば情に厚く茶目っ気もある。
なんだか鬼将軍のイメージが崩れてきたが、それならそれで好感が持てる。
それに、なんだかそういう人の薦める相手なら、ヴォルフガング=クライスナーとやらも、それ程悪い人間ではないのではないか。
これは勘だ。
根拠もないただの勘。だけど今まで「これだ」と思った事には、だいたいこの勘が働いた。
「分かりました。不肖アレクサンドラ、このお話受けさせていただきます!」
こうして、アレンの新たな婚約が決定した。