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15:母のくれたお守り(レイモンド視点)




 お義姉さまを探して屋敷の廊下を進んでいくと、すれ違う侍女や使用人たちが僕に向かってお辞儀をしてくれる。

 ブロッサム侯爵家にやって来たばかりの頃はみんな、お面を被った僕の姿に戸惑っていたようだけれど。今ではお面を被らなくても、ひとりの人間として扱ってくれる。

 そのことに未だ戸惑っているのは僕の方だ。


 だって僕がレイモンドという“人間”であれるのは、母さんの前でだけだと思っていたから。





 僕の顔はひどく不細工で、町中で暮らしていた頃は近所の人たちから意地悪をされていた。

 すれ違い様に「バケモノ」「気持ち悪いんだよ、お前」などと暴言を吐かれるのはいつものことで、年の近い男の子たちからは暴力も受けた。殴られたり、ゴミを投げつけられたり。

 女の子たちは僕を見ればすごく嫌そうな顔をして逃げていく。泡を吹いて倒れる子もいた。僕が触ったものにはバイ菌が付いていると言って、絶対に触らないようにしていた。

 大人たちは僕を視界に入れようともしなかった。「確かにバケモノだが、こいつの父親はお貴族様なんだろ? 下手に関わったら俺たちの命が危ねぇぜ」などと言って。

 だれも僕のことを同じ“人間”として扱ってはくれなかった。


 そんな僕を抱き締め、慰め、愛してくれるのは母さんだけだった。


 優しいやさしい母さん。

 母さんは町で一番の美人で、だけど見た目以上に心が美人な人だった。

 だからお貴族様である“父上”に目をつけられてしまったのかもしれない。僕が生まれる前のことだから、よくわからないけれど。

 お貴族様の“父上”は見目麗しく、またお金持ちだった。ほかに“正妻”や“ご子息たち”がいたけれど、母さんのことを蔑ろにすることはなく、僕たちが住む家や生活費などを出してくれていた。

 時おり顔を出しては、母さんに愛を囁き、花や宝石などを贈っていた。“父上”は母さんがとても好きだったのだと思う。

 けれど“父上”は僕のことは愛していなかった。

 僕の白い髪の色も、翡翠色の瞳も“父上”譲りだったのに、顔だけはバケモノのようだったから。僕を見るたびに顔をしかめ、ため息を吐いていた。

 だけど母さんだけは、僕を愛してくれた。


 いじめられて泣いて帰れば、母さんが温かな食事を用意して待っていてくれた。僕を抱き締め、「レイモンドはなんにも悪くない。レイモンドはあたしにとって、世界でいちばん良い子なんだから」と言ってくれた。

 怪我をしていれば手当てを、服が汚れていれば清潔な着替えを、未来が不安になれば勉強できる環境を探してくれて、友達がほしいと言えばキツネのお面を作ってくれた。


「これはお守りだよ、レイモンド」

「お守り?」

「あんたが少しでも他人から傷付けられなくてもすむように。あんたが少しでも他人と繋がることができるように。その中であんたに優しくしてくれる人に出会えるよう、あたしが願掛けしといたから」

「……そんな人、ほんとうに居ると思う?」

「わかんないけど、でも人と関わって、出会ってみなくちゃ。そうしなきゃ居るかどうかもわかんないでしょ?」


 母さんはそう言ってカラリとした笑顔を浮かべると、僕にお面を手渡してくれた。


「……そうだね」


 母さんがそう言うなら。そうだといいなぁ。

 誰かと出会って、例え出会う度に傷付けられたとしても。

 その先にまだ見知らぬ優しい誰かがいると、信じられたなら。


 けれど、本当はそんな人に出会えなくても別にいいんだ、母さん。

 だって僕には母さんが居るから。

 母さんの息子として生まれ、愛情を込めて育ててもらい、きちんとした“人間”にしてもらえた。

 そしてこれからもっともっと勉強して、親孝行をしてみせる。孫の顔は見せてあげられないだろうけど、よぼよぼのおばあちゃんになった母さんを、最期まで僕が面倒見るから。

 そんな人生を送れたら、僕は十分幸せだ。


「ありがとう、母さん。このキツネ、かわいいね」

「頑張って作った甲斐があるよ」


 お面を被って見せれば、母さんは「よく似合ってる」と頭を撫でてくれた。





 まさかそんな母さんが、乗り合い馬車に乗って事故に遭い、亡くなってしまうとは思いもしなかった。

 あまりにも突然すぎて、泣くこともできなかった。





 ガストロ子爵家での暮らしは酷いものだった。

 “父上”が愛してもいない僕のことを引き取ってくれたことに、本当なら感謝すべきだったのだろうけど。母さんを亡くしたばかりの僕には、これ以上の悲しみを受け入れる容量がなかった。


 “正妻”は母さんの持ち物を「これはガストロ子爵が買ったものであって、お前の母の所有物ではない」と言って、すべて捨てたり、売り払ったりした。

 宝石やドレスなどの高価なものなら納得するのだけど、母が子供の頃から愛用していた裁縫箱だとか、母さんが自分の母親からもらったはずの万年筆など、明らかに“父上”が買ったものではない物まで捨てられたことに腹が立つ。

 おかげで母さんの遺品と呼べるものは、僕に贈られたキツネのお面だけだった。


 最初は屋根裏部屋で寝起きした。

 屋根裏部屋には窓はなく、こもった空気がじっとりと暑い。

 もちろん掃除なんて何年もされていないみたいで、床の上には分厚い灰色の埃の層があった。すこし歩き回るだけで埃が舞い、鼻や喉が痛くなった。

 部屋の掃除を自分でしようと思い、使用人に掃除道具の場所を尋ねたが、「掃除は我々の仕事です。あなたの部屋の掃除はのちほど致しますので、手出ししないでいただきたい」と追い払われた。

 使用人の言う『のちほど』はいつまで経ってもやって来なくて、僕はけっきょく屋根裏部屋で眠るのを諦めた。埃のせいでひどい咳が止まらないのだ。

 一応“父上”に他の部屋に移れないか聞いてみたけれど、出来ないの一点張りで。僕はその日から屋敷の中のあちらこちらをさ迷っては、寝る場所を探した。


 安全な寝床を見つけるのは大変なことだった。

 使用人に見つかればもちろん屋根裏部屋に追い返されるし。“ご子息たち”に見つかれば鞭で打たれた。

 近所の男の子たちだって、さすがにそこまでの暴力は振りかざさなかったのに。“ご子息たち”はなんの躊躇いもなく僕の服を脱がせ、背中や尻を鞭で打ち付けるのだ。

 僕は毎日痛む体を庇いながら、時にはカーテンの裏、リネン室の死角、書庫の隅などで浅い眠りについた。

 最終的に庭にある物置小屋を見つけ、そこで寝起きするようになった。


 しだいに食事が用意されなくなり、入浴も許されなくなった。

 僕は庭師のおじいさんの手伝いをすることでなんとか賄いにありつき、夜中に庭の噴水で体を洗った。


 もうこの屋敷にいる意味などない気がしたけれど、だからと言って九歳の僕にどんな仕事があるというのだろうか。

 醜い僕が孤児として外に出ても、施しなど貰えないだろうし。

 母さんが褒めてくれたこの記憶力も、使い道がよくわからなかった。


 ーーーでも、このままずっと“父上”のもとに居たって、同じように未来はないや。


 どちらにしろ未来がないのなら、こんな息の詰まる場所よりもっと呼吸のしやすい場所へ辿り着きたい。僕はそう思った。


 そんなときだった。

 お義父様がガストロ子爵家にやって来て、僕に養子にならないかと言ってくださったのは。





「お義姉さまっ! こちらにいらっしゃったんですねっ」


 まだ食事の時間ではないのに、お義姉さまは食堂にいらっしゃった。

 長テーブルの端の方に座り、お義姉さま付きの侍女であるアマレットと、料理長の三人で話し合いをしている様子だ。


 お義姉さまは僕に振り返ると、すぐに両腕を広げて見せる。

 僕はそのままお義姉さまの胸に飛び込み、抱きついた。お義姉さまの腕が僕の背中へやわらかく回される。


「マナーのレッスンは終わったの、レイモンド?」

「はいっ。先生が褒めてくださいました」

「まぁ、さすがはレイモンドね。飲み込みが早いわ」

「お義姉さまはなにをされているのですか? 僕もここでご一緒しても……?」

「ええ、もちろん構わないわよ」


 お義姉さまは僕を抱き締めてくれる腕をゆるめると、隣の椅子へ座るよう促してくれた。もっと抱き締めていて貰いたかったけれど、まぁ、またあとで抱き締めて貰えばいいかと思って、椅子に腰かける。お義姉さまに抱き締めて貰えるのも幸せだけれど、お義姉さまをお側で見つめているのも好きだから。


 僕のお義姉さまはほんとうにお綺麗だ。

 母さんも美人だったけれど、お義姉さまはなんだかもう、誰かと比べるべきじゃないくらい綺麗な人。

 町にいた頃に文字や計算を習うために教会へ通っていたけれど、そこで見た女神さまの絵や天使さまの像に似ている。少し深みのあるピンク色の髪はふわふわと柔らかくて、黄緑色に透き通った瞳は宝石みたいにピカピカで、いつでもいい匂いがして。僕にいつも楽しそうに笑いかけてくれる。


 初めてお会いしたときから、お義姉さまは僕に優しい笑顔を向けてくださった。

 母さんが死んでとても悲しくて、子爵家でとても辛い思いをしたあとだったから、僕は養子にしてくれると言ったお義父さまのことも信じる気力を失っていた。お義姉さまにだって、会う前は期待なんかしていなかった。ただ鞭で打つような人じゃないといいなと思っていたくらいで。

 だけどお義父さまが、僕にお面を外して挨拶をするよう言うから。もうどうにでもなれという気持ちでお義姉さまに素顔を見せた。


『あなたの義姉のココレットよ。これからよろしくね、レイモンド』


 母さんのお葬式の時も、“正妻”に母さんの持ち物をすべて捨てられた時も、“ご子息たち”に鞭打たれた時だって泣けなかったのに。

 お義姉さまが綺麗なお顔で、でも母さんと同じ笑みを浮かべてみせるから。もう一度母さんに会えたような気がして、僕はわんわん泣いてしまった。

 今思い返すと、なんだか恥ずかしい。


「そうだわ、レイモンドの意見も聞きましょうか。エル様と年の近い男の子ですし」


 お義姉さまはそう仰って、テーブルの上に広げられていた紙を見せてくれる。そこにはお菓子の名前や材料が書かれていた。

 どうやら今度我が家に遊びに来るらしい第一王子さまにお出しするお茶菓子の相談をしていたらしい。


「料理長が夏らしく爽やかなお菓子を考えてくださったのよ。フルーツカクテルとか、ゼリーとか、ヨーグルトのケーキなどもあるの。レイモンドならどのお菓子が出てきたら嬉しいと思う?」

「どれもおいしそうで、迷ってしまいます……」

「そうなのよねぇ……、わたしも同じなの」


 困ったように笑うお義姉さまを見て、アマレットも料理長も嬉しそうだ。こんなに優しい空間にいっしょに居られる喜びで、僕はいっぱいになる。


 いつだって優しくて綺麗なお義姉さま。

 家族だと仰ってくださった素敵なお義父さま。

 僕のお面が割られたことをいっしょに怒ってくれた使用人たち。

 ガストロ子爵家よりもずっとずっと大きなこのブロッサム侯爵家には、いつだって日溜まりのような優しさが満ち溢れている。僕を一人の“人間”にしてくれる。


 ふいに母さんの言葉を思い出す。


『これはお守りだよ、レイモンド』

『あんたが少しでも他人から傷付けられなくてもすむように。あんたが少しでも他人と繋がることができるように。その中であんたに優しくしてくれる人に出会えるよう、あたしが願掛けしといたから』


 ねぇ、母さん。

 母さんが作ってくれたキツネのお面は壊されてしまったよ。

 僕はそれがとても悲しくてたくさん泣いてしまったけれど、今考えてみるとあのお面は、お守りとしての役割を終えたということだったのかな。

 そうだったらいいな。

 母さんが僕のためにと願ってくれた優しい人たちに、ついに出会えたんだって、僕はそう信じたいんだ。


「ねぇ料理長、何品まで用意できそうかしら……?」


 愛らしく首をかしげるお義姉さまの横顔を見上げながら、僕はそんなことを思った。



今日で、なろう投稿歴1ヶ月になりました。

ブクマやレビューや感想、評価や誤字報告、ランキング入りなど本当にありがとうございます。すべてに励まされております。

名前すら決まっていないパパへの予想外の人気に困惑しつつ、更新がんばります!


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