01.破棄されました
「アレクサンドラ=エーベル!僕はこの場を持って君との婚約を破棄する!」
学園卒業パーティーという、華々しい日のパーティーホールにて、会場のど真ん中で突然自分の名前を叫んだ婚約者に、壁の花となっていたアレクサンドラ=エーベルことアレンは目を見張る。
突然の出来事に会場内の人々は静まりかえるが、その静寂とは反対に、自分までの人垣がモーゼが海を割るかのごとく割れるのは壮観だ。
ところで、何故自分はこんな日にこんな場所で婚約破棄を言い渡されているのか。アレンにはまるで心当たりがない。
「はあ。それはいいですけど理由を聞いても?」
「な、ここまできてとぼけるのか!君がクラーラにしていた行いは知っているんだぞ!クラーラを酷く傷つけた罪人め!」
はて、クラーラとは誰だろう。
アレンは暫し首を傾げて考え、漸く婚約者、いや元婚約者か。その元婚約者の隣に、庇われるように肩を抱かれている少女に目がいった。
ピンク色の鮮やかな髪に澄んだエメラルドの瞳。華奢でいかにも守ってやりたくなる、繊細な少女。
正しくヒロインだ。
ああ、これは断罪イベントか。
少女は俯き加減に体を震わせているが、微妙に上がる口角は隠せてない。自分の思い通りにストーリーが進んで、さぞかしご満悦だろう。
ここは乙女ゲームの世界だ。
正確には、日本で発売された乙女ゲームに酷似した世界。
アレクサンドラ=エーベルは、その乙女ゲームの悪役令嬢だ。ついでにいうと、自分が乙女ゲームの悪役令嬢だと知っている、所謂転生者というヤツだ。
アレンが、この乙女ゲームをプレイした事があるという記憶を思い出したのは、幼少の頃。
馬で領地を駆け巡り、落馬して頭を打ったのが原因で、怒涛の回析に目眩を起こしてそのまま三日三晩寝込んだ。
そして目覚めてからも、いつもと変わらず領地を駆け巡っていた。
というのも、アレンがゲームをプレイしたのも一度きり。おまけに友人の付き合いという惰性のプレイなので、特に思い入れもなかったのだ。
二十代半ばで死んでしまったのは多少落ち込んだが、それより新しい人生への展望が優った。
彼女は幼い頃から父について領地を廻るのが好きで、前世の記憶を思い出してからは、領地経営にしか関心がない。
ゲームの様に蝶よ花よと育てられて、傲慢なお嬢様にはならなかった時点で、この世界がゲームに似た別の世界だと認識していた。
だったらやりたいように生きていいのだ。
元々前世はアグリテット農業に片足突っ込んだ、農業家を生業としていた。おまけにモテない独身守銭奴だ。
実家も古くから歴史ある農家で、その割には最新技術や仕組みを取り入れる改革派だ。出来上がった農作物を商品として無駄なく販売し、利益を得る事を追求していた大規模集団農業家兼バイヤーだったりもする。
それなりの規模がある、伯爵家の領地経営に目が行くのも自然な事。
最終的に断罪される悪役令嬢というのは気がかりではあったけれど、ヒロインに対する嫌がらせを公にされた後、四十歳以上も年上の辺境伯に後妻という名の厄介払いに出される程度だ。確か死刑や国外追放、幽閉はなかったはず。
であれば、ヒロインに近づかなければいいだろう。
ありきたりな乙女ゲームだけれど、一応自分の婚約者、エルマー=ブッケルは攻略対象の伯爵令息だ。
アレンはエルマーに惚れてる訳でもないし、所謂政略結婚だから、ヒロインがエルマーを欲しいというのなら喜んでくれてやろう。もちろん、きちんと婚約解消の手続きを踏んだ上で。
と、いう心づもりだったのだけど。
何もしてないのに、まさか断罪されるとは。
15歳になると、貴族の令息令嬢は必ず通わなければならない王都の学園に入学して三年。
目立たず騒がず近づかず。地味にひっそりやりたい事だけやって生活してきたのに、これは何事か。
よく聞くゲームの強制力か。
近づいてもいない相手を傷つける事ができるとは、自分はエスパーが何かなのだろうかと、アレンは呆れて眉間に皺を寄せる。
それが睨んだように見えたのか、ヒロインは怯えてエルマーに抱きついた。
「怖い……、そんなに睨まなくても……」
「クラーラ、大丈夫だ。僕がついてる」
言って、エルマーはアレンを睨み返す。
一体全体何を吹き込まれたのか。エルマーは完全に攻略されているな、等と第三者のように傍観していたら、突然腕を掴まれて前に引きずり出された。
乱暴に腕を引かれたせいで、せっかく結っていた髪が乱れてしまった。おまけにかけていた眼鏡も床に落ちて、レンズが割れている。
どうせ伊達眼鏡だから構わないけれど。
「離しなさい」
「……!ちっ、図太い女だな」
アレンが厳し目に睨め付けると、腕を引いてた男が怯む。ケヴィン=クライスナー。彼は騎士の家系で辺境伯家の攻略対象者だ。この様子では、こちらも立派に攻略されているようだ。
「淑女に断りもなく無断で触れる、マナーも知らない恥知らずに比べたら、図太い方がましよ」
「なんだと……」
もう一度腕を伸ばしそうになるケヴィンを、扇でピシャリと制すると、アレンは目前の二人に視線を戻す。
「茶番は結構。婚約破棄ならお好きにどうぞ。私を罪人と仰るのならそれなりの証拠を出してくださいませ。この事はきちんと両家両親に報告させていただきますので」
目前でべったりとくっ付き、憎々しげにアレンに視線を向ける二人に言い放つ。
すると、エルマーはピクリと引きつった声を上げた。
「ほ、報告とはなんだ!?これは僕達だけの問題だろう!」
「婚約とは家同士の契約です。契約違反には罰則がつきものですよ。これだけの人の前で罪人呼ばわりされた事も付け加えておきますね」
「君はっ……!反省するどころか僕達を脅すのか!」
あー馬鹿らしい。
話の通じない相手との会話は骨が折れる。
前世でもそうだったが、こうなったら逃げるが勝ちだ。
「どうとでも。では二度と会う事もないでしょう。ごきげんよう」
アレンは踵を返すと、颯爽とホールを後にした。背後で何やら叫ぶ声がするが知ったことか。
自家の馬車に乗り込むと、メイドのイリナが素早く戸を閉め、馬は早々に走り出す。
「お嬢様、お疲れ様でした」
「うん。連絡は?」
「早馬を出しました」
「ありがとう」
ともかくこれでゲームは終了。アレン自身の役割も終わりだ。
これからは、なんの気鬱も無しに生きていける。
「お父様、怒るかしら」
「ご心配には及びません。あの様子では碌に証拠もないかと。そもそも先に不義理を行ったのはあちらです。その都度旦那様に報告もしておりました。お嬢様がお気に病む必要はございません」
イリナのこの様子では、本当に碌な証拠はなさそうだ。もしでっち上げだろうと、きっとこの優秀なメイドが打ち消すだろう。
おおかたヒロインにない事ない事言われてそれだけを信じたに違いない。だって本当に、アレンは何もやっていないんだから。
それにしても。
「恋って凄いのね。私エルマー様にあんな目で見られたの初めてよ」
余程アレンが憎いと見える。
出会って一度も喧嘩や言い争い、仲違いなどしたことの無い元婚約者殿は、いつも穏やかな青年だったのに。
とは言いつつ、三年前に婚約してから実際会ったのは両手で数えるほどだが。
その間、領地を回るのが忙しくて手紙で済ませていた。
「そうですね。それ以上に、お嬢様の鋭い目つきに腰が引けておりましたけど」
「イリナ、わざわざ私を落とさなくてもいいのよ。それはそうとして、何事にも夢中になるのは悪いことではないけどね」
「恋は盲目と申しますので」
「それだと恋する相手も見えなくなっちゃうんじゃない?でもそれで合ってるのか。あんな性悪女の根性が見えないのなら、これぞ本当の盲目ってね」
「お嬢様と色恋が縁遠いのは、そういうところです」
常に無表情で冷静な、アレンの専属メイドは相変わらず手厳しい。
アレンが恋愛感情に乏しいのは本当の事だから反論はないけれど、もう少し言い方という物があるのではないだろうか。
多少しょっぱい気持ちになりながら、アレンはラスボス戦に向けて気を引き締めるのだった。