閑話.将軍の独り言
「何故前もって教えてくださらなかったのか」
渡した調査書に目を通し、次第にヴォルフの眉間に皺が寄る。普段は無表情かしかめっ面の癖に、今は心情が手に取るように分かるのが面白い。
孫の婚約者が決まった。
二人のうちの上の孫だ。二十歳も適齢期もとっくに過ぎているというのに、騎士の仕事ばかりで全く女っ気がない。娼館に足を運んだ事はあるらしいが、それでも同年代よりはるかに少ないと聞く。
実家は騎士の家系で辺境伯、その跡取りな上に二十歳そこそこで一個隊の隊長を担うのならば、仕事に忙殺されても仕方がない。
おまけに戦争の英雄のように祭り上げられ、その二つ名が悪い意味で一人歩きをしているのだから、若い女性に倦厭されるのも無理はない。
だとしても、昔から本人が悪評に甘んじているだけなのは、いただけなかった。
我が孫ながら、真面目で誠実、仕事もできるし容貌は悪くない。だが、頑なな所があり、己の評判を受け止めるだけなのが気に掛かかる。
「必要ないと思ったからな」
「一番大事なことでは?」
ヴォルフの手にあるのは、サンドラの婚約解消における調査書だ。
身内とはいえ、鬼将軍とまで謳われた自分に、きつい眼差しを向けてくるのはなかなか骨がある。
先日、王都にある学園の卒業パーティーで、問題が起こった。こちらにしてみれば子供の戯言のような出来事であったが、渦中にそれなりの名家が揃っているのが不味かった。
おまけに、当家の下の孫がそこに名を連ねている。"加害者"側で。
下の孫とはあまり接点がないぶん、色々甘やかしてしまったのは否定できない。騎士を目指しているようだが自分は既に引退しているし、騎士団員でもない孫を王都に呼んで指導する訳にもいかない。
王都の学園に通う間は、と大目に見ていた行動が、まさかこんな茶番劇になるとは。
卒業パーティーで勇姿を目にする為に、こっそり警備に紛れていたが、呆れてものも言えなかった。
残念だが、この先あれの出世は見込めんだろう。
一人の少女を寄ってたかって糾弾するなど。騎士の風上にもおけん。
しかも相手はアレクサンドラ=エーベル。
エーベル伯爵家の長女で、かつての部下の娘。親子共々"可愛がっていた"娘だ。
サンドラとの出会いは、まだ騎士を引退する前のアルベルト=エーベルに家に招かれた事に始まる。
アルベルトは騎士としての実力も優秀であったが、なにより参謀として威力を発揮した。
敵に回すと、恐ろしい勢いでこちらの勢力を削いでくる。いい軍師になるだろうと目をかけていたのだが、他国とのいざこざの際に、怪我を負って引退を余儀なくされてしまった。
そんな部下との交流の際、紹介されたサンドラはまだ5歳の少女だった。
父譲りの黒髪と菫色の瞳が美しく、成長すればさぞかし引く手数多だろうと思ったものだ。
初対面では丁寧に挨拶をしてくれたものの、その後は一定の距離でこちらを伺いながら接していたので、特に関心はなかった。
元々自分は子供に好かれにくい。
厳つい相貌や、平均以上に大きな体躯のお陰で、特に女児には怖がられるか泣かれるかのどちらかだ。この子もその体だろうと気にも留めていなかったのだが、次に訪れた時は満面の笑みで迎えられた。
何処に行くにも後を付いてきて、しまいには膝に乗る始末。
子供とはいえ、懐かれれば悪い気はしない。特に自分は男孫だけだったし、今まで女児には怯えられていたお陰で、男孫とは違った可愛らしさがあるのだと感動した。
エーベル家を訪れれば、図書館や庭園で遊び、時には兄のアルノルトも連れて街にも行った。
アルノルトはその頃から頭角を現し、年も近いしヴォルフとはいい友人になれるのではないかと、既に周りから孤立していたヴォルフを思ったものだ。
だが、本当の幸運はそこではなかった。
ある日サンドラに聞いたことがある。
何故そんなに懐いてくれるのか、儂が恐ろしくないのか。
今まで自分自身も周りに言われてきた、評価そのものを訪ねてみた。するとどうだ、サンドラは可笑しそうに笑うではないか。
「おじいちゃま、馬車から降りる時も玄関に入る時も周りを気にしていらっしゃるでしょう?室内でも色々注意深く見てらっしゃるから、調度品を見てるのかなって思ったの。でもあれ、いざという時逃げられる場所を確認してらしたのよね。それにおじいちゃま、ずっとお父様の右側にいるの。お父様、今右肘を傷めてらっしゃるのよね。庇ってくださっているのでしょう?」
「おじいちゃま、優しいのね。優しい人は大好きです」
そう言って、嬉しそうに微笑まれた時のあの衝撃をどう表現すればいいのか。
屋敷だろうと宿だろうと野営のテントだろうと、出入りには十分な注意を図る。それは騎士として培われた癖のようなものだ。
伯爵家に辺境伯家と集う時は、万が一には無いだろうが、それでも心構えだけはあった。
ただそれに、こんなに小さな子供が気付くとは思わなかったのだ。
確かに初対面では、やけにこちらの様子を伺っていると思っていた。しかしそれは自分を警戒しているのであって、そんな理由だとは思うまい。
その末恐ろしさに戦慄すると同時に、希望が湧いた。この子ならば、孫の頑固さもどうにか出来るのではないかと。悪意に晒されすぎて、己に鈍感になってしまったヴォルフを何とか出来るのではないかと思ったのだ。
しかし、勝手にヴォルフを連れてきて会わせる訳にはいかない。そもそもヴォルフ自体、知らない相手と会う事を嫌がる。サンドラは自分には慣れてくれているが、同じ子供同士と言えど、その子供にも避けられているヴォルフを、受け入れられるか……。
そうして様子を伺ううちに機会が巡ってきた。
12歳を迎えるヴォルフが、騎士団の見学をしたいと言ってきたのだ。一時的に王都に滞在するヴォルフを、これ幸いと馬車に同乗させ、アルベルトの登城に合わせて、朝からエーベル家まで迎えに行った。
ヴォルフがそのうち騎士団に入れば、アルベルトは上司となる。彼と会わせておくという名目の元、ほんの少しでもサンドラと……と抱いた期待は、頑なに馬車から降りないヴォルフによって、早々に打ち破られたが。
「早く出ないと遅れてしまうのでは?」
「親子の見送りくらいは、待ってあげなさい」
馬車の背後では、アルベルトに抱き上げられたサンドラの、楽しそうな声が聞こえてくる。
ふと、正面のヴォルフを見ると窓から親子の方へ視線を向けていた。その目が丸く開かれて、小さく頭を下げる。気になってヴォルフの視線の先、窓の外へと振り向けば、サンドラが笑って手を振っていた。
これは上手くいくのでは?
自分ではなくヴォルフを見ているサンドラは、怯える風もなく笑っている。
ヴォルフを伺えば、相変わらずの無表情でエーベル親子を見ているようだが、その時の呟きは聞き逃さなかった。
「可愛いらしい方ですね」
なんとまあ。
ヴォルフが。
あのヴォルフが、幼児とはいえ女性を褒めるとは。
無理矢理にでも馬車から降ろして、ヴォルフにも挨拶させようとしたが、結局その日はアルベルトに拒否されてできなかった。この親バカめ。
それにしても、だ。
直接会ったわけではないが、第一印象は悪くはない。何事もなければ、お互い然るべき時に場を設けるのもありじゃないか。
あと三年もすれば、ヴォルフは学園に通うために王都に出てくる。その時こそと思っていたのに、ヴォルフときたら、飛び級などして通常学園に三年通う所を、たったの一年半で領地に帰りおって!
更に間の悪いことに、隣国とのいざこざから戦争へと突入し、前線へと駆り出された儂らは、それどころではなくなってしまった。
漸く落ち着きを取り戻した頃には、サンドラには既に婚約者がいるという始末。
残念だがあの子の幸せの為ならばと、三人目の孫として見守ろうと決めていた。
そして機会はまたやってくる。
どうにも、サンドラの婚約者の周りがキナ臭いと感じたのは、ケヴィンが学園に入学してから。
孫達には、儂とアルベルトの付き合いの事は話していない。
ヴォルフは、儂とアルベルトが、そこまで親密な付き合いだとは思っていないようだ。そして、ケヴィンからは時折サンドラへの否定的な言動が伺えた。
秘密裏に調べさせれば、サンドラと相手は上手くいっていないようで、そこでアルベルトに連絡を取った。
奴の中でもこれは想定内だったようだ。
おそらく二人の仲は破綻する。長年の経験から儂の勘は当たる。勘でなくても、サンドラの、相手に全く興味のない態度を見れば明らか。
今度こそ、この好機を逃してなるものか。
そうして卒業パーティーでの茶番を迎えた瞬間、王都の我が家からエーベル家に早馬を飛ばした。
そして無事に、サンドラを辺境へ迎える事に成功したのだ。
調査書に関しては、我が家の方が早かったのだが、これは息子夫婦にしか見せないことにした。そして孫二人にも時期を見て明かすことにした。
知ればヴォルフはきっと責任を、と言い出すからな。
元々ヴォルフには、ケヴィンからの手紙でサンドラに関して先入観がある。ケヴィンの手紙を盗み見たわけではないが、小僧共の頭の中など筒抜けだ。
人を見る目に関しては、同年代よりは長けているが、やはりヴォルフもまだまだ。
だったら先にあの子をぶつけた方がいい。
クライスナー家としての責任ではなく、ただの男女として会わせよう。
お前が初めて可愛いと言った娘だ。
思った通り、サンドラは美しく成長していた。学園の卒業パーティーでの、あの野暮ったい格好はなんだったのか。
昔と同じ菫色の瞳は知性的に輝いている。儂を見る目が、タダでは食われないと言っていて、やはり昔と変わらない利発さに嬉しくなる。
さて対面はどうなるかと楽しみにしていたら、これまた幸運な事に、サンドラはヴォルフに好意的だ。
おそらく恋情的な意味で。
それを隠しもせずにいるというのだから、ヴォルフにとっては未知の世界だろう。
ヴォルフはこれほどまでに、あからさまな好意をぶつけられた事がない。
最初はなんとか、サンドラをエーベル家へ返そうと足掻いていたようだが、たったの二日で陥落してしまったのは、流石サンドラと言おうか。相変わらず頭の良い子だ。
「聞いておられるのか?」
「言わない方がお前の為だからな」
「何故?知らされていた方が、これ以上クライスナー家の恥を晒さずに済んだものを」
ヴォルフは苦虫を噛み潰したような顔で言う。さてはもう何かやらかしたな。
「家の責任だと有耶無耶にするだろう」
「なんの事をおっしゃっているのか」
お前の事だお前の。
いい歳をして人と向き合うことから逃げおって。
気持ちは分からんでもないが、そろそろ周りに己を忌避する人間ばかりではない事を、コイツは理解するべきだ。
騎士団員や、領地の住民達にも外見や戦場での働きだけでなく、ヴォルフの誠実さは伝わっている。それが本人に見えていないのが惜しい。
家の責任だと押し付ければ、お前は彼女自身と向き合うことから逃げるだろう。
だがサンドラなら大丈夫だ。
だから教えないまま、暴れ馬をぶつけてみた。いい起爆剤になるだろうて。
まだ何やら言い足りない顔をするヴォルフに、最後とばかりにヒントをやる。
「教えるとお前は逃げるだろう」
うまい具合に、逃げる前にサンドラに捕まえられたようだが、ヴォルフは気付かない。さて、今度はお前の番だ。
何があっても、サンドラを逃がさないようにしっかりやれよ。
感想ありがとうございます。




