20:ご褒美(ラファエル視点)
「エル様、わたしはもう精神的に疲れてしまいました。わたしを助けると思って壁ドンしてください!」
ゴブリンクス皇子と話した数日後。放課後に妃教育へとやって来たココが、帰り際に私の離宮へと駆け込んできてそう言った。
執務机に向かっていた私は、慌てて彼女を迎え入れる。
今日も私の瞳と同じ青いドレスを着たココは、ペリドット色の瞳をうるうると潤ませて私を見上げた。
いつも愛らしく女神のようなココの表情は、今日ばかりは何故かひどく曇っていて、その瞳は悲しみに満ちていた。目の下のクマでも誤魔化しているのか、いつもより化粧が濃く、全体的に生気がない。雨に項垂れる花のようであった。
「どうしたんだい、ココ。君がこんなに落ち込んでいるだなんて……。ココを煩わせるものならなんでも消してあげたいよ」
「封印してほしい魔物は何体か居ますが、今はとにかくエル様を補給させてください……」
「疲れているんだね、ココ。とりあえずフォルトにお茶の準備をさせよう。ゆっくりでいいから話してみて」
また前世特有の意味を持つらしい言葉を話すココを、宥めながらソファーへ案内する。
ぽすんっと座り込んだココは、フォルトから差し出されたお茶を一口飲むと、ようやく肩の力を抜いた。
「それで、ココ、なにがあったのか話してごらん?」
「エル様ぁ……わたしの周囲でのゴブリン出現率が高すぎる案件が浮上しておりまして……」
しょんぼりしながら最近の出来事を語るココと、先日のゴブリンクス皇子の最後の発言について照らし合わせ、ーーー私はようやく彼の真意を理解した。
「つまり……ゴブリンクス皇子がココを狙っているということなんだね」
「うぅぅ、わたしはエル様をお慕いしているのに……」
ココはハンカチで目元を拭いながら、可愛らしいことを言う。
あんなに美しいゴブリンクス皇子でさえ、前世からの価値観を引き継ぐ彼女には心を動かされないらしい。それがとても嬉しかった。
「ココ、あのゴブリンクス皇子を前にしても変わらず私を想ってくれて本当に嬉しいよ」
「当たり前ですわ、エル様。ゴブリンクス皇子など本当に本っっっ当にどうでもいいのです。ああ、わたしの視界に映る男性がエル様だけならいいのに。……あとはレイモンドとかダグラスとかで……」
「私や私の友を思いやってくれてありがとう」
私はココの手を取り、そっとその手の甲に唇を落とした。
彼女は嫌がりもせず、ぽぉっと恍惚の表情で私を見つめる。
「ゴブリンクス皇子がどれほど君を欲しがろうと、私はココを離しはしないよ」
「エル様……!」
ゴブリンクス皇子はやはり、オークハルトをこの国の王太子にしたいのだろう。
馬鹿正直なところがあるオークハルトなど、冷血な彼の手の平で転がすことは難しくない。オークハルトさえ傀儡にしてしまえば、芋蔓式にココを奪うことも簡単だと考えているのかもしれない。
問題はどうやって私を王太子から蹴落とすつもりなのか、だ。
暗殺で物理的に私を消すのは無理だろう。なにせ私には母上がついている。私に命の危機が迫っていたら、あの人はどうしたって私を助けるだろう。
前回の人生で私が王太子の座をオークハルトに奪われたのは、醜さ故に妃が出来なかった事ただ一点のみ。
今回はココが居るからその点は大丈夫だと思うのだが……。
いや、そのココをゴブリンクス皇子が奪ってしまえば、結局前回と同様にオークハルトが王太子の座に就いてしまう。
つまり現状、ゴブリンクス皇子の目的と手段はどちらも同じ、ココを手に入れることになるのか。
「ココ、ゴブリンクス皇子は君の周囲をうろうろするだけで、話しかけては来ないんだよね?」
「はい。一応わたしから挨拶はするのですけど、ゴブリンクス殿下はいつも頷くだけですわ」
あの冷血漢がココにそこまで奥手な態度をとるとは少し予想外だけれど。まぁ、ココほどの美貌を前にいつもの調子で声を掛けることはなかなか難しいのかもしれない。
ただ、ゴブリンクス皇子が直接ココを陥落できない、私を物理的に王太子の座から落とせない現状で、彼はどうやってココを手に入れるつもりなのだろう……。
「エル様、ゴブリンクス殿下のことはもうきちんと報告できましたよね? つまりあとはもう、わたしのご褒美時間で構いませんよね?!」
「うん? ……ああ、ココが欲しいものならなんでも買ってあげるよ」
「エル様からの壁ドンでお願いします!」
「かべどん、は最近の流行りか何かかな?」
「むしろ永遠の定番ですわ! 流行り廃りで消え去るものではございませんっ。さぁ、ちょっとお立ちになってください!」
「??」
壁際まで連れて行かれた私はーーーなんだかとんでもなく破廉恥なことをココとしている気がする……!
いや、ココの体に触れてはいないのだけど、なんだか顔が近すぎるし、いい匂いがするし、ココの睫毛の長さとかすごくよくわかってしまう……!
「こんなことは良くないんじゃないかな、だって私たちはまだ十四歳だし……!」と視線をさ迷わせる私に、ココは輝くような笑みを浮かべて「これくらい小学生のカップルでも有りですって!」と言う。
しょうがくせいって何、と突っ込みたいのに、ココがさらに「顎クイ追加でお願いしますっ」と謎の呪文を唱えてくる。
ココを囲うように壁についた両手が、恥ずかしさにプルプルと震え、赤くなった顔を隠すことさえできない。
「なんなら口付けもしちゃいますか、エル様?」
「……私が恋愛初心者だって知っているくせに」
あんまりにココが煽るから、私はつい恨めしげな声が出てしまう。
ココは私の腕の囲いの中で楽しそうに微笑む。
「わたしだってエル様が前世込みの初恋ですよ」
悪戯っぽくそう言うココに陥落して、私は恐る恐る彼女の額に唇を寄せた。
チュッと微かな音を立てて唇を離すと、ココがとろけるような眼差しで私を見上げている。
「これで許してください、ココ……。あの、ちゃんとした口付けは、せめてもうちょっと大人になってからで……」
ごにょごにょ言う私に、ココは幸せそうに頷いた。
「ふふふ、エル様、十四歳って甘酸っぱいですねぇ」
「……そうだね、ココ」