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38:居場所(ダグラス視点)





 目が覚めると布団の中にいた。その事実に俺は毎朝驚いちまう。数ヵ月前にはだたの浮浪児だったっていうのに。


 周囲を見渡せば、騎士見習いが使う四人部屋が見えた。

 二段ベッドが両壁際に並べられている。その他には書き物用の小さな机と椅子が一つと、鍵付きの戸棚が一つ。戸棚は四つの扉が付いていて、各人の荷物が詰められるようになっていた。

 まぁ俺には支給された衣服の他には……ハンカチが数枚入っているだけだけどな。

 まだ早朝のせいか部屋の中は暗く、春先の寒さが身に染みる。だがスラム街で死と隣り合わせの冬越えをしていた頃よりはずっとマシだ。食堂や談話室などの人の集まる場所には暖房器具もあるから、暖まりに行くこともできる。


 俺は同室のやつらを起こさないようにそっと二段ベッドから降り、見習いの服へと着替えた。

 食堂が開くまで、体を暖めるために素振りでもしてくるか。





 俺が生まれたのは王都の外れにあるスラム街で、そこに住む奴らのほとんどがそうであるように、俺もまた孤児だった。


 母親の記憶は朧気だ。

 記憶のなかの母親はまだ十代前半のような顔をしていて、俺を見下ろす表情はいつも苛立たしげだった。

 どうせ父親が誰かもわからずに俺を産んじまったのだろう。スラムの女にはよくある話だ。自分の体で生計を立て、そして生まれた子供を奴隷商に売り払う。それなのに生まれた俺は酷く醜くて、売るに売れなかったつーわけだ。

 そのまま俺を見捨てちまえば良かっただろうに、母親は良くも悪くも幼すぎてその判断を間違えちまったんだろう。母親は俺を疎みながらも、たまに乳を与えた。俺の歯が生えてからも、時折気まぐれのようにカビたパンを与えたりした。

 子育てとも呼べないようなずさんな扱いだったが、生来の頑丈さのせいか悪運の強さか、俺は生き延びちまったというわけだ。


 そんな母親ともいつ別れたのか、よく覚えてねぇ。

 気付けば俺はどこかの軒下で座り込んでいた。ひどく空腹で、視界が霞む。とにかく腹になにかを入れたくて、そこら辺に生えている草や土を口に入れた。雨上がりだったのか地面には水溜まりがあって、顔を突っ込んで泥水をすすった。たぶん四歳前後の記憶だろう。


 そのうち一人で塵を漁ることを覚えた。同時に俺よりも体の大きな奴らが塵捨て場に“縄張り”を作っていて、そいつらに見つかると暴力を振るわれることも学んだ。

 そいつらに見つからないように塵を漁り、見つかれば殴られ、時には抵抗し、殴り返すこともできるようになった。そのうち盗みや詐欺も覚え、気が付けば年は十を越えたあたりで醜さと腕っぷしの強さから『悪魔のダグラス』と呼ばれるようになっていた。


 そんで運命のあの日、俺は教会の祭りへ出掛けた。

 なにを祝っているのかよくわからねぇけど、教会へ行けば誰でも炊き出しが貰える日だ。まともな飯がタダで食えるんだから行かないわけにはいかない。

 俺はスラム街から一番近い教会へ、いつもの空腹を抱えて歩いていった。


 炊き出し列におとなしく並んでいると、突然数人の男たちが俺の前に割り込んでくる。二十代前後の男たちは俺をジロジロ見て笑った。


「うっわぁ、不細工。なにこいつ」

「この季節に半袖ってどんだけ貧乏なんだよ……。あ~、そっか、スラムのガキか」

「悪いな、不細工。俺たち急いでるからさ、先に並ばせてくれよ。いいだろ? 人助けだと思ってさぁ~」

「そうだな、人助けだ! お前みたいな不細工は生きてるだけで迷惑だもんな。ちょっとは社会貢献しろよ」


 俺は沸騰したように腹が立ち、一番近くにいた男の胸ぐらを掴むと、言い返してやった。


「なに割り込んでんだよ、テメェらッ! ちゃんと一番後ろに並びやがれっ!!」

「うるせーんだよ、不細工! お前みたいな不細工の前に割り込んでなにが悪いんだ? 人間じゃねぇだろ、お前なんて」

「なんだと!? 喧嘩なら買ってやるぞ!」

「いいぜ、買ってやるよ、ブッサイク!」

「ギャハハ! やっちまえ、兄ちゃん! 顔をボコボコに殴ってやったら少しはこの不細工の顔もマシになるんじゃねぇの~?」

「上等だ、テメェらッ! 俺様が返り討ちにしてやるよッ!」


 そこからはいつもの喧嘩だ。

 リーダー格の男に狙いを定めてガンガン殴り付ける。腰巾着の男どもが俺に横槍を入れてくるが無視し、ひたすら殴り続ける。先にリーダーさえのしちまえば後は楽だからな。


 だがしかし、体格の差のせいか、空腹のせいか、段々殴られる回数が増えていく。

 腰巾着の一人に横から蹴りを入れられて、踏み止まれなかった体が地べたに倒れた。そこに畳み掛けられるように次々と蹴りを入れられる。


 悔しい。痛てぇ、悔しい、悔しい。


 せめて頭を守ろうと体を縮こませればーーー。


「列に割り込んで喧嘩を始めるようなあなたたちに、ここの配給を受けとる資格はありませんわ。大人しく騎士団に連行されなさい」


 甲高い女のガキの声が聞こえた。

 どうやら騎士が来たらしく、俺を囲んでいた男たちが次々に捕らえられていく。

 そして目の前に小さな手のひらを差し出された。苦労などまるで知らなそうな、白くて小さな女の手だ。爪の間に泥の汚れすらない、それどころかピカピカに磨かれた手だ。

 こんな手はスラムでは見たことがねぇ。いいところのお嬢様の手なんだろう。


「さぁ、手当てをしましょう。立てますか?」

「……触んなっ!」


 腹が立って、その白い手を払い除けた。


「同情なら要らねぇよ、お貴族様!」


 どうせ俺の顔を見ればビビって逃げ出すんだろう。こういう奴は今までにも居た。こちらのことを勝手に可哀想がって、手を差し伸べて。喜んで顔をあげれば、俺の顔を見て悲鳴を上げる。どいつもこいつもそうだ。自分の正義感だとか自己犠牲に酔っているだけで。本気で俺を助けようとなんかしちゃいねぇ。ーーー誰も本気で俺なんか相手にしちゃくれねぇんだ。


 さぁ俺の顔を見て悲鳴をあげろよ。泡でも吹いてぶっ倒れちまえ。


 そう思って顔をあげればーーー。


「は……? 女神……?」


 深みのあるピンク色の髪と、新芽みたいに柔らかな黄緑色の瞳を持った、美しい女神様がそこに居た。

 今日はこの女神様のための祭りだったのか?

 祭りのために女神様が天国から降りてきたのかと、一瞬本気で思った。


 彼女は驚いたように俺を見つめたが、そこに嫌悪の色は見えねえ。一度深く息を吐くと、もう一度俺に手を差し出してくる。


「……っあ、後であなたが受けとるはずだったスープとパンも差し上げますから。まずは傷の手当てをしましょう」

「…………」


 その汚れない手を取る以外の選択肢が思い浮かばなくて、俺は呆然としたまま

手を重ねた。

 その手を取った瞬間から、俺の日常は終わりを告げた。





 ココレットと名乗った彼女は、なんの躊躇いもなく俺の体に触れて怪我の治療をした。あまりのことに、この女の頭はイカれているのかもしれないと思ったくれぇだ。

 けれどそこに、女の弟を名乗るガキが現れてメシを運んできた。ガキが不思議なお面を取ると、そこにはひでぇツラが現れる。そして女はそのガキの頭を笑顔で撫でた。俺にはよくわかんねぇけど……たぶん愛情というやつが込められたものだたんだろう。女からはとても優しい気配がした。


 ……なるほどな。この女は身内にこんな不細工がいるから、俺に対しても平気な顔をして手を差し伸べられるんだろう。そう思えばなんとなく納得できた。


 そしてそのあとにやって来た“第一王子”に、俺はもう一度驚かされた。





『異形の王子』と呼ばれた第一王子のおっかねぇ噂話は、俺のようなスラム街の孤児ですら知っている。

 国王にも正妃にもまったく似ていない第一王子の顔は、この世のものとは思えないほど醜いのだと。第一王子を見た者はその目から腐り始め、夜毎悪夢を見ては精神を病み、最後は正気を失ってしまうのだという話だ。

 スラムの連中から『悪魔のダグラス』と呼ばれた俺は、よく『異形の王子』の噂を引き合いに出された。


「お前も『異形の王子』と同じように、見ただけで呪われそうな面をしてやがるぜ。こっちが呪われちまう前に、こんな面殴っちまうか」

「鼻の骨を折っちまえ。眼球なんて破裂しろ。あ~あ、気味の悪りぃ顔だ。お前も『異形の王子』みたいに醜くても王族だったら良い暮らしができただろうに、残念だなァ? オイ、ダグラス」

「ああ、俺も良い暮らしがしてぇなぁ……。だれかダグラスを押さえてろよ、拾ったナイフの切れ味を確かめてぇんだ」

「クソッ! 暴れんなッ! いってぇ!! おい、ダグラスを捕まえろ! 違うッそっちじゃねぇ、アッチの小路に逃げやがった!!」


 俺にとって第一王子は複雑な存在だった。

 血筋さえ良ければどんなに醜くても王族としての暮らしが約束されるのか、という妬ましさもあり。

 同時に、こんな下々の腐った人間からさえボロクソ言われなきゃなんねぇ生活を哀れにも思う。

 顔の良し悪しなんざ、生まれと同じように本人の努力ではどうすることも出来ない分野だ。それをああだこうだ言われて、あげく“呪い”だなんて馬鹿なことまで言われなくちゃならねぇ意味がわからん。

 嫉妬と同情。そして『そんな第一王子がこの国の腐った部分を変えてくれりゃあいいんだが』という仄かな期待。

 会ったこともないし、これから先一目ですら見かけることもないだろう第一王子は、俺にとってはそんなふうに頭の片隅に残る存在だった。


 それがまさか、出会っちまうなんて。

 しかも出会うだけじゃねぇ。俺を保護しやがった。私の騎士にならないかと、仕事までぶら下げて。


 王宮にある第一王子の離宮へ案内されて、王子ーーーラファエル殿下は俺に言った。


「出会ったばかりでこんなことを言うのは君にとっては不思議かもしれませんが……私は君の絶対の味方です」


 うざったそうな長い前髪の向こうに、蒼い瞳が見え隠れしていて。その目はひどく真剣だった。


「……なんで、んなことを、言うンすか」

「ダグラス、君が私の絶対の味方になってくれることを知っているからです」

「なんだ、それ……?」

「それに、君もココの優しさを好ましく感じたでしょう?」


 先程の女がラファエル殿下の婚約者候補だということは聞いた。孤児で浮浪児でとんでもなく醜い俺には、絶対に手が届かないような女だった。

 ああいう偏見の無い人間が世の中には居たんだな。その事実だけで腹の中が温かくなるような女だった。


「私はココを守りたい。私には敵が多いから、きっと彼女を争い事に巻き込んでしまうでしょう。そのときに彼女を守る人間は多い方がいい。

 ダグラス、君ならココを本心から守ってくれると信じています」

「殿下……」


 ラファエル殿下は俺に微笑みかけると、手を差し出した。

 俺は肩の力を抜き、殿下の手に手を重ねる。


「俺は暴力しか持ってねぇ、それを誰かを守るための力に変えられるかはわかんねぇ……スけど」

「うん」

「やるだけやってみます」


 殿下を握る手にグッと力を込める。


「殿下が俺なんかを必要としてくれたことも、あの女……ココレット様が俺なんかに優しくしてくれたことも……。すげぇ、嬉しかったんで」

「ありがとう、ダグラス」


 初めて優しくされて、初めて必要とされて、初めて期待されて、初めて信頼された。


 嬉しい、嬉しい、どうしようもなく嬉しい。


 端から見れば俺は、きっと野良犬が人から残飯を与えられて喜んでなついちまうみたいに単純なやつだと思われちまうんだろう。ーーーでもそれがどうしようもなく俺の本心で、喜びだった。

 俺はこんなに人から求められたかったのかと、自分でも初めて知った。


 殿下の不細工なツラに浮かぶ目が、本当に優しげに細められる。


「改めて、ダグラス。これからよろしくお願いしますね」

「……ッ、はい。よろしくお願いします…」


 泣きそうだ。

 自分が居てもいい場所が出来るって、こんなにホッとするのかと、そのとき俺は思った。





「ダグラス、ごきげんよう!」

「……ココレット様」


 訓練のために王宮の外周を走っていると、馬車から下りたばかりのココレット様が俺に向かって手を振っていた。慌てて駆け寄り、お辞儀をする。まだぎこちねぇ動作だけど。


「訓練中にごめんなさいね」

「いえ。……ココレット様は、殿下とのお茶会ッスか?」

「ええ。エル様が我が家の焼き菓子をまた食べたいとおっしゃってくださったから、持ってきたのよ」


 そう言って彼女は下げていたバスケットの蓋を開けると、紙袋に包まれた一つを俺に渡してくる。


「ダグラスの分も持ってきたから、こっそり食べちゃって」

「あ、ありがとうございます……!」

「この間の教会視察で頑張ってくれたご褒美よ。エル様、あなたの活躍をとても喜んでいたし。あれから子供達からお礼状が来てね、ダグラスにとても感謝していたわ」


 ココレット様の言葉に、教会視察へ行った日の記憶がよみがえる。

 人を傷付けることにしか使われてこなかった俺の力が、初めて人の役に立てた記念すべき日だ。

 あんなふうに誰かに感謝される日がくるなんて思いもしなかった。あの瞬間の胸の奥のくすぐったさが、今でも残っていてこそばゆい。


「邪魔しちゃってごめんなさい。じゃあ、またね。訓練頑張ってね!」

「あ、お、お気を付けて……!」


 ヒラヒラと手を振って去っていくココレット様は本当に蝶々みたいに綺麗で、優雅で。歩く度に揺れるピンク色の髪に目が奪われる。

 ……俺なんかに笑いかけるほど、心のきれいな人だ。殿下が守りたいと言うのも頷ける。なにより俺の力が真っ当に役立つなら、こんなに嬉しいことはない。


「……うっしッ。そのためにも、頑張るか」


 俺は貰った紙袋を懐に入れると、外周へ戻る。空気にはすでに春の香りがした。


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