55:古代シャリオット語(ラファエル視点)
ツェツィーリアとルッツが暮らしていたという家はとても狭く埃っぽい。
騎士達に窓を開けて空気の入れ換えをするように指示したが、ココのような令嬢にはこの部屋に居るだけで辛いものがあるだろう。私は前回の人生で野宿やスラム街での劣悪な生活を経験しているからまだ平気なのだが……。
そんな心配をしながらココに視線を向ければ、彼女は無邪気な探求心をそのペリドットの瞳に宿しながら室内を見回していた。
わくわくした様子で「もしも旅人ルッツがあの御方でしたら、歴史的大発見ですね」と私に笑いかけてくる。そんなココに私はホッとした。
ココと出会って二年の年月が経ち、いわゆる思春期へと突入したけれど、彼女の心の清らかさは褪せることを知らない。変わらず私の傍らに寄り添い、穏やかな微笑みを浮かべていてくれる。ーーーココとは対照的にどんどんと醜くなっていくこの私に。
十三歳になったココは背丈が伸び、体つきも女性らしい丸みを帯びてくるようになった。ふとした瞬間に滲み出てくる若い色気に、直視できなくなることもしばしばだ。
そんな彼女の美しさに虜になる人間は少なくない。オークハルトも変わらずココに熱を上げている。
それでも彼女は私の傍にいつでも寄り添ってくれていた。
ココが『異形の王子』である私の正妃になる本当の狙いについて、どれほど裏から調べても見つけることができない。
ブロッサム侯爵と何度面談しても含みがあるようには見えないし、ココの性格上、地位や権力、正妃が自由にできる財産を求めているようにも思えない。
彼女は己の存在自体がピカピカの宝石であり、権力や金品で飾らずともそのままで美しいことを自覚しているからだ。
ならばなぜーーー、と考え続けているが、醜い私と婚姻することのメリットが他にはなにも浮かばなかった。ココに直接聞けばいいと思いもするが、尋ねてみたことはない。
私は怖いのだ。そんなことを聞いて、もしもそれがきっかけでココを失ってしまったらどうすればいいのかと。彼女なしの人生などーーーきっと前回の人生以上の地獄だろう。
騎士や役人達がルッツの私物を見つけ出しては、私たちのもとへと運んでくる。
平民が読むには専門的すぎる学問書や、平民どころか高位貴族ですら持つことのできない見事な金細工が施されてた黒真珠のカフスボタンなど。
これほどのものがこんな田舎の古びた家になぜ無造作に置き去りにされていたのかも分からないものばかりだ。……もしかするとこの周囲には、これらの品の価値を真に理解できる人間が居なかった為に、盗まれずにいたのかもしれない。
「あら、エル様、こちらの書物の文字が……」
「どうしたんだい?」
ダグラスが見つけてきた古びた本を点検していたココが、困ったように私を見上げていた。
「古代シャリオット語のようなのですが、勉強不足でわたしには読めませんわ」
「古代語?」
ココが受けている妃教育ではまだ古代シャリオット語の授業がないはずだ。今はまだ政治や経済、歴史などが中心で、語学もまずは外交に使える近隣諸国の言葉から習っていたはず。千年以上も昔の古代シャリオット語は、もちろん学ばなければいけない教科だが、優先順位はそれほど高くはない。ココもそのうち習うだろう。
私はすでに古代語を習得しているけれど。
ココから受け取った本を開いてみれば、そこに書かれた文字は確かに古代シャリオット語だった。
旅人ルッツが生きていた時代にはすでに使われていない言語。
つまり彼は古代語を習得するだけの教養を受けられる、高位の階級出身だということだ。
「エル様は読めますか?」
「うん。……これは、ルッツの日記みたいだ」
しばし日記を読み進めて、私は確信する。
「ルッツはやはり、三代前に王位に就いたシュバルツ王だ」