4.多忙な兄はかく語る
突然めっちゃ長台詞の兄上。
「実のところ、ああいった手合いはこれが初めてではない」
恙無く食事を終えた後、執務室とはまた別のオルトン個人の私室にて。
相対した実弟ハロルドに向かってオルトンはのんびりとそんな告白を口にした。どこか面白がっているようでいて、その実滑稽だとただただ嘲っているに過ぎないそれ。理想の貴公子像を保ったままで何処までも泰然とした男の姿を真正面に見据えながら、ハロルドはその一挙手一投足に全身全霊を傾けていた。質の良い革張りのソファに寛いで、世間話をするが如くに兄は言葉を並べていく。
「最初は何処ぞの夜会だった。本来私が出席する必要もない、偶然に偶然が重なってたまたま顔を出す羽目になっただけのごく小規模な集まりだ。そこにどうやってか紛れ込んでいたある低位貴族の娘が、私に一目まみえるなり自分が『ミュリエル』だと名乗ったのだ。連れて来ていた男爵位の貴族がさるお方からお預かりして大切に育てて来たのだとそれらしい話を並べ立ててはいたが、調べてみれば愛人に産ませた見目の良い娘を宛がって公爵家の縁戚になろうとしているだけの小物だった。当然確固たる証拠はなく、ただ自分は貴方のことを世界で一番理解していると耳心地の良い愛を宣ってばかりの娘だった」
「次に出会ったのは親交のある侯爵家に奉公に来ていた娘だった。これは詳しくは言えないが、さる傷害事件の被害者兼重要参考人というやつでね。狙い澄ましたようなタイミングで襲撃に遭っては私に庇護を求めて来るような娘だったよ。いい加減面倒になって紆余曲折の末に捕らえた下手人に口を割らせたら、なんとその娘は昔殺し損ねた『ミュリエル・エヴァンス』であると言うんだ。しかも『ミュリエル』の父親であるエヴァンス辺境伯は秘匿されたという王族で、その実子である彼女もまた現王室の血筋だから、不要な争いを避けるために何としても始末せねばならないのだと自称憂国の徒は熱弁していたらしい。私は笑いが止まらなかった」
「いつだったかは忘れたが、実は『ミュリエル』は双子で生まれて自身がその片割れだと主張する頓珍漢な娘も居た。乳飲み子のうちから教会に預けられて育ったというその娘は、ある日懺悔に訪れたエヴァンス辺境伯家の侍女だった女からその経緯を聞いたのだそうだ。教会に寄付をしていた貴族の子弟を抱き込んで私にその話を持ち込む度胸は中々見上げたものだったよ―――――当然、信じるに値しなかったけれど」
「ああ、覚えている中で一番笑えたあの話はまだしていなかったかな。もう潰してしまったから忘れたが、たしかあれはそこそこの後ろ盾があった家の者だ。大層想像力の豊かな母子だった。エヴァンス夫人と親交のあったというその母親が言うには、実はこの私こそが王家に連なるエヴァンス辺境伯子だと言うんだ。けれど生まれたばかりの我が子が王位にまつわる陰謀に巻き込まれることを恐れたエヴァンス夫人が、懇意にしていたブラウニング家で同時期に生まれた『ミュリエル』と両家合意の元に取り替えっ子を行った―――――ああ、私も当時はそんな顔をしたものさ、ハロルド。きっとあの連中は先代公爵である父の姿絵を見たことがなかったのだろう。一目でも見たことがある人間なら口が裂けてもそんなことは言い出さない。だって、お前も知っている通り、私と先代はほぼ生き写しだからね。馬鹿げた妄言もいいところだ。ましてや、取り替えてもらったはいいものの我が子の身代わりにしてしまったブラウニング家の娘『ミュリエル』が憐れで、エヴァンス夫人が更にこっそり知り合いの娘と交換したなんて―――――それが自分の娘であり、今あなたの目の前にいるこの子が今まで私が育ててきた『ミュリエル』なのですとか言われてもなぁ」
「あとはどんなバリュエーションがあったか………とにかくいろいろ居たのだよ。自称『ミュリエル・エヴァンス』たちは」
楽しそうに過去の事例をひたすら列挙していく兄に、ハロルドは開いた口が塞がらなかった。そんな馬鹿なと思うものから立件待ったなしの詐欺案件、果ては王家にまで飛び火した不敬罪のバーゲンセールと割と事態はとんでもない。それを朗らかに笑い話として実弟に語る兄のまぁ本当に楽しそうなこと、心の底からの呵々大笑に正直軽く眩暈がしてくる。
「いつからそんなことになってたんですか兄上………」
「先代たちが揃って事故死したあとくらいから出始めたな。そんな手合いが無限に湧くせいで無駄に忙しかったとも言える」
「今回の一件まで私が偶々遭遇しなかっただけで、いつもそんなのを捌いてたので?」
「掃いて捨ててもまだ出て来たからなぁ。どうしてだろうかと思ってはいたんだが、まさか市井の舞台劇が加速度的に阿呆を増やしているとは流石の私でも盲点だった」
兄弟しか居ない空間は果てしない気安さしさなくて、一人称さえ素に戻しているハロルドと話すオルトンもまたより素に近い状態で飄々と肩を竦めている。緩み切った空間に、しかしそれだけだと流してはいけないものも感じ始めたハロルドは兄に似た顔に渋いものを浮かべた。
「ご冗談を、兄上―――――貴方が気付かない筈ないじゃないですか。とっくに気付いておいでだったのでは? その上で放置していた口でしょう」
苦々しい口調で問い質せば、兄はにやりと悪役のようにやたらと形のいい唇を歪める。それでも損なわれない美貌は流石の一言に尽きたが、悪戯っぽい光を宿す青い目はじっと弟を見詰めていた。
見詰めて、見据えて、見定めている。
「ほう。根拠は? ハロルド」
答えを用意していないだなんて甘えは一切許されない。ノリはあくまでも雑談なのに、声質には鋭利かつ苛烈で有無を言わせない響きがある。退陣は不可だと己を鼓舞しつつ、ハロルド・ブラウニングは兄の顔を真正面から見据え返した。
「簡単ですよ、オルトン兄上」
考えずともわかることだ。いっそ考えるまでもない。
「あまりにも数が多過ぎるからです」
そうだ。いくらなんでも多過ぎる。冗談のような阿呆連中が無尽蔵に湧いたとしても、その内容が内容だけに冗談では絶対済まされない。ブラウニング家の名は安くはないし、公爵の地位だって伊達ではない。ましてや事は虚言妄言とはいえ王族にまで及んでいるというのに―――――今日の今日まで、今の今まで、ハロルドはそれを知らなかったのだ。兄には遠く及ばないにしても、まだ未熟な若造の身であっても、それでも公爵家の次男としてやるべきことはやっている。そのハロルドが知り得ない、その耳に情報の一端さえも入らない、ということは。
「自称『ミュリエル』たちに対面するなり片っ端から潰しておきながら、それを周知させていないのは何故ですか。あまつさえ秘密裏に、内々に処理している節さえある。いいえ、そうとしか思えません。どうしてですか、兄上。最初の一件を公表すればそれだけで格段に身の程知らず共は減った筈です。今日の三人だって乗り込んでなんか来なかったでしょう。たとえそれが愚かな夢だったとしても―――――抱いているだけなら、夢を見るだけなら、こんなことにはなかっただろうに」
ハロルドはもう、気付いていた。例えば先程の三人が連れて行かれた先でどうなるのか、これまでの自称『ミュリエル』たちがどんな末路を辿ったのか、そのすべてに見当がついていた。気付いた上でこの席に座って、兄にこうして尋ねている。
そして、弟の発したこの質問は、オルトンにとっては満足のいくものだったらしい。彼は鷹揚に頷いて、それはね、と前置いた。
「まず結論から言ってしまえば―――――この状況こそが狙いだったからさ」