8:ロマンス小説
ルイーゼ様はたった一週間で羊皮紙五百枚もの大作を書き上げた。
幼少期より温めていた妄想だったことと、学園経営を任されたバトラス伯爵家の英才教育によりかなりの読書家に育てられたことが良かったのだろう。作品を産み出す下地がすでに出来上がっていたのだ。
ルイーゼ様の処女作『銀の騎士と金の姫君』は騎士と姫君と王子の三角関係にハラハラしつつ、最終的に幼馴染みの騎士との純愛を貫く王道ラブストーリーで、奇をてらった感じはないけれどすごく良かった。
「騎士の割れた顎のふっくらとした谷間から醸し出す色気は」とか「分厚いまぶたの間から秘められた小粒のダイヤモンドのように瞬く瞳は」とか「魚の腹子のような唇が、姫の清らかな桃色の唇に吸い付いた」とかの文章はなかったことにして、前世ぶりのロマンス小説にすっかり没頭した。
けれどこの作品にハマったのはわたし一人ではない。
この世界初とも言えるロマンス小説に、淑女科の女の子達はそれはもう熱狂した。
「ユージ王子にも救済が必要ですわ、ルイーゼ様! ユージ王子とわたくしの愛の物語を作ってくださいませ!」
「黒髪のユージ王子もそうですけど、このちょっとだけ登場されるハンム騎士団長が素敵ですわ! ハンム騎士団長は独身でいらっしゃるの?」
「バトラス様、どうかお話の書き方をご教授くださいませ! 実は私も幼い頃から想像していた素敵な殿方がいて……! ぜひとも物語にしたいのです!」
そこから淑女科でロマンス小説愛好倶楽部のようなものが発足した。
みんなそれぞれ理想の男性像や憧れのシチュエーションを語ったり、そこからヒントを得て物語を書き出す子が増えたり、絵の上手な子がファンアートを描いたりもして、前世ぶりに夢女活動を楽しめた。
こうなってくると、ぜひともルイーゼ様たちのロマンス小説をきちんと製本して世の中に送り出したい気持ちになってくる。世の中に発表さえしてしまえば、このジャンルはたくさんの同好の士を得られるだろう。
そんなことを考えるわたしのもとへ、鴨が葱を背負ってきた。
「先日のダンスの授業では、僕なんかとペアを組んでくださりありがとうございました……!」
「あら、あなたは確か経営科の……」
「トーラス商会次男のダンテです!」
この世界ではなかなかの不細工、つまり結構わたし好みのイケメンであるダンテは、わざわざ先日のお礼を伝えに来たらしい。ダンスはわたしにとっては役得でしかなかったのに、律儀な方だ。
ちなみに先日のロバートなにがしは、あの一件が学年中に広がったせいでダンスのペアになってくれる女子が現れないらしい。
「こちらはお近づきの印にどうぞ」
「これは……?」
「うちの商会で新たに開発された紙で作られたレターセットです。女性らしい柄のものをいくつかご用意致しましたので、ラファエル殿下への恋文に使っていただけると幸いです」
「まぁ、素敵。ありがたく使わせていただきますね」
お近づきの印にきちんと商会の宣伝をしていく抜け目のなさも持ち合わせていて、将来有望な少年だ。
ふと思い付いて、ダンテに問う。
「あなたのところの商会では紙類を多く扱っていらっしゃるの?」
「そうですね、レターセットの他にはノートやメモ帳なども女性向けのデザインで作っております。あとは新聞や広告などの印刷、ガラスペンやインクの輸入など多岐に渡ります」
「本の出版って出来ます?」
「新聞を作っておりますのでノウハウはありますよ」
「ダンテ、あなたに読んでいただきたい原稿がありますわッ!」
これはきっと縁があるという事だなと思い、わたしはダンテを巻き込むことにした。
▽
ルイーゼ様の『銀の騎士と金の姫君』の原稿はダンテによりトーラス商会に渡り、ダンテの母であり副会長であるトーラス夫人の熱烈な後押しがあって出版が決定された。
この世界ではまだ生まれたばかりのジャンルなので、まずは少部数を書店に置くことから始めるらしい。どうせ重版の嵐でしょう。
「まるで夢のようですわ、ココレット様……」
ルイーゼ様が届けられたばかりの、製本された『銀の騎士と金の姫君』を抱き締めながら涙ぐむ。
「私の理想の王子様、理想の恋愛がここに詰まっています。それがどれほど私の心を慰めるか……。
例えこの先政略結婚をするよう、バトラス家から言われる日が来たとしても、私はきっとその役目ときちんと向き合えますわ。現実世界に夢幻を追いかけたりせずに」
す、すごいわ、ルイーゼ様……。
わたしは現実と妄想をごっちゃにするタイプだから、そんな健気なことは思えないわ!
もしも今生でエル様と出会えず、オーク顔の男性と政略結婚しろとか言われてたら失踪しただろうな、うん。潔く庶民として生きただろう。
「でも、今はまだそんな話は来ていないので、素敵な方と恋愛結婚したいですけどね」
「それがいいですわ、ルイーゼ様。まだ時間があるのに諦めるなんて勿体ないですものね」
「はいッ。男性を見る目を磨きますわ」
そう言って笑うルイーゼ様は、とても可愛らしかった。