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14.助けました


鬱蒼と生い茂る木々の隙間から青空が覗く。

川のせせらぎに耳をすませながら、アレンはぼんやり流れる雲を見送っていた。





昨夜、あの場は戻って一同に謝罪し、先に休ませてもらった。

自分とアルノルトがいない間に、クライスナー家で何をしていたか知りたくもなかったし、ディナーの準備やダンスで酷く疲れていたのは事実だ。


朝、アルノルトの出立を見送った後、屋敷裏の山に来た。小川と木立がちょうどいい穴場だ。ここは婚約が決まってから敷地内を探索していた時に見つけた場所で、昔はよく釣りや川遊びをしていて懐かしくなったこともあり、たまにここに来ている。

しかし流石は辺境伯家。敷地内だというのに、馬での移動なのだから、どれだけ広大な土地なのか。


イリナには声をかけろと言われているが、敷地内の裏山なので護衛もいらないし、イリナはアレンほど運動に慣れてないから、山登りはきついだろう。


「上手くいかなかったらいつでも戻っておいで。父上も、お前が望まないなら、別に本気で嫁に出そうなんて思ってないからね。ずっとエーベル家(うち)にいても構わないんだよ」

「そういうわけにはいきませんよ」

「いいんだよ。お前は何にも恥じる事なんてないんだから。でも、少しでも後悔が残ると思うなら頑張りなさい」

「……はい」

アルノルトが出立する前に、アレンを気遣ってくれたけど、優しい言葉をかけられても気分は晴れなかった。それどころか、益々落ち込む。


アルノルトを見送った後、ヴォルフガングとは挨拶以外まともに会話していない。

何か言いたいとは思うのだが、なんだかモヤモヤしたものが胸に渦巻いて言葉にできない。


クライスナー家は、面目躍如を望む。

名誉を傷つけた令嬢のフォローをしたい。

アレンとヴォルフガングの婚姻が結べれば、責任を取ったと対外的には円満。


ハッキリそう言ってくれればよかったのだ。

将軍との付き合いだとか、その将軍の希望だとか温情だとか、行き遅れた孫の婚約者だとかその孫に問題ありだとか、余計な情報がありすぎて混乱する。


お互いの家の事情、という点においては同じだ。

ただアレンの言葉を聞いてくれたのか、そうではないのかが引っかかる。

あなたの申し出を受けたい、だなんて。

アレンを認めてくれたようで浮かれていたのに、どうせ落とすなら地面から普通に落として欲しかった。ほんの少し持ち上げてから落とすのとでは、ダメージが変わるではないか。

でもそれは、初恋に浮かれて気付かなかった自分の責任だ。

ヴォルフガングを責めるのはお門違いだし、きっとヴォルフガングは何故アレンに責められるのかも分からない。アレンとしても、ただ恥ずかしくて八つ当たりしたいだけだ。



小川の脇に連なる、大きな岩の上に寝そべったままで足をばたつかせる。

誰もいないのをいい事に、膝から下を小川につけてダラダラしているのだ。バチャバチャと水飛沫があがり、せっかく釣竿を持ってきたのだが、魚が逃げても御構い無しだ。


「本当に、ヴォルフ様は言葉が足りないんだわ!会話しましょうって言ってるのに!中身が全振りで外見にいってるんだもの」


責められないけど、愚痴くらいは言わせて欲しい。

言葉が足りない上に、何より当事者が除け者にされているのが嫌なのだ。

だいたいその外見だって、いっつも無愛想だし、あれから笑ってくれないし。

初めて見たヴォルフガングの笑顔は、破壊力が凄かった。笑ったら素敵だろうなと思っていたら、案の定二度目の落雷にあった。

思い出してはときめくけど、今は同時にイラつきもする。

せっかくの美形の笑顔が勿体ない。

そしてこうやってダラダラしている時間も勿体ない。時は金なり。金を無駄にするとは守銭奴の名折れ。

結局、アレンには塞ぎ込むのは向かないのだ。勢いをつけて起き上がると、ブーツを履いて山の麓に戻る。

休憩させておいた馬に乗り、そのまま従者も付けずに屋敷を飛び出した。








クライスナー家の敷地を出て、小さな林を抜けると農村地帯だ。

広大な畑に密集した民家。作業中の人々を横目に進んでいると、子供達が遠くから手を振ってくれる。

微笑ましく思いながら手を振り返し、のんびり森へと向かった。

そこから西側の隣国方向へ大通りを進むと、正面に森がみえてくる。この森を超えると隣国の国境だ。とはいえ、通り道はなく実際に森を突っ切ることは出来ないから、整備されている北と南に抜ける道を通る事になる。

それぞれ領地を出入りするには、門で検閲を受ける。門の開閉はだいたい朝5時から夜8時程で、門には庁舎があり騎士が在中している。


(この森正面から突っ切れば時間短縮なんだけど)


ヴォルフガングと街を回った時は街道と門までこれなかったが、調印式の前に一度だけ訪れた。もちろんその時はヴォルフガングも一緒に馬車でだったが、現場を見て、なんとなく違和感を感じるのだ。

大きな森が塞がっているのだと思っていた。だが、よく見るとそこそこの大きさの森が二つ、隣り合っている様に見える。


(この中心あたりで道を開けないかしら。上手くいけば早朝に出て、昼過ぎには国境まで行ける様になるんだけど。でも森を切り開くとなると、まずは生態調査が必要よね)


いざ開発を始めて、熊や狼の被害にあっては堪らない。そもそも絶滅危惧種がいれば保護区にするべきだ。

下手に森を開いて、住処を追われた動物が農村地区に出てしまうと、たちまち害獣になってしまう。

開拓するなら、ある程度共存できるあたりまで。馬車二台が離合できる幅ぶんといったところか。

左右の森の中心あたりで馬を降り、森の外から中を見る。

暫く悩んだ後、アレンは中に足を踏み入れた。何度か背後の馬を確認しつつ森の中を進む。

街道との境界付近は芝生程度の雑草の高さだが、次第にアレンの太腿あたりまで草が生い茂り行く手を阻む。

(テグス?持ってくるべきだったか。灯りは必要なさそうね。思ったりより歩きやすい)

上を見上げると、木々の間から光が十分差し込んでくる。

やはり違和感は拭えない。


振り返るとギリギリ馬が見える位置。そろそろ戻ろうと踵を返すと、背後で草が擦れる音がした。

ガサリガサリと音をたて、硬直したアレンが体を無理やり音の方へ向けると、腰の辺りに衝撃が走る。

「ぎゃあ!なにっ……!?」

「あっ……!」


叢から飛び出してきたのは、小さな子供だった。迷子だろうか。顔色が悪い。服は多少汚れているが、獣に襲われた痕跡は見えない。

「ぁ、あ、……あ」

「ど、どうしたの?なんでこんなところに?あ、迷子?お父さんとお母さんは?」


アレンがと目が合うと、子供の大きな緑の目から涙が溢れてくる。余程恐ろしいめに遭ったのか、ひとしきり泣くと、プツリと糸が切れた様に崩れ落ちた。


「ギャー!なになに!?どうしたの?!死んでない?死んでないわよね?!と、取り敢えず医者!警察!」


この世界、警察はいないのだけど。

動揺していたアレンは、子供を抱えると急いで馬を走らせた。







農道まで戻ると、作業を終えた人々が、凄い勢いで走ってくるアレンと馬、その腕に抱かれている子供に注目する。


「誰か、お医者様いませんか!?」


「どうしたんだいお嬢さん、その子は?」

「迷子みたいなの!倒れてしまって」

馬上からアレンが叫ぶと、作業姿の女性や子供も集まってきた。それぞれ顔を見合わせている。

「この辺に医者はなぁ」

「教会に行った方が速いわよ。医者とまではいかないけど、救護院も兼ねてるから」

「ありがとうございます!行ってみます!」

教会ならば行ったことがある。婚約調印式でお世話になった。腕の中の子供を抱え直し、アレンが手綱を引き直すと横から声がかけられる。

「ちょっと待ったお嬢さん!連れてってやるよ!」

集まった農夫の中から、年配の男性が手を挙げる。その傍、少し若い男性が荷車を引いて馬を準備していた。

「でも、お仕事中でしょ?」

「女一人で子供を抱えて馬を走らせるなんて、そんな事させられねぇよ。荷車で乗り心地は良くねぇが、あんたがそっちに乗って子供を抱いて支えてやるといい」

「いいんですか!?だって、私……」


言ってしまえば、アレンは余所者だ。見ず知らずの、身元も分からない女性の為に、手を煩わさせるのは気がひける。


「困った時はお互い様!ホラさっさと乗りな!あんたの馬は息子に引かせるがいいよな!?」

「はい!お願いします!」

お礼を言い、荷車に乗り込むアレン。子供を支えるように抱くと、横から銅の水筒が差し出された。

男性の妻だろうか。女性が心配そうに顔を覗かせている。

「これ持ってって。飲まなくても、濡らしてあげるだけでもいいから!」

「ありがとうございます!」

「さあ行くぞ!」

アレンの馬に乗った青年が、先に走り出す。その後に動き出す荷車は、簡素な馬車といってもいいほど安定していた。多少揺れるがそこは馬と変わりない。それより、一人で子供を抱き抱えるよりずっと心強い。


走り去る荷車と馬を見送りながら残された人々は首を傾げる。

「それにしても、あの子誰だい?」

「さあ?」

「凄い綺麗な子だったね」

「領主様んとこのお嫁さんだったりして」

「まさか。お一人で出歩いたりしないだろ」

「そういえば、銀の悪魔が街で女の子といるの見たって聞いたけど。黒髪だったような……」

「まさか」

「まさかぁ……」












「たのもー!」

子供を抱きかかえたままアレンが教会のドアを勢いよく開くと、誰もいない中、祭壇の前にいたシスターが驚いて振り返る。

「え、ど、どうなされたので……」

「この子!迷子みたいなんです!弱ってて、倒れちゃって!救護院もかねてるからって!」

「あ!先触れの方ですね!こ、こちらへ!」

アレンの馬に乗った青年が先に飛び出していたが、教会への先触れの為だったらしい。

状況を理解したシスターは、脇の扉へアレンを先導すると、細い廊下を通り小部屋に入る。


備え付けのベッドへ子供を寝かせて、彼女は人を呼びに行った。


(熱はないわね。呼吸も普通。弱ってるだけかしら?何か分からない病気とか…。だいたいなんであんなとこにいたの?両親は?まさか捨て子?誘拐なんて物騒な話じゃないわよね…)




アレンが考え込んでいる間に医者らしき人物が呼ばれ、彼女はシスターに促されて別室で待機となった。

一緒に連れてきてくれた男性達はどうしたのだろう。一人で椅子に座り、キョロキョロと周りを見回していると、いつの間にか目の前に壮年の男性がいて、紅茶が出されていた。

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

「いいえ。こんなに早くまたお会い出来るとは思いませんでした。アレクサンドラ=エーベル様」

「え」

「クライスナー家の御婚約者様が、お一人で、従者も護衛も付けずに歩き回るのは、感心しませんね」


にこやかに微笑むのは、白髪を整え修道服を身に纏った細身の男性だ。

アレンはこの人物と会ったことがある。

神父だ。ヴォルフガングとの婚約調印式に立ち会った人物だ。その節はお世話になりました。


「……ええと、急な事でしたので」

「ええ、大変急なことですが、ご自身の立場をお考えになっていただかなければ。従者方はどうされたのですか。ご心配なさるでしょう」


これは、一人で出てきたのだとは言えない雰囲気だ。

愛想笑いで誤魔化すアレンに、神父は溜息を吐くと立ち上がる。

「お送りしましょう。お話もございますし」

「いえ、馬があるのでお気遣いは……」

「お送りします」

「はい……」


微笑む神父の顔は穏やかだが笑ってない。

説教コース確定だ。

遠い目をするアレンを伴い、神父は用意された馬車へと乗り込んだ。



「ご詮索は致しません。子供を助けてくださりありがとうございました」

「あの、大丈夫なんでしょうか。怪我や病気は」

「ええ。衰弱はしておりますが重症ではないと。暫くは安静ですが、ご両親にも連絡させていますので、すぐに対面できるかと」

「……両親、いるんですか?どこに?迷子だったんですか?」


馬車の中、対面に座る神父にアレンが疑問を口にすると、神父は微笑みを絶やさないけれど微妙に眉が下がった。

迷子ではないのか。ではもしかして……。

なんだかきな臭くなってきたぞ。

「そうですね。無事に見つかって良かったです」

「そうなんですね。ご両親も安心ですね」

「ええ、本当に」


心底安心した表情の神父に、アレンも緊張を解く。

どうやら、捨て子や虐待ではなさそうだ。

一息ついて馬車の外を見れば、屋敷への見慣れた風景ではない。これは何処へ向かっているのか。


「あの、神父様。どこに」

「今回の報告もしたいので」

「いやあの、ですからどこに」

「騎士団です」

「騎士団」

「はい。隊長殿に事の顛末をご報告に」

「騎士団……」



詰んだ。

よりによって騎士団とは。

この国には警察がいない。代わりに騎士団が相応の仕事を担っている。

迷子ならば迷子届が出されていたのかもしれない。


ヴォルフガングの眉間の皺が安易に想像できて、アレンは更に遠い目をするのだった。

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