31:階段落ち
その事件は、わたしがちょうど学園の王族サロンでエル様に最近の不可解な出来事(ピアちゃんがわたしの悪い噂を流していることと、その噂を信じて抗議にやって来た生徒達が五秒で手の平返しすることなど)を報告しているときに起こった。
いつもミスティア様に侍っているイケメン親衛隊(ミスティア様にお兄様扱いされたい過激派三人組)が、ミスティア様からの伝言を携えて王族サロンまでやって来た。ミスティア様本人がやって来ないあたり、すでに緊急事態を予感させている。
フォルトさんに通されたイケメン親衛隊は、全員ミスティア様とお揃いの眼鏡型魔道具をかけていて、エル様の前で恭しく頭を下げた。
「……いったい何事だい?」
エル様がイケメン親衛隊のキラキラオーラにたじろぎ、固い声で彼らに問うた。
「ミスティア・ワグナー公爵令嬢から伝言を預かって参りました。
ラファエル殿下の婚約者候補であるルナマリア・クライスト公爵令嬢が、特進科棟の階段から落下しました。幸い大事には至らず、打ち身で済んだとのことです。殿下には至急医務室までお出でくださるようにと」
「クライスト嬢が? 階段から落下……なぜ……?」
「まぁ……! ルナマリア様が……!? エル様、はやく医務室へ行きましょう! ミスティア様は今、ルナマリア様に付き添われておりますの?」
イケメン親衛隊に尋ねれば、彼らは銀縁眼鏡のツルをキラリと光らせながら爽やかに頷いた。その紳士的な様子はいかにも貴公子といった感じだった。
わたしとエル様は護衛を連れると、イケメン親衛隊と共に学園内にある医務室へと向かった。
▽
医務室はすでに見慣れた仲間たちが詰めかけていた。
泣き腫らした目をしたミスティア様に、沈痛な表情をするオーク様、彼の護衛のヴィオレット様とサルバドルくん、ドワーフィスター様にわたしの可愛いレイモンド。
そしてベッドに横たわるルナマリア様は、階段から落ちたショックからか顔面蒼白になって震えていた。
オーク様がそんな彼女の手を握り、心配そうに擦ってあげている。
「大丈夫ですか、ルナマリア様っ!」
「ココレット様……」
わたしがベッドの側に駆け寄れば、ルナマリア様が視線をこちらに向ける。アクアマリンのような彼女の瞳には、まだ恐怖の色が濃かった。
「クライスト嬢、打ち身と聞いたが大丈夫ですか?」
「ラファエル殿下……」
「階段から落下したとのことですが、一体なにがあったんですか? ご自分で足を踏み外したのか……」
エル様がゆっくりと尋ねるが、ルナマリア様は泣き出しそうな表情で首を横に振り、
「申し訳ありません、ラファエル殿下……なにも……覚えておりませんの。気が付いたら階段から転げ落ちていて」
その瞬間の恐怖がまた蘇ったかのようにシーツを握りしめる拳が震えていた。
隣にいるオーク様からも話を聞けば、「休憩時間にルナと過ごしていて、もうすぐ次の授業だからとルナが二学年の教室に戻るため階段に向かったところまでは見ていたのだが……。俺がちゃんとルナを教室まで送るべきだった……申し訳ない」と項垂れていた。
「あの女がルナマリア様を突き落としたに決まっているわ!!」
突然叫んだのはミスティア様だった。
黒髪ドリルを振り乱し、「わたくし、見ましたもの! この5.0の視力で!」と続ける。
「わたくし、階段を上っていくルナマリア様をお見かけいたしましたわ! あのバカアボット令嬢が階段の上におりましたの! ルナマリア様が階段を上りきったと思ったら、突然転がり落ちて……! あの女よ! 絶対にあの女がやったに違いありませんわ!」
「ティア、落ち着くんだ」
激昂のあまり泣き出すミスティア様を、兄のドワーフィスター様が両肩を抱いて宥める。イケメン親衛隊もミスティア様の周囲に集まり、心配そうに彼女へハンカチを差し出していた。
「ミスティア様、アボット様がルナマリア様を突き落とす決定的瞬間を見たのですか?」
それだったら話が早いのだけど、筆頭公爵家ご令嬢に危害を加えた現行犯ですでに警備員にすでに捕まっていないとおかしい。なので尋ねてみれば、ミスティア様は歯切れ悪そうに口を開いた。
「決定的、瞬間は……見てませんけれど。あの女、いつも怪しすぎますわ! 以前もあの女が側にいるときに、ルナマリア様が池に落ちたじゃないっ!」
夏期休暇に行われたお茶会で、確かにそんなことがあった。あのときも誰もルナマリア様が池に落ちる瞬間を見ていなかったし、ルナマリア様本人もご自分で滑ったのだと証言したけれど……。
あれ? 最近のルナマリア様、不運が重なりすぎじゃないかしら……?
夏期休暇の終わりにあったお茶会でも、オーク様と仲良く庭の散策をしてらしたと思ったら、ドレスの裾がザックリ裂けていたこともある。
それで今回の階段落ち……。
え、これって、よくある悪役令嬢に苛められるヒロインの展開に似てるのでは……?
「現在アボット嬢には、ココが自分の侍女をつけて行動観察をしています。彼女ならそのときのアボット嬢の様子について詳しく知っているでしょう」
わたしが考え事をしている横で、エル様がそう皆に伝えた。
ミスティア様が「あら、やるじゃないココレット様」と目を輝かせる。
「ココ、侍女から話を聞かせてもらえるかい?」
「……もちろんですわ、エル様」
「では僕がアマレットを呼んできますねっ!」
使命感たっぷりの様子で、レイモンドが医務室を出ていく。
そしてしばらくすると、レイモンドがアマレットを連れて戻って来た。
アマレットは確かに階段での一件もピアちゃんを観察していてくれたらしい。
「あのアバズレは残念ながらなにもしておりません。クライスト様が階段から落ちたとき、アバズレは驚いたようにクライスト様を見つめておりましたが、それだけです」
「そう……、アマレット、報告ありがとう」
ミスティア様は不服そうだけれど、ピアちゃんの無実は証明された。
けれどこの一件のあとも、ルナマリア様の不運は連続して訪れた。