11.抱かれました
婚約しました!
おめでとう私!
ということで、アレンがヴォルフガングに求婚された二週間後、クライスナー領の教会で婚約調印式が行われた。
出席はアレンとヴォルフガング、クライスナー夫妻にブルクハルトとアレンの兄アルノルトだ。
どれだけ早馬で飛ばしても、クライスナー領まで二日、女性と子供の乗る馬車だと四、五日はかかる。
今回は婚約調印式のみなので、エーベル家からは代表してアルノルトだけが参加する事となった。
教会で調印して、それから王に報告、認められれば晴れて正式な婚約だ。ほぼ認められないということはない、形式的なものだ。
アレンの当初の予定は、ヴォルフガングとの顔見せがつつがなく終われば一旦王都へ戻り、準備を整えてから再度クライスナー領を訪れるというものだった。
だが、ヴォルフガングから正式に婚約を申し入れられたと知ったクライスナー家の提案で、そのまま残る事にした。
元々戻るつもりも無かったし。
エーベル家でもそのつもりだったのか、調印式に合わせて訪れたアルノルトと一緒に、アレンの私物一式が届けられた。婚約解消調査書と一緒に。
アルノルトがにこやかに微笑みながら差し出すものだから、自分で依頼しておきながら皮肉めいた祝いだなと、アレンは冷や汗をかいた。
ヴォルフガングは普通に受け取っていたので、アレンの悪評含めて受け入れてくれたのだと思う。
まあ評判といえばお互い様だ。
なんせ銀の悪魔と放逐された悪役令嬢である。
住処は敷地内の別館になる。
まだ婚約者だが、一応新婚だ。クライスナー家の屋敷に比べれば小さいが、それでも二人にしたら十分広い。現在急ピッチで改装がされている。ヴォルフガングが家督を継いだら、クライスナー夫妻と交代することになるそうだ。
ヴォルフガングといえば、求婚の翌日にアクセサリーをくれた。一緒に行ったアクセサリーショップで、アレンが石を気に入っていたブレスレットだ。
「あなたの好んだ物そのままで芸がないが。正直私はこういう事に疎くて分からないが、その石はあなたに似合うと思う」
アレンが選んだ石はガーネットだ。赤い宝石だ。要するにヴォルフガングの瞳の色だ。
ヴォルフガングに言われて、アレンが飛び上がるほど喜んだのはいうまでもない。
アレンの言葉を受け入れて、更に赤い宝石が似合うと言ってくれたのだ。喜ばない訳がない。
思いもよらない贈り物に、プロポーズの事がどうでも良くなってしまう。
プロポーズ。そう、プロポーズだ。
アレンとしても、馬車の中、あの状況で何故今なのかと惜しい気持ちはあったのだ。
今まで殆どそういった事に関心がなかったのに、ヴォルフガングに恋をしてから、場所やムードやシチュエーションが気にかかるようになったので、自分も人並みの感性を持っていたのだなあとアレンはしみじみ思う。
クライスナー領に来てから、アルノルトが訪れる迄の事を簡潔に説明しながら、二人はアレンに用意された客室でお茶を飲んでいた。
「お兄様、明日には帰ってしまうのですか?」
「うん。仕事もあるし、調印式は済んだしね。お前が無事に婚約できて良かったよ」
「殆ど想定内でしょう?お父様とお兄様の中では」
斜め向かいに座って紅茶を飲むアルノルトに、アレンは呆れたように笑う。
「そうでもないよ。お前はともかく相手は分からないからね」
「それ、私はヴォルフ様に惹かれるって分かってたんですか?」
「隊長殿のことは一度お見かけした事があったからね、ほぼお前の好みだろうなぁと。ただ年が離れているし、隊長殿は分別ある方だから」
己の境遇を鑑みても、六つも年下の娘に手を出すかは分からない、と。
「そこは私の功績ですね!売り込みましたから」
「年頃の娘が売り込みなんて、明け透けに言うものではないよ」
相変わらずの妹に、アルノルトは苦笑する。
「お兄様はヴォルフ様とお会いしたのはその一度きりですか?噂の事は知ってらしたのに、あまり恐れてはいないのですね」
「前はお見かけしただけで、実際会って話したのは今回が初めてかな。見た目は確かに威圧感があるけど、粗野ではないし何より高価そうだなぁと」
「ですよね!」
この兄妹は……。
ソファの後ろで控えるイリナの目が、死んだ魚の目のようになる。
「そもそもね、人の噂だけで判断していてはエーベル家ではやっていけないよ。鬼将軍なんて呼ばれてるブルクハルト様だって、僕ら可愛がって貰ったし人の良い方だしね」
「え、そうなんですか?」
「サンドラは覚えてないかな。父上が騎士時代に将軍にお世話になってて、うちにお招きした事もあるんだよ」
兄妹の父アルベルトは、若い時騎士団に籍を置いていた。戦中の負傷により除隊してしまったが、名を残す程度には優秀であった。命に別状はなかったが、今でも左肩に傷が残っている。
その父が騎士時代に、ブルクハルトと懇意にしていたそうだ。
「サンドラは5つくらいだったかな。ブルクハルト様は男孫だけだから、お前のこと大層気に入って可愛がってくださっていたよ」
「全く覚えておりません」
「まああの頃ちょうどサンドラは、木に登ったり川に落ちたり落馬して頭を打ったりしていたからね。ショックで覚えていないのかもしれないね」
「過去の失態をサラッと抉るのはやめてください」
5つといえば、前世を思い出した前後だ。アルノルトの言うように、頭を打った衝撃で記憶が曖昧になっているのだろう。そもそも5つなんて、そんな年頃に起こった事を、詳細に覚えていられる訳でもない。
なるほど過去に会った事があるのか。そして目をかけて貰っていたと、そうすると今回のこの話も意味合いが違ってくる。
「ブルクハルト様の真意はどうであれ、味方が多いのは良いことだよ。ここがこれから、お前のホームになるんだからね。大丈夫かい?」
「ええ。尽くし甲斐がありそうです」
ヴォルフガングにも、領地にも。
「それは何よりだ。隊長殿は誠実な方のようだから、頑張るんだよ。ああ、あまり追い詰めないようにね、男女の事は特に。時には白黒ハッキリさせない事も必要だからね」
「分かってます!」
つい先日やってしまったばかりだったが。
これについては、ヴォルフガングとの話し合いも必要だ。
「さて、じゃあそろそろ戻ろうかな。帰りの準備もあるし」
「部屋まで送りますわ。夕食はご一緒でよろしいのですよね。婚約のお祝いに少し豪勢にするんですって。お兄様の帰還に合わせたそうですよ」
「ああ、ありがたいね。こっちは食べ物が美味しいからね。王都も十分だけど、鮮度かなぁ」
「それでしたら輸入品の関係もあるかもしれません。隣国からの珍しい野菜や果物があって……」
二人並んでアレン用の客室を出ると、玄関ホールから騒めきが聞こえてくる。
ヴォルフガングが帰ってきたのだろうか。その割にはまだ時間が早いようだが。
階段を降りる前に、踊り場の陰からチラリとホールを覗き込むと、使用人が玄関にいる人物を出迎えている。
「お帰りなさいませケヴィン様」
(うげっ!ケヴィン!)
ホールで使用人に迎えられ、クライスナー家の次男であるケヴィン=クライスナーが現れた。
何しに帰って来たのだ。
確かにここはケヴィンの実家でもあるから、帰ってくるのは当たり前なのだが、卒業してからケヴィンは王都の騎士団に入団した。
新人のうちは、貴族も平民も同じカリキュラムで動いているので、集団での寮生活、週五勤の二日休みが規定。そう簡単に自由な休みは取れないはずだ。
「流石に身内の婚約祝いには帰るかもね。隊長殿は後の辺境伯でもあるし」
「結婚式でもないのに?婚約パーティーはありませんよ?」
王都のタウンハウス在住であれば、婚約パーティーを行って客を招いたりもするが、なんせここは辺境。往復にも時間がかかるし、調印式と報告だけで簡素に済ませた。
そのかわり、結婚式は盛大にする予定だ。
「慶弔休暇がないわけではないからね。普通に兄弟へのお祝いか。まあこの婚約に物申すってとこかなあ」
「あきらかにそっちですよね」
エーベル家でもクライスナー家でも、ケヴィンがヒロインの取り巻きだと言う事は判明している。
卒業パーティーの、あの捏造罪による糾弾も明らかだ。
クライスナー家では、アレンとヴォルフガングの婚約の事はどうケヴィンに報告するのかと思っていたら、ブルクハルトの鶴の一声で手紙一枚の事後報告で終わってしまった。どうやら、ヴォルフガングに渡した婚約解消調査書とは別に、クライスナー家でも独自に調査していたようだ。
それはそうか。お見合いには釣書、身上書は必須だ。
アレンと対面した時には、まだヴォルフガングにも知らされていなかったのは意図的な物を感じるが、彼は両家の調査書を確認して、庭園でのアレンの皮肉に納得していたようだ。
というか、端から眉唾物だと思っていたらしい。
カマをかけられたのだと、後から気付いた。
彼はそういった腹の探り合いは苦手だと思っていたのだが、流石は跡取りというところか。
惚れ直した。
そうこうするうちに、ケヴィンは階段を登ってくる。それはそうだ。私室は客室と同じ二階にあるのだから。
いきなり狼藉は働くまい、とアレンがそのままアルノルトを伴って進むと、階段を登りきったケヴィンが角から現れた。
ぶつかる前に、暫し三人で立ち止まる。
目の前のケヴィンは卒業パーティーの頃よりは少し髪が伸びて、端整な顔つきになっていた。だがその表情は、ポケッとアレンを見つめているだけで、ただつっ立っている。
(いきなり現れたから驚いてるのかしら。まあ物申す相手が初っ端の登場ですものねえ)
「お久しぶりです、クライスナー様。お帰りなさいませ」
自分もクライスナーになるのだからと迷ったが、今はまだ婚約者、学園にいる時と同じ呼び名にした。
にっこり微笑むアレンに、ケヴィンはまだ呆けた表情のままだ。
「……え、あ」
「ご紹介いたしますね。こちらは兄のアルノルトです。今回の婚約調印式にエーベル家代表で王都から来てくれました」
「初めまして、アルノルト=エーベルです」
「あ!は、初めまして。ケヴィン=クライスナーです!……って、おまえ、アレクサンドラ=エーベル!?」
「はい。アレクサンドラ=エーベルですが何か?」
(驚きすぎでしょ)
呆けたケヴィンは言われるままにアルノルトと挨拶を交わし、漸くアレンを見定める。案の定、睨んでくるのは芸がないが、激しく驚いているのは滑稽だ。
アレンに物申したいのは見え見えだが、アルノルトがいるから下手に罵れない、というところか。
なんせアルノルトはエーベル伯爵の跡取りだ。おまけに既に登城して、父の仕事を補佐している次期大臣格。
辺境伯令息とはいえ次男で新人騎士が、暴言を聞かせる相手ではない。
そこの所の分別は弁えているようだ。
「上手いことやったな……」
「お褒めに預かり光栄ですわ。わざわざお祝いに駆けつけてくださったの?ありがたいことです」
笑顔を絶やさずアレンがお礼を告げれば、ケヴィンは更に睨みつけてくる。
顔は似てないけど、こういう表情をするとヴォルフガングの面影があるな、と思う。ケヴィンは母親似で印象が柔らかいのだ。
「兄を部屋まで送る途中ですの。失礼しますわ」
「待て、お前よくもっ……!」
アレンがケヴィンの横を通り過ぎる瞬間、ケヴィンは振り向いてアレンの肩を掴む。掴もうとした。
たが、アレンは咄嗟にその手を避けてしまったから、ちょうど階段の角に踵が乗って踏み外してしまう。
「サンドラ!」
「あ!」
(やばいっ……!落ちる!!)
グラリと揺れる上体に目を瞑る。
過去、落馬した時と同じ衝撃を覚悟したが、いつまで経ってもそれは訪れない。それどころか、硬くて温かい物に包まれているような。
恐る恐る瞼を開けると、至近距離にアレンを覗き込んでくるヴォルフガングの顔があった。普段の二割り増しで厳しい表情をしている。
(うわ、すっごい美形。って、え?あれ?なんでヴォルフ様?)
アレンがぱちぱちと目を瞬かせると、無事だと認識したのかヴォルフガングの表情が和らいだ。前を見据えて、静かな声が響く。
「何をしている」
「あ、兄上っ……」
「何をしていると聞いている」
「あ、あのっ、……」
ヴォルフガングに抱きとめられたままのアレン。どうやら、階段を転がり落ちそうになった所を、ヴォルフガングに助けて貰ったようだ。
片腕?だけで軽々と、アレンを抱く逞しい腕。いつもより近い距離にも、その力強さにもドキドキしてしまう。
(ふわぁ〜ヴォルフ様カッコいい。腕、腕の筋肉が凄い。胸が広い。おっきくて逞しい。助けてくださったのね……!)
暫くボウっと見つめていたアレンだったが、なんだか凍りつくような空気にはたと我に返る。
状況確認の為にチラリとアルノルトを見ると、無言でなんとかしろとその目が言っている。ヴォルフガングに見据えられたケヴィンが真っ青で、今にも倒れそうな表情なのだ。
仕方ないな、貸しだ。
「ヴォルフ様、おかえりなさいませ。助けていただきありがとうございます。もう大丈夫ですから、離していただいてもよろしくて?」
「怪我は?」
「ありませんわ。ヴォルフ様のお陰です、ありがとうございます」
「話を」
「ええ、後ほど説明させていただきますわ。先に兄を部屋まで送ります」
アレンがアルノルトに視線を向けると、ヴォルフガングもそちらを確認する。そうして、アレンから腕を解いて頷いた。
「分かった。ケヴィンは部屋だ」
「……はい」
ヴォルフガングの後に続くケヴィンの背中が、売られていく仔牛のようだ。一度ならず二度までも、淑女に許可なく触れようとしたのだから、同情はすまいとアレンは思う。
(学習能力ってないのかしら。ああ〜それにしても、ヴォルフ様カッコいいわぁ。私の腕の倍は太いのね!胸筋も鍛えられてて素敵!ああ!私ヴォルフ様に抱いていただいたんだわ!やったー!今日は初めて記念日ね!)
「サンドラ」
「お嬢様」
「「顔」」
またもや語弊のある思考とニヤニヤとだらしない表情をするアレンに、アルノルトとイリナの呆れた声が響くのだった。




