32:勧誘(ラファエル視点)
『星月夜の宴』は教会主催の行事だが、王宮内も忙しなくなる。
夕刻に教会本殿で王族のために行われるミサの準備や、その後の一部の高位貴族を招いた晩餐会の準備に、下働きの者たちが足早に廊下を通りすぎていく。
騎士団の騎士たちは治安維持のために王都内各地の教会へ巡回に出掛け、文官たちも突発的トラブルのために右往左往している。
私も本日の予定はぎっしり詰まっていた。ミサや晩餐会の支度は本来ならば午前中からきっちりと整えなければならない。
けれどこの容姿を磨いたところでどうにもならないことは分かっているので、私はさっさとローブを羽織り、城下へおりることにする。
「せめてミサの二時間前には王宮へお戻りになってくださいね、エル様」
「わかったよ、フォルト」
「本当なら身支度に時間をたっぷりと割きたかったんですから……」
「私に身支度の時間を多くかけても仕方がないと、いつも言ってるじゃないか。最低限でいいよ」
「まったく、ちっとも、良くないですぅ……!」
べそべそ泣き言を言うフォルトと共に馬車へ乗る。馬車は目立たないよう、装飾の少なく小さなものを選んだ。護衛たちにも目立たないように注意させる。
城下はやはり祝祭らしい陽気な雰囲気に溢れ、人や馬車の行き来が増えていた。
馬車の窓をそっと覗き込み、通りすぎる民の笑顔を見つめる。
はぐれないように手を繋ぎ合う親子や、屋台で買い物を楽しむ若者たち。大道芸に目を輝かせる子供らに、ワインの小瓶を片手に歩くカップル。
彼ら彼女らの笑い声が狭い馬車の中にまで聞こえてきて、私は思わず目を細める。
「……そういえば初めてですね、エル様。『星月夜の宴』を過ごす民衆の様子を間近に見るのは」
「そうだね」
同じように窓の外を見ていたフォルトが、穏やかな笑顔を浮かべながら言う。
フォルトの言う通り、一度も見たことはなかった。
『星月夜の宴』の日は例年、午前中を身支度で潰し、午後は軽食を取りつつミサや晩餐会の段取りの確認。そして教会本殿へ移動して夕刻からミサ。二時間に渡るミサが終われば王宮に戻り、苦行の晩餐会だ。
前回の人生も今回の人生でも、こういった行事の日は“どうすれば人の目に晒されないか”だけを考えてうつむいて過ごしてきた。
この日を我がシャリオット王国の民がどのように過ごしているかなんて、見たこともなければ考えたことさえなかったように思う。
「みんな、笑っているみたいだ……」
ぼんやりと言えば、フォルトも頷く。
「はい。楽しそうですね」
「うん…」
ーーー前回の私は、これを壊そうとしたのか。
己の苦しさやオークハルトへの嫉妬に駈られて、こんな風に笑う民を、その生活を、国ごと壊そうとしたのか。
そして今でも私のなかには、国を転覆させかねない苛烈さがくすぶっている。
ココのためなら全てがどうなってもいいと思ってしまう闇が沈んでいる。
私はローブの内側で、深く長く息を吐いた。
前回自分がしたことを後悔するには、私のなかの憎しみはまだ消えず。
かといって、後ろめたさを捨てられるほど傲慢にもなれず。
私は口のなかの苦さを飲み込んだ。
▽
ココに教えられた教会はそれほど大きなものではないが、美しい薔薇窓が目立つ建物だった。
教会前の広場いっぱいにバザーが開かれ、商人と客の会話が賑やかだ。
護衛に守られ、フォルトと共にブロッサム侯爵家の出店へ顔を出す。ココはすでに炊き出しの手伝いに出ているらしく、侯爵家の使用人がそこまで案内してくれることになった。
歩きながら、バザーの様子をついきょろきょろと眺めてしまう。薄い生地で肉と野菜を巻いたような、初めて見る食べ物からは香ばしい匂いがする。ホットチョコレートを売る店では客が店員へ「マシュマロを乗せてちょうだい」と注文していた。王宮ではホットチョコレートにマシュマロなど入れないので、もはや未知の飲み物のように感じてしまう。
舶来物らしい家具が売られていたり、オーダーではなく既製品の服が売っていたり。
オークハルトの肖像画が飛ぶように売れている店を見つけたときは腹立たしさに奥歯を噛み締めてしまった。
そうして教会前の炊き出しに行けば、ココは怪我人の手当てのためにこの場から移動したと伝えられた。教えられた方向へさらに移動する。
ココは教会脇のベンチに腰かけていた。彼女のそばにはレイモンドと、いつものそばかす顔の侍女、そして護衛らしい従者も付いていた。
そしてココの隣には、先程聞かされた怪我人と思われる相手が座っている。けれど彼女の体に遮られて姿はよく見えない。
私はココに近づくと、彼女に声をかけた。
「ココ、ここに居たんだね? 炊き出しの手伝いをしていると聞いてきたのだけど、さらに移動したと聞いて驚いたよ」
「……エル様?」
ココは嬉しそうに振り返り、ベンチから立ち上がった。
そこで初めて、隣の人物が見えた。
「まさか……きみは……」
毛布を体に巻き付けた彼は、栄養不足でとても私の三つ年上には見えなかったけれど。
その焦げ茶色の髪と金の瞳、そして『悪魔』と呼ばれるほどに醜い容姿を、私が見間違えるはずがない。
ーーーダグラスだ。
処刑されたあの日、断頭台で一番最初に首を跳ねられた青年、ダグラス。
まさか彼とも今生で再び出会えるとは。
表情の固まる私を、ダグラスの金色の瞳が訝しげに見つめていた。
▽
炊き出しの列で起こったことと、ダグラスの現在の境遇を聞いたことで、私はあることを決めた。それがいずれココを守ることに繋がることを願って。
「ダグラス、きみに一つ提案をさせて欲しい」
「なんだ、……ですか。第一王子様」
私が王族であることを明かしたときはしばらく絶句していたが、今はたどたどしいながらも口を動かしている。ダグラスのそのぶっきらぼうな様子は、前回とあまり変わらない。
「私の下で働きませんか?」
「ハァッ!!!?」
「えっ!?」
ダグラスの大きな声の影で、ココが息を飲んだ。
チラリとココを見れば、彼女は「え、わたしの王道展開はどこへ……? 専属従者……」などと呟きながら小首を傾げている。言ってることはよく分からないけれど、へにょりと眉を下げている困り顔が可愛い。
「だ、第一王子の下でって、俺は、学もねぇ、ただの孤児だぞ……! できるのは力仕事くらいしか……!」
「ダグラス、きみに私の騎士になって欲しいのです」
「なんで騎士なんだ……ッ!? ハァッ!?」
前回のダグラスを知っているからこそ、彼の力が私は欲しい。
それに、ココのおかげで私の運命が変わり始めたように。
レイモンドやワグナー兄妹、クライスト嬢の運命が変わりつつあるように。
ダグラス、きみにも悲劇の運命を変えるチャンスを与えてあげたい。
「腕っぷしは、それなりにある、とは思う……が。いくらなんでも騎士になれるなんざ……。大体俺でなくとも、第一王子のアンタを守る騎士なんか、いくらだって居るだろ……じゃねえんスか?」
「私が欲しいのは、絶対に私を裏切らない騎士です。……きみとは分かり合える気がするのですが……?」
目元を隠すほどに長い前髪を横へ払い、ダグラスに自分の顔をよく見せてやれば。彼は眉間にしわを寄せて黙りこんだ。彼の目に浮かぶのは深い共感だった。
ダグラスは一度強く目を閉じると、すぐに私を見つめた。もはや迷いの色はなかった。
「分かった。……初めて俺を必要としてくれたアンタ…第一王子に、付いていってやるよ……です」
「これからよろしくお願いします、ダグラス」
「おう」
ふいにココへ視線を向ければ。彼女はペリドットの瞳をキラキラと輝かせ、頬を紅潮させていた。
「ふふふ……ワイルド系騎士とか……絶対あり、ありに決まってるわ……!」と不可解なことを呟きながらぷるぷる震えている彼女の姿は、まるでウサギのように愛らしくて、思わず笑んでしまった。