10:図書館
さて布教活動だ!
わたしは布教用に買った『銀の騎士と金の姫君』の本を抱え、昼休みの学園内を歩く。取り合えず同じ女性であり、学年もいっしょのミスティア様から布教するのが簡単だろうか。
デーモンズ学園は本校舎に教務室や医務室など、全生徒が共通して使用する部屋を置き、渡り廊下で各学科の棟に分かれている。
ダンスの授業が行われる講堂や、体術の授業が行われる競技場、図書館など大きな施設もそれぞれ学園敷地内に点在しており、渡り廊下や校庭の遊歩道で結ばれている。
なので基本的に合同授業や移動時間、食堂などでしか他の学科の生徒に会う機会がないのだ。
わたしの所属する淑女科もそれひとつの学科の棟になっており、学年別に階が分かれている。一学年から最終学年までみんな女性なので、淑女科の棟全体から香水の甘い香りが漂っているような乙女の園だ。
棟の入り口には広い共有スペースがあって、そこに置かれたピアノはいつでも自由に弾いていい。本校舎に食堂があるので食事はでないが、お茶のセットならいつでも使えるように用意されていて、いつも綺麗なお姉さま方がお話をしていらっしゃる。まるでどこかの百合小説の世界みたいな学科だ。
特進科の棟はまた違った雰囲気なのだろう。まだ訪ねたことはないので楽しみだ。共有スペースはオーク様の独壇場になっているかもなぁ、と思う。
ミスティア様のついでにオーク様にも会えたら、彼にも本を配っておこう。そうすればオーク様に追従する男女がこぞって購入してくれるでしょう。
ちなみにわたしに夢を見ている層もきっと購入してくれると思うので、本の表紙が目立つように持ち、廊下を移動する。みんな~わたしのおすすめだよ~この本超萌えるよ~。
さぁいざ特進科の棟へ! と特進科に続く渡り廊下へ向かおうとすると、見間違えるはずのない子を前方に見つけてしまった。
なぜ!? と疑問符しか浮かばないけれど、あの白髪と狐のお面をつけた少年はどう見てもーーー。
「レイモンド!? どうしてデーモンズ学園にいるの?」
「お義姉さまっ!」
義弟のレイモンドが校内にいた。二つ年下のレイモンドにまだ入学資格はないのだけれど……。え、もしかして天才過ぎて特別に入学許可が下りたのだろうか。
うん、ありえる! うちのレイモンドならありえるわ!
そう納得しかけたわたしだが、レイモンドの答えは違った。
「僕、フィス様の従者枠でデーモンズ学園内に居るんです!」
「従者枠……?」
高位貴族のみだが従者や侍女を校内に連れてきてもいいことになっている。
わたしも侯爵家なのでいざと言うときは侍女のアマレットを連れてくる予定だが、今のところ必要ないので一人で通っている。
それなのにあのドワーフ野郎……! その手があったのか……!
わたしも従者枠でレイモンドを連れ回したかった……!
一瞬そう思ったが、すぐに冷静になる。侯爵家跡継ぎを従者枠ってどう言うことなの。
「……レイモンド、あなたは我がブロッサム侯爵家の跡継ぎなのよ。ドワーフィスター様の従者ごっこよりも跡継ぎの勉強の方が大事じゃなくて?」
諭すように言えば、レイモンドは狐のお面越しにも分かるほど嬉しそうに答えた。
「終わりました!」
「え」
「デーモンズ学園入学までにクリアしなければいけない勉強は、全部終わったんです! お義父さまもとっても褒めてくださって、入学までの二年間はフィス様のもとでいろいろ学ぶようにとおっしゃってくださいましたっ」
義弟が天才過ぎる。そしてかわいい……ッ!
「さすがよ、レイモンド! あなたはわたしの自慢だわ!」
「えへへ……。嬉しいです、お義姉さま」
レイモンドの柔らかな白髪を存分に撫でていると、レイモンドがおずおずと「僕、そろそろフィス様のところに行かなくちゃ……」と困ったように言う。
「ドワーフィスター様はどちらにいらっしゃるの?」
「図書館です」
「では、わたしも一緒に行くわ」
「いいのですか、お義姉さま。なにかご用があったのでは?」
「レイモンドを預かっていただくのだから、わたしからもきちんと挨拶したいのよ。今はそれより大切なことなどないわ」
レイモンド本人も楽しそうだし、父も許可は出しているが……ええ、きちんと、この子の従者としての扱いがどのようなものなのか聞いておかないといけないわ。
「じゃあお義姉さま、案内いたしますねッ」
「ありがとう」
差し出されたレイモンドの手を取り、わたしたちは図書館へと向かった。
▽
「ああ、アンタか。我が同志、ココレット嬢よ……」
「お久しぶりですわ、ドワーフィスター様」
図書館の奥にある自習用の個室に、ドワーフィスター様は本や羊皮紙に埋もれるようにしてテーブルについていた。
ドワーフィスター様とは入学してすぐに挨拶に行ったきりだったが、一ヶ月程度ではさしたる変化もない。癖のある黒髪と赤い瞳、銀縁の眼鏡型魔道具をかけたドワーフ顔。二次成長で顎髭が生えてきて現在十センチくらいの長さに達しているので、たぶんこのままもじゃもじゃ街道一直線なのだろう。ドワーフは髭が命だし。
「そっちの学科の様子はどうだ?」
「淑女科のみなさんにはとても良くしていただいておりますわ。とても居心地の良い場所です」
「ふん……、そうか。アンタが馴染めないのなら特進科へ転科しろと誘えたのにな。アンタのいない特進科には刺激がない。また以前のように冒険の旅に出たいぜ……」
「教会視察はエル様がご入学されたので、さすがに頻度が減りますものねぇ」
わたしが椅子に腰かけると、ドワーフィスター様がレイモンドに指示を出す。
「おい、レイ。お茶を入れてくれ」
「かしこまりましたっ、フィス様!」
「……本当にレイモンドを従者として扱っておりますのね」
「ああ、その件で来たのか。これはカモフラージュに過ぎないぞ」
お茶を入れるために個室から出ていくレイモンドを見送りながら、ドワーフィスター様が言う。
「カモフラージュですか?」
「レイの記憶力は本当に凄まじい武器だ。僕の従者として学園に二年早く通わせて、この図書館の蔵書をすべて暗記させたい」
「二年後のレイモンドの入学を待てないのですか?」
「正規に入学してからは研究棟の蔵書を読ませたいな。ラファエル殿下も昔からレイに王宮の蔵書を読み込ませているだろう。ココレット嬢、考えてみろ……レイそのものが生きる図書館になれば、どれほどラファエル殿下の治世の為になるか……」
人間○ikipedia作りかよ。
「レイモンドを宰相補佐になさるおつもりなのですね」
「魔法宰相補佐だ。中央権力が嫌だと言うのなら、ブロッサム領地経営に役立てればいいだけだしな。知識は無駄じゃないさ」
「そうですわね」
レイモンドも嫌ならば嫌と言うだろう。ドワーフィスター様もいつのまにかレイモンドを愛称で呼ぶくらい気に入っているのだし、無理強いはしないだろう。
「どうかレイモンドの事を守ってやってくださいね」
「ああ我が同士よ、肝に命じよう」
その後お茶を運んできたレイモンドと三人でお茶を楽しむ。
話の内容はいつものように魔術に移った。
「この間特進科で、クライスト嬢と聖女に関する話していたときに思ったんだが……」
「聖女伝説がお好きですものねぇ、ルナマリア様は」
ルナマリア様と同じクラスのドワーフィスター様は、そのときの会話を思い出すように中空を見上げながら話す。
「聖女ツェツィーリアの能力は、もしかしたら魔力だったのではないかと思うんだ」
うん。わたしもそう思う。あれはヒロインの持つ聖なる魔力だよ。
「ツェツィーリアが魔術式を使っていたという記録が残っていればなぁ」
「ゆかりの教会へエル様と視察に行きましたが、そんな話は聞きませんでしたねぇ」
「あのぅ、フィス様、魔術式無しで魔術は使えないのですか?」
「僕が知っているのは魔術式を紙や地面などに描くか、魔術式を脳内できちんと理解していれば発動できるということだけだな」
「じゃ、じゃあ……聖女様が魔術式を脳内できちんと理解していたという線じゃないでしょうかっ?」
「そういうこともあるのかもしれない。だが、ひとつ気になる点がある」
「どんなことですか、フィス様?」
「ツェツィーリアの代償だ」
ドワーフィスターが首を傾げながら言う。
「彼女は人々を助ける代償に自らの寿命を削っていた。僕の知る魔術ではそんな代償はない。ツェツィーリアが持っていた力は、魔術と呼ばれるものとはまた違う理を持っていたのかもしれない……」
前世で散々乙女ゲームをやりまくったわたしとしては「ヒロインだから特別仕様」って一言で納得できちゃうんだけど。ドワーフィスター様にはこの感覚は伝わらないだろうなぁ。
そんなふうに魔術談義をしている間に、午後の授業が近くなってきたので教室に戻ることにする。
図書館を出ると、ちょうど本校舎へ向かって走っていく橙色の髪の男子生徒の姿が見えた。
ドワーフィスター様が男子生徒の後ろ姿をチラリと見て呟く。
「あれはポルタニアの皇子か」
「え? 皇子がなぜデーモンズ学園にいらっしゃるのです?」
「今年度から特進科に留学している。僕と同じクラスだ」
「王宮内に逗留しているとは聞いておりませんけど、側妃サラヴィア様の離宮にでもいらっしゃるのでしょうか?」
「いや、高位貴族用の寮で暮らしているらしい。今はあの寮に滞在する生徒が一人もいないからな。まるまる一棟が皇子のものだ」
「そうなのですか」
ふーん。王宮内に逗留していないなら、学科も違うしあまり会うこともないだろう。でもゴブリンとは言え皇族だから、失礼がないように気を付けなくちゃね。
わたしの認識はそんなものだった。
あ、『銀の騎士と金の姫君』はドワーフィスター様とレイモンドにちゃんと布教しておいた。