19:ゴブリンクスという美少年(ラファエル視点)
本日は早めにデーモンズ学園に登校し、授業が始まる前にクライスト嬢に会う予定になっていた。
クライスト嬢が在籍するのは特進科の二学年のクラスなので、同じ学科棟を階段で登り下りするだけですむ。
二学年のクラスへ向かえば、まだ生徒もまばらな教室で一人ぽつんと席に着いているクライスト嬢を見つけた。彼女の方も私に気が付き、さっと立ち上がって教室から出てきた。
「おはようございます、ラファエル殿下。わざわざ迎えに来ていただきありがとうございます」
「おはようございます、クライスト嬢。こちらも朝早くから面会を申し込んですみませんでした」
「いえ、ラファエル殿下もお忙しい身ですから。呼ばれれば何時でも構いません」
話しながら移動するのは廊下の外れだ。王族のサロンに移動する時間もないし、特進科の共有スペースには行きたくない。今はまだ登校している生徒も少ないので、短時間の会話ならここで十分だろう。
私は声を潜めて、クライスト嬢に尋ねる。
「実はココから報告がありまして。私の母上がココとクライスト嬢に『王家の影』をつけたそうです。それで貴女からも話が聞きたくて。……なにか影が付けられたことによる異変はありますか?」
「『王家の影』、ですか……」
クライスト嬢はつり目がちなアイスブルーの瞳を揺らすと、しばし沈黙する。なにかを思い返すように視線をさ迷わせ、それからゆっくりと首を横に振った。彼女のプラチナブロンドの髪が合わせて揺れる。
「いいえ、影からの接触はありません」
「……本当に、なにもありませんか?」
「はい」
少しクライスト嬢の言葉に違和感を感じたが、彼女本人が何もないと言うので一先ず安堵する。
ただ念の為、ココにダグラスを付けたように護衛を付けようかと尋ねたが、彼女はそれも断った。
「いざとなれば父が私に護衛を付けてくださりますから。ラファエル殿下はココレット様の心配をしてさしあげてくださいませ」
「……そうですね、クライスト公爵は君をとても愛していらっしゃる。素晴らしい父親で羨ましいかぎりです」
「確かに父は私にも家族にも甘い方ですが……、父がもっとも甘いのは自分自身に対してですよ」
ふいにクライスト嬢が呟く。
「弱くて、甘くて、疑心暗鬼な人だから、我が家は情報能力に力を入れて筆頭公爵家にまで登り詰めましたし、正妃様の顔色を伺ってばかりいるのです」
「クライスト嬢……?」
「私はココレット様のお父様の方が、断然素敵だと思います」
いつも通りの無表情でクライスト嬢はそう言う。その瞳はココに対する優しい憧れがあった。
「もし、影から接触がありましたらご報告申し上げますわ、殿下」
「……不便をかけて申し訳ありません」
「いいえ、ラファエル殿下のせいではありませんから」
「なんだ? なぜ二学年の廊下に一年のガキがいるんだ?」
私とクライスト嬢の会話を止めたのは、背後から現れた一人の男子生徒ーーーゴブリンクス・ポルタニア第二皇子だった。
隣国ポルタニア皇国から留学に来ているゴブリンクス皇子は、皇帝の息子の中でもとりわけ美しいと評判だ。
橙色の髪と瞳は鮮やかで、艶やかな褐色肌からは見る者をたじろがせるほどの色気が滲む。異国の神が自らの手で丹念に作り上げた彫像かのように整った顔は、ひどく神々しい。その小さく控えめな瞳などあまりにも儚げで、とりわけ長く尖った鼻先は神秘的だ。そこに立っているだけで他を圧倒するような美少年だった。
ゴブリンクス皇子は冷血な性格だと聞くが、その姿だけで自国のあらゆる男女を虜にしてきたと言われているのも納得できる。
オークハルトやドワーフィスター・ワグナーとはまた違う種類の、でも己の美に絶対の自信を持っている美少年が近付いてくることに、私は思わず萎縮してしまう。
私は王太子だというのに……。
思わず後ずさってしまう自分が情けなくなる。
ゴブリンクス皇子は私とクライスト嬢を交互に眺めると、ハッと鼻で笑った。
「そこの銀髪はオークの女の一人だと思っていたが、違ったのか? それとも『異形の王子』の横恋慕か?」
「……ゴブリンクス殿下、ラファエル殿下に対する暴言はお止めくださいませ」
クライスト嬢が冷たい声を出して、私を守ろうと一歩前に出る。
ゴブリンクス皇子は小馬鹿にしたようにクライスト嬢を見下ろした。
「校内では身分は平等だとかクソみたいな校則があるじゃないか。この国の王太子だろうと僕と同等なのだろう? もっとも、この学園の外でだって、こんな不細工が僕と同等だとは思わないけどね。オークの方がよほどこの国の王太子の座に相応しいさ」
私はクライスト嬢の前にそっと出る。
自信に満ち溢れたゴブリンクス皇子の前へ、私は体の震えを誤魔化しながら立った。
ゴブリンクス皇子は私をゴミを見るような目で見下ろした。
「オークハルトをシャリオット王国の王太子に。……それがポルタニア皇国の総意なのですね」
「さぁ? どうかな? ……でも、この国の民も喜ぶんじゃないの。『異形の王子』が即位するより、ずっと」
ゴブリンクス皇子の留学は表向き『シャリオット王国の文化を学びたい』という理由であることは、ココから相談されてからすぐに調べがついていた。
だがそんなものが建前でしかないことは、皇子の表情を見ればすぐに察することができる。
ポルタニア皇国の長年の野望は、『ゴブリン顔こそが世界でもっとも崇められるべき』という思想を大陸中に植え付け、大陸の支配者となることだ。
……たしかに、目の前にいるゴブリンクス皇子はこの世のものとも思えないほどに美しい。
だが、そんな恐ろしい思想に、我がシャリオット王国は屈するわけにはいかない。
長年祖先が抗い続け、何度もポルタニア皇国と戦争を繰り返し、シャリオット王国の『オーク顔こそ神より愛された存在』という文化を守り続けてきたのだから……!
ポルタニア皇国元皇女である側妃様から生まれたオークハルトが即位するということは、シャリオット王国にポルタニア皇国の横やりを許す結果になってしまう。
だからこそ我が母上は、醜い私でも王位に就けようと必死なのである。
もちろん母上が善であるとも正しいとも思わない。
だがしかし、私は我が国の民のために、この国の王に即位したい。
私は体の震えさえ忘れて、ゴブリンクス皇子に答える。
「オークハルトのような未熟者では無理ですよ。この国の王になるのは」
「未熟者だからこそちょうどいいんじゃないか? この国の王など玉座に座ってヘラヘラ笑っていればそれで充分だろう」
「ポルタニアならばその程度の者でも玉座に就けるのですね。羨ましいな」
「貴様……っ! 我が皇帝を侮辱する気か……!」
「侮辱するつもりなどありませんよ。……貴方の思惑がどうであろうと、この国の玉座は他国に奪わせはしません」
「ふん……。『異形の王子』がなにを吠えたところで、下々の者どもが従うものか」
彼の言う通り、私のような醜い男一人の力では、貴族も民もついては来ないだろう。前回の人生では確かにそうだった。
でも今回の私には、ココがいる。
ココを介して分かり合えた仲間達がいる。
彼女の手を離さずに進んでいけば、きっと、前回とは違う景色が見られるだろう。
ココのことを考えて、私は知らず知らずのうちに微笑んでしまったのだろう。ゴブリンクス皇子が私を気味悪そうに眺め、不快感に堪えきれずに視線を逸らした。
「まぁいい、今回の留学で僕が欲しいのはこの国の傀儡ではないからな」
ゴブリンクス皇子の横顔に浮かぶのは恍惚だった。
「あの麗しき女神は傀儡などにやるものか……。僕の隣で咲き誇ってもらおう」
独り言のように彼は言うと、そのまま二学年の教室へと去って行った。
……オークハルト以外にも、まだ狙いがあるらしい。
どうにも彼の最後の言葉が引っ掛かり、クライスト嬢と別れたあともぐるぐると私の頭の中を占領した。
『召喚された聖女は、今日も地道に掃除中』も無事完結いたしましたので、お時間があるときにでもお読みください!
ちなみに内容は、掃除が趣味の主人公が異世界へ聖女召喚されてしまい、王国に蔓延する障気という名のゴミの山を掃除するという話です。
恋愛要素は薄めです。