5:灰色の髪の委員長
デーモンズ学園に入学してから二週間が経過した。
三年間受けた妃教育のおかげで、授業には余裕でついていけている。それにもともと淑女科は単純な学力よりもマナーやコミュニケーション能力に重きを置くクラスなので、座学はそれほど難しくないのだ。
淑女科は学年で一番人数の少ないクラスで、二十名ほど。入学初日に出会ったルイーゼ・バトラス様を始め、どの子もみんな良家の娘である。淑女たれと躾られた彼女たちは礼儀作法から言葉遣い、会話の内容まで実にお上品である。
彼女たちはとても可愛らしい。わたしが微笑んで挨拶するだけで、真っ赤な顔で膝から崩れ落ちる子もいれば、恍惚とした眼差しで祈りを捧げだす子もいたり、感動のあまり泣き出す女の子までいる。
授業が終わればおずおずとわたしのもとにやって来て、授業で分からなかったところを聞いてきたり。一緒に食堂でランチを取ったり、流行の観劇やお茶会へのお誘いやら、最近作った刺繍についてだとか、心暖まる会話をたくさんしてくださる。
妃教育ではこんなきゃぴきゃぴしたガールズトークをしたことがなかったので、なんだかとても新鮮だ。婚約者候補全員、仲は良いけれど癖がありすぎるものねぇ。
やっぱり淑女科でわたしは良かったのだろう、と自分の選択に改めて納得した。
ただひとつ不満があると言えば、やはり、エル様と校内で全ッ然お会いできないことだろう。甘い学園生活が一切出来ていない……。
デーモンズ学園は一部遠方からの生徒を除いて、自宅から通学することになっている。エル様はもちろん王宮から馬車通学されているが、公務の関係で登校時間が毎日異なっている。そのため前世の学生カップル定番『一緒に登校』はまず無理だ。在学中に何回かあればラッキーでしょうね。
昼休みに一緒にランチ、というのもまだ出来ていない。これはわたしが淑女科のクラスに馴染むまでは女子生徒たちを優先するつもりだからだ。エル様からも了承をいただいている。
放課後はエル様の方がお忙しくて一緒に居られない。放課後デートの夢はまだ先のようだ。
新生活というのは何事も最初が肝心なので仕方がないのだけど……。
はぁ~……。
潤い(イケメン)が足りな~い……!
▽
「ココレット様、次はダンスの授業です。準備がよろしければ移動しましょう」
灰色の髪をきっちり二つに分けて固い三つ編みにしているのがトレードマークのルイーゼ・バトラス様が、頬を染めながらわたしに話しかけてくる。
わたしは周囲の女子生徒たちの様子を確認する。移動の準備が全員出来ているのを見てから、微笑んで頷いた。
「ええ。では皆様、移動しましょうか」
「「「はいっ!!」」」
わたしの側にルイーゼ様がピッタリと寄り添ってくる。彼女の定位置はいつの間にかそこになっていた。
ルイーゼ様はわたしのことをいつも蕩けるような視線で見つめてくる。
最初は「もしかして百合なのか」と焦ったけれど、そうではないことがすぐに分かった。
彼女は単なる超弩級のメンクイだったのだ。
彼女がわたしに最初に会ったときに「オークハルト殿下の婚約者候補」と言ったのは、単純にオーク様激推しなだけだった。なぜならバトラス伯爵家は長年ゴリゴリの正妃派閥なのである。
「はぁぁ……、ココレット様は歩くお姿もとてもお美しいですわ……。入学式でオークハルト殿下とご一緒されているところをお見かけしたときは、まるで英雄に祝福を与える女神様のようで、私は感銘いたしましたわ」
「……ありがとうございます、ルイーゼ様」
どうにもルイーゼ様、わたしとオーク様の組み合わせがイチオシらしく、時折こんな恐ろしい世迷い言を呟くのである。
けれどわたしはどうしてもルイーゼ様を憎めない。
だって彼女ーーー前世のわたしと同じ、夢女の匂いがするから……ッ!
ルイーゼ様のわたしを見る目は、ヒロインを見つけた喜びに満ちている。
そしてルイーゼ様にとってのヒロインであるわたしが、この美醜あべこべ世界におけるイケメンヒーローと結ばれることを夢見ているのだろう。横からひたすらオーク様を讃えてくるのだ。
同じ夢女として気持ちはめちゃくちゃ分かるけど、無理だ……! エル様じゃないと無理だ……!
ルイーゼ様とはカップリング観が合わないので、話題を変えようと次の授業の話を振ってみる。
「次は初めての合同授業ですね。皆様はダンスのパートナーが決まっておりますの?」
ダンスの授業は基本他クラスとの合同である。淑女科には女子しかいないからだ。合同するクラスはその時々で変わるのだけど、今日は経営科の生徒たちが相手である。
淑女科には婚約者持ちのご令嬢も多くいるが、中にはまだ決まっていないご令嬢もいる。そういうご令嬢が自分から良縁を引き寄せるチャンスでもあるのだ。
「わたしは経営科に婚約者がおりまして……」
「隣の領地にいる幼馴染みが経営科なので、彼と踊るつもりですわ」
「私は誰も知り合いがおりませんの。お誘いくださる殿方がいらっしゃればいいのですけど」
などと、みんなでわいわい話ながらダンスの授業が行われる講堂へと足を進める。
ルイーゼ様はうっとりとしながら、
「是非とも見目麗しい男性にお誘いいただきたいものですわ。私にはまだ婚約者がおりませんので、素敵な出会いがあればいいなと思いますの」
と語っている。実に楽しそうだ。
「ココレット様は経営科にどなたか知り合いがおりますの?」
「いいえ、おりませんわ」
「ですがココレット様ならパートナーの申し込みが殺到するに決まってますわね!」
「(イケメン相手なら)とても光栄ですわ」
もう少しで講堂に辿り着く、というところでわたしは廊下の窓に映る景色にハッとする。金色の影が横切ったのだ。
あれは間違いない、エル様だ。
どうやら特進科の次の授業は体術らしい。エル様は制服ではなく指定の運動着を着て、競技場へ続く遊歩道を歩いていた。周囲にはフォルトさんやダグラスの姿も見えた。
「すいません、皆さま。わたしは少し用事を思い出しましたので、先に講堂へ行っててください」
イケメン成分に我慢ができない!
わたしは戸惑うルイーゼ様たちを特技『女神の微笑み』でかわすと、人目のない場所へ移動する。
そしてスカートのポケットから筒を取り出した。
これはドワーフィスター様に作ってもらった単なる望遠鏡である。でもかなり高精度なので、この位置からでもエル様の睫毛の一本一本ハッキリ見えるようなすごい代物だ。
わたしはそのとんでもない望遠鏡でエル様を覗く。
ああ、美しい。校庭に咲き乱れる花々をバックに歩くお姿はもう妖精王のようだ。フォルトさんやダグラスと会話をしているらしく、時折唇の端が柔らかく笑んでいる。あ、よく見たら傍にオーク様もいらっしゃった。
例えイチャイチャ登下校がなかなか出来なくても、放課後デートの実現が遠くても。エル様があれだけ美しいならなんだって耐えられちゃうわ。あの顔面偏差値の高さを前に、わたしは愛の奴隷でしかない……。
わたしはエル様のお姿が完全に見えなくなるまでウォッチングを楽しんでから、ようやく講堂へ移動することにした。
廊下の途中、橙色の髪の男子生徒が視界の端を一瞬横切ったあたりで予鈴が鳴る。本鈴が鳴る前に辿り着かなければと、わたしは足を早めた。