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12.褒められました

アルノルトを部屋まで送った後、アレンはヴォルフガングの私室を訪れていた。ケヴィンの姿はなく、ソファに座って対峙する二人。ケヴィンからは先に話を聞いたようだが、さて、彼はどんな言い訳をしたのか楽しみでもある。

アレンがワクワクしていると、ヴォルフガングは改めて確認する。

「怪我はないのか?」

「はい。ありがとうございますヴォルフ様!ヴォルフ様が抱きしめてくださったお陰でどこも傷めてません!」

「また語弊のある言い方を」

「いいではないですか。嬉しかったんですよ」


上機嫌でお礼を言うアレンに、ヴォルフガングは呆れたように息を吐く。

「それで?」

「兄を部屋まで送っているところで、クライスナー様にお会いしたので、ご挨拶と兄の紹介を」

「それだけであんな事態に?」

「すれ違いざまに引き止められそうになったので躱したら、自分で足を滑らせました。なので、彼に何かされたというわけではありませんよ」

下から見たヴォルフガングには、ケヴィンに何かされたように見えたかもしれないが、そこは誤解である。ケヴィンの事は気に入らないが、状況は正しく伝えておきたい。

「躱した?」

「はい。肩を掴まれそうになったので。いくらヴォルフ様の身内でも、ヴォルフ様以外に触れられるのは嫌ですからね」

「……そうか」

歯切れの悪いヴォルフガングにピンときた。そこの部分は説明してないな。楽しそうな顔をするアレンに、ヴォルフガングは嫌な予感がする。どうにもまた、やり込められそうな気がするのだ。

「情報のすり合わせは大事です。彼の説明をお聞きしても?」

「呼びとめたら落ちる瞬間だったと」

「呼びとめられただけで落ちるわけないじゃないですか。私が一人で足を踏み外したら、隣に兄がいたわけですし支えてもらえます。それに後ろ向きで足を踏み外すってなんですか?普通に振り向いてバランス崩したりしません」

呆れた顔でアレンが言う。

「そうだな」

「この場合どう呼びとめたかが問題なんですよ。まあ状況説明だけとするなら、概ね間違ってはいませんが、些か正確さに欠けますね。騎士として現場の詳細な報告は必須だと思いますけど?」


ほら来たな、とヴォルフガングは思う。


けれどこれがアレンの通常運転で、責めているわけではないのだと、ここ二週間ばかりでもう理解している。

「ヴォルフ様のご兄弟ですからあんまり言うのは告げ口みたいで嫌ですけど、あの方ちょっと思い込みが激しいというか、正確な状況判断とか人の話を聞くってしませんよね」

「本来根は素直で、女性に無体を強いる性格ではないのだが」

「えー?それでまた淑女に許可なく触れようとするんですか?いくら納得していない兄弟の婚約者とはいえ、認識が甘くありません?」

「また?」


おっと、そこに引っかかるとは思わなかった。

どうしようか。これをいうのは過去のことを穿り返すようであまりよくないと思うのだが。

無言で続きを促すヴォルフガングに、アレンは観念する。報告、連絡、相談は大事だ。


「卒業パーティーの断罪式で、観衆の前に引きずり出されました」

「断罪式……」


ヴォルフガングは、はあーっと今までにない深い溜息を吐き出しながら眉間を摘む。

「すまない。女性に乱暴を働くとは。教育しなおす」

「構いません。彼ももう成人してる立派な騎士です。ご自分の行動の責任はご自分で取られるでしょう。それに、いつまでもヴォルフ様が尻拭いするわけにもいかないでしょう?」

どうもヴォルフガングは、ケヴィンに甘いとアレンは思う。彼の言う教育は、騎士団員に言わせれば地獄のシゴキになるので全く甘くないのだが。


「自分に降りかかる火の粉は自分で払います。気にしてませんので、怒らないでやってください。死にそうなお顔をされてましたよ」

ヴォルフガングが相当恐ろしかったのか、尊敬する兄の目前での醜態を恥じたか。あんな顔をされては、同情すまいと思っていたが多少可哀想かな、とは思う。

それにやり返すなら自分でやる。靴先をヒールで踏む目標は捨ててない。

「多少落ち着いたと思ったが」

「学園で色んな方とお会いして、ある意味成長したのではないですか。まだまだ成長中かもしれません」


本当に個性豊かな様々な人間がいたからなぁ。

主にヒロインと出会って色ボケしたのも事実。まあ恋に盲目になるのは、今やアレンも人の事はいえない。


「調査書を見ても納得しないのがな。頭が痛い」

「人は信じたいものを信じるものですよ。私は卑劣で非情で傲慢な悪女なのです」

誇らしげに茶化すアレンに、ヴォルフガングは困ったように眉を寄せる。

「あなたはそうではないし、実際違う」

「分かりませんよ。これからそうなるかも」

「これからなる事と、やってもいない事実を歪曲される事は違う」

「え、ええと?そう、ですね……?」

あら。あらあら。

これは、相当信用して貰っているのではないだろうか。

真正面から告げられるヴォルフガングの言葉に、アレンは気恥ずかしくなる。嬉しいけど、嬉しくて落ち着かない。

頰を染めて視線をウロつかせるアレンに、ヴォルフガングは提案する。

「弟は二、三日滞在する予定だ。何かあれば教えて欲しい」

「はい。必ず相談させていただきますね」

アレンがにっこり笑うと、ヴォルフガングは頷いた。


「部屋まで送ろう」

「ありがとうございます。そういえば、今日のディナーは、兄の滞在に合わせて計画してくださったのでしょう?喜んでおりました」

「本来ならこちらから王都へ赴いて、晩餐会でも行わなければならないところだ。たいしたもてなしも出来ずに申し訳ない」

「構いません。こちらのお仕事の方が大事です。私も早く領地に慣れたいですし」

楽しげなアレンに、ヴォルフガングの表情も和らぐ。

初対面時に比べたら、随分と穏やかな顔をする様になったな、と思う。無表情だったり、眉間を寄せやすいので機嫌が悪いのかと勘違いしやすいが、目付きが鋭いだけで本人は至って普通らしい。


(まだ笑ってはくださらないけれど)


その日も近いかな、とアレンは期待している。




アレンの部屋の前で別れる時に、ヴォルフガングが思い出したように切り出した。

「ああ、ドレスができた」

「え?」

「今日の為に作らせた。イリナ」

「畏まりました」

「は?」

「ではディナーの時に」

「へあ?」

ポカンと口を開けるアレンをそのままに、ヴォルフガングは去って行く。

「お嬢様、中へ。ドレスを試着いたしましょう」

「は?へ?ドレス?」

「お嬢様、顔」


アレンがイリナに促されて部屋に入ると、ローテーブルの上に大きな箱が置いてある。そうっと箱を開けると中には青いイブニングドレスが鎮座している。

イリナは皺にならないように、丁寧にドレスを掛けると、アレンを急かすように向き合った。

「ヴォルフガング様が仕立ててくださいました。サイズは正確にお伝えしておりますので大丈夫だと思いますが、そろそろ支度しないと間に合いませんね」

「ちょっと待って!いつの間に?聞いてないわ!」

「伝えておりません」

「なんで?!教えてくれてもいいじゃない!」

「その方が面白いので。ご不満ですか?」

「面白いってなに!?嬉しいわよ!でも、だって、こんなの不意打ちよ!」


ヴォルフガングと婚約する事になって、今日までそんな色っぽい話はなかった。ブレスレットを貰っただけでも飛び上がりそうになったのに、いつの間にこんな物を用意していたのか。

しかも日数的にも急がせただろう。

真っ赤になって動揺するアレンに、イリナはほくそ笑む。婚約の話が決まり、正式にイリナを紹介されてからすぐにヴォルフガングに呼ばれた。

ドレスを仕立てるから彼女の好みとサイズをと言われて、無表情のイリナも内心ガッツポーズしたものだ。

おそらくクライスナー夫人の入れ知恵だろうが、この際そんな事は二の次だ。

案の定、喜びでのたうち回っているアレンが微笑ましい。

カマをかけたりワザと侮辱したりと、およそ女性に対する態度ではないうえに、プロポーズが馬車の中。しかも明らかにお互いの利害に乗っ取ったもの。会話もおよそ甘いとは言い辛く、ヴォルフガングに対しても一種の残念さを抱いていたのだが。

イリナにとって、結果的にアレンが喜ぶのならなんでもいいのだ。






久しぶりにがっつり磨き上げられて、アレンは既にヘロヘロだ。

慣れない事はするものではないとアレンは思うのだが、だったら慣れる為に毎日着飾れとイリナは言うので黙っておく。

髪はこめかみのサイドからハーフアップで綺麗に流し、化粧はディナー用にしっかり施されている。お陰でいつもの三割増しは美人に見える。

ヴォルフガングに贈られたドレスは深い青の鮮やかなドレスだ。お飾りも靴も、合わせて新調してあるので金額が頭の中をチラついて落ち着かない。相当良いものを贈ってくれたようだ。

アレンが何度も、鏡の前で自分の姿を確認していると、ヴォルフガングの迎えが告げられた。

テールコート姿のヴォルフガングが扉の向こうにいる。深い青にも見える紺色が、アレンのドレスと合わせたようだ。


お互い無言で見つめ合い、居たたまれなくなったアレンが視線を逸らすと、漸くヴォルフガングが褒めてくれた。

「よく似合っている。綺麗だ」

「ありがとうございますっ……!ヴォルフ様も素敵です!偶然ですね、色がペアみたいです、なんて……」

「あなたのドレスに合わせた」


サラリと言われたセリフに、アレンは微笑んだまま表情が固まった。次いで真っ赤になる。

ストレートに褒められる事が、こんなに恥ずかしいとは思わなかった。ヴォルフガングは他意なくそれをやってのけるのだ。始末が悪い。

そもそも、アレンは褒められ慣れていないのだ。

地味に目立たず騒がず着飾らず。

お下げ髪に薄化粧、伊達眼鏡、地味なドレスで褒められる方が珍しい。公共の場に元婚約者と出る時も、社交辞令さえおざなりだった。まあその元婚約者も、いつの間にかアレンをエスコートしなくなったのだけど。

ヴォルフガングの賛辞だって社交辞令だと分かっている。貴族はまず最初に、褒めるのが挨拶だ。

それでもこんなに心臓が早鐘を打つのは、ヴォルフガングに言われたからだ。


(ヴォルフ様、本当に少しだけでもヴォルフ様には綺麗に映っていたらいいのに)


社交辞令など言わないヴォルフガングが、本心から言ったのだとアレンは知らない。

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