50:ヴィオレットの思惑
深紫色の瞳と髪を持つ、ごくごく平凡な顔立ちをしたサルバドル・インスという名の従者を恋人として紹介したヴィオレット様に、わたしとルナマリア様は開いた口が塞がらない。
ヴィオレット様は側妃派閥のお家柄で、サラヴィア様のご推薦でオーク様の婚約者候補に選ばれた御方。そんな背景を持つ彼女が堂々とサラヴィア様へオーク様以外の人を恋人として紹介する……。頭が痛くなる光景だ。
わたしはふと、周囲の様子が気になった。
オーク様大好き集団の侍女や侍従たちはさぞや怒っているだろうし、オーク様本人も困惑しているに違いない。サラヴィア様はまだお会いしたばかりなので反応は想像できないけれど、自分の推薦を蹴るような真似をされたのだからきっと不愉快には違いない。
そう思っておそるおそる周囲へ視線を向ければ……。
侍女や侍従たちは「まぁ、あの御方が」「ベルガ様がお選びになられただけあって、お優しそうな方ですね」と好意的な視線を向けている。それだけで意味がわからない。
続いてオーク様に視線を向ければ、彼は彼で興味津々な表情をサルバドルに向けていた。……まぁ、オーク様はまだ一応わたしを諦めていないみたいだから、他の婚約者候補に恋人が居ても気にしないのかしら……?
そしてサラヴィア様はと言うと。
「ウフフフフ、君が噂のヴィーの恋人か! ヴィーからはのろけをたっぷりと聞かされてきたが、実物は案外普通の少年なのだねぇ」
楽しげに笑い、二人をからかい出した。そこにはなんの悪感情も見られなかった。
「まぁサラヴィア様、サリーは平凡なんかではありませんのよ? 我が一族の中でもとても優秀でぇ、もうすでに一人で熊を倒せるのですわぁ」
「いや、戦闘能力の話ではないよ。君がサルバドルのことをまるで白馬の王子様のように語っていたから、てっきりわらわのオーク並みに麗しいのかと思っていてな」
「サラヴィア様、よくご覧になってくださいませぇ。これほど麗しい殿方がサリーの他にいらっしゃる? 葡萄のように艶やかな髪と瞳、太くて勇ましい眉毛にふっくらとした唇……まるで芸術作品のようですわぁ」
「おやめください、ヴィオレットお嬢様っ! 僕がオークハルト殿下に敵うわけないじゃないですか……ッ! というかお嬢様、今までどんな話をサラヴィア様にされてきたのですか!? 僕、聞いてませんよそんな話……!」
「サリーが世界で一番麗しい殿方だという事実をすこーし、お話ししただけですわよぉ?」
「そんな事実はありませんから!!!」
可愛らしい恋人たちをサラヴィア様がからかい、周囲の者たちが温かな視線を向ける。そのうちオーク様も会話に交ざり、「ヴィーとはどう出会ったのだ?」「二人はいつから想い合うようになったのだ?」と二人の恋バナに夢中になり始めた。
どういう展開なの、これ。
「……ココレット様」
隣から、か細い声でルナマリア様が呼んでくる。
顔を向ければ、現状を必死に飲み込もうとしているルナマリア様が、ふらふらとわたしの腕にもたれ掛かった。震える指でわたしのドレスを握りしめる。
「あの、つまり、これは……?」
困惑しているルナマリア様へ、わたしはひとつの確信を持って答える。
「ええ、ルナマリア様。あなたの恋敵は候補者の中には居ないみたいですわ」
わたしの言葉に、ルナマリア様の足の力が抜けた。そのまましゃがみこみそうになる彼女の体をどうにか支える。
「良かったですわね、ルナマリア様」
「は、はい……。よかった……、良かったです」
心からホッとしたように呟くルナマリア様のアイスブルーの瞳は、陽光が差し込む湖のように光り輝いていた。
▽
「そういえば二人にはヴィーについて説明してなかったな!」
ようやくお茶会らしく飲食ができるくらいの雰囲気になってから、オーク様はヴィオレット様が婚約者候補として選ばれた経緯を説明してくれた。
「ヴィーは俺の護衛として母上がお選びになったのだ」
ベルガ辺境伯爵家は隣国ポルタニア皇国との国境沿いを領地としており、度々起こる小競り合い以外は比較的平和な土地なのだそうだ。ポルタニア皇国の人々とも商いなどを通して交流があり、皇女であったサラヴィア様もまたベルガ辺境伯爵家とは幼い頃から仲良くやっていたらしい。
だが再び争いが起き、その賠償のひとつとしてサラヴィア様がシャリオット王国へ輿入れすることに。つまりは側妃という名の人質だ。
そんなサラヴィア様を憐れまれたベルガ辺境伯爵家は、彼女の後ろ楯となることにしたらしい。
そして今回ヴィオレット様が護衛の任務に就いたそもそもの原因は、わたしがエル様とオーク様の本命の婚約者候補になってしまったことらしい。
エル様の王太子としての地位を確固なものにしたい正妃マリージュエル様にとって、わたしはエル様のお世継ぎを生むことができそうな貴重な存在である。そんなわたしをみすみすオーク様に取られるわけにはいかない。
いつ何時オーク様のお命を狙われるか分からない状態だと判断したサラヴィア様は、ベルガ辺境伯爵家に頼み、オーク様と年の近いヴィオレット様を護衛として婚約者候補へ入れることになったそうだ。
「ヴィオレット様はよくそんな危険なお話をお受けになりましたね……」
正妃様の過激な人間性は、たった一度お会いしただけのわたしでも理解している。
まだ十歳の可憐な少女があの悪役妃様と戦う最前線に出るって、ほんとすごいことだと思う。
それに恋人のいる女の子が、他の男性の婚約者候補になるなど嫌で仕方がないだろうに。そう思ってわたしが言えば、ヴィオレット様が甘い微笑みを浮かべた。
「だって大きな見返りがありますものぉ」
「見返り、ですか?」
「ええ。ココレット様もご存じのはずですぅ。……婚約者に選ばれなかった候補者は、報償金と共に、本人の望む婚姻が用意されると。他国の王族から高位貴族、……庶民と結ばれたご令嬢も過去には居たと」
あっ! あああああ、あった、そんな話が確かにあったわ!!!
「わたしのサリーは男爵家の四男です。我が家族はわたしがサリーに嫁ぐことを許してはくださいませんの。なにせわたしは末娘で、上にいる五人のきょうだいは全員男ですから。両親も兄たちも、わたしを可愛がりすぎるのですわぁ」
うんざりとした様子でヴィオレット様が溜め息を吐く。
「お金のない男爵家の、さらには四男。ほとんど庶民に嫁ぐようなものだと言って反対されておりますぅ。
でも、オークハルト殿下の婚約者候補として護衛を勤めあげたそのあかつきにはぁ、たくさんの報償金と、サリーとの婚姻が王家から認められるのです。もう家族の反対など関係なくなるのですわぁ!」
そう言ってスミレ色の瞳をキラキラ輝かせたヴィオレット様は、傍で控えていたサルバドルの手を握り、砂糖菓子のように微笑む。サルバドルは一気にのぼせあがった。
「愛するサリーと結ばれるためなら、いくらでもがんばりますわぁ。だからどうか、わたしの傍で支えてくださいねぇ?」
「もちろんです、僕の愛しいヴィオレットお嬢様……!」
二人の甘い雰囲気を尻目に、サラヴィア様がオーク様へ「本命の女性に説明してかなかったなんて、手落ちじゃないかい」と言ってその頬をつついている。
オーク様は小首を傾げ、「それほど重要なことでしたか? 母上」と尋ねていた。
わたしの隣でルナマリア様が両手で顔を覆っている。
「大丈夫ですか、ルナマリア様?」
「……はい」
彼女の耳がひどく赤い。
「なんだかとても、安心してしまって……」
「ふふふ」
恋敵が居るのと居ないのとでは、その焦りも違うのだろう。……わたしはこの世界ではそういった恋敵が現れそうにないので想像でしかないけれど。
「本当に良かったですね」
「はい」
この数年後、ルナマリア様にとんでもない恋敵が現れ、自分が巻き込まれることになることも知りもせず、わたしは暢気にルナマリア様の可愛らしい横顔を眺めていた。