46:オレのお嬢(シャドー視点)
「どうかあいつを救ってください! あなたと同じように醜く生まれ、もがき苦しむルシファーを……!」
突然こんなことを言うオレを、ラファエル殿下が簡単に信じてくれるとは思えない。
自分のやっていることがいかにも『あやしい』ことだとはオレも理解している。
以前から何度も、ラファエル殿下を陰でお守りする機会があった。
ラファエル殿下は醜さ故に周囲の者から冷遇されることが多かったが、だからといって王太子の権力を翳して相手を罰しようとはしない忍耐力や思慮深さのあった。
きっと今も、オレの言動を冷静に判断しようとしている。ーーーまったく、ルシファーが心酔するのもよくわかる、出来たお人柄だぜ。
冷静に見て、オレは正妃様からの罠にしか見えないだろう。
のこのこ表に出て、まだ王太子の身分でしかない彼が知るべきではない王家の影の内情を明かし、同情を買う。そして相手が油断して懐に入ったところでオークハルト殿下の御命を狙う、そういうこともできる。疑われても仕方がなかった。
そもそもあの正妃様を、同じヴァレンティーヌ家のオレが裏切るというのがおかしな話なのだ。
だが、それでも。
オレはルシファーを助けたい。
正妃様の命令とラファエル殿下への崇拝で板挟みになってボロボロになっているあいつを、もうこれ以上は見ていられなかった。
ラファエル殿下はオレの話をきちんと聞き届けてくれるだろうか。どう説得すればルシファーを助けてもらえる?
フ……ッ、あれほど多くの老若男女をタラシ込み、落とせない相手などいないと言わしめた『魔性のシャドー』であるこのオレが。本当に助けが欲しい時に相手を説得する言葉が出てこないだなんてなぁ……。
無様に頭を垂らし続けるオレに声を掛けてくれたのはーーーお嬢だった。
「シャドー、どうか顔をあげてください」
先程までソファーに腰かけていたお嬢は、気がつけばオレのすぐ目の前にしゃがみ込んでいた。
侯爵令嬢で、ラファエル殿下の婚約者候補という高い地位を持ち、その上この世のものとは思えないほどの美貌を持った少女が、わざわざオレのような男のために床にしゃがみ込むだなんて、……ホント信じられねぇよなぁ。
お嬢はその若葉色の瞳に涙を溜めている。……ああ、きっと、オレを憐れみ、そしてオレが助けて欲しいといったルシファーのために胸を痛めているに違いない。お嬢はそういう心優しい女の子だ。
お嬢ほど不思議な少女を、オレは今まで知らなかった。
オレがお嬢の護衛に選ばれたのは、お嬢が非常に優秀だったからだ。
『ココレットは油断ならない女だけど、他の男にうつつを抜かすような馬鹿な真似はしないから、護衛はアンタでいいわよ』
正妃様はそう仰ってオレを選んだ。
お嬢がクライスト公爵令嬢のようにオークハルト殿下に靡く尻軽女だったら、オレのような護衛や諜報活動向きの人材ではなく、ルシファーのように暗殺や妨害工作に向いた連中が付けられただろう。
つまりお嬢はラファエル殿下を裏切ることはないと、正妃様から評価されていたのだ。
実際にお嬢付きになってみてよく分かった。
お嬢は本物の愛国者だ。
お嬢ほどの美貌と権力を持っていればもっと傲慢に育ってもおかしくはなかったのに、お嬢は誰に対しても心優しい態度を取る。
ブロッサム侯爵家の使用人や侍女たちに声を荒げることは一切せず、醜い義弟にも本当の姉のように接していた。
なんなら実の父である侯爵様への態度の方が冷めているくらいだった。きっと淑女として一線を引き、甘えた態度を取らないよう自らを律しているのだろう。まだ十四歳だというのに、まったく健気なものだ。普通の令嬢ならばこうはいかないだろう。
デーモンズ学園でもいつも穏やかな態度で、ラファエル殿下から護衛として付けられた醜い騎士にも文句を言わず(見目麗しい騎士などほかに多く居たというのに!)、休憩時間は騎士に楽しげに笑いかけていた。
もちろんそれだけじゃない。
ラファエル殿下ほどではないが醜いと遠巻きにされている相手にも気にせず微笑みかけて挨拶を交わすし、身分の低い生徒にも礼儀を忘れない。
妃教育と学園生活で忙しくても、二ヶ月に一度は必ず教会へ顔を出して奉仕活動をする。
お嬢は本当に慈愛の女神そのものだった。
絶世の美貌だけでなく心まで美しいお嬢に、誘惑はもちろん多い。
オークハルト殿下やポルタニア皇国のゴブリンクス殿下のほかにも、ラファエル殿下以上に見目麗しい少年たちは学園内にゴロゴロしていた。
彼らから熱い視線を向けられていることを、お嬢本人もよくわかっているようだった。
『わたしはエル様のものなのに……』
そう心苦しそうに呟いている場面を目撃したこともある。
見目の良い少年たちにぐらついたとしても、お嬢はまだ思春期の少女だ。心の内に抱えるだけなら許されるだろうに、お嬢はけしてそんなことはしなかった。
どんなときもラファエル殿下お一人のものであろうとし、貞淑を貫く尊い女性だった。
なぜそこまでしてラファエル殿下に忠実であろうとするのか。オレは最初はわからなかった。
けれどお嬢を見守っている内にわかってきたことがある。
それが、彼女が相当な愛国者であるということだ。
お嬢は学園に通いながらも妃教育にまったく手を抜かず、普段も就寝時間ギリギリまで勉学に励んでいる。
時には歴史の書物を開き、『なぜシュバルツ王のもっと詳しい伝記が存在しないのかしら? もっと挿し絵を入れるべきよ』と過去の賢王(素晴らしい功績を残した王だが、その醜さ故に評価は低い)について想いを馳せたり。
時には『スラム街にはダグラスのような迫害されている人たちがまだまだ居るはずよ。どうすれば探し出せるかしら? ああ、ほすとくらぶを作って雇いたい……わたしが通いたい……』などと国民の職業斡旋について考え込んでいるときもある。
そんなお嬢を見てオレは思ったのだ。
お嬢はまだ幼いながらも国を心から愛していると。
だからこそポルタニア皇国の血を引くオークハルト殿下ではなく、ラファエル殿下に忠誠を誓っているのだろう。
お嬢の忠誠心は本物だ。
時には膝枕でラファエル殿下を癒し、時には甘い愛の言葉でラファエル殿下を勇気づける。
一緒に居られない時ですらラファエル殿下を想いやり、『らきすけってどうやって発生させるのかしら。ぱんちらとかエル様も喜んでくださると思うんだけどなぁ』と何やら難しい単語を並べていることもあった。
きっと次にどうラファエル殿下をお喜ばせするか考えていたのだろう。
そして数刻前のお茶会の席で、ワグナー公爵令嬢が言った言葉がトドメだ。
お嬢は自分自身の美貌のせいで、すべてのものが美しくは見えていない。ラファエル殿下の醜さもオークハルト殿下の麗しさも、同レベルのものにしかみえていないのだ、と。
そうだよなぁ。
お嬢は『魔性のシャドー』であるオレにも、頬を赤らめたりしない少女だ。
以前、深夜のバルコニーでロマンチックな雰囲気を演出してお嬢の出方を見たが、いっさい心を揺らした様子はなかった。
それどころか、ラファエル殿下を裏切るような真似をしないよう、最低限しか窓を開けなかった。
やはり、国を想うお嬢は他の女とは違うぜ。
きっとお嬢なら。
美醜などを越えて民に公平に接してくれるお嬢なら、オレの話を端から否定はしないだろう。
オレは片目だけでお嬢にすがるように見つめる。
「……ゆっくりで大丈夫ですよ。だからルシファーについて詳しく教えてください」
「お嬢……」
お嬢はオレを見て一瞬眉間にシワを寄せた。……こんなに弱々しい姿を見せたのは初めてだから、お嬢に心配をかけてしまったらしい。
普通の女ならこんなに甘いマスクの色男にすがられたらトキメクしかないだろうに、自己を律することのできる完璧なお嬢には通用しない。そのことがなんだか無性に嬉しかった。オレのこの整った顔ではなく、オレ自身を本気で心配してもらえたような気がした。
お嬢の言葉に励まされ、オレはラファエル殿下に視線を向ける。
ラファエル殿下はお嬢を愛しげに見つめ、「まったくココは、お人好しなんだから」と困ったように呟いた。
オレもラファエル殿下にまったく同感だ。
「シャドー」
ラファエル殿下が口を開く。
「母上の手先であるあなたを、ここにいる者たちはそう簡単に信用したりはしません。それはあなたも分かっているはずです。それでも助けを求めて私の前に出てきたと言うのなら、話だけはきちんと聞きましょう。……さぁどうぞ、話してください」
目の前では未だしゃがんだままのお嬢が、ラファエル殿下の言葉を肯定するように必死に首を振っている。「ルシファーについて全部話してください! エル様に似て醜いとおっしゃったのは本当の本当ですか? 嘘じゃないですよね? どうなんですか? 冗談だったら怒りますからね、シャドー!」などと言っている。
お嬢は余程ルシファーのことを心配しているらしい。
「お話します。オレの大事な仲間のルシファーのことを」
どうせ覚悟なんてもう決まっているんだ。
正妃様を裏切ってでも、ルシファーを救うのだと。
オレはようやく姿勢を正し、ルシファーについて語ることにした。