17:元用務員室
一応淑女科の生徒に「少し貧血みたいだから、保健室で休んできますわ」と伝言を頼んでおく。淑女科のみんなは本当にいい子達ばかりなので、無断で授業を欠席したらすごく心配をかけてしまいそうで。貧血という言い訳すら心配をかけてしまうだろうけれど行方不明状態よりはマシのはずだし、あとで元気な様子を見せれば問題ないでしょう。
というわけで、サルバドル君の案内のもと、ヴィオレット様に会いに行くことになった。
「サルバドル君、これからデーモンズ学園を抜け出してヴィオレット様のお屋敷に向かうのですか?」
ヴィオレット様のタウンハウスはここからどれくらいだったかしら、と思いつつ尋ねると。サルバドル君は首を振った。
「いいえ、こちらのお部屋にいらっしゃいます」
「え……?」
サルバドル君が手で指し示したのは、本校舎の隅にある用務員室である。飾り気のないシンプルな扉は、辺境伯爵家のご令嬢が居そうな雰囲気はまるでないのだが。
わたしの困惑などまったく意に介さず、サルバドル君は扉をノックした。
「ヴィオレットお嬢様、僕です。ブロッサム嬢とダグラスをお連れいたしました」
「まぁ、どうぞいらっしゃぁい」
ヴィオレット様の甘くのんびりとした声が、本当に用務員室の中から聞こえてくる。
わたしとダグラスは促されるままに扉の向こうへと足を踏み入れた。
そこはまごうことなき高貴な乙女の部屋だった。
白地にラベンダーの花が描かれた壁紙や、フリルたっぷりのカーテン、白い家具たち。花瓶には花があふれ、お菓子と香油の甘いにおいが混じり合う空間は、学園ではなくどこかの屋敷の一室に瞬間移動してしまったかのようだ。
ヴィオレット様はそんな乙女の部屋のソファーに腰かけている。ーーーなぜか侍女の格好をして。
「用務員室はどこに消えてしまったのです?」
「乗っとりましたのぉ。あんな可愛くないお部屋は必要ありませんもの」
挨拶より先に突っ込んでしまうのは淑女としてアウトかもしれないけれど、口から自然とこぼれてしまったのでどうしようもない。ヴィオレット様も気にせず答えてくれた。いや、用務員室を乗っとるようなご令嬢がそんな些事など気にするのかしら……?
混乱するわたしを、ヴィオレット様はソファーへ招いてくださった。
ちなみにダグラスは部屋に対する疑問などないようで、平然とした顔でわたしの背後に立った。
サルバドル君が差し出してくれたハーブティーを一口飲んで、ようやく少し混乱がおさまる。
「あの……、ヴィオレット様とサルバドル君はなぜデーモンズ学園にいらっしゃるのでしょうか?」
「わたしとサリーがオークハルト殿下の護衛であることはココレット様もご存知のはずです。わたしたちは殿下の従者枠で潜入しておりますのぉ」
そう微笑むと、ヴィオレット様は侍女のお仕着せのスカート部分を摘まんで見せた。
学園内には食堂や寮の管理、校舎内の清掃のためにたくさんの侍女が雇われているし、高位貴族たちがお抱えの従者を連れてきているので、ヴィオレット様たちが紛れ込んだところで目立つことはない。なにせわたしの可愛いレイモンドさえ、ドワーフィスター様の従者枠で学園に通っているくらいだもの。
従者枠って審査ガバガバなのね。わたしも実の父親を従者枠で連れてきちゃおうかしら? ピンク髪のオークが一匹校内に増えたところでだれも気付かないんじゃないかしら? ……ちょっと現実逃避してしまったわ。
「それで、ココレット様とダグラスはなぜわたしに会いに来てくださったのかしらぁ? 今は授業中なのでしょう」
「それについては僕から説明いたします、ヴィオレットお嬢様」
サルバドル君がわたしに王家の影が近付いていたことをヴィオレット様に説明し始め、彼女も真剣な表情で聞いている。
やっぱりこの二人、王家の影の存在を知っていて、シャドーとも面識があるのかしら? そうでなければこんなに簡単に事態を飲み込めるとも思えないのだけど……。
わたしの心を読んだように、ヴィオレット様が口を開いた。
「ココレット様に危険がなくて本当に良かったですわ。“アイツ”はわたし達の長年の敵なのですぅ」
「長年の敵、ですか?」
「ココレット様はどこまでご存知かしらぁ? まずは正妃様のご実家の本当の稼業のことですけどぉ」
「ヴァレンティーヌ公爵家が『王家の影』であることはエル様からお聞きしました。そして正妃様がわたしとルナマリア様に影を付けたことも」
「あら、ルナマリア様もなんですねぇ。そうよね、正妃様がクライスト筆頭公爵家をみすみすオークハルト殿下にお渡しするはずがありませんわよねぇ……」
ふぅ、と小さくため息を吐いたヴィオレット様はご自分の栗色の巻き毛を一房指で絡めながら言う。
「ルナマリア様に付けられた影が誰かはわかりませんがぁ、ココレット様に付けられた影のことはわたしもそれなりに知っていますの。
“アイツ”は『王家の影』の中でも一、二を争う実力の持ち主です。わたしとサリーがオークハルト殿下の護衛についてから、何度も殿下を暗殺しようとやってきた男ですのぉ」
「お、オーク様を暗殺……!?」
「すべて未遂で終わらせましたけれどぉ、骨の折れる相手ですわ」
忌々しげに呟くヴィオレット様の愛らしい顔を見つめながらも、開いた口が塞がらない。
暗殺って、マジか。あの呑気なオーク様が、以前からそんな危機的状況だったとは。いや、その可能性があるから側妃サラヴィア様がヴィオレット様を護衛役に任じたことは知っていたけれど、水面下でそんな攻防戦があったなんて、なんかすごい衝撃的で……っ!! ひぇぇえええ……。
正妃様マジおっかないわ……!
衝撃的事実にガクガク震えるわたしに、ヴィオレット様は話を続ける。
「オークハルト殿下を暗殺しようとしている証拠が一切見つからない今、せめて“アイツ”を捕まえることが出来れば、正妃様を断罪できるのですけどぉ」
「シャドーを捕まえることが出来れば……」
「あらココレット様、“アイツ”の名前をご存知なのね?」
「オーク様と二人きりになったときに、警告しに現れたのです」
「そう……。シャドーとおっしゃるのねぇ」
ヴィオレット様はダグラスに視線を向けると、甘い声で彼を呼ぶ。
「ダグラス、あなたではまだシャドーを捕まえることは出来ないでしょうけれどぉ、気を抜いてはいけないわよ。正妃様がココレット様の命を狙うとは思えないけれど、なにかあったら命以外は狙ってくるわぁ。きちんとココレット様をお守りなさい」
「はいッ、ヴィオレット師匠!」
え、わたし、命以外は危険なの?
まぁ、あのマリージュエル様なら、エル様の子さえ生めればわたしが五体満足でなくてもいいと思っていそうだわ……! あわわわわ、気を付けないと。
それからヴィオレット様達と授業が終わるまで話し合い、気を引き締めて元用務員室から退室する。
淑女科への帰り道に、『用務員室』と真新しい張り紙がされた扉を発見した。ヴィオレット様に追い出された用務員達はここに避難しているらしい。元は倉庫のようだ。
とりあえず用務員さん達に避難先があるようで安心したわたしは、ダグラスと共に淑女科へと戻った。