12:湖遊び
レイモンドが我が家にやって来てから半月。
わたしとレイモンドはめちゃくちゃ仲良しになった。
わたしがどこかへ移動しようとすれば、レイモンドが必ずその後ろをトテトテと追いかけてくる。
最初は『僕が側に寄ったらお義姉さまは迷惑かもしれない…』という弱気な表情をしていたので、わたしから手を差し出してみせれば、すぐにパァッと明るい表情を浮かべてわたしの手を取った。最近ではレイモンドの方から手を繋いでくるし、わたしが登城する際など寂しがって腰にしがみついてくるほど懐いてくれている。もう可愛くて仕方がない。
わたしが王宮から帰ってくると、レイモンドはいつも嬉しそうに、屋敷で過ごした一日を話してくれる。きょうはこんな授業を受けて、こんなランチを食べて、自由時間にはこんなことをして……と。わたしは甘えてくるレイモンドの頭を撫でながら、毎日彼の進歩を褒めた。
わたしがレイモンドをべたべたに甘やかすのは、彼がイケメンショタであるからだけが理由ではない。ええ、もちろん、断じて、それだけではない!
わたしのメンクイうんぬん以前に、彼が我が家にやって来るまでの境遇があまりにもひどいものだったからだ。
レイモンドは我が家の分家であるガストロ子爵家の当主と、平民の愛人のもとに生まれた子供だったらしい。
レイモンドの母親は優しい女性で、彼がどんなに醜くても愛情を注いでくれたそうだ。けれど乗り合い馬車の事故で亡くなり、レイモンドは子爵家へと引き取られることに。
子爵家での暮らしはとても辛いものだったという。
レイモンドはガストロ子爵家の正妻や異母兄弟たちから虐められ、屋敷のなかで暮らすことも許されず庭の隅にある道具小屋で寝起きさせられた。日がな一日、庭師の手伝いをすることで賄いにありついていたそうだ。
そんなところへやって来たのがわたしの父だ。ブロッサム侯爵家の跡継ぎを探すためにガストロ子爵家の次男以下の子供たちに会いに来たのだ。
子爵家の子供たちはみんな野心家で、ぜひとも侯爵家の跡継ぎになりたいと面接を受けたのだが、父はどの子供も気に入らなかったらしい。
「ほかに男の子は居ないのか」と問いただされたガストロ子爵がしぶしぶ差し出したのがレイモンドだった。
レイモンドには、実は恐るべきチートがあった。一度学べば忘れることがない、という能力だ。
彼の母親はそれを理解していたらしく、彼を教会で行われている手習いに通わせたり、近所の人から本を借りてきてやったりして、彼の学びを助けていたらしい。
そして父はレイモンドのチートに気付き、その場で彼を引き取ることに決めたそうだ。
なんだかシンデレラみたいな展開だなぁ、と思う。
そんなわけでわたしは、大好きな母親を亡くした上に、ガストロ子爵家から虐待され、さらには突然我がブロッサム侯爵家に連れてこられて心細い思いをしているイケメンショタのレイモンドを、めちゃくちゃに可愛がってあげることにしたのだ。
朝晩の食事は一緒だし、夜もベッドで眠るまでレイモンドについてあげている。本の読み聞かせもしてあげているのだ。
そしてそんなふうに甲斐甲斐しく世話を焼くわたしを見て、父や使用人たちは「一生懸命お姉さんぶっていてかわいい」などとあたたかな視線を向けてくる。
レイモンドはわたし以外の前ではキツネのお面を被っているので、侍女たちが失神することもなく、穏やかに暮らせている。
ちなみにそのキツネのお面のことだけど、それはレイモンドの母親が作ってくれた物らしい。出来るだけ他人からの悪意に晒されないようにと、被せていたそうだ。
▽
「お義姉さまっ、きょうは本当に一日中ずっと、僕と一緒にいてくださるんですよねっ!?」
朝からレイモンドが興奮ぎみに尋ねてくる。
同じ質問を昨日から何度も確かめてくるのだが、わたしと一日中過ごすのは初めてなのでまだ信じられないみたい。
「ええ、そうよ。きょうは城で大きな会議が開かれるから、妃教育がないの。レイモンドの後継者教育も、わたしに合わせてお休みよ」
「湖まで連れていってくださるんですよね?」
「ええ。王都のはずれにある湖へ遊びに行きましょうね。湖のまわりにはきれいなお花の咲いた野原もあって、とても素敵なところなのよ。お弁当も、レイモンドの好物をたくさん用意してくれたみたいよ。帰ってきたら料理人たちにお礼を言わなくてはね」
「はいっ! とても楽しみです!」
出掛ける準備が整うと、わたしたちは侯爵家の馬車に乗り、王都のはずれにある湖へと向かった。
湖は王都周辺でも有数の観光地のひとつとなっている。夏場は避暑地として賑わい、釣りやボート遊びなどが盛んだ。冬場には凍った湖の上でスケートを楽しんだりもできる。貴族にも平民にも愛されている場所だった。
レイモンドは湖に行くのは初めてらしく、キツネのお面を被っていてもご機嫌な様子が見てとれた。ボート遊びがしてみたい、釣りにも挑戦してみたいと楽しそうに喋る。きょうはアマレットの他にも護衛に男性使用人を何人か連れてきているので、レイモンドの望むアクティブな遊びを教えてもらうことができるだろう。
「お義姉さまも僕と一緒に釣りをしましょう?」
「わたしは生き餌はちょっと……。レイモンドが釣りをしている側で、お花でも摘んでいるわ」
「ボートは一緒に乗ってくださいますよね?」
「ええ。それはもちろん。わたしもボート遊びは好きなの」
「えへへ。楽しみです!」
馬車は無事に目的地の湖へと到着した。
湖にはすでに観光客の姿が見えた。ボートに乗っているカップルや、水際で釣りを楽しむ男性たち、周辺を散策する家族の姿など。湖の周辺には観光客目当てのお店やカフェなどが並び、そちらの方にも人の姿が見えた。日傘を指したドレス姿のご令嬢や、ご令息の姿もちらほらと見える。
「さぁレイモンド、奥へ行きましょうか。ブロッサム侯爵家の別荘があるのよ。ここにあるのは小さいものだけど」
ここから先は森の中の遊歩道を通る。遊歩道は狭い道なので、馬車ではなく馬か徒歩での移動だ。
お弁当やお茶の道具を馬に移動させ、わたしとレイモンドもそれぞれ使用人に手綱を握ってもらって馬に乗った。アマレットや他の使用人は徒歩で別荘に向かう。
湖の奥まった辺りは貴族たちの別荘地になっている。週末だけ遊びに来る、といった雰囲気のあまり大きくはない屋敷がぽつぽつと点在していた。
ブロッサム侯爵家の別荘は湖のすぐそばに建てられたウッドハウス調の建物で、湖へと桟橋が繋がっている。先に来ていた使用人たちが準備を整えてくれていたので、すでにボートが桟橋に繋がれていた。
「お義姉さまっ! ボートがありますよっ」
「ええ。これに乗って湖を一周しましょうね」
「はいっ」
わたしとレイモンドと、オールを漕ぐ役の使用人二人と共にボートへ乗り込む。
「お嬢様、お坊っちゃま、楽しんでいらしてくださいね! ボートから身を乗り出してはいけませんよ。私どもはお茶の準備をしておりますので!」
桟橋でアマレットたちがにこやかに見送ってくれる。
「わたしたちがいない間くらい、アマレットたちもゆっくりしてね」と微笑んで手を振れば、アマレットたちは顔を真っ赤にして身悶えた。
「湖の女神様……っ!!」
「アマレットたちはもう英気を養ったみたいね。さぁ、ボートを出してちょうだい」
「はいっ」
わたしとレイモンドが顔を見合わせクスクス笑うと、ボートは力強く進み出した。
上流から流れてくる透明度の高い水で満たされた湖は、覗きこめば水草の間を泳ぐ魚のすがたさえ簡単に見つけることができる。水面に映る木々の様子もとても幻想的だ。
湖の半分は野原と接し、そちらに一般の観光客たちが過ごしている。もう半分は貴族の別荘地である森と接していた。
わたしたちのボートは観光客の少ない森側からゆっくりと回っていく。
レイモンドはキツネのお面に開けられた小さな隙間から、一生懸命に湖や森の様子を眺めていた。
「レイモンド、今くらいお面を外しても大丈夫よ?」
ここにいるのは男性使用人の二人だけだし、近くに女性の姿は見えない。森の木々の隙間から、どこかの別荘に下働きに来ているらしい身なりの薄汚れた男性を見かけたくらいだ。こんなときくらいお面を外して、思いきり観光を楽しんでもいいはず。
わたしはそう思って問いかけた。
けれどレイモンドは首を横に振る。
「……やっぱり外でお面がないのは、怖いですから」
「そう…。ごめんなさいね、無理強いをするつもりはなかったの。お面がない方が周囲の景色がよく見えると思って……」
わたしは慌てて両手を体の前で振った。レイモンドの容姿に対するトラウマを刺激したかったわけではないのだ。
レイモンドの翡翠色の瞳がやわらかく細められたのが、お面の小さな隙間から見えた。
「わかっています。お義姉さまは僕の母さんと同じ、優しい人です。無理強いされただなんて、ちっとも思いません」
「レイモンド…」
「ただこのお面は、僕にとって世の中の人と最低限でも繋がるためのお守りだから。無いと不安なんです」
「たしかお母様が作ってくださったのよね、そのお面」
「はい。僕の誕生日にくれたんです」
「可愛いレイモンドによく似合っているわ」
わたしがそう言えば、レイモンドはわたしの腕にぎゅっとしがみつき、甘えるように頭を擦り付けてくる。
「お義姉さまが僕のお義姉さまになってくださって、ほんとうに良かった」
わたしはにっこりと笑うと、レイモンドにしがみつかれている方とは反対の手で、彼の白髪を撫でた。