47:オレのルシファー(シャドー視点)
オレ達王家の影は、ヴァレンティーヌ公爵家の血を継いだ者なら全員が構成員である。
母親が侍女だろうが父親が平民だろうが、とにかくヴァレンティーヌ公爵家の血筋との間に出来た子ならなんでもいい。そいつらを集めて影としての教育を施し、その中で死ななかった連中だけが今の王家の影である。
どれだけ血筋の子供を集めても、子供というのは育ちにくい。病気にかかればあっという間に死んでしまうし、暑さ寒さにも弱い。その上教育は護身術から暗殺、体を毒に慣らすなど多岐にわたり、心身共に病むのはあっという間だ。
ほとんどの者が王家の影にはなれず、淘汰されてしまう。
オレの幼少期はもちろん灰色の毎日だった。
剣や体術などの護身術は結構楽しかったが、やはり殺しの練習は気分が悪くなる。この頃はまだ食肉用の鶏などを絞めることから始めていたし、食べるためには大事なことだというのもわかってはいたが、気分は暗くなってしまう。
王家の影として生まれたことを嘆きたいわけではない。オレ達は国を守るために必要なグレーゾーンだ。お綺麗なままで王家が成り立つはずがない。誰かがやらなくてはいけない仕事だ。
……なんてまぁ、分かってはいたけど、やっぱり遊びたい盛りのオレには楽しいもんではなかった。
そんなオレの面倒を見てくれていたのが十歳年上のルシファーだった。
「ルシファーはなんでこの仕事から逃げ出さないんだ?」
ルシファーはとてつもなく醜い男だ。
藍色の髪や瞳といったヴァレンティーヌ公爵家特有の色を持ってはいるが、その顔付きは幽鬼のようだ。瞳は大きくギョロギョロしていて、鼻の形も奇妙なほどまっすぐ高くて、唇はぺらぺらに薄い。
王家の影という裏舞台でしか仕事の無さそうな外見だったが、それでもこの仕事は進んでしたいものではないだろう。
「逃げ出したところで粛清されるだけだ」
静かな声でルシファーは答える。
「それに私は夢を見ているんだ。いつの日か、美醜など関係なくすべての民のことを考えてくれる理想の王が現れることを」
「今の陛下じゃありえないね」
「こらシャドー、不敬だぞ」
「ごめんごめん」
けれどルシファーが夢見るそんな王が現れたら面白そうだな、とオレも思った。
すべての民のことを思って統治してくれる、そんな心優しい王をオレも見てみたかった。
そんなルシファーに支えられ、オレは王家の影としての修行を乗り越えていった。
体に毒を慣らす訓練が結構きつくて、左目の視力がなくなった時はしんどかったけれど、そんなときもルシファーは優しく看病してくれた。
そしていつのまにか影の仕事の中でも、特に諜報部門として任務を任されることが多くなった。殺しが不得意ぎみなのは相変わらずだが、オレの美貌がなかなかの武器になったからだ。
オレがちょっと女の子に優しくすれば、彼女達は愛らしい口で情報をベラベラと喋ってくれる。
なんだったら男だって誘惑することが出来た。まぁ、ジジィの夜の相手をするのは殺しよりマシってだけで、気分は上がらないけどな。
この頃から『魔性のシャドー』とオレは呼ばれるようになった。
▽
ラファエル殿下達の信頼を掴み取るために、オレはまず自分が『魔性のシャドー』と言われるにいたるまでの過去を話した。
ラファエル殿下は興味深そうに頷き、ベルガ辺境伯爵令嬢も「やはり王家の影の修行は、我が辺境伯爵家とはまた違うものなのですわねぇ」と考え込んでいる。
オークハルト殿下とクライスト公爵令嬢もそれぞれオレの話に聞き入っていた。
しかし、お嬢はというと。
「ルシファーについてはまだなんですか、シャドー?」
と前のめりの姿勢で尋ねてくる。
そうだよなぁ、お人好しのお嬢はオレの経歴なんてあまり気にしないのだろう。
きっとオレが何も語らずとも、今日までオレと過ごした時間からオレを信頼してくれているに違いない。
すでに信頼しているオレのことより、危機的状況にあるといわれたルシファーのことの方が気になるよなぁ。
まったく、こんなに人を信じやすくてお嬢は大丈夫なんだろうか。
……ま、大丈夫じゃなくても、オレがお嬢を守ってやればいいか。やれやれ、とんだお嬢様だぜ。
「ルシファーについてっ! 早くっ!」
テーブルを両手でバンバン叩くお嬢に促されて、オレはまた話を続けることにした。
▽
ルシファーの様子が変わったのはここ数年のことだ。
常に仕事にしか興味がないという様子だったあいつが、休憩中にぼんやりとするようになった。休日など一日中出掛けてるようになった。
「どうしたんだ、ルシファー? 好きな女の子でも出来たのか?」
「……そういうのではない。私はお前とは違ってお気楽に恋愛できる身分じゃない」
「じゃあなんだって言うんだ? 最近ソワソワしてることが多いじゃないか」
「それは……第一王子殿下について、その、色々調べたりしているからで……」
「第一王子殿下って、あの? 正妃様から護衛でも任されたのか?」
「そうではなく……」
話を聞いてみると、要は、ルシファーは王宮内で仕事をしている最中に偶然ラファエル殿下をお見かけし、それ以来殿下の大ファンになってしまったということだった。
ラファエル殿下について語るルシファーの瞳は、一度も見たことがないくらいに輝いていた。
「ラファエル殿下は本当に凄くて、まだ御年十二歳だというのに遠方の領地の視察に力を入れていらっしゃるんだ。そこで不正があれば正し、問題が起これば部下や婚約者候補たちと力を合わせて解決されてるんだ。
この間も教会視察で随分遠方まで足を運んでいらっしゃったのだが、その地域で山賊たちが若い娘たちを拐っていくと問題になっていてな。住民たちが領主に助けを求めていたのだが、どうにも領主と山賊たちが賄賂で繋がっていて住民の訴えを無視していたようなんだ。そこに現れたラファエル殿下たち御一行が山賊退治をなされることになり……ラファエル殿下のご指示のもと……山賊の屋敷を囲んで……」
ルシファーは放っておいたら何時間でもラファエル殿下について語りそうな勢いだった。
山賊退治以外にも、害獣駆除の話やら治水問題を解決した話やら、オレが止めなければ延々と喋っていたのではないだろうか。
「つまりルシファーは、ついに自分の理想の王に出会っちゃったってわけ?」
オレが聞けば、ルシファーは醜い顔でくしゃっと笑った。
「ああ。あの御方こそが私が仕えるべき本当の王だ」
そう言ったルシファーは、本当に幸せそうだった。
ルシファーはどんどんラファエル殿下にのめり込んでいった。
空いた時間は殿下の離宮へ忍び込み、その日の殿下の様子をつぶさに観察してくる。
アジトに戻ってきてからはいつも大興奮で、「今日は騎士見習いたちと剣術の稽古をしていらっしゃった。王族とは思えない素晴らしい腕前だった」「王太子教育もかなり好成績を残されていらっしゃる。歴代最高の王太子ではないだろうか?」「最近は陛下の執務を代わっていらっしゃることもあってな、指示も的確なんだ。ラファエル殿下こそ賢王の名が相応しい」「婚約者候補本命のブロッサム嬢との仲も良好なようだ。あれほど素晴らしい御方なら、ご尊顔にどのようなハンデがあろうとも、そのお人柄でご令嬢を虜に出来るのだろう。ラファエル殿下に選ばれるとは、ブロッサム嬢が羨ましい限りだ」などと語りまくり、以前の口数の少なさが嘘のようだった。
このままラファエル殿下が王となり、ルシファーの主君となってくれればいいなと、オレも願うようになって早数年。正妃様からオレとルシファーに指令が下された。
オレにはお嬢を影から護衛するように、と。
そしてルシファーには。
『ルナマリアが第二王子に靡かぬよう、邪魔をなさい。手足の一、二本くらいなら、なくなっても問題なく、あの子の正妃に出来るからねぇ』
オレ達は王家の影だ。正妃様からの指示に頷く以外の答えなんて持っていない。だからオレもルシファーも頷くしかなかった。
「ルナマリア・クライスト嬢、か……」
正妃様からの指令後、ルシファーは苦々しい表情で呟いた。
「なんか問題でもあるのか?」
「……ラファエル殿下はすでにブロッサム嬢を正妃にすることをお決めになっていて、愛を誓われている。クライスト嬢を側妃にする気すらないだろう」
「だけどマリージュエル様は、クライスト筆頭公爵家が欲しいんだろ?」
「第二王子はすでにラファエル殿下の臣下になることを決めている。第二王子がクライスト嬢と婚姻しても、クライスト筆頭公爵家の支持はラファエル殿下のものになる」
「え~? じゃぁマリージュエル様の指示って意味なくねぇ?」
「意味がないどころか……。ラファエル殿下はクライスト嬢が傷付けば、きっと悲しまれるはずだ。お優しい御方だから」
「じゃあマリージュエル様に従ってる振りして、クライスト嬢のことは放っておけば?」
「それは出来ない」
ルシファーはきっぱりと言った。
「私は王家の影だ。それこそが私の誇りだからな」
たったひとつの生き方しか許されなかったオレ達は、身も心も汚れていて、自分の命の価値すら空気のように軽くて。
せめて『国の為に生きた』のだと自分自身に言い聞かせなければ、虚無感に足を捕られてしまうから。“誇り”という薄っぺらくもお綺麗な言葉で自分を鼓舞するしかないのだ。
ルシファーの藍色の瞳だけが、鈍く揺れていた。