10.婚約しました
アレンがマティアスと並んで牽制し合っていると、漸くヴォルフガングが姿を見せた。
薄手のシャツにベスト、体に沿ったパンツと皮のロングブーツ、腰には剣、という出で立ちに、アレンは目を輝かせる。
なんて素晴らしい。
フロックコートも、今日の簡素なスーツも素敵だったけど、こんな運動着でもヴォルフガングの美は損なわれない。流石は神の創った芸術品。
神様ありがとう。
「遅いですよ隊長」
「文官に捕まった」
「あ、やっぱりですか。アレクサンドラ嬢には一通り説明しましたけど、もう小休憩入っちまいましたよ」
マティアスと話すヴォルフガングから目を離せない。どんな格好をしても美形は美形。眼福。
ポーッとヴォルフガングを見上げるばかりのアレンに、マティアスがニヤニヤ笑いながら提案する。
「休憩終わったら軽く指導といきましょうか。アレクサンドラ嬢は待ち遠しいでしょうが、疲れた騎士相手にするより、ご希望の勇姿が見られますよ」
ヴォルフガング愛好者としては認めたけれど、アレン自身が婚約者であることに納得した訳ではないらしい。
揶揄うにせよ、いちいち勘に触る物の言い方をするものだ。イリナに言わせればどっちもどっちだろうが。
「あら、でしたらマティアス様がご指導いただけばよろしいのではなくて?私なんぞのお相手で、さぞかし鈍ってらっしゃるでしょう」
「大変有意義な時間を過ごせたと思っていますよ」
「ヴォルフ様に直接ご指導いただけるなんて、それ以上に有意義な時間はございませんでしょう?ヴォルフ様に比べたら……なんてご謙遜されているではありませんか」
「……実際未熟者でして」
「だったら尚更、これを機に精進なさるべきでは?」
「なにかあったのか?」
にこやかに微笑み合うアレンとマティアスの、言葉の端々に只ならぬものを感じたのか、ヴォルフガングが口を挟む。
「「いいえ、なにも」」
今度は、ヴォルフガングに微笑む二人の言葉が重なる。ヴォルフガングは不思議そうな顔をしたが、すぐにマティアスを連れて場内へと降りた。
ざまーみろ。しっかり搾ってもらえ。
扇子の影であっかんべーをすると、イリナに背中を抓られる。痛い。
小休憩中に始まったヴォルフガングとマティアスの実戦に、館内は僅かに沸き立つ。
両者の立場は普段は指導する側だ。隊長と副隊長が対戦するのは、実は公式試合やデモンストレーション以外は滅多にない。
試合が始まると同時に、チラチラとアレンにも視線が向いている。先程までは訓練中で、大っぴらに話題にできなかったのだろう。
ヴォルフガングは模擬剣を一振りすると、その場で佇む。一方、対面のマティアスは両手で剣を構えている。
暫く無言で睨み合っていたようだが、どちらからともなく試合は開始された。
先に動いたのはマティアスだ。高く飛び上がり頭上から一閃。ヴォルフガングはそれを剣でかわして、すぐ様横に一振りしてマティアスを薙ぎ払う。
受け身をとったマティアスは、息つく暇もなく今度は下から剣を突き上げる。
が、それも少し体をズラすだけでヴォルフガングに避けられる。
(ヴォルフ様カッコいい!素敵!)
「凄いわイリナ!実際観ると大人と子供のお遊びみたい」
「実力的にもそうでしょう」
マティアスが弱いとは思わない。何と言っても国境を守る辺境騎士団の副隊長なのだ。それなりの実力がなければここまでのし上がることはできまい。
実際、彼はそれなりに立派な身体つきであるし、手の厚さや剣さばきも、見学して見ていた他の騎士達に比べると上々だ。
それでも、ヴォルフガングには敵わない。
お互いの素早い剣での攻防と技に、場内に歓声が上がる。ヴォルフガングを讃える声と、マティアスを叱咤激励する声。
「ヴォルフ様、男性には人気があるのねえ」
「力の象徴とも言えますから。いくつになっても、男性は単純な強さに憧れるものでしょう」
「これを外に上手く伝えればいいのにね。いつまでも銀の悪魔じゃ風聞悪いでしょう」
「騎士団の箔を担っている部分もあるかと」
「なにそれ恐怖政治?今時流行らないわ。だいたい優しいヴォルフ様とはかけ離れた政策よね〜。考えたの誰よ、頭悪い」
「お嬢様、言葉遣いが」
「あ!待って、終わるわ!」
肩で息をするマティアスが、最後の一振りとばかりに切っ先を向けるが、ヴォルフガングはそれを軽く弾く。そして、己の剣を大きく振りかぶり、弾き飛ばしてしまう。マティアスの手から模擬刀が離れた。
試合終了だ。
(か、かかかかか、カッコイイイィィィィ!!!)
身のこなしも剣さばきも、同じ人間と思えないくらい美しい。
大きな体躯とは思えぬ素早い動き、動くたびにゆれる上品な銀髪、そこから覗く相手を見据える鋭い眼光、真剣な眼差し。引き締められた唇。
剣を振るう腕の筋肉と、それと連動して上下する胸筋。あれだけ動いても、たいして息も乱さない肺活量。
どれをとっても最高の芸術品としか思えない。
絶対に金貨100枚の価値はある。
頰を染めてボウっと見つめるアレンの方へ、騎士達の群れから二人が歩いてきた。その後をゾロゾロ騎士達も付いてくる。
アレンが無言でヴォルフガングを見上げると、困惑気味に眉を寄せた。
女性にはやはり見せるものではないかと、ヴォルフガングが後悔する前に、アレンは満面の笑顔になり、興奮気味に口を開く。
「ヴォルフ様カッコいいです!凄い!やっぱりお強いんですね!素敵でしたわ!」
「は、ああ」
「剣さばきも素晴らしいです!動きも素早くて狼みたいだわ!素敵!あんなに動いて息が乱れないなんて、訓練してらっしゃるのね。筋肉の動きも素晴らしいの!」
「お嬢様、落ち着いてください」
ニコニコと賛辞を述べるアレンを、場内にいる人間が呆気にとられた表情で見つめる。
騎士団の公開訓練を見に訪れる女性は少なくはないが、ヴォルフガングをここまで褒め称える女性はいない。
なにせ銀の悪魔だ。悪い噂が先行する、実は誠実な上司に、騎士達は日々気を揉んでいたのだが。
やっと現れた婚約者(候補)は、これまた評判の悪い令嬢でどうなることかと思っていたのに、ヴォルフガングやその戦いを、恐れもせずに賞賛するとは。
「気分が悪くなったりは」
「ヴォルフ様の勇姿が見られて最高ですわ。良い物見させていただきました。また見せてくださいね」
上機嫌なアレンに何も言えないヴォルフガングだったが、呑気な声が背後からかけられる。
「隊長、せっかくなんだから、皆んなに紹介してくださいよ」
マティアスが苦笑しながら促すと、ヴォルフガングはやっと動き出した。
「ああ、アレクサンドラ=エーベル嬢だ」
「初めまして。アレクサンドラ=エーベルです。皆さま今後ともよろしくお願いしますね」
余所行きの笑顔でアレンが微笑むと、騎士達は一瞬怯んだが、すぐに騎士の礼を返してきた。
よし、これで騎士団の顔見せも済んだ。マティアスとは根回しとまではいかないが、太い釘を刺しているので、ヴォルフガング愛好者としては働いてくれると思う。
こちらは期待しないが、まあ効果があれば御の字だ。
ヴォルフガングが着替える間に、騎士達と当たり障りのない会話をして、それとなく無害アピールもしてみた。アレンの事を胡散臭そうに見る、マティアスの視線は黙殺する。
帰りの馬車で、アレンはヴォルフガングに騎士団についての説明を受けていた。
夫の仕事場を把握しておくのは大事。
そういえば。
「……ヴォルフ様、私の他に婚約者候補がいらっしゃるんですか?」
「いや、そんなものはないが」
「では、過去にありましたか?私てっきり、私がヴォルフ様の初めての相手だと思ってたんですけど」
アレンが眉を下げて訊ねると、ヴォルフガングが噎せる。語弊のある言い方に、微妙な顔をするヴォルフガング。
「ないが、何故?」
「本当ですか?誰か女性を伴って騎士団の訓練所に行ったとか、その方が婚約者候補だったとか、仕事相手でもそういう人がいたとか」
「いや。あー……一度、訓練所には案内した」
否定しようとしていたヴォルフガングだが、思い出したように呟いた。
「やっぱりいたんですね」
「やっぱりとは」
「マティアス様が」
「……あいつは……」
はあ、と大きくため息を吐き出すと、ヴォルフガングは眉を下げてこちらを見上げるアレンに説明する。
「領地内の伯爵家の娘だったが、正式にというわけではない」
「婚約者候補だったんですね」
「候補ですらない。伯爵との会談の予定が、急遽娘が代理で来た」
伯爵との会談の代わりになるわけでもないので、本人の希望するまま騎士団を案内しただけの話で他意はない。彼女はマティアスを気に入ったようだったが。
それ以前に、騎士達の訓練の気迫に恐怖心が優ったようだ。すぐに領地に戻った後は音沙汰もない。伯爵からは遠回しに候補の打診をされていたようだが、ブルクハルトが握り潰していた。
あくまで候補の打診、だ。婚約の打診ではない。
ヴォルフガングはそういうが、それは伯爵からしたら、ヴォルフガングの婚約者に据えようとしたのではないかと思う。
だいたい伯爵との会談に、娘が来てどうなるというのだ。体の良い見合いではないか。
騎士団を見たいというのも、ヴォルフガングの職場だからだ。興味があるアピールではないか。
貴族間で顔見せ程度のお見合いなんて多々あるし、そもそも社交は見合い場みたいなものだ。モヤモヤするのも勝手だと分かっているのだが。
その件について、ヴォルフガングは何とも思ってないのだろうか。
「それだけですか?その後は?」
「何もない。思い出しもしなかった」
それが証拠だと言いつつ、ヴォルフガングは何故か浮気がバレた弁解をしているようだ。
というか、そういう風に思い至る事自体が初めてで、居心地が悪い。
こちらが特に心にとどめる間もなく、勝手に来て勝手に帰ったのだ。それで痛くもない腹を探られても困る。
「ではやっぱり私が初めてですね!」
「その言い方は語弊がある」
「いいではないですか。初めての経験を二人で出来るなんていいことですよ!」
急に上機嫌になったアレンに、ヴォルフガングはつくづく振り回されているなと思う。
だが確かに、初対面から自分を好ましいというのも、くるくる変わる表情も、物怖じしない言葉も、アレンが初めてだ。
昨夜、アレンに言われた言葉に直ぐに返さなかったのは、考える時間が欲しくなったからだ。
直ぐに追い返すつもりだった。もちろん婚約の話も断る選択しかなかった。
だが、彼女と会話をして、婚約について真面目に考えるという選択肢が生まれた。
家督を継ぐにあたって、屋敷を仕切る女主人は必要だ。跡継ぎの問題もある。どうしても無理なら弟が継げばいいし、養子という手段もあるが、そうしなくていいのなら跡継ぎという責任は全うしたい。
アレンのことは、好きかと言われれば、嫌いではない。今まで接したことのないタイプの人間だから、戸惑ってはいる。
だが、彼女の言うように会話をしても不快ではないし、察するのが苦手な自分には、物怖じせず言いたいことを言うアレンは分かりやすくていい。だからといって、アレンは自分の意見を押し付けないのも好感がもてる。
ちゃんとヴォルフガングと、意思の疎通を行おうとしているのだ。
よくある、恥ずかしくなるほどの賛辞は困惑するが。
正直、愛せるかと聞かれると分からない。女性をそう言う目で見たことがないのだ。
だが、お互いを尊重して円満な家庭を築くことは、出来るかもしれない。
それを望んでもいいのだと、アレン自身が言ってくれている。
お互いの利害が一致するなら、この話を受けてみてもいいのではないか。
「アレン」
「はいっ」
え、今名前を呼ばれたわ。
瞠目するアレンを真っ直ぐに見つめ、ヴォルフガングが続ける。
「昨夜の話だが、あなたの申し出を受けたいと思う」
「……は?い」
突然切り出したヴォルフガングに、アレンは喉の渇きに襲われた。何故今この場所でこのタイミングなのか。
膝に置いた手を握りしめ、アレンはヴォルフガングを待つ。
「私と結婚してもらえないか」
「……っ、はい」
こうして、アレンとヴォルフガングの婚約は正式に調えられる事となった。




