25:理解者(ドワーフィスター視点)
ワグナー公爵家の馬車がガタリと揺れて走り出す。
窓の外で王宮がそのすがたを小さくしていくのを眺めながら、僕は一息吐いた。
「あら、フィス兄さま、失恋の溜め息ですの?」
向かいの席から、妹のティアが楽しそうに小首をかしげた。
その顔には僕が作った魔道具である眼鏡がかけられている。僕が一人で学び続けた魔術が、初めてだれかの役に立った証。そう思うと心が満たされる気がするのと同時にどこか照れくささを感じる。
「……べつに。初めから恋なんかじゃないさ」
ーーーココレット・ブロッサム侯爵令嬢。
彼女は僕の狭い世界に突然現れた、僕の理解者だ。
幼い頃から勉強が好きだった。
次期宰相になれと言われて与えられたたくさんの書物、そして専門の教師たち。一日のほとんどを勉強に費やしてもいい立場。それは僕をとても幸福にした。
きっと平民に生まれていたら、こんなに整った環境で高度な教育を受けられることなどなかっただろう。僕はワグナー公爵家に生まれたことが誇らしくてならなかった。次期宰相でもなんでもなってやると思っていた。
魔術に出会うまでは。
出会ってしまったが最後、次期宰相の勉強にはなんの役にも立たないその学問が僕は楽しくて仕方がなかった。
最初は睡眠時間から削り、そのうち親しくしていた友人たちへ会う時間を減らし、最後には家族と関わる時間さえ捨てて魔術にのめり込んだ。
僕だってわかっていた。ティアを始めとする家族や使用人たちが、僕の心配をしてくれていることなんて。
わかっているのにどうしようもなかった。
だって魔術は、僕にとって初恋に等しかったから。
『なんて素敵なの! 魔法が本当に見られるなんて!』
初めて聞いたココレット・ブロッサムの言葉はそれだった。扉越しに聞こえたその声は興奮に満ちていて、僕の心臓を揺らした。
今までだってべつに、魔術そのものを否定されてきたわけじゃない。家族だって僕が部屋に引きこもっているのには困っている様子だったけれど、魔術を学ぶことをやめるように言われたことはなかった。
でも、僕と同じ熱量で魔術を喜ぶ人に出会えたことはなかったから。
『ミスティア様、今の防御魔法みたいなの、もう一度見たいです! 合鍵を貸してくださいませッ!』
次の言葉に確信を持って、封印魔法を解除した。
開け放った扉の先にいたのが、まるで精霊のように美しい女の子だったから、さすがに顔の火照りを押さえられなかったけれど。
でもきっと、ティアの言うような恋なんかじゃない。
同じ価値観を持った同類に出会えた、その興奮だ。
彼女にはまるで魔力はなかったけれど、魔術について話すときはとても楽しそうだった。
「やっぱり光魔法とか氷魔法が綺麗だと思うんです。戦闘シーンの背景がキラキラして最高」「ああ、でも、暗い過去持ちキャラの闇魔法もやっぱり捨てがたいわね……。それで自分を救ってくれたヒロインを溺愛するの……!」「ヒロインが聖女ってのも王道で素敵よね。聖魔法を使ってどんどん功績を上げて、攻略対象たちからの愛情を一身に集めるんだわ……」半分以上はなにを言っているのか分からなかったが、うっとりとした眼差しで虚空を見つめる彼女は、魔術や魔法を心から愛していた。僕と同じように。
そんな彼女は、まるで神からの啓示のように僕へ言ったのだ。
次期宰相の地位を魔術のために利用しろ、と。国に魔術師を根付かせ、後継者を育て、国の繁栄に使え、と。
その話を聞いた途端……自分の視野の狭さに気がついて笑ってしまった。
そうだ、どちらか一方ではなく、両方の良いとこ取りをしたっていいじゃないか。次期宰相も魔術も、両方この手にしてしまえばいい。とことん強欲に。それが国を豊かにできるならなにも悪いことなんてない。ーーーただただ、大変な道のりだというだけで。
「……ココレット・ブロッサムは次期宰相の嫁になるような、スケールの小さい女なんかじゃない」
僕が言えば、ティアはきょとりとルビー色の瞳を瞬かせた。
「この国であの女を娶れるのは、次期国王くらいじゃないと無理さ」
「……ふふ、そうですわね」
彼女が第一王子と第二王子両方の婚約者候補だとティアから聞いたときは驚いたが……、すぐに納得した。
彼女は単なる美しいだけの令嬢ではない。
『異形の王子』の正妃になるのだと言い切った彼女からは、国や民のためならばどんな醜い男にでも嫁いでみせるという、強い決意を感じられた。
女性としての幸福を捨ててでも自分に課せられた使命を果たそうとする彼女のその健気な様子は、僕の目により一層美しく見えた。
そして先程見た、『異形の王子』にまっすぐ向き合い、寄り添う彼女の姿。
第一王子にまで柔らかな視線を向けるその横顔は、まるで絵画の中の女神を彷彿とさせた。
ああ、ココレット・ブロッサム侯爵令嬢よ。
僕の未来さえも鮮やかに導いてみせたアンタが、その『異形の王子』を次期国王として認め、正妃として支えると言うのなら。
僕も『異形の王子』に、いや、第一王子ラファエル殿下に忠誠を誓おうじゃないか。アンタが導くこの国の未来のために。
「まったく、とんでもないご令嬢だ」
「わたくしもココレット様のこと、嫌いではありませんわ」
わりと周囲の人間と揉め事を起こしがちなティアが、珍しいことを言う。
「ああいった器の大きな方が、この国の正妃になってくださったら、未来は明るい気がしますもの」
「……そうだな」
それから僕とティアの間には沈黙が降りたが、それは以前とは比べようもないほどに穏やかなものだった。