36:冬の終わり
だんだんと春が近づいて雪解けが進んでいく。
王都内の道のそのほとんどにはもう雪はなく、馬車もだいぶん安心して走れるようになった。お陰でほかの貴族達も続々と領地から戻ってきているらしい。
父とレイモンドも、無事に領地から帰還した。
エル様と過ごす冬を自分から選んだとはいえ、まだ小さな弟の、それも養子になってから初めての領地視察だ。心配せずにいることは流石に出来なかった。
父や気心の知れた使用人たちも何人か付いて行ったのだけれど、気持ちとしては『初めてのお使いを心配するお母さん』状態だ。むしろ『初めてのお泊まり会を心配するお母さん』かもしれない。
けれどレイモンドは無事に帰宅した。
旅装姿のレイモンドを玄関先でがっしりと抱き締めて、「おかえりなさい、レイモンド……ッ!」と言ったら、わたしのその声は妙に震えてしまっていた。
レイモンドはわたしの腕の中からひょっこりと顔を出し、「ただ今帰りました、お義姉さまっ」とにっこり微笑む。久しぶりに見る彼の翡翠色の瞳が、本当に稀有な宝石のように輝いていた。
「初めての領地はどうだった? だれにも虐められていない?」
「ちょっと色々ありましたけど……」
「え!?」
「大丈夫です! 領地の子供たちに『お前なんか侯爵様にもココレットお嬢様にも似てない不細工野郎め! 跡継ぎなんて嘘っぱちだ!』などと言われたので……」
「そんな無礼な子供たちはお尻を叩いてやりなさい! いえ、わたしが叩くわ!」
「待ってください、お義姉さま! 続きがあるんです! 僕、その子供たちと勝負をして、負かしてやったんですっ」
「ええッ!?」
いつの間にそんな戦闘能力を身に付けてしまったのだろう。
わたしがまじまじとレイモンドを見下ろせば、彼は悪戯っぽく瞳を細めた。
「カードゲームですよ、お義姉さま!」
「カードゲーム?」
どうやらレイモンドはいつの間にか、父からトランプを習っていたらしい。貴族の社交の一環ということで。
さらにドワーフィスター様から賭け事の知識、つまりイカサマまで習ったらしく、それで領地の子供たちと勝負したそうだ。
「ババ抜きやポーカーならイカサマも簡単ですし。神経衰弱なら、一度ひっくり返したカードは忘れませんから!」
わぁぉ……。
わたしは思わず片手を額に当て、項垂れる。
純真天使なレイモンドが、なんの悪気もなく胡散臭い方向に進んでいるみたいなのだけど……。
確かにこの強かさは貴族としては伸ばした方が彼の為になるのだけど……。
ちょっと、いえ、結構ショックね……。
「それで子供たちに一目置かれるようになったんですよ、僕!」
「……それは良かったわね、レイモンド。虐めを自分で解決できるなんて凄いわ」
「自分の得意な勝負に持ち込んでしまえばこちらのものだって、フィス様から教わりましたからっ。フィス様の子分として頑張りましたよ! もちろんブロッサム家の跡取りとしてもです」
「うふふ、そうなの……」
ドワーフ野郎、いつの間にわたしの癒しを子分にしたのよ、ちくしょう。
色々思うことはあったけれど、一つ深呼吸して心を落ち着かせる。
男の子には男の子の社交が必要なのだから、わたしの気持ちを押し付けても仕方がないのだ。人生なんて純真無垢では生きられないのだし。ある程度は必要悪よ、うん……。
そう思いつつもドワーフィスター様を一発殴ってやりたい気持ちは消えなかったのだけれど。
▽
そして先日、ルナマリア様が無事王都へ帰られたそうだ。
なにやら彼女はエル様に報告があるとのことで、本日は三人でお茶会をする予定だ。
「調査の結果をご報告いたします」
エル様の隣にわたし、向かいの席にルナマリア様が座り、お茶会が始まる。専属侍従のフォルトさんがいつものように紅茶をサーブしてくれた。
……今日はダグラスは居ないみたい。まだ騎士見習いだからエル様との稽古以外ではなかなか会えないみたいだ。残念。だけどきっと今頃訓練に励んでいるのだろう。見たいわ~。
ルナマリア様の報告したいこととはどうやら以前エル様が頼んでいた、教会の件らしい。彼女は封筒から数枚の書類を取り出すと、エル様へ差し出す。
エル様は書類を広げ、顎に片手を当てながら読み始めた。
「王家に所縁のありそうなペンダント、クロス、装飾品のある教会のリストです。現地の教会に記録のあるものから、民間の噂話までを調査し、可能性の高いものをまとめました」
「……それなりの数がありますね」
「はい。ペンダントとクロスは数を絞ることができましたが、装飾品は数が多く……指輪やティアラ、勲章など多岐にわたり存在しています」
「そうですか、ありがとうございます。ではとりあえず、ペンダントとクロスから説明を頼めますか」
「はい」
ルナマリア様はひとつ頷くと、すらすらと説明を始めた。
南方の領地にある教会で見つかったカメオのペンダントの話から、美男子(オーク顔)の肖像画が入ったロケット、黄金のペンダント。初代の王が製作されたという巨大な十字架、何代も前の王妃が寄付したというロザリオなど。
エル様はその説明を聞きながら、書類にチェックを入れては、疑問点を一つずつルナマリア様に尋ねる。そしてルナマリア様もすぐに返答した。
「…わかりました。クライスト嬢、ご苦労様でした」
「お役に立てて光栄です」
書類を封筒にしまうエル様に、わたしはようやく話しかける。
「エル様、お知りになりたかったことは解決されましたか?」
「……まだ解決ではないかな。でも、クライスト嬢のお陰でかなり有力な手がかりを得られたよ」
そう言って微笑むエル様を、うっとりと見上げる。エル様はそっとわたしの頭を撫で、ブルーサファイアの髪飾りに優しく触れてくれた。
「……この書類に書かれたいくつかの教会へ足を運ぼうと思う。ココも一緒に来るかい?」
「はいっ! もちろんですわっ」
やった! エル様とデートだ! 前世でデートとかしたことないからすっごく嬉しい!
デートの予定に胸をときめかせるわたし達……というかわたしのことを、ルナマリア様がうっとりと眺めていて、辺りに和やかな空気が流れる。
「護衛にダグラスも入れよう」
「まだ見習いなのによろしいのですか?」
「うん。彼にもいい勉強になるだろう? 護衛には他にもベテランの騎士を呼ぶしね」
出来れば妃教育が再開されるより前に一度視察に行こう、とエル様が言う。
「急だから王都内の教会になるだろうけど」
エル様がそう言えば、ルナマリア様が「それでしたら」とオーク顔の肖像画入りロケットペンダントがある教会を勧めてくださる。
一番興味ないやつだったけれど、まぁいいわ。エル様とデートできるならなんだって。
そのあとは三人でお茶会を楽しみ、わたしは初デートに思いを馳せた。