32:深夜のバルコニー
階段落ちの一件後、ルナマリア様にはクライスト家から護衛がつくことになった。
本当ならルナマリア様の護衛は、わたしに騎士のダグラスがついているように王家から騎士を派遣するべきだ。なにせ彼女も第一・第二王子の婚約者候補なのだから。
けれど、ルナマリア様本人がその打診を断った。
「我がクライスト家の護衛も優秀ですので、大丈夫です。……なにより自分の不注意で招いた事故のために、王家の力を頼るのは申し訳ないですから」と。
頼れるところは頼っちゃえばいいのに、とわたし個人は思うけれど、ルナマリア様ご本人の意思なのだから仕方がない。
筆頭公爵家の護衛だから、王家の騎士に匹敵するくらいの働きをしてくれるかもしれないしね。
ーーーなどとルナマリア様を見守っていたのだけど、彼女の不運はとどまることを知らなかった。
「ルナマリア様がオークハルト殿下と校庭を散策中、校舎の上階から鉢植えが落下してきました! 幸い直撃は免れましたが、割れた鉢植えの破片がルナマリア様の腕に当たり、怪我をーーー!」
「ルナマリア様のお食事に毒が混入されました! すぐに胃を洗浄いたしましたが体調が優れず、現在療養中です!」
「クライスト家へ帰宅途中に馬車を襲われました! 護衛がなんとか暴漢を退けましたが、捕まえることができずーーー」
え、えええええ~~!?
悪役令嬢に苛められるヒロインのイベント全部盛りってレベルだよ……!!
鉢植えの件は、ちょうど三階の窓際に飾られていた鉢植えが偶然落ちてきてしまった事故として片付けられてしまったけれど。
毒と暴漢は絶対犯人がいるじゃない!
いったい誰がルナマリア様を狙っているのよ!?
すでに毒味役が毒味をした食事に、毒が混入されていたらしい。
ルナマリア様の食事を運んだ侍女が真っ先に疑われたが、侍女は白だった。彼女はルナマリア様の乳母の娘で幼い頃から気心の知れた相手だった上に、事件当時ルナマリア様に毒を吐き出させようと懸命に処置をしたらしい。
ルナマリア様に毒を盛る動機もなければ、おかしな行動もしていない。そしてなによりルナマリア様本人が侍女を庇ったので、結局犯人は分からずじまいだ。
暴漢も依然逃亡中のままだ。
学園から馬車で帰るところを襲われたらしい。
しかもこの暴漢、集団ではなく単独犯だったらしい。たった一人の暴漢に馬車を襲撃され、ルナマリア様につけられていた五人の護衛と互角に渡り合い、逃げて行ったのだそう。
その暴漢、チート過ぎるでしょ??
ちなみにどの事件の時も、ピアちゃんはルナマリア様の傍に居なかったし、変な行動も取っていないらしい(アマレット調べ)。
この状況にはさすがに黙っていられず、お見舞いついでにルナマリア様へ「騎士の護衛をつけるべきです」とわたしは進言することにした。
「池や階段でのことは、確かにルナマリア様ご自身の不注意かもしれません。ですが、毒と暴漢は完全に別物です。他者からの形ある悪意ですよ。身を守るために王家から騎士を派遣してもらうべきです」
「……ココレット様。ですが……」
「申し訳ないなんて思わなくてもいいんですよ。侯爵家のわたしでさえ騎士がついているのですから。筆頭公爵家であるルナマリア様の護衛は過剰なくらいでちょうどいいのです」
わたしなんて特に事故にも事件にも遭っていないけれど、ただ王家の影であるシャドーが張り付いているからってだけでダグラスを侍らせてるんだから。
ルナマリア様も……。
ーーーあれ?
ルナマリア様にも確か、王家の影が張り付いているんじゃなかった?
その人は事件当時、ルナマリア様を守らずになにをしていたの?
ふとよぎった考えを熟考する前に、ルナマリア様が返事をした。
「……わかりました。王家へ騎士の護衛を要請させていただきます」
こうしてルナマリア様の守りがさらに厚くなることになった。
▽
「そうよ……絶対におかしい」
深夜、わたしはブロッサム侯爵家の自室のベッドに腰掛けながら、王家の影について考えていた。
わたしに張り付いているシャドーは、とんでもないオーク顔であることを除けば、ピアちゃんの数々のやらかしから守ってくれる有り難い存在だ。魔術様様である。
つまり王家の影は、マリージュエル様からの監視であると同時に、事件や事故から守ってくれる存在のはずなのだ。
それなのにルナマリア様は事件や事故に遭いまくっている。王家の影が役目を果たしていないのだ。
「一体なぜシャドーとは違うのかしら……」
枕元のランプがぼんやりと灯るだけの静かな空間に、わたしの独り言は妙にハッキリと響いた。
その直後、バルコニーに続く窓から、コンコンとノックのような音が聞こえてきた。
「……え、」
すでにカーテンは閉めてある。だけど月明かりに照らされて、バルコニーに誰かが立っているシルエットがくっきりと濃く浮かび上がっているのが見えた。
その人物が再度、コンコンと窓を軽く叩く。
その音は周囲に気を配ってかとてもゆっくりとしたリズムで、これから始まるめくるめく逢瀬の時間の美しさを予感させるような優しいものだった。
わたしは両手でがっつりと頭を抱える。
バルコニーに立っている相手は絶対にエル様じゃない。
ちなみにレイモンドでもダグラスでもないことは手に取るようにわかった。
だってこんな、夢女の心をくすぐるシチュエーションを、自分の魅力に自信がない彼らが演出できるはずがない。
どうせモンスターに決まっている。
本当に止めてほしい。
なんで深夜の自室に会いに来るとか、バルコニーでの逢瀬とか、夢女がイケメンと叶えたい憧れをことごとく重機で踏みつけて粉砕してくるのか……っ!
絶望のあまり白目になりつつ、どうにかカーテンを開ければ。
案の定、シャドーがバルコニーに立っていた。ひらひらと片手を振っている。
「やぁ、お嬢。お悩みみたいだね?」
絶対にバルコニーに出るものかと、わたしは声が聞こえる程度に細く窓を開けることで対処した。
結婚したら絶対に深夜のバルコニーでエル様といちゃこらしてやるんだから、と強く心を保つ。その時はスケスケのネグリジェを着て、エル様を悩殺してやるのよ。ふふふふふ……!
そんなわたしの行動を、「貞淑だね。それでこそラファエル殿下の側妃に相応しい」とシャドーが微笑む。
「わたしに貞淑を望むのなら、どうしてこのような時間に会いに来たのですか? 夜這いを疑われてしまいますよ」
「大丈夫。今は見張りも誰もいないからね。目撃者はいないよ」
左目の黒い眼帯がひときわ目立つシャドーは、楽しげに腕を組ながら「それで」と声をかけてくる。
「オレに聞きたいことがあるんでしょ? ひとつだけなら答えてあげるよ? 今夜限りのラッキーチャンスだ☆」
「………(う、わぁぁあああああああああ!!)」
胡散臭い態度だけれど、ほかに答えをくれる相手もいない。
鳥肌の立つ腕をゴシゴシ擦りながら、わたしはシャドーに問いかけた。
「……ルナマリア様についているはずの王家の影は、なぜ彼女を守ろうとしないのですか? ルナマリア様をエル様の正妃にしたいとマリージュエル様はお考えのはずなのに、このままでは命を落としかねません。そうでなくても、お体に怪我が残るかもしれないのですよ?」
「じゃあ、一つだけ答えようかな。……守られる価値がある人間、つまり守られるに値する行動を取る人間だけを守るべきだからさ」
「……ルナマリア様が、守られる価値のない人間だとおっしゃるのですか? マリージュエル様からも正妃にと望まれているのに?」
「一つ答えた。もうおしまいだよ、お嬢」
シャドーは組んでいた腕をほどくと、そのまま伸びをする。そして周囲を見回し、「あ~あ、退屈。お嬢と夜の散歩でもしたかったけど、お嬢は部屋から出てこないしなぁ」と言う。
「見張りに見つからないように歩くからさ、散歩、どう?」
「絶対に嫌です。行きません」
夜のお散歩なんてロマンスの王道だ。エル様ともしたことないのに、モンスターとしたくはない。
つんと首を横に振れば、「やれやれ」とシャドーが肩をすくめた。
「まぁ、そういうお嬢だからこそ、オレも守りたいと思うんだよね。……あいつも、お嬢の担当だったらなぁ」
「あいつって?」
「うんにゃ、なんでもないよ」
一瞬、シャドーが疲れたような表情をしたけれど、すぐに明るい表情を取り戻した。
「じゃあね、お嬢。夜更かしは美容の敵だよ。もうおやすみ」
「……そうね」
「いい夢を」
そう言って最後にシャドーは投げキッスをし、煙のように消えていった。
その夜はもちろん、モンスターに投げキッスされまくる悪夢を見てうなされた。