46:それぞれの道
「それでルナマリア様とミスティア様が仲良くなったんです!」
本日は室内稽古場で稽古をしているエル様とダグラスのもとへ顔を出した。
稽古場の隅に設けられた休憩用のスペースでお茶をしながら、わたしはエル様に先日のルナマリア様とミスティア様の和解について話していた。彼女たちは二人ともエル様の婚約者候補なのだから、エル様も知っておくべきだろうと思って。
エル様は首筋の汗をハンカチで拭いながら、驚きに目を丸くしている。稽古後の彼は恐ろしく色っぽい。
「あのクライスト嬢とワグナー嬢が? 友好的になった……?」
「はいっ。今では休憩中もよくお喋りをするんですよ」
「それは凄いね……」
いっそ呆然と言った方がいいような表情で呟き、エル様はしばし中空に視線を向けた。なにか昔を思い出しているかのような、思案しているような顔だ。真剣なその顔が本当に素晴らしい。マーベラス!!
芸術作品のような彼の横顔をじっくりと観察し、わたしは桃色のため息を吐いた。
「それはまことか、ココ! ルナに友人が増えることは実に良いことだな!」
稽古場の中央から、オーク様の無駄に良い声が届く。そのあとすぐに、模擬剣を打ち合うカキンッ! という金属音が続いた。
しぶしぶ視線をそちらへ向ければ、ダグラスと稽古をしているオーク様の姿が見える。
運動着に着替えたオーク様は汗を輝かせながら剣を振るい、無駄に柔らかそうな頬肉をぷるぷると揺らし、何度もダグラスに挑んでは膝をついて負けていた。それでもその顔は楽しそうで、懲りずにダグラスへ再戦をねだっている。
その周囲にはいつもの侍女や侍従達がおり、眼鏡の魔道具をかけた彼らは両手を振ってオーク様に声援を送っていた。
「……いつからオーク様が稽古に参加されるようになったのでしょう?」
わたしが尋ねれば、エル様は固い表情をする。
「前回の教会視察のあとから、……かな。あのとき見たダグラスの強さが忘れられないなどと言って、押し掛けるようになったんだ」
「まぁ、そうでしたの」
「オークハルトはお茶会や視察で王宮の外にいる時間の方が長いからね。剣術の授業も最低限しか受けていないんだ。あいつに必要かはわからないが……、鍛練しておいて損もないだろう」
エル様がそう言うと、話が聞こえていたらしいオーク様がこちらへ振り向いて叫ぶ。
「必要に決まっているだろう、兄君! 俺は将来兄君の補佐になるのだから、いざというとき兄君の盾にならなければ! 弱いままの俺で良いわけがなかろう!」
「……オーク様はエル様の補佐役でしたの?」
「私にそのつもりは全くなかったよ」
「なんだとっ、兄君!?」
オーク様はダグラスとの稽古を中断し、こちらへ向かってくる。侍女が差し出すハンカチで汗を拭い、エル様の向かいの席へ腰を下ろした。
「俺は外交面で役に立つつもりだぞ、兄君。そのために毎日のようにどこぞのお茶会やら食事会やらに出席して、人脈作りにいそしんでいるではないか!」
「……そうだったのか?」
「そうなんだよ!」
エル様はまるで未知の生き物でも見るかのようにオーク様を凝視する。エル様の長い睫毛がぱちりぱちりと瞬いていた。
「兄君の苦手分野を補う。だから俺の役目は外交だ。半分は母上の母国ポルタニア皇国の血が流れているから、かの国との外交もやり易いはずだ」
「そうか…。オークハルトがそこまで考えていたとは思いもしなかったよ」
「俺はこれでも兄君のスペアの第二王子なんだが」
「そのわりには王子教育がまだまだじゃないか」
「……これからもっと頑張ります」
しゅん……と叱られた子犬のように体を縮めるオーク様を、エル様は複雑な表情で見つめた。
エル様はオーク様のことが本当に苦手そうなのに、オーク様からの愛情を完全に突っぱねることができないらしい。
それは兄弟愛とか家族愛とかを感じているからではなく、……彼の心が愛情そのものに飢えているからなのかもしれない。
そんなエル様の弱点を突きまくっているオーク様が、本当の家族愛をエル様から勝ち取れる日がいつか来るのかはわからないけれど。
エル様が慕われているのなら、わたしは嬉しい。
いつかこの御兄弟の仲が改善される日が来るといいなと、わたしはひっそり思った。
▽
稽古場の窓から覗く空の色が藍色になった頃。
わたしはエル様たちに別れの挨拶をし、騎士見習いのダグラスに玄関まで護衛してもらった。
王宮の玄関先にはちょうど、一台の馬車が王宮から去るところだった。
その馬車は余計な装飾はなく、非常に頑丈そうな造りをしており、馬車を引く馬も軍馬のように大きい。蔦の絡んだ剣の紋章だけが扉に大きく描かれていた。
「あれはヴィオレット様の……ベルガ辺境伯爵家の馬車ね……」
わたしは思わず呟いてしまう。
ヴィオレット様もこんな遅い時間まで王宮にいらっしゃったのだろうか。
何か用があったのかしらと首を傾げていると、ダグラスから声をかけられる。
「ベルガ辺境伯爵家とは、視察の時に猟銃を使いこなしていたご令嬢ですよね……?」
「ええ。そうよ。あのときの勇敢なご令嬢がヴィオレット・ベルガ様です」
わたしが頷けば、ダグラスは馬車が去って行った方向へ視線を向ける。馬車はすでに門から出ていったらしく、土埃が舞っているだけだった。
「あの……、普通のご令嬢ってあんなに強いもんなン……ですか? それともベルガ様が特別にお強いんスか?」
どうもヴィオレット様の戦闘能力を見たせいで、ダグラスの中の貴族令嬢に対する認識が迷子になっているらしい。
わたしは首を横に振る。
「いいえ、ヴィオレット様が……というよりベルガ辺境伯爵家の方は老若男女問わずお強いそうですわ。なんでも幼い頃から格闘技を叩き込まれるそうで。辺境伯爵家は国防の要の一つですから」
自分でそう言いつつも、あんなに可愛いヴィオレット様を仕込んだベルガ辺境伯家にちょっと引いてるけど。
たぶん銃だけではなく、剣術や体術もすごいのだろう。
わたしの説明に、ダグラスは金色の瞳をギラギラと輝かせた。唇の端をニヤリと緩ませ、ぼそっと「マジかよ、すげぇガキだな。負けてらんねぇぜ」と呟いた。
ふつうに聞こえているわよ、ダグラス君。
エル様がなぜ初対面のダグラスに騎士になるよう勧めたのか、あのときは分からなかったし、深く考えもしなかったけれど。だってダグラスの騎士の制服姿が見たかったし……。
もしかしたらこんな風なダグラスの一面を、エル様はすでに見抜いていたのかもしれない。さすがエル様だとしか言いようがないわ。
「ダグラスは騎士見習いの仕事が楽しいですか?」
わたしが尋ねれば、彼は少し首を傾げる。
「……楽しいとかはよくわかんないです、けど」
「けど?」
「俺の持っている力を、初めて正しいことのために使えているような……、騎士を目指すのが俺には正解だなって、感じはします」
ダグラスはそう言って自分の両手を握ったり開いたりしてみせた。その横顔はとても穏やかだ。
「ダグラスはきっと、天職に出会えたのでしょうね」
わたしの言葉にダグラスは顔を上げ、ニカッと笑った。
「ココレット様のこともラファエル殿下のことも、守ってみせます」
「ありがとう、ダグラス」
ダグラスの嬉しそうな笑みに、わたしはしみじみと思う。
……ダグラスをわたしの専属従者に勧誘しなくて本当に良かった。
でないと、彼のこんなに素敵な最強スマイルを見ることは出来なかっただろうから。