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16.歩み寄りました

クライスナー家の部屋にて、アレンはグッタリとソファの手すりにもたれていた。


騎士団詰所より馬車で戻る道中、同車したイリナが怖かった。兎に角怖かった。馬車の扉が閉まった途端に始まった説教に、既に疲労困憊だったのだが、屋敷に着いてからさらに執事に従者に使用人にと謝り通しだった。

心配をかけたというより、自分の立場から迷惑をかけたんだろうなぁと頭を下げ続け、部屋に戻れば風呂に入れられた。

森に入ったから埃っぽかったし、馬で子供を抱えて全力疾走したのだから汗臭い。ガリガリに磨き上げられた後は、イリナ特製マッサージだ。

昔からだが、これはマッサージというより拷問に近いと思う。だいたいアレンが何事が起こした後に必ず行われるので、説教に含まれているのだ。

懲りないアレンもアレンだが。

翌日の体調は良くなるのでマッサージではあるのだが、兎に角痛い。叫んでも容赦なくツボを押されるので、終わった後は叫び疲れやマッサージ中の抵抗で、変に体に力が入って疲れ切ってしまう。

今もひたすら動かず体力回復中だ。


「イリナは私に厳しすぎると思う……」

「何をおっしゃいますか。これ程でなければお嬢様は反省などなさらないでしょう」

「やっぱり説教の意味もあるのね」

「当たり前です。エーベルの領地とは違うのです。今後は裏山にも従者をお付け致します」

「……おぉぅ」

なんてことだ。従者なんか付けられたら、川に入れないではないか。

ただ一人になりたかっただけなのに。

それもこれもヴォルフガングが嘘つきだからだ。

イリナが出してくれる紅茶を恨めしそうに見る。

「ヴォルフ様のせいだぁ……」

「人様のせいになさらないでください。お嬢様が悪いのです」

「だって、ヴォルフ様が嘘つくんだもの。傷ついたわ。私の気持ちに添うような事を言っておいて、ただのクライスナー家の名誉挽回に充てられたのよ。弄ばれたわ」

「昨夜からそれで拗ねておいでなのですね。貴族の婚姻などその様なものです。お分りでは?」

呆れた様なイリナに、アレンは肘掛から体を上げる。


「分かってるわよ!違うのよ、貴族の婚姻が契約政略、お仕事だなんて分かってるわ。最初からそう言われて求婚されるのと、歩み寄ろうとしているように見せかけて、政略(そう)だった場合とでは雲泥の差なのよ」


特にアレンはヴォルフガングに恋をしているのだ。

恋する乙女は、好きな人の言動に一喜一憂してしまうのだから、もっと慎重に行動して欲しいものだ。


「嘘つきな上に人の話聞かないし。なんで私が今更エーベル領に帰らなくちゃいけないのよ。私は何度も結婚しましょうって言ってるわよね?」

「あからさまではありますね。それはそれで淑女としてはどうかと」

「ヴォルフ様、基本的に私の言葉を信じてないんでしょうね。だからずーっと戻る戻るって言うのよ。ひと月足らずとはいえそこそこ信用して貰えてると思ってたんだけど、なかなか道は遠いわ」

「お嬢様の信用に関しては、過去の行いを見ると3割くらいは疑わしいですね」

「……それはもう、反省してるわ。ごめんなさい、もうしないから」

上目遣いでしおらしいアレンに、イリナはやれやれと思う。結局アレンには甘いのだ。

「兎に角ちゃんとお話しないとね。ヴォルフ様もおっしゃってたし、思ってること全部言うわ」

「ほどほどにお願いします」


そうしてイリナと相談しつつ、なんとか立ち上がれるようになった頃、使用人がヴォルフガングの帰りを知らせに来た。

急いで玄関ホールまで向かい、執事に上着を渡すヴォルフガングと対面する。


「お帰りなさいませ、ヴォルフ様」

「……ああ」


ヴォルフガングはアレンと顔を合わせると、一瞬目を逸らす。だが直ぐにアレンをエスコートして食堂へと進んだ。

食堂ではブルクハルトとケヴィンが既に席に着いている。クライスナー夫妻は王都に用事があるということで、朝アルノルトが出立すると同時に、護衛も兼ねて一緒に王都へと向かって不在中だ。

アレンとヴォルフガングが対面するように座ると、食事が始まる。ケヴィンは昨夜同様アレンを睨んでいたが、ブルクハルトの咳払いに、背筋を正して正面に向き直った。

しつこいな。

あら、しつこいところもヴォルフ様と似てるのね。

などと考えながら、静まり返った中で食事は恙無く済まされた。

さて、いつどう切り出されるかとアレンが身構えていると、ヴォルフガングは今度もスマートにエスコートして、そのまま自室へと進む。

マナーに抜けはないのに、何故乙女心は分からないのか。それが不思議だ。

促されるまま長ソファに座ると、彼は斜め横の一人がけソファへ腰掛ける。

いつもより近い距離に少しだけドキリとした。


「アレン」

「はい」

「一人で何処に行っていた?」


あれ?その話をするのだっただろうか。

アレンは首を傾げながらも素直に答える。


「街道の分かれ道です」

「森の?」

「はい」

「そこで子供を保護したのか?」

「ええと、そうですね。あ、そうだわ、あの子迷子だったんですか?神父様には命に別状はないってお聞きしたんですけど、あの子大丈夫でしたか?」


アレンが尋ねても、ヴォルフガングは口元に手をやって何やら思案している様子。なんだろうか、もしかして急に容体が悪化したとか?

アレンの不安そうな表情に、ヴォルフガングは向き直る。

「ああ、いや。大丈夫だ。両親にも知らせは届いているし、すぐ元気になるだろう」

「そうなんですね。よかった」

「……子供は一人だったか?他に誰か、まだ子供がいたりそれ以外にも」

「一人、だったと思います。それ以外は……びっくりして、早くお医者様にと思って慌てていたので、あまり覚えてないんですけど」

「そうか」

なんだろうか。

ヴォルフガングのこの感じ、神父と話した時にも感じた。ただの迷子ではなさそうなのだが。

「ヴォルフ様、もしかしてあの子、迷子ではないんじゃありません?もしかしてなんですけど」

「いや、迷子だ。届けも出ている。一人で行動するのは褒められたことではないが、結果的にあなたのおかげで助かった」

「嘘ではないですよね?」

アレンがヴォルフガングをじっと見つめると、眉がピクリと上がった。

暗に昼間の事を揶揄しているわけだが、この反応はどちらだろう。

疑われて気分を害したか、指摘された事に動揺したか。

「……私は嘘はつかないが。あなたの中で、私はすっかり嘘つきなんだな」

「だって証拠がありますもの」

アレンが頰を膨らませると、ヴォルフガングはため息を吐く。

「昼も言ったが、あれは嘘ではない。あの時私は、あなたの申し出を受けると私自身で決めた」

「クライスナー家の名誉挽回ではなくて?」

「あなたに求婚した後に、詳細を聞かされたのだ。当家でも調査員は出している。だから、兄君に調査書を貰う前には顛末はだいたい把握していた」

なるほど。

では本当に、ヴォルフガングは自分の意思で、アレンを受け入れてくれたのか。それならそうと言ってくれていればよかったのに。やはりヴォルフガングは言葉が足りない。

まあいい。これを踏まえて、なんでも話していける関係を築けばいいのだ。

途端にアレンの機嫌が上昇する。

分かりやすいアレンに、ヴォルフガングの口元が微かに緩んだ。


「ではヴォルフ様は、本当に私を求めてくださったんですね!」

「その言い方は語弊がある」

「間違いではないです!ヴォルフ様がヴォルフ様の意思で、私に求婚してくだったんですもの!私を必要としてくださってる事が重要なんです!」


もちろん、ヴォルフガングがアレンを愛してくれているなんて、そんな勘違いはしない。


自分から役に立つと言ったのだから、貴族の責務としてというのは分かっている。

ただ、名誉挽回だけは嫌だったのだ。家名の回復と言われるより、貴族の娘としてでも"アレン"自身を求めてくれる方がずっといい。

「あ、でしたら本当に嘘ではないのですね。申し訳ありません。嘘つき呼ばわりなんて失礼なことを」

「構わない。誤解が解けたのならそれでいい」

「でも私、あんな所で……そうだわ、マティアス様もいらっしゃったのに……」

部下の前で嘘つき呼ばわりなんて、なんてことを。

ヴォルフガングを敬愛しているマティアスだけれど、流石にこれはない。他の誰かだったら、余計にヴォルフガングの評判が悪くなってしまう。

青くなるアレンだったが、ヴォルフガングは気にもしていない様子だ。

「ごめんなさい、私……明日にでもマティアス様にお話ししますわ。ヴォルフ様の名誉を傷つけたなんて、なんてこと……」

「本当に構わない。私の名誉など今更だ」

「いけません!ヴォルフ様は何一つ間違っていないんですもの。私の早とちりでヴォルフ様が傷つくなんてもっての外です!」

アレンが勢いよく立ち上がると、ヴォルフガングは驚いて目を見張る。今にも飛び出して行きそうなアレンにつられて立ち上がり、咄嗟に彼女の腕を引き戻した。

そのままの勢いで、アレンはヴォルフガングの腕の中に納まる。

目の前にヴォルフガングの胸があり、でもその胸にぶつからないように腰を抱かれていて、腕も掴まれている。


(あら?これは、もしかして、今度こそ本当に、抱かれているのでは?)


今ひとつ状況が掴めないアレンだったが、パチパチと二、三度瞬きをし、自由な方の腕でヴォルフガングの背中にしがみついた。

ビクリと背が反応する。離されるかと思ったが、その後の動きがないのをいい事に、アレンはこれ幸いとヴォルフガングを堪能する事にした。

厚い胸板に、大きな肩。腰に回された腕は安心感がある。仕事の後だからか、ヴォルフガングの匂いが強いのも好ましい。

暫くグリグリとヴォルフガングの胸に頭を押し付けていると、背後でイリナの咳払いが聞こえた。

我に返って顔を上げると、困惑気味のヴォルフガングと目が合う。いつの間にか、腕にも腰にも回っていた手が離されて、まるでアレンが抱きついているかの様な体勢だ。実際抱きついているのだが。

状況を理解して、アレンは仏頂面でヴォルフガングに訴えた。

「ヴォルフ様酷いです」

「は?何が……」

「ヴォルフ様が腕を離してしまったら、私だけ抱きついているみたいではないですか。そこはリードして私が離れるまで抱いてくださるか、ヴォルフ様から名残惜しく離れてくださらないと」

「お嬢様、はしたないです」

イリナの制止に、アレンはつい舌打ちしそうになる。流石にこれをしてしまったら、どんな説教が待っているのか分からないからやらない。

唇を尖らせて渋々離れるアレンだったが、目の前のヴォルフガングの体が小刻みに震えて、不思議に思って顔を上げた。

すると。


「ふ、ふふ、はははは!あなたは、本当にっ……!」

大笑いするヴォルフガングに、アレンは呆気にとられる。激しく腹を抱えて笑うヴォルフガングは、昨夜よりもずっと楽しそうだ。

美形の惜しみない笑顔に、ただただ惚けるしかない。やっぱりヴォルフガングの笑顔は素敵だ。

尊い。金貨の微笑み尊い。

ヴォルフガングは暫く声をあげて笑っていたが、静まり返っているアレンに気付く。なにやら黙っている割には目がキラキラしているのは気のせいか。

気恥ずかしげに咳払いをすると、アレンは前のめりで両手を組み合わせている。


「ヴォルフ様、笑った方がずっと素敵です!」

「……そうか」

「はい!普段も素敵ですけど笑うとヴォルフ様の魅力が三割増です!私の化粧より凄いですよ!」

アレンは化粧をすれば、三割増しの美人に見えて普段よりマシだが、ヴォルフガングとは元が違う。力説するとヴォルフガングは噎せた。

もしかすると、ヴォルフガングが噎せるのは笑いを堪えているのだろうか。

咳払いをして、アレンを見つめる。

「ずっと思っていたんだが」

「はい」

「あなたは美しいな」

「は……」

突然の褒め言葉に、アレンは瞬きを繰り返した。これは、社交辞令ではなく……?

「え、あ、あ、ありがとうございます……」

照れるアレンに、ヴォルフガングは優しい微笑みで返す。こんな表情で見られたことなんてなかったから、妙に焦ってしまう。

「ええと、ずっと、というと?」

「最初から。初めて会った時、あなたに微笑んで挨拶された時に美しい人だと思った」

「そ、う、だったんですか」

「ああ。ただ最初は無理矢理私に充てがわれたんだろうと思って腹立たしくもあったし、噂の件もあって外見は美しくても、と思った。誤解だったわけだが」

本心からであろうヴォルフガングの言葉に、アレンは柄にもなく照れてしまう。

昨夜迎えにきてくれた時も、単なる褒め言葉ではなかったのかも。そう思うと、心臓が早鐘を打ち始める。

「あ、ありがとうございます。えっと、腹立たしいとは?」

「いくら問題行動があったとしても、あなたのような若く美しい方が私の相手だとは哀れだな、と」

「まあ!ヴォルフ様は私を気遣ってくださったんですね。でも大丈夫です!私はヴォルフ様で良かったです!というか、ヴォルフ様でなければ嫌です!」

祈るように指を組んで前のめりになるアレンに、ヴォルフガングは一瞬目を見張る。だがすぐに柔らかく笑ってくれた。

微かに照れているような表情がとても好ましい。

「かわいい……」

「は?」

「いいえ!なんでもないですわ」


(いけないいけない。いくら可愛いくても男性に可愛いなんて言ってはダメよね)


けれど可愛いと思ってしまう。

こんなに大人で立派な体躯で男らしい美形な男性なのに、ヴォルフガングは可愛いらしい。胸がキュンキュンする。

恋の欲目か、それでも構わないからもっといろんな顔が見たい。

「ヴォルフ様、やっぱり会話する事が大事です。思ったことはちゃんと言いますから、ヴォルフ様もお話してください」

「ああ、本当に不満があったらなんでも言ってくれて構わない。できる限り対処する」

「はい、ありがとうございます。あ、でも言いたくないことは無理して仰らなくても構いません。誰だってそうですし、特に男性はありますでしょう?父も兄もそうでしたから、そこの所は弁えております」

父など特にそうだ。あれは言わなさすぎて、裏で話が回っているのでよくない。政治手腕を家庭内に持ち込むのはやめて欲しい。

アレンがにっこり笑うと、ヴォルフガングは暫く考えて小さく頷いた。


「そういうわけで、もう少しお話してもいいですか?」

「構わない」


ヴォルフガングがアレンをソファに促して、漸く二人は落ち着いた時間を過ごすのだった。

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