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3.夢と茶番の顛末劇場

「何せ生まれて間もないうちに病でこの世を去ってしまったからねぇ―――――正直、会ったことすらないんだ」


最初が肝心、と言わんばかりに遠慮なく放たれるボディブロー。

何事かを言おうと構えていた三人の口が、揃ってぽかんと閉じなくなった。開いた口が塞がらないらしく相当の間抜け面である。さっき公爵様に囁かれた愛が云々と自慢げに吹聴していた手前そうなってしまうのは無理もないが、察しの良い使用人軍団の半数がこの時点で陣形を崩して本来の自分の持ち場に戻った。公爵邸お抱えの肩書に恥じない錬度である。しかしハロルドは何処吹く風で、兄が繰り出したボディブローに絶妙な追撃を加えていく。


「そうでしたね。たしか、どんな容姿だったのかすらご存じなかったんでしたっけ」

「人伝に聞いた話では茶系の髪に同系色の色素が薄い瞳だったらしいが………実際に私が確認したわけでなし、何より良くある色だからなぁ」


言われてみればあの三人もそれ系統の色合いだったが、兄自身が付け加えた通りそんなものは有り触れた色である。オルトンのように派手で珍しい色味を持っているならまだしも、よくある茶系の髪と目なんて何の証拠にもなりはしない。ならば何を根拠としてこの三人は『ミュリエル』と信じてもらうつもりだったのか、ハロルドは小さく首を傾げ―――――考えるのも面倒で、順繰りに潰していくことにした。


「兄上の『婚約者』殿は、本当に亡くなってしまわれたので?」

「ああ、それは間違いないよ。母君であるエヴァンス夫人も同じ病で身罷っていてねぇ、当時猛威を振るった流行り病だったから克明に記録されている。国に」


国に、というあたりに覆しようのない力を感じる。少なくとも自称婚約者連中には効いた。だがしかし、やつらの目はまだ完全に望みを捨てきってはいない。死んだことにして逃げ延びさせたなんてあの創作劇にあったようなご都合主義極まる可能性は限りなく低いがまったくないとも言い切れないからだ。この際会ったことなくてもあなたの婚約者だった『ミュリエル』ですと開き直る手が無いわけでもない。だって「実は会ったことがない」とオルトン自身が公言してしまったのだ。顔を知らないのをいいことにゴリ押しすれば行けるのでは………? という、夢に夢見る彼女らの甘ったるいことこの上ない砂糖の蜂蜜がけみたいな希望的観測が手に取るように分かるハロルドは、それを叩き潰すためのアシストを怠ることなく言葉を紡ぐ。


「改めて聞いても残念です、ご存命であったならさぞや兄上と仲睦まじく成長されていたでしょうに………本当に、二十二年前に蔓延した疫病が憎らしくてなりません」


キーワードは二十二年前。

芝居がかった弁舌で、殊更はっきりと強調する。

そう。二十二年前なのだ。

生まれて間もない『ミュリエル』が死んだのは、紛れもなく二十二年前。


さて、ここでクエスチョン―――――それが意味するところは?


「ああ、まったくお前の言う通りだよ、ハロルド。一歩間違えば同じ病で私もこの世に別れを告げていたところだ………せっかく彼女と同じ年に生まれたのに、致し方ないこととはいえ本当に残念でならないよ」


オルトンの嘆きに嘘はなく、その情報には偽りがない。

ミュリエル・エヴァンスと名付けられた彼女は確かに兄の婚約者だったが、生まれてすぐに亡くなった。


「………え?」

「嘘よ」

「そんな、そんな筈はありません!!!」


「「「だって、そんな設定じゃなかった!!!!!」」」


大人しかった三人が息もぴったりに騒ぎ始める。設定ってなんだ。取り合う必要はまったくないが、またぞろ五月蠅くなる前に息の根を止めてやらねばなるまい―――――あくまでも、オルトンとハロルド二人の会話という体を装って。

騒音公害も甚だしい客席サイドを他所に、主演俳優のオルトンは独白で心情(の、ようなもの)を吐露し始める。


「ああ、仮に彼女が生きていたなら、いろいろなことをしてやりたかったものだ。例えば何を贈ったら彼女は喜んでくれただろうか。私に何を望んだだろうか。穏やかな昼下がりの茶会だろうか。華やかな夜会でのダンスだろうか。ただ共に居て語らうだけの時間でも愛おしんでくれただろうか。いや、そればかりでは流石に味気ないな。遠出とまでは言わないが、せめて一緒に芝居をと誘う程度の甲斐性は男として持ち合わせていたいものだ」

「おや、存外情熱的ですねぇ、兄上―――――と、そうそう。芝居と言えば巷で流行りの創作劇とやらをご存知で?」

「生憎と最近ではそんなものに触れている暇もなくてねぇ。とは言え、政務にかまけてばかりで世情に疎いのもよろしくない。お前が話題に選ぶくらいだ、よほど面白い舞台なのだろう?」

「そのようです。なんでも、かつて病で死んだことになっていたご令嬢が実は下町で生きていて、婚約者だった貴族に見付け出され逆境を跳ね除けやがては幸せに暮らすという。よくある都合の良い話ですよ」

「確かによく聞く話だなぁ。しかしハロルド、それではさして面白くもなさそうだが?」

「いえいえ、それが面白いんですよ兄上。なにせその舞台、モデルになったのは兄上とその婚約者である『ミュリエル嬢』だとまことしやかに囁かれていますからね!」


全ッ然関係ないのにどっからそんな噂が湧いたんでしょうね!


「そもそも年齢の設定からしてズレてるんだから少し調べてみたら誰でも分かるでしょうに、いやはや、言い掛かりに近いこじつけでこうも噂になってしまうとは流石兄上は人気者ですね!!!」


朗らかに勢いよく笑い飛ばしたら、どう見積もっても二十歳に届かない年齢の三人の不審者どもの顔がいよいよ絶望の色に染まった。彼女たちの外見年齢は大体十六歳前後、逆に鯖を読んだとしても到底二十歳には届かない。これがかの舞台劇ならば確かにどんぴしゃな年齢層だろうが、真実を握っているブラウニング兄弟からすれば前提からして間違っている。

―――――『ミュリエル・エヴァンス』を名乗るには、お前たちでは若過ぎる。

迂遠なダイレクトアタックをぶちかましたハロルドがフリッツに視線を振るついでにちろりと視界に入れた愚かな三人は、呆然自失といった有様で各々棒立ちになっていた。虚ろな眼差しは階段上のハロルドとオルトンに未だ注がれていたが無視。あくまでも公爵家に連なる者しか今この場には存在しないと言外に主張する態度で、ハロルドが何気なさを装って切れ者の執事に水を向ける。


「フリッツ。件の舞台とやら、出典は確かタリア王国だったな?」

「仰る通りでございます、ハロルド様。私どもが調べたところによりますと、『ミュリーのための物語』なるかの創作劇は南の芸術の国より伝わって来たもののようです。我が国で話題になり始めたのはここ最近のことのようですが、どうも土台の脚本は四十年程前に書かれたものであるようで」

「おや、それは私も初耳だ。しかしそうなると解せないな―――――四十年も前の作品が、いくら多少似通っていたとはいえどうして兄上と関連付けられよう?」

「恐れながら、ハロルド様。時代に合わせてストーリーの細部に手を加えるのは当然のことかと存じます。特に娯楽や話題にかけて人は新しきを好むもの。今を生きる人々に受け入れられなければ集客もままなりませんでしょう」

「なるほど、それも道理だな。舞台劇に縁のなかったこの私の耳にも届くのだ、余程世相に受け入れられているとみえる………一度くらい観てみるべきでしょうか、兄上?」

「どうかな。お前も私も忙しい身の上だ。はたして時間が取れるかどうか―――――あまり詳しくはないのだが、そういった舞台の公演には期限というものがあるのだろう? フリッツ」

「は。仰る通りでございます、旦那様。現状お二人のスケジュールで観劇に割ける余暇は無いに等しく―――――ですが、ハロルド様より仔細を調べよとの命を賜り脚本の写しを取り寄せてございます。僭越ながら、内容を知るだけでしたらそれで十分かと」

「そうか。確かにそれで十分だな。是が非でも観たいと駄々を捏ねる程芝居に興味があるわけでなし、兄上に関係がないと分かればいずれ世間も飽きるだろう」

「私とミュリエル嬢はまったく、欠片も関係ない、と言っても信じてくれない方々が社交界の大多数を占めているのは正直困ったものなんだが………フリッツ、何か決定的な否定材料はないか? 如才ないお前のことだから、取り寄せた脚本の写しとやらは既に確認済みだろう?」

「はい、旦那様。私が目を通したところ、主人公の町娘が死んだ筈の婚約者であると決定付けるシーンに使われていたのが輝石をあしらった小さな指輪だったのですが―――――結婚を誓い合った恋人同士間で男性が女性に指輪を贈る、という風習が世に定着し始めたのは四、五年前のことでしたので、その辺りを周知していけばいずれ根も葉もない噂は消えるかと」

「指輪の誓いとはまた決定的じゃないか! どうして誰もそこに気付かないんだ」


声を大にして言うハロルド。大した打ち合せもなく即興でここまで息を合わせられるのは血の繋がった兄と長年付き従ってくれている忠実な執事だからこそ成せる脅威の業である。淀みなさ過ぎて稽古でもしたのかと疑いたくなる水準の高さで繰り広げられた即興茶番に、階下の愚者どものライフは既にゼロを通り越してマイナスに振り切れているらしい。一番幼く見える少女の、それこそ公爵邸に押し掛けてきたときからずっと大切そうに握り締めていた手から、ぽろりと小さなリングが落ちて大理石の床に転がった。距離があるので断定は出来ないが、たぶん『ミュリエル』だと証明するための指輪だろう。遠目にも安っぽい輝きは公爵家の次男として目の肥えたハロルドからすれば即座にメッキと分かる代物で、いくら幼い時分と言えど公爵家を背負って立つ嫡男のオルトンが婚約者に贈るような品ではない。


―――――ああ、本当に、バッカじゃねぇの。


いよいよ詰る気も失せる。

ハロルドの表情から作り物の笑顔が消えた瞬間に、オルトンもまた表情を消した。ブラウニング兄弟の間に流れた奇妙なまでの静謐さは玄関ホールにまで伝播して、放心状態の娘たちをどんどん現実から置き去りにしていく。とっくに全員持ち場に戻っていた使用人たちのうち、給仕を取り仕切っている年嵩の侍女がしずしずと壁際を滑り寄ってきた。邪魔なオブジェクトにも等しい不審者たちには目もくれず、彼女は洗練された動作で執事の耳元で何事かを告げる。芝居に一枚噛んでくれたフリッツが切り替えるように頷いて、懐中時計を確認してからぴしりと美しい礼をした。


「旦那様、ハロルド様。まことにお待たせいたしました。晩餐の支度が整いましてございます」

「ああ。では、このまま食堂へ向かうとしよう」


主人としての威厳を申し分なく発揮して、オルトンが優雅に身を翻す。この場に留まる理由など何一つないと言わんばかりに、最後まで自称婚約者たちに目もくれなかった若き公爵は無慈悲で無神経に美しい。ハロルドもまたその後に続こうとして―――――ふと、足を止めた。


来客がある。


ノッカーが鳴って、応えたのはやはりフリッツだった。兄の足取りは止まらない。視界の端で退場していくオルトンの背中を捉えつつ、ハロルドの目は両開きになる玄関の重厚な扉を見ている。使いに出した公爵家の従僕が引き連れて来た役人は、不敬で愚かでどうしようもない三人の自称婚約者たちを手早く回収して去って行った。公爵邸に許可なく立ち入りあまつさえ騒ぎ立てて居座ったのだ。当然取り調べを受けることだろう。全員が全員夢見がちな妄想癖を持つただの平民ならともかく、公爵を謀ろうと目論む政敵ないし他国の間者の回し者という可能性も捨てきれない。


「ハロルド」

「ああ、兄上」


兄に呼ばれて、誰も居なくなった玄関ホールからハロルドは完全に意識を逸らす。腑に落ちない点があろうとも、現状ではここで打ち止めだと分かっているから従った。廊下の先で待つ兄の、すぐ隣まで足早に歩く。今は二人しかいない公爵邸の一角は不気味なまでに静かだ。

オルトン・ブラウニングは小さな笑みをその口元に刷いている。

すべてを見透かすような目だと小さな頃から思っていた深い青の表面には自分の顔が映っていて、まるで鏡のようだった。


「お前に面白い話をしてやろう。あとで私の部屋に来なさい」


何を、とは敢えて聞かない。今は特に聞く必要がないからで、ハロルドにとってはそれがすべてだ。今日の晩餐のメニューがなんであれ美味なのは間違いないのと同じくらい、ただ純然たる事実として受け止め頷きを返すだけの。

ただ、それだけのことだった。

ここで終わりの予定でしたが、蛇足的に少々続きます。

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