1:デーモンズ学園
前世でやった乙女ゲームに登場するような、大きな白亜の校門をわたしはうきうきとした気持ちで通りすぎる。
そこから学園の前庭まで、整然と並んだ木立が緑のアーチを作る石畳の広い道が続いていた。途中、迷路へ誘うように小道がいくつも現れるが、それらの道の先は第二校舎や温室、図書館などへ続いている遊歩道らしい。わたしは心の目を光らせ、ふむふむ、と感嘆する。
校門と同じ白亜で作られた本校舎が日の光を浴びてまばゆく輝いているのを見上げて、完璧だわ、とわたしは心から思った。
ああ、この学園、建物も校庭も本当に最高! まるで乙女ゲームの世界にまぎれ込んだみたいで、前世夢女だったわたしが心の中でスタンディングオベーションしている。
ただひとつ惜しむべきは……。
学園名が『デーモンズ学園』であることだけだろう……。
……おい、相変わらずのネーミングセンスゥゥ! ここは本当に魔界じゃないのか!?
ついに十四歳になったわたしは、本日晴れてこのデーモンズ学園に入学する。もちろん同い年のエル様とオーク様、ミスティア様もご一緒だ。
残念ながら一つ年下のヴィオレット様と二つ年下のレイモンドはまだ入学することはできないけれど……。
でも一学年上にはルナマリア様とドワーフィスター様もいらっしゃるし、エル様の護衛でダグラスも学園に出入りするそうだからとても楽しみ。もしかすると目の保養になる新たなイケメンを見つけることも出来るかもしれないし。
それになによりエル様との学園生活!!!
前世で学生だった頃、わたしは高校生にもなれば自動的に彼氏ができるものだと思っていた。けれど結果、できなかった。そのせいでお小遣いはすべて少女漫画やロマンス小説に消えていった。
大学生になれば流石に彼氏の一人や二人はできるだろうと高を括っていた。やっぱりできなかった。そのせいでアルバイト代の八割は乙女ゲームに消えていった。食費? 実家から送ってもらえたお米に納豆か卵で生きてたし、アルバイトはまかない付き選んでたからなんとかなったよ。
社会人になった頃には「別にいいもん、喪女でも! 夢女最高イエーイッ!!」状態になっていた。そのせいでボーナス全額ガチャに溶かした。
そんなサラブレッド喪女のわたしの、前世からの憧れの、彼氏とイチャイチャラブラブ学園生活がついにやってくる……ッ!!
もう、エル様と絶対放課後デートするし、廊下だって手を繋いで歩くし、夕暮れの教室で机に突っ伏して眠るエル様を見つけてその白磁のようになめらかな頬にキスをするのよ!!! そのとたん顔をあげたエル様にわたしは驚いてーーー
「エル様、まさか狸寝入りだったんですか!?」
「……うん、ごめんね、ココ」
「やだ……っ、わたし恥ずかしい……っ」
「ココからのキス、とても嬉しかったよ。……ねぇ。目を瞑って、ココ。私からもお返しのキスを……」
……きゃあああ! なんちゃって!! 放課後が早く来いッ!!!
そんな桃色の妄想でいっぱいのわたしへ、周囲からうっとりとした声が聞こえてくる。
「まぁ、ご覧になって……あの御方がブロッサム嬢よ」
「なんてお美しいの! お噂通り、本当に春の女神のような御方だわ」
「僕は幸運にもあのココレット様とお茶会でお話しさせて頂いたことがありますが、美醜にも身分にも囚われない素晴らしい方でしたよ」
「さすがはラファエル殿下の御本命だ。あの御方こそシャリオット王国の正妃に相応しい」
「ココたんマイエンジェル……!」
「私だけのココレットお姉様になって欲しい……!」
そうでしょう、そうでしょう。わたしの美貌は更なる進化を遂げてしまった。
デーモンズ学園指定の真っ白なセーラー服。その一学年を表す赤いスカーフや膝下丈のスカートがわたしの歩みと共に遊ぶように揺れ、お守りのブルーサファイアの髪飾りで纏められたローズピンクの髪が陽光を浴びて輝く。
妃教育の染み付いた体はまるで一本の芯が入ったように真っ直ぐで、ただ歩くだけで人目を引いた。十四歳にしてはまぁまぁ大きめな胸も、形が綺麗でわたしは満足だ。
そしてこの、絶世の美少女フェイスもさらに大人びて、数年後の美の絶頂期を予感させている。
わたしのこの磨き続けた外見はもはや一人歩きをしていて、わたしの内面などお構いなしに人々から女神だの天女だのと崇められていた。
正直わたしもここまで美しく成長を遂げるとは思ってなかったので、周囲の反応も致し方ない気がする。
それにわたしには『本当のわたし』を知って欲しい、などという繊細な気持ちは一切ない。エル様に対してだってそんなことは思っていないのだ。成り行きで知られただけで。
是非とも他のみんなには、わたしの美貌に一生騙され続けていて欲しい。そうすれば『心優しいココレット』はいくらでも不細工に優しく出来るのだから。うふふ。
そんなことを考えながら本校舎の生徒玄関前に辿り着くと、そこにはすでにエル様と従者のフォルトさん、護衛の騎士が数人がいた。騎士の中にはもちろんダグラスの姿もある。あとオーク様。きょろりと辺りを見回したが、ミスティア様はまだ居ない。
「エル様! おはようございます! お早いお着きですね」
「おはよう、ココ。私は新入生代表を任されているから、早かったんだよ。これからすぐに控え室に移動しなければならないのだけど、どうしても一目ココに会いたくてね」
「きゃぁっ、エル様ったら……! わたしも控え室前までご一緒致しますわ!」
「それだとココが入学式に遅れてしまうよ」
「でもエル様と一緒に居たいですわ」
「次期正妃が入学式に遅刻だなんていけないよ?」
「そうですわね……、わたし、エル様の次期正妃としての自覚がまだ足りませんでしたわ。次期正妃ですもの、遅刻は駄目ですわね」
「そうだよ、ココ。きみは学園を卒業したらすぐに私の妃になるのだから……」
「エル様……」
「ココ……」
指定の真っ白な学ランがレフ板効果を発揮していて、いつも以上にエル様が麗しい。
わたしが前世の記憶を告白してから、エル様は目元を隠していた長い前髪をお切りになった。おかげでその大天使のように神々しいお顔もサファイアのような蒼い瞳もよく見えて眼福だ。
成長期に入って声変わりをし、背丈もにょきにょきと伸びたエル様はどんな乙女ゲームのヒーローにも負けない王子様である。そのお姿を見ただけでわたしは何度も彼に惚れ直してしまうのだ。
うっとりと見つめ合うわたしたちに、横からオーク様が声を荒げた。
「俺を無視しないでくれ兄君!! ココ!!」
「オークハルト、急に大声を上げるな。ココが驚くだろう」
「……あらオーク様、おはようございます」
「まだ、まだ十八になるまではココは婚約者候補であって兄君の次期正妃ではないぞ!」
「まだ諦めてなかったのか、オークハルト」
「そろそろ男らしく、ルナマリア様のお気持ちをお受けするべきですわ」
「うう……、二人がひどいぞ……」
わたしが不細工にしか興味が無いことを知ってから、エル様は自信に満ち溢れていた。「醜さにかけて私の右に出る者などいないね」とどっしりと構えてくださっている。そんな嬉しそうなエル様を見ればわたしもとても幸せで、気がつけばバカップル状態に。
そんな仲の良いわたしたちを見て、周囲の人々から「ラファエル殿下とココレット嬢は美醜の格差を越えた『真実の愛』で結ばれているのだ」と言われるようになってきた。おかげでエル様の評価はどんどん上がり、醜い者たちからは特に熱烈な支持を得ている。
あと、教会視察のついでに民衆の役に立ったこともすごく評価されているらしく、エル様は民からも慕われている。
ただ貴族からの評価は相変わらずイマイチだ。わたしが隣に立っているときはわたしの美貌で誤魔化せるのだけど、そうでないときは相変わらずエル様のお顔を恐れる者が多い。
一部、ドワーフィスター様の眼鏡型魔道具を使っている方はエル様の聡明なお人柄を支持してくださるが。あの魔道具もお安いものではないので、そんなに急に貴族間の支持が増えることもないだろう。
やはり第二王子であるオーク様の支持者は多い。
オーク様本人がどれほどエル様を慕い、支持していても、この方は顔が良すぎるのだ。この美醜あべこべ世界にとって。←ココ重要!
十四歳になったオーク様も成長期を迎え、肩幅ガッチリ系のモンスターへと進化なされた。おかげでルナマリア様を始めとする妙齢の女性たちが黄色い声を上げてはべる始末だ。
今も近くの生徒たちが「あれがオークハルト殿下……なんて凛々しいお顔立ち……まるで英雄像のようだわ」「白い学ランがストイックで素敵ぃ!」「叶うなら一度でいいからオークハルト殿下とダンスが踊りたいわ」「ああ、俺はオークハルト殿下の下僕になりたいッ!!」と熱い視線を彼に送っている。
「じゃあココ、私はそろそろ控え室へ行くよ。オークハルト、ココを守るように」
「会場で応援しておりますわ、エル様」
「ココのことは任せてくれ、兄君!」
生徒玄関へ向かうエル様とフォルトさん、ダグラスを含めた護衛の騎士の半数を見送る。残りの騎士はオーク様の護衛に就くらしい。
わたしはオーク様と向き合った。
「わたしはこのままミスティア様をお待ちするつもりですけど、よろしいのですかオーク様」
「ああ、ティアを置いて会場へ先に向かったら可哀想だな。それに迎えにルナが来てくれるはずだから、入学式の会場へは四人で行こうじゃないか」
「はい」
オーク様はとっくの昔にミスティア様を愛称で呼ぶようになっていた。さすがはコミュ力の高いオーク様である。
そんなわけでミスティア様とルナマリア様を待ちつつ、これから始まる学園でのカリキュラムの話などをしていると。
突然、オーク様の横で一人の少女が躓いた。
「きゃあっ!」と可愛らしい悲鳴を上げ、オーク様の胸の中へと倒れ込んでくる。
オーク様は実に紳士らしく少女を抱き止めた。
「ご、ごめんなさい……! わたしったら、そそっかしくて……! あの、お怪我はありませんでしたか!?」
「俺は大丈夫だ。ご令嬢、あなたこそ怪我はないか?」
「はいっ、大丈夫です……!」
そう言ってオーク様の胸元から顔を上げたのは、赤髪の愛らしい少女だった。