35:属国ルート(ラファエル視点)
書類の山に終わりが見えない。
本来なら陛下のもとへ持ち込まれるはずの案件が、宰相であるワグナー公爵から息子のドワーフィスターを通してどんどん私の離宮へと持ち込まれているせいだろう。
どうやら陛下はついに、自分がサインするだけで終わる状態になった書類にしか目を通さなくなったらしい。
ただでさえ今は、アボット令嬢がココの悪い噂を流している件や、クライスト令嬢に振りかかる事件に頭を悩ませている時期だというのに、タイミングが悪い。
前回の人生では、こんな事件は起きなかったのに。
アボット令嬢を排除すること自体はそれほど難しくはない。たかが噂話程度だが、男爵家が侯爵家に楯突いたとして罰すればいい。
だが問題はココに抗議をしてくる下位貴族達の方だ。彼らを処罰するとなると、そこそこの数の下位貴族にダメージが来てしまう。領地もないような家では取り潰しも出るだろうし、跡取りがいなくなったり、多数の婚約に影響が出るだろう。つまり国政にも余波が来るので慎重に見極めなくてはならない。
それにココ本人が「なにかがおかしいと思うんです。彼らは、まるでなにかに操られているみたいで……」としばらく状況を静観したいと言っている。
他者を操るといえば魔術の類いを連想するが、ドワーフィスター曰くそういった魔術や魔道具は伝説級の代物らしい。
もし彼らがアボット男爵令嬢に操られているとして、ただの平民上がりの少女がそんな貴重なものを手に入れられるだろうか? ドワーフィスターでさえ手に入れられない物を。
クライスト令嬢の件に関しても、騎士を派遣しているが、毒を混入させた犯人と暴漢はまだ捕まっていない。彼らが同一人物なのか、黒幕は別に居て二人はただの実行犯でしかないのかも、調査を進めているがまだわかっていない。
とりあえず、彼女がこれ以上の事件に巻き込まれなければいいが……。
窓の外を見ればそろそろ夕暮れが近づいているようだ。太陽がずいぶん西の方角へ傾いている。あと一時間もしないうちに空は茜色に染まるのだろう。
集中力が途切れた私は、書類を読み続けて疲れた目元に手を当てた。
どうせ今夜も就寝時間ギリギリまで執務を続けなければならない。ここらでひとつ休憩でもしようかと思い、部屋を見回す。
ドワーフィスターは父である宰相のもとに、レイモンドは新しい資料を入手するために図書館へ行ったきりで、室内に居るのはフォルトだけだった。
彼は彼で、会計仕事をしていた。
「フォルト」
「はい、エル様、いかがしましたか?」
「少し休憩しよう。お茶を淹れてくれ」
「わっ、もうこんな時間ですね。喉も乾きますよね。すぐにお淹れいたします」
フォルトはさっと立ち上がり、お茶の準備をするために退室した。
……と思ったら、すぐに戻ってきた。
「エル様、失礼します」
「どうしたんだい、フォルト……?」
「ちょうどココレット様がいらっしゃいましたよっ」
フォルトの後ろから、ココがひょっこりと顔を出す。その側には護衛のダグラスも居た。
「ごきげんよう、エル様! 新しい情報を入手してきましたよ!」
「会いたかったよ、ココ。……新しい情報?」
ココは愛らしい顔をキリッとさせて、頷く。
「先程までサラヴィア様とお会いしていたのです」
「側妃様と?」
意外な相手の名前を聞きながら、私はココを室内へと招き入れた。フォルトが再びお茶の準備をしに退出し、ダグラスが入り口の警護に立つ。
ココはいつものようにソファーセットへ腰かけると、お茶が来るのを待つのももどかしいというように口を開いた。ーーーポルタニア皇国の思惑を。
▽
しばらくすると、フォルトが紅茶を持ってきてくれた。私とココはカップを手に取り、一口だけ飲む。
私は口を開いた。
「……ポルタニア皇国がオークハルトをこの国の傀儡の王にしたがっているのは、知っていたよ」
「まぁ、さすがエル様ですわ! さすエル!」
以前二学年の廊下でクライスト嬢に会っていたとき、ゴブリンクス皇子が仄めかしていた。
なるほど。側妃様を引き入れてオークハルトを動かすつもりだったのか。
けれど側妃様には母国への愛情など端からなく、オークハルトを守っているというわけか。
それはきっとゴブリンクス皇子にとって、かなりの誤算だっただろう。
「でも信じられませんわ。エル様のお顔がこの世界の人にとってちょっとアレなだけで王位に就けないだなんて、どうしてそんなことを思うのかしら? 文武両道で学業と執務の二足わらじな完璧イケメン王子エル様なのに!」
「それほどゴブリンクス王子にとっては私が異形なのだろうね」
前回の人生での私は、確かにゴブリンクス皇子が予想した通り『異形の王子』だというだけで王太子の座から下ろされた。
正確には、この顔を受け入れてくれる女性がいなかった為、世継ぎが望めないということで。
「……もしかするとゴブリンクス皇子は、今回の私にも妃が出来ないと思っているのだろうか?」
「え、どうしたのですか、エル様?」
「……フォルト、ダグラス、人払いを頼む」
ここからの話は逆行前の人生に触れるので、彼らを退出させる。
私は深く息を吸うと、ふいに思い付いたことを頭の中で話を整理する。仮説でしかないが、前回の人生で見聞きしたことや今回との違いを頭の中に並び立てていけばいくほど、……その可能性が高いような気がしてくる。
私はココに説明するために口を開いた。
「ゴブリンクス皇子の計画を、たぶん私は知っている」
「まぁ! そうだったのですか? さすエル~」
「前回の人生で、彼は確かに目標を達成しているんだ」
「えっ。あの……たくさんのイケメンを処刑したという……恐ろしい前世の話ですか……?」
前回の人生の話に触れたとたん、ココはその白いかんばせを青ざめさせ、美しいペリドットの瞳から真珠のような涙を溢れさせた。
ああ、清らかなココにあんな血濡れた過去を話すのは心苦しいのだが……。
私は彼女の隣に移動し、彼女の肩を抱き寄せて慰めた。
「ああ、ココ、泣かないで……。今回は絶対にそのような道は選ばないから」
「はい……、そんな地獄を見るくらいなら、わたしがこの絶世の美貌を使って民を動かしてクーデターを起こしますから! それでオーク様を倒して新しい国を作りましょう……! エル様のような人々が心穏やかに暮らせる理想郷を……!」
「ありがとう、ココ。きみは本当に優しい人だね」
私の胸にすがり付いて泣くココの髪を撫で、彼女が落ち着くのを待つ。
しばらくしてから、私は話を再開した。
「ゴブリンクス皇子の狙い通り、私は前回の人生で廃太子された。どんなに政治的手腕があろうが、王の器があろうが関係なかった。それは私に世継ぎが望めなかったからだ。妃の居ない私には、次世代に国を繋げるという王としての重要な役割が出来なかったんだ」
幼い弟が成人するまではと王位に就いたシュバルツ王とは違い、私のスペアであるオークハルトは同年だ。王太子の交代など実に呆気なく済んでしまった。
「だが、前回のオークハルトが王太子の座に就いただけでは、あいつを完全な傀儡には出来なかったと思う。たぶん側妃様が前回も今回と同じように、ポルタニア皇国の横やりからオークハルトを守っていたはずだから」
「そうですね。サラヴィア様は心からオーク様を愛しておりますもの」
「たぶんゴブリンクス皇子は別の手でオークハルトを傀儡にすることにしたんだ。……自分の手駒をオークハルトの正妃にさせることによって」
「え? オーク様の正妃? ルナマリア様ですか!?」
「いや……。前回のオークハルトの婚約者候補は、今回とは全員顔ぶれが違っていて……。クライスト嬢もベルガ嬢とも違うんだよ」
「まぁ、そうだったんですか!? 前回のわたしも流行り病で死んでいますしねぇ」
ココは納得したように頷いた。
「前回のオークハルトの婚約者候補三人は、とても仲が悪かった。彼女達はオークハルトの寵愛を得るためにお互いを何度も暗殺未遂し合い、殺伐としていった」
「今の候補者とは全然違う関係ですね……」
「オークハルトは段々自分の婚約者候補を恐れるようになり、学園入学頃にはすっかり彼女達への好意が消えてしまっていたようだった」
「女性を見る目がなかったのですね、オーク様」
まぁ、自業自得とはいえヤンデレ三人は厳しいか……、とココがぼそりと口にした。
やんでれという言葉の意味はわからないが、清らかなココのことだ。きっと前世で学んだ素晴らしい知識のひとつだろう。
「そんな時にオークハルトは出会ってしまったんだ。アボット男爵令嬢に」
ココは驚きに目を見開き、小声で「この展開……知ってる……」と呟く。
「平民から貴族になったばかりのアボット嬢は、マナーが未熟でね。信じられないかもしれないが、王族であるオークハルトにも気安く接していたんだ」
「ああ、既視感……」
「たぶん、オークハルトにはそんな頭の足りないアボット嬢が、よくいえば天真爛漫な女性に見えたのだろう。オークハルトはアボット嬢に好意を抱いた。
しかしあいつの婚約者候補たちがそれを許すはずもなく、アボット令嬢は彼女たちにひどく苛められたらしい」
「わぁ……、百万回プレイしたやつ」
「オークハルトはそんな婚約者候補たちが許せず、彼女たちを候補から外し、ついには学園からも退学させた。そしてアボット嬢こそが『真実の愛』の相手であると言って、卒業後に彼女と婚姻したんだ」
「やっぱりピアちゃんヒロインだった……」
なにやらずっと小声で呟いていたココが、脱力したように項垂れた。
それからゆっくりと顔をあげて、私にいくつかの質問をする。
「ちなみにアボット令嬢は男爵家ですけど、妃の条件の一つの『伯爵家以上の出身』はどうしたのですか?」
「オークハルトの派閥の侯爵家の養女となってから、嫁がせた」
「やっぱりそのパターンなんですねぇ。
……それで、普通なら平民上がりから正妃になったというシンデレラストーリーだと思うのですけど、エル様はなぜ彼女がゴブリンクス殿下の手下だと思われるのですか?」
「今にして思うと、アボット令嬢が介入したことでシャリオット王国の国力が著しく下がってしまったんだ」
当時のことを思い返すと、アボット男爵令嬢が引き起こした出来事はシャリオット王国に多くの混乱を巻き起こした。
アボット男爵令嬢は当時、オークハルトの他にも親しくしていた男性たちが多く居た。ドワーフィスターをはじめとした高位貴族の令息たちだ。
彼らの末路は悲惨だ。
ドワーフィスターは次期宰相の地位を捨てて魔術師を目指すために国を出た。
ほかの令息たちはそれぞれの婚約者に愛想をつかされ、多くの者が破談にとなった。そのなかには廃嫡された者や、領地に幽閉された者、平民にまで落とされた者もいる。
でもそれは仕方がない。婚姻を前提に結ばれた業務提携や支援の話が一気になくなり、その領地の領民たちの暮らしにも暗い影を落とす結果となったのだから。家ごと没落したところもあった。
そしてオークハルトの治世を支えるはずだった彼らが居なくなってしまったことは、国にとっても大きな打撃だった。
ただでさえオークハルトは基礎となる王子教育も未だ終わっていない中で、王太子教育へと切り替わり、それまで以上の結果を求められるようになったのだから。
そして元平民のアボット令嬢もまた、令嬢としてのマナーも身に付いていないのに妃教育に入ることになり、なかなか成果が上がらなかったと記憶している。
誰も支えるものが居ない中で、オークハルトは王位に就くことになってしまったのだ。
「アボット令嬢が関わっていた男の一人に、ゴブリンクス皇子がいた。ほかの者達が破滅の道を突き進んだ中で、彼だけは身を持ち崩すことはなかったよ。彼は王になったあとのオークハルトの相談事にも乗っていたようだったし」
「うわぁ……、属国まっしぐらですわね」
「きっと私の処刑後はそうなっただろうね」
「メリットがあったのはゴブリンクス殿下と王妃になれたアボット令嬢だけ、ということですね」
ココはそう言ったあと、首をかしげた。ローズピンクの髪がふわりと揺れる。
「ですが、マリージュエル様がその状況をただ見ているだけだとは思えないのですけど」
「ああ、母上か。私が廃太子された頃に持病が悪化し、寝たきりの状態になったと聞いているよ。だから動けなかったんじゃないかな」
「まぁ、あんなにお元気そうなのに、持病がおありだったのですね……」
「性格が苛烈だから元気そうに見えるけどね。母上はいつも青い口紅などを塗って、奇妙な化粧をしているだろう。あれは病で血の気のない肌を隠すためにやっているんだ」
「そうだったのですか!? てっきりパリコレモデル気取りかと思っておりましたわ!」
「ぱりこれ……?」
ココは納得がいったというように、うんうんと頷いている。
「それにしても、オーク様もなかなか大変な人生を歩むはめになったのですねぇ」
「……そうだね」
前回は自分が廃太子されたことにばかり目を向けて、憎しみの炎を燃やすしかなかったが。
王太子になり、愛する女性と結ばれたとばかり思っていたオークハルトの人生もまた、安易なものではなかったのだろう。
「今回のオークハルトは随分まともになったよ」
きちんと王子教育を学び、外交という目標を持ち、女性にコロコロと移り気な態度を取らず、着実に第二王子の地位を築いていっている。
まぁ、女性に関しては、女神もかくやというココが側に居るからほかに目が行かないだけだろうけど。アボット嬢にさえなびかなかったようだし。
「だってエル様がお育てになったオーク様ですもの!」
「私が、育てた……?」
「ええ。エル様は兄として立派にオーク様に接していましたよ」
「……そうか」
胸の奥が少しだけくすぐったいと思うのは、なぜだろう。
【前回のオークハルトの人生・完全版】
母サラヴィアに溺愛されて育ち、その美貌から周囲の人間たちも彼に非常に甘かった。近しい者たちは彼が正妃マリージュエルから命を狙われていることを知っている分、余計に甘やかす傾向にあり、ストッパーも居なかった。
オークハルトは兄のラファエルを心から尊敬していた。なぜならラファエルは醜いというハンデの中でも足掻き、王太子として完璧な教養を身に付けていたからだ。
ラファエルはオークハルトに優しくはなかったが、正妃とは違い裏でなにかをしてくることもなく、王族としてきちんと接してくれたのも嬉しかった。
こんな兄が王になってくれれば国は安泰だ、という甘さから、オークハルトは王子教育に真面目に取り組まなかった。
オークハルトは側妃派閥の家の中から可愛い子を三人婚約者候補に選ぶ。
可愛い子に囲まれてキャッキャッしたいだけだった幼いオークハルトだったが、候補者三人は互いを蹴落とし合い、暗殺未遂を繰り返すほどの泥沼に発展。ここで軽い女性恐怖症になるオークハルト。
そのまま学園に入学し、ピアと出会う。
天真爛漫で愛らしいピアの献身により、オークハルトは女性恐怖症を克服する。そしてピアに恋に落ちる。
そこから婚約者候補によるピアへの制裁が始まる。
オークハルトは候補者たちを断罪し、ピアを婚約者に決定した。王太子ではない自分の婚姻などそれほど重要なものではないという甘い考えがあった。
そして学園卒業後、無事にピアと結婚。これから第二王子妃として妃教育を受けることになる。
ちなみに婚約者候補三人は第2章『2:赤毛のヒロイン』で台詞だけ登場してる(「まぁぁぁ……オークハルト殿下になんと不敬なっ!」「それも婚約者候補のココレット様の目の前でなんという恥知らず!」「どこの家の娘かしら、お里が知れるわねっ」)現在はオークハルトファン仲間になって時々ケンカもしたりするけれど、前回の人生よりずっと幸せになっている。
そんな中、ラファエルの婚約者候補が修道院に出家、恋人と駆け落ち、体調不良で候補から外れることに。
その後何年経っても妃が出来ず、マリージュエルが病で動けず影響力をなくしたことも重なって、ラファエルは廃太子してしまう。
ラファエルの代わりに王太子になったオークハルトだが、教育不足のため執務に追われる。妃教育が完了していないピアを支えてやることも、支えてもらうことも出来ない。
学園時代仲の良かった者たちは婚約破棄の影響で廃嫡された者も多く、宰相であるワグナー家も衰退し、オークハルトの治世を手助けするものは少ない。
さらに側妃派閥の婚約者候補を断罪したせいで、派閥の求心力がなくなってしまい味方がいない。ないない尽くし。
オークハルトはラファエルに相談役になってもらいたかったのだが、ラファエルは王宮から失踪。あっという間に反乱軍を作って王都を襲撃。
しかも元王太子なのでどこを襲撃すれば国が落ちるか分かっているから、ライフラインや物流の要をガンガン狙ってくる。謎の資金源がある上に(レイモンドがブロッサム家から流してた)、ダグラスを中心としたスラム街の荒くれ者集団がとにかく強い。
騎士団総出でようやくラファエル率いる反乱軍を捕縛。王都壊滅間近だった。
ラファエルを処刑する以外に道はなく、オークハルトはラファエルを断頭台へ送る。
敬愛するラファエルを自分の手で断罪したことにより、オークハルトはどんどん病んでいく。
そんなオークハルトに優しい声をかけたのがゴブリンクス。
こうしてオークハルトはポルタニア皇国の傀儡となった。
~END~