15.怒られました
「隊長、昼ですよ〜休憩しましょうよ」
「そんな時間か」
騎士団の隊長用執務室にて、書類を見つめるヴォルフガングにマティアスが呆れたように声をかける。
朝から書類仕事に精を出していたおかげで、溜まった山のような書類は半分ほど無くなったが、仕事の捗り具合とは逆にヴォルフガングは心ここに在らず、といった様子だ。
昨夜から、アレンの様子が気になっていた。
ケヴィンとのダンスの後で、すぐに自分の隣に来ると思っていたのだ。揉めるのは想定範囲内。いつものようにムスッとした顔で、言いたい事を捲し立てたら直ぐに機嫌を直して笑っていると思っていた。
だが、彼女は来なかった。
途中で立ち止まったアレンを、アルノルトが外へと促し、戻ってからは早々に部屋へ引き上げてしまった。
朝は挨拶だけで、いつものような今日は何をするだとか、何処に行くだとか、前日のダンスの感想もない。それはまあ、昨夜は事が事なので思い出したくもないかもしれないが。
元気も無かった気がする。
目も合わせられなくて、それがなんだかそわそわした。
声をかけようと思ったが、アルノルトの見送りの為に兄妹二人で話しているところに、割って入る訳にはいかない。
そうこうするうちに、出掛ける時間になってしまった。
二人の会話が頭をよぎる。
離れていたので詳しくは聞こえなかったが、アルノルトは戻ってきてもいいと言っていた。アレンは首を振っているように見えたが、昨夜のケヴィンとのやり取りで思う事があったのだろうか。
ケヴィンとの会話も聞こえなかったが、アレンの冷めた笑顔や弟の態度で揉めたのは違いない。
なによりアレンのあれだ。
彼女は笑いながら怒り、ケヴィンの足を思い切り踏み付けていた。あれで揉めてないとは言えないだろう。
しかも、自分で言ったように相手の足を踏んでも、彼女は逆にケヴィンをリードして綺麗に踊りきってしまった。
あれには笑った。
そう、ヴォルフガングは人生でこれほど笑ったことはないというくらい、アレンとアルノルトが席を外した後に大笑いしてしまったのだ。
祖父や両親が呆気にとられるのにも構わず、暫く腹を抱えて笑った。
決してアレンをバカにしたわけではなく、彼女のやる事が気持ちいいと思ってしまったのだ。
およそ貴族らしくないかと思いきや、対面を繕うには抜けがない。マティアスによれば、貴族らしい嫌味が似合ういけ好かない女だ、という。
騎士団に案内した時に、やはりマティアスとも何かあったのだろう。
そういうアレンが、自分に対しては好奇心旺盛な瞳を輝かせていたり、勿体ぶった話し方はせずに直接に、好意的な視線で見上げてきたり。
それを、好ましいと。
求婚した時から思っている。
祖父と両親に、彼女との婚姻をと告げた時に、婚約解消の調査書は受け取った。
確認してみれば彼女になんの落ち度もない。逆にクライスナー家の過失だ。知らされていなかったとは言え、的外れな指摘をしてしまったものだと頭を抱えた。
しかも、アレンは己の弁解さえしなかった。彼女はよく、その人が信じているものが真実なのだと言う。それは、自分の視野の狭さを突きつけられているようで痛い。噂や評判が纏わりつく煩わしさは、自分が一番知っているはずなのに。
同じ事を彼女にした。
贖罪という訳ではないが、アレンをちゃんと自分の目で見て判断する事にしている。
そうした上で、アレンの事は好ましいと思っている。
貴族らしい態度を崩さない時は美しいと思うし、ヴォルフガングに向ける親愛の視線や、屈託無く笑う表情は可愛らしい。
拗ねたり不機嫌になった顔や態度も、子供のようで微笑ましいし、その後の笑顔を思えば、ご機嫌取りだってなんて事はない。
思った事をすぐ口にするけれど、言い過ぎれば謝罪も早いし、二度と同じ事はやらない。なによりヴォルフガングの意思を尊重する。
言いたい事は言うし分かりやすい態度も、察するのが苦手な自分には有難い。
全て引っ括めて、アレンの事を気に入っているのだ。
彼女が信頼を寄せてくれているように、返したいと思う。
だから、今日の彼女の様子は気にかかる。
「隊長、部下にはちゃんと休めって言うのに、自分は休憩忘れるのはなしですよ」
「分かっている」
普段余裕のある時には、騎士専用の食堂で休憩を取るのだが、うっかりしていた為、マティアスが執務室まで食事を運んできてくれた。
食後の紅茶を飲みつつ、ヴォルフガングは集中出来ていない自分に反省する。
いつまでもこのまま燻っていても仕方がない。仕事が終わったらアレンと話をしてみよう。
仕事を再開しようと書類に向き合うと、急な面会だと声がかかった。
伝言の衛兵が戸惑っているのが分かる。
「面会?隊長に?」
「誰だ」
「それが……」
姿を見せたのは、イリナだった。アレンの専属侍女だ。
いつも無表情で冷静な彼女だが、似つかわしくなく青い顔をしている。
「お忙しいところ申し訳ありません。こちらにアレクサンドラお嬢様はみえておりませんか?」
「アレン?来てないが」
ヴォルフガングが答えると、青い顔は更に白くなる。
「どうした?何があった?」
「それが……」
チラリとマティアスを伺うイリナに、気にするなと言うようにヴォルフガングが視線で問うと、観念して告白した。
「申し訳ありません。屋敷にお嬢様の姿が見えず……探したのですが……お嬢様が……屋敷から、いなく、なりました……」
ポツリポツリと話すイリナの語尾が、次第に小さくなる。今にも倒れそうな侍女を、支えるようにマティアスが隣に立った。
イリナの言葉が上手く頭に入ってこなくて、ヴォルフガングは聞き返す。
「なんだと?」
「アレクサンドラお嬢様が、いなくなりました」
いなくなった?
まさか、戻ったのか。
一瞬、朝のアルノルトの言葉が蘇る。
戻ってもいいのだと。それにアレンは頷いたのだろうか。
兄を追って帰ったのか。
そんなことは。
「マティアス」
「はい!」
「すぐに手が空いてる騎士団を収集、何班かに別けろ。捜索を出す。箝口令は敷いておけ」
「はっ!」
マティアスが執務室を出ようと扉を開けると、別の騎士が訪れていたようでぶつかりそうになる。
「申し訳ありません!急な面会ですが、隊長、副隊長にお客様です!」
「っなんだよ!今それどころじゃ……」
「誰だ」
「はっ!シュポア教会のレオポルト神父です!」
レオポルト神父。何故急に面会など、と思うが彼とは別件で何度も会談していた。その件だとすると、重要な内容だ。無碍には出来ない。
「分かった、会議室に通しておけ。私が対応する。マティアスは」
「すみません!それと……」
兵士の遮る声にイラつくが、視線だけで先を促すと、彼は青い顔でビクつきながら続けた。
「アレクサンドラ=エーベル様も、ご一緒です……」
隊長執務室。
その名の通り各部隊長の部屋だ。
アレンがレオポルト神父と共に騎士団に到着し、会議室に通された後、神父だけが呼ばれていた。
神父の言う報告とやらが終わったのか、次はアレンだ。
どこをどう歩いたのか、神父には会わずじまいだった。
執務室は主に事務作業部屋で扉正面に隊長用机、その手前脇にもうひとつ副団長用の作業机があり、中央にソファセットとローテーブルが設置されている。
アレンが恐る恐る室内に足を踏み入れると、いつにも増して眉間に皺の寄っているヴォルフガングと目が合った。
流石にあの鋭い目つきで凝視されると、睨まれているのかと思ってしまう。
それよりも。扉脇に佇む侍女が怖い。物凄いドス黒いオーラを纏って、部屋に入る瞬間から視線が突き刺さる。ヴォルフガングよりも侍女の方を見れないとは。
「どこに行っていた?」
「街道です。隣国との分かれ道のところに」
「一人で?」
「……はい」
多少しおらしさを混ぜつつ、素直にアレンが答えると、ヴォルフガングは一度目を瞑った。次に目が合った瞬間、低い声が響く。
「あなたは自分の立場を理解しているのか。従者も護衛も付けずに一人で出歩くなど、そんな非常識な真似をして何を考えているのか」
「申し訳ありません」
「一人で行動して、残された者の事を考えた事は?あなたの侍女は倒れそうな顔をしてここに来たんだ。あなたに何かあった場合、対処しきれない」
「はい……」
「中央付近の領地でさえ、貴族の令嬢が一人歩きなど許されない。ここは辺境だ。戦地になった場所でもある。危険な事は王都やご実家の領地と雲泥の差だ。あなたに何かあればクライスナー家の責任問題だ」
暫く大人しく聞いていたアレンだが、これにはカチンときた。
言われる事は至極もっともだ。アレンが悪いのも分かっている。拗ねて飛び出したなんて、子供じゃないんだという事も分かっている。
それでも、またかと思ってしまうのだ。
また、家の事情だ。
心配の声ひとつもかけてくれないなんて!
別に心配をかけたかった訳じゃない。結果的にそうなってしまったけど、心配して欲しくて飛び出した訳ではない。
家の事情の婚約だって最初から分かっていたし、昨日改めて明確にされたばかりだ。
だけど、あまりにもそこにヴォルフガングの意思がなさ過ぎて、寂しいと思ってしまったっていいではないか。
一人になって気持ちを整理したいと思ったって、許されてもいいではないか。
それなのにヴォルフガングときたら!
本当にデリカシーのない!
「もう二度と致しません!」
不機嫌な顔でアレンが宣言すると、ヴォルフガングの眉間に更に皺が寄る。凶悪な空気で睨み合う二人に、控えているマティアスの方が青い顔をした。
暫く睨み合ったところで、ヴォルフガングが息を吐く。
「何か不満が?」
「?」
「戻るつもりだったのか?」
顔を曇らせるヴォルフガングに、アレンは不機嫌だったのも忘れて首をひねる。
「何か不満があったのか。昨夜の事は確かに不快だったと思う。弟の暴言を咎めなかった事も謝罪する。あの件に関しては改めて話をするつもりだった。言いたいことがあるなら言っても構わない。私は言ってもらわないと分からない。黙って戻ろうとするなど」
「待ってくださいヴォルフ様。何の事をおっしゃっているのかわかりません」
一人でツラツラと捲したてるヴォルフガングに、アレンは制止をかける。
驚いた。ヴォルフガングの長台詞を聞いたのは初めてではないか。
隣を見るとマティアスも、青い顔をしつつ物珍しそうな顔でヴォルフガングを見ている。
「エーベル家へ戻るのではなかったのか」
「戻りませんよ」
アレンとアルノルトの話を聞かれたのだろうか。アレンがエーベル領へ戻るつもりで、兄を追って屋敷を飛び出したのだと思ったのか。
アレンの即答に、ヴォルフガングは少しだけ目を見開いて、次第に視線が下がる。
顔は見えないけれど、少し耳が赤い気がする。
勘違いを照れている?
初対面時も思ったけれど、ヴォルフガングも人の話を聞かないし思い込みが激しいのだろうか。こんな所で、ケヴィンと兄弟だという実感を得るとは。
暫く俯いていたヴォルフガングだが、多少落ち着いたのか、問いかける声に先程ほどの覇気がない。
「……兄君を追いかける為ではないのか?」
「そんなことしません。私はヴォルフ様の婚約者です。ヴォルフ様と結婚する為にここに残ったのに、何故わざわざ戻らなければならないんですか?」
本気で分からないという顔のアレンだったが、ヴォルフガングはまだ不可解そうだ。
何故こんなに、アレンが戻りたがっているものと、思っているのだろう。
「不満があって出て行きたいのかと……昨夜の件もある。それ以外にも何か」
「不満があるから出て行くだなんて、話し合いもしないうちにそんな子供みたいなことしません。話し合って折り合いがつかなかったら、出て行くのも一つの選択肢ですが。……一人で行動したのは軽率でした。本当に申し訳ありません。もう二度と致しません」
「何故一人で?」
意外としつこい。
原因解明しなければならないのは職業柄だと分かるけど、言いたくないから言わないのに、しつこく尋ねられるとイラッとする。
「誰とも顔を合わせたくなかったんです。一人で考えたいと申しますか、発散したいというか。ヴォルフ様達にもありますでしょ?体を動かして頭をスッキリさせたい時が」
「やはり何か不満があるのではないか?」
「だってヴォルフ様、嘘つきなんですもの」
プイッとアレンが顔を背ければ、ヴォルフガングだけでなくマティアスまで目を丸くする。
「嘘つき、私が?」
たっぷり3分程経過して、ヴォルフガングが口を開く。未だに言われた事に頭が追いつかない。
嘘つきだなんて言われたのは、人生始まって初だ。
「だって、私に求婚してくださった時、ヴォルフ様は私を受け入れてくださるって言ったじゃないですか!それなのに、本当の所はお家事情の尻拭いじゃないですか!これが嘘じゃなくてなんですか!」
「は?」
「私はヴォルフ様が、ご自身の意思で私を求めてくださったと思ってたのに!酷いです!乙女心を弄んでます!」
「………」
また語弊がある言い方を。そう思いながらアレンの言葉を噛み砕く。
確かに自分はアレンの提案を受けると言った。それは紛れもない自分の意思だ。詳細を知らされたのはその後で、結果的にはクライスナー家の事情の為とも取れるが、そこにヴォルフガングの思惑はない。
それをアレンは嫌だと言う。
ヴォルフガングの意思がなければ。
ヴォルフガングに求めて欲しいと言うのだ。
ムスッと頰を膨らませるアレンに、次第に顔が赤くなるのが自分でも分かる。胸のあたりから、ジワジワ這い上がってくる何かがむず痒くて、ヴォルフガングは場違いにも笑いそうになって口を覆った。
「……っ、あなたの言いたいことは分かった。いや、あれは嘘ではない」
アレンはまだじっとりとした視線で見ているし、隣のマティアスは話の明け透けさに微かに頰を染めている。
アレンの不用心さを注意するつもりだったのに、いつの間にか彼女のペースになっている。
これはこの場で話す内容ではないなと、咳払いで切り替えた。
「帰って詳しく聞く。話をしよう」
「分かりました。では失礼します」
「馬車を用意しよう。あなたの乗っていた馬は後で届けるよう手配する」
「ありがとうございます。この度は本当にご迷惑をおかけしました」
まだ納得はいってない表情だが、綺麗にお辞儀して出て行くアレンに、ヴォルフガングは漸く一息ついた。
「……隊長」
「……何も、言うな」
なんだか一気に疲れた気がする。
マティアスに釘を指しつつ、ヴォルフガングは机の書類をぼんやりと眺めた。
とりあえず、これをさっさと片付けてアレンの居る屋敷に戻ろう。
本日二回更新。大雨で出かける予定が潰れたので




