43:二回目の教会視察①
王都を抜けると急にのどかな風景が広がってくる。
春の淡い空はどこまでも広がり、田畑や野原、所々に森や林が見えた。人の暮らす土地以外は自然そのままといった景色だ。
桜の花もすっかり散って、黄色や赤といった鮮やかな花があちらこちらに咲き始めていた。
畑を耕し、種や苗を植えたり、春野菜を収穫する農民の姿があちらこちらに見られる。その周辺では猟銃を持つ狩人の姿も。冬眠明けの動物や繁殖期に入った大型の鳥などが畑を荒らしに来ることがあるので、護衛をしているのだろう。
この世界にファンタジーなモンスターはいないけれど、野性動物が前世のものよりずいぶん狂暴なのである。せっかくの畑を食い荒らされたら大変だ。
時折どこかの牧場からのどかな牛の鳴き声が聞こえてきて、その度にエル様やミスティア様が馬車の窓を覗きこむ。
「この辺りに来たのは初めてだよ。今の音はなにかな?」「牛という生き物ですわ、ラファエル殿下。我がワグナー領地にある牧場で見たことがありますの。すごく大きくて恐ろしいのですわ。殿下もお気をつけくださいませ……」「恐ろしいとは、一体……?」「あれは人間を好き勝手に舐め回しますの。とっても、大きな、舌で……。わたくしは縦ロールひとつを穢されましたわ」「ワグナー嬢もそれは大変でしたね」「ええ、本当に」
だれか、王族や公爵令嬢より偉い身分の方、この会話を止めてほしい。切実に。
そのうち小さな町に辿り着く。町のメインストリートはお店が連なり、活気に溢れていた。
わたしたちの乗る馬車はそのメインストリートをゆっくりと進み、外れにある教会へ到着した。
教会の入り口には神父様と数人のシスターたち、そしてこの町を治めている伯爵家の方々があたたかな笑みを浮かべて待っていた。
エル様が馬車から降りると、その場の空気が凍りつく。シスターたちは全員失神し、神父様と伯爵家の方々は真っ青な顔になる。嘔吐を堪えようと口許をハンカチで押さえる者もいた。
またしてもこれだ。
この世界はこういう世界だったのだと改めて思い、唇を噛む。
「エル様っ」
わたしはとびきりの笑顔を浮かべながら馬車から降りると、エル様に駆け寄り、その腕にしがみついた。
エル様にはわたしという味方がいるんだからね、と。エル様や周囲の人間にアピールするために。しかもわたしは絶世の美少女。味方のステータスとしてはかなりのものだろう。
「ココ、……ありがとう」
エル様はわたしの思惑が分かったのだろう。穏やかな表情でわたしの髪を撫で、小さな声で「この程度のことはもう、平気だよ」と言ってくださった。
なんて強い心の持ち主なの……。好き!
三台の馬車から全員が降りると、エル様は毅然とした態度で神父様たちに話しかけた。
「本日は急な視察を受け入れてくださり、ありがとうございます。私は第一王子ラファエル・シャリオット。あちらにいるのが弟のオークハルト、他は私たちの婚約者候補の令嬢たちです。今日は一日よろしくお願いします」
「は、はい。私はこの教会に長年務めさせていただいている神父です……。本日は王家由来のカメオのペンダントを見たいとお聞きしておりますので、そちらを中心にご案内させていただきます……」
「ッ、その、その後は、我が伯爵家が周辺のご案内をさせていただきたく思います……! 昼食も屋敷のほうにご用意しておりますので!」
「ありがとうございます。人数が事前に連絡していたよりも増えてしまったのですが、大丈夫でしょうか?」
「はいっ、対応させていただきます……ッ!」
顔面蒼白な神父様と、声が裏返っている伯爵家の方と共に、わたしたちはゾロゾロと教会の中へ入った。
規模としてはそれほど大きな教会ではなかったけれど、歴史は古く、前世だったら文化遺産とかに指定されていたかもしれないレベルの女神像などが飾られていた。もちろん前回の教会と違って建物自体手入れされており、頑丈そうだ。
オーク様にエスコートされたルナマリア様は興奮のあまり真っ赤な顔(無表情)をして、神父様の説明に相づちを打っている。
ミスティア様は時折わたしのドレスの裾を摘まんでは、「ねぇココレット様、あちらをご覧なさいな」とか「まぁ、初代国王時代の紋章ですわよ、あれ!」と話しかけてくる。遠足に来た子供のように楽しそうだった。
エル様も熱心にカメオのペンダントの実物を見て、その説明を聞いている。
なんでも百五十年ほど前にこの地域で大きな山火事があり、その被害者を憐れまれた王女様が自身の装飾品をいくつか寄付したそうだ。カメオのペンダントをひとつだけ残し、残りはすべて換金して被害者への見舞金にしたとのこと。素敵な王女様ねぇ。
説明を聞いて、エル様はなぜか少し落胆したような表情をしている。どうかしたのかと尋ねても、「なんでもないよ」と苦笑するだけだった。
その後も教会内のあちらこちらを案内してもらった。
ふと気になって後ろを振り向くと、ヴィオレット様が深紫の髪の従者のエスコートに身を任せて、わたしたちから少し離れた場所を歩いていた。
ヴィオレット様は愛らしく笑いながら、従者になにかを耳打ちする。従者はとたんに真っ赤な顔になり、早口でなにかを喋っていた。その様子はまるでーーー……。
まぁ、そういうこともあっても可笑しくないよね、と思い、わたしは視線を戻す。
「どうかしたの、ココ」
「いいえ。ただ春めいてきたなと思いまして」
「ああ。もうすっかりいい陽気だものね」
「はい」
教会の視察が終わると、わたしたちはまた馬車に乗り、伯爵家の屋敷へと向かった。