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サキ短編集「レジナルド」

レジナルド、クリスマスプレゼントについて語る

作者: サキ(原著) 着地した鶏(翻訳)

レジナルド曰く、


「いや、まったく、ちゃんと頭でモノを考えてもらいたいものですね。クリスマスに『ジョージ王太子を讃える祈りの書』みたいな、欲しくもないものを贈りつけられる。そんなの、僕は御免ゴメンだ。けど、そういう内情を周りの人はあまり知らないわけで」


また続けて言うには、


「世の中の人間は、他人ひとが何を欲しがってるかなんて微塵みじんも気にかけていないんですよ。それに、月並みな贈り物というのも、モノの分かる人たちからすれば、あまり誉められたものじゃありません。だから僕が思うに『贈答品技術演習』なんて授業があってしかるべきですよ」


「例えばね、『どんな時でもネクタイは使えますものね』なんてことを物識ものしり顔で語る、そんな親戚のお姉様方やお嬢様方がこの国にはゴロゴロいるんです。でも、彼女たちが贈ってくれるのは、それこそ水玉柄の恐怖ですよ。人目に付かない場所や、逆にトッテナム・コート街みたいな人混みの中でしか巻けないようなガラのものばかりですからね。そういったものは大事に仕舞っておいて、いざスグリの木をまとめるっていうとき役に立つというものです。枝葉も支えられて鳥避とりよけにもなる、一石二鳥というやつですよ。ただそうなると、餌を求めてさえずる、ありふれた小鳥の方が、そこらへんにいる親戚のお嬢様方よりも耳には心地よい……そんな事実を認めることになるんですけど」


「あとは、おば様というのも悩みの種ですよ。プレゼントのことになると、ああいった手合いはたいてい厄介ですから。問題は何かって言うと、若者のことを全く理解してくれないんです。ウエストエンドじゃ誰も赤の羊毛ウールの手袋なんてつけやしないってことを誰かが教えてやらないから、おば様方は親戚連中と喧嘩ケンカしたり、同じくらい恥ずかしいことをやらかしたりするんです。それどころか、若者を理解する前に亡くなってしまうことも。そういうわけで、よくしつけられたおば様というのは、なかなかお目にかかれないものですよ」


「例を挙げると、僕の親戚にアガサおば様という人がいるんですが、彼女は去年のクリスマスに手袋をくれましてね。おば様も、流行り物が分かるようになったり、ボタンの数がまともな手袋を選んだりするくらいにはなっていたんです。ところがどっこい……貰ったのは肘丈ひじたけまである婦人用の長手袋だったんです! だから、僕はそいつを、知り合いの心底嫌いな奴にプレゼントしてあげましたよ。無論、そいつがその手袋をつけることはありませんでしたよ。無理につけようと思えばつけられたでしょうが……まあ、そんなことしたって、死ぬほど嫌な思いをするだけですからね。当人の葬式で白い花束をささげて慰めるようなものです。

 もちろん、おば様には『同じ花ならせめて薔薇のように咲き誇るようなものを贈っていただきたいものです』と手紙に書きましたし、直接伝えもしましたよ。けど、心配なのは、おば様が僕の言うことを軽口と思ってないかってことですね。なにしろ、おば様の生まれは北部の方で、あそこに住む人は、ダラム伯爵とあの世について怯えながら暮らしていますからね」


 こんな風に、広く浅い政治的な話題をレジナルドは好んで持ち出してくる。こうすることで、深いところには触れずに、上手い言い訳を並べ立てることができるのだ。


「おば様方に外国の血が少しでも混ざっていれば、もの分かりも良いんでしょうけど、残念ながら、親戚を選ぶことはできませんからね。長い目で見れば、一番賢いやり方は、自分でプレゼントを選び、そしておば様には請求書を贈ってあげるってことですよ」


「一方、友人ならば、もっとましな趣味をしてるだろうと思いきや、プレゼントのことになるとおせっかいな思い違いばかりなもので。僕は廉価版『ウマル・ハイヤーム詩集』なんて集めちゃいないから、この前に貰った四冊の本は、みんな昇降機介添役エレベーターボーイにあげちゃいましたよ。あの子にも老いた母親がいるでしょうから、翻訳者のフィッツジェラルドの注釈と一緒に、お母さんに読み聞かせてあげてる、と願いたいですね。きっと、ウマル・ハイヤームのおかげで気分は良いはずです」


「僕に言わせれば、ちゃんとしたプレゼントを選ぶことの何が難しいのか分かりませんよ。モレル酒販の窓にリキュールの飾り瓶がうやうやしく陳列されていても、まともに育ってきた人間なら誰だって、その中から良いものを見つけられるはずです。……他の人が同じものを選んでしまっても、そんなのは大した問題じゃありませんよ。だって、それがクレーム・ド・マントなのか、それともシャルトリューズなのか、どっちも緑色のお酒なんだから蓋を開けるまで分からないでしょう。だからこそ、そんなゾッとするくらい不確定で、心ときめく瞬間を目の当たりに出来るんですよ。……さながらブリッジゲームで、味方の手札が返されるのを見つめるときのような、期待まじりのスリル感が味わえるんです。加えて、緑色に輝くシャルトリューズが修道院で作られるという宗教的にいびつな構造が絶対に無くならないことを話の種にして、皆さんもキリスト信仰の腐敗について好き好きに語ってくれることでしょう」


「それからもちろん、リキュールが入ったグラスがいくつかと、果物の砂糖漬け、つづれ織りのカーテン、その他、生活に必要なものをどっさり。そういったものが、本当の意味で、気の利いた贈り物ですよ。……もちろん、高級品なら言うまでもない。支払い済みの勘定書きだとか、宝石ならとびきり素敵なものが良いですね。なにせ僕自身は、聖書に出てくる賢い婦人と違って、紅玉ルビーに勝るほどの尊い人間じゃありませんから、貰えるなら上等な宝石が良いものです。もちろん、その賢い婦人とやらがいても、クリスマスの時期になれば、彼女に釣り合うものとなると悩みの種です。その場合、相応ふさわしいのは何も書かれていない小切手以外には考えられない。いっそ賢い婦人なんて、この世から消え去ってしまった方が良いかもしれません」


そしてレジナルドはこう締めくくる。


「僕の良いところはですね、何を貰っても簡単に喜んじゃうってことですね。でも『ジョージ王太子を讃える祈りの書』だけは遠慮させてもらいますよ」

原著:「Reginald」(1904, Methuen & Co.) 所収「Reginald on Christmas Presents」

原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)

(Sakiの著作権保護期間が満了していることをここに書き添えておきます。)

翻訳者:着地した鶏

底本:「Reginald」(Project Gutenberg) 所収「Reginald on Christmas Presents」

初訳公開:2019年4月11日



【翻訳者のあとがき】

 本来、解説が必要な翻訳物は、小説として失敗作かと思いますが、翻訳の過程を詳らかに公開するため、参考までに以下に解説、解釈、註釈を記載しておきます。

(注意:読みやすさのため、本文中には註釈の番号は記載していません)


1. 『ジョージ王太子を讃える祈りの書』(“George, Prince of Wales” Prayer-book)

 おそらく当時実在したであろうキリスト教の祈祷書。ジョージ王太子(George, Prince of Wales)とは、当時の英国王エドワード七世の息子で後のジョージ五世(1865-1936)のことである。

 訳者わたしは宗教学の専門家ではないので、この祈祷書の内容や当時の世間からどのように受け入れられていたかは知る由もないが、少なくともレジナルドの好みには合わないように思える。この短編を見る限りレジナルドにはキリスト教に対して批判的な言動(もっと言えば反社会的、非道徳的な意見)が多いので、ジョージ王太子がどうこうよりも「祈祷書」という点に反感を抱いているのだろう。(ただ、思い返してみると、サキは長編小説「The Westminster Alice」の中で、コーンウォール公時代のジョージ五世を讃える詩を作った桂冠詩人アルフレッド・オースティンを揶揄していたので、王室を皮肉る意図もあるのかもしれない。これについては読者諸氏の思うに任せよう。)


2. 「婦人用の長い手袋」

 原文は「But—they were nines!」であり、「they」が何を指しているのかが問題である。はじめは直前に出てくる「ボタン(buttons)」を指していると思ったが、文脈に合わないので「手袋(gloves)」を指しているものとして、「nines」を「9号のサイズ(9イギリスインチ=約23 cm)」と解釈して「大きな手袋」と訳出した。

 ただ、手袋の箇所は正確には「a pair of gloves」で単数扱いなので、「they」に当てはめるのはいささか無理があるような気がしてならない。ここは正直に言って自信がなく、誤訳の可能性も高いと思う。誰か、語学力のある良き人に訂正してもらえることを願っている。

《2019/4/14追記》

 感想欄でご指摘のあったように「nines」には慣用句として、「dressed up to the nines = めかしこむ」という用法がある(Webilio英和曰く「10点を満点として考えたこと」に由来する)。一方で、英語圏のインターネット掲示板では、「dressed up to the nines説」と「手袋のサイズ説」があり、論議に決着をけるのは百年前の英国人でなければ難しそうである。そのため、折衷案として両説を踏まえて「貰ったのは9号の大きな手袋で、品は良くても若者向けとしてはイマイチでしたよ!」と訳出してみた。

《2020/10/18追記》

 感想欄でご指摘を受けて再考し、大幅に訳文を変更した。ちなみにこれまでの変遷は「9号の大きな手袋」→「9号の大きな手袋で、品は良くても若者向けとしてはイマイチ」→現訳文。

オペラグローブやイブニンググローブといった肘や肩まで覆う婦人用の長いグローブは実際のボタンの数はどうあれ、長さの単位として「button」を用いるようだ(フランスが由来で1 button = 約1 inch )。なので、代名詞はなるたけ近い位置の名詞という英語の原則に従って、ここでの「they」は「gloves」ではなく「buttons」の方が有力であり、レジナルドはアガサおばさんから9 buttons(9 inch = 23 cm)の婦人用イブニンググローブが送られたのだろう。まあ、9号の紳士用手袋も掌長で9 inchなので、元々の「9号の大きな手袋」でも良い気がするが、ネタとしては婦人用手袋の方が面白のでこちらを採用する。ちなみに「dressed up to the nines」は「ほぼ満点」というニュアンスなので、前回追記した「イマイチ」関連の訳語は除いた。


3. 「死ぬほど嫌な思いをするだけですからね。」

《2019/4/29改稿》

 この部分は原文では少し変わった言い回しになっている。「that was where the bitterness of death came in」であり、直訳すれば「それは、死の苦しみの至る場所である」となる。元々は、後述する私説に則り、聖書を踏まえた訳出をしていたのだが、親切な読書の方から分かりやすい訳文を提案していただいたので(感想欄を参照のこと)、聖書云々という私見は取り払い、今の訳文に差し替えた次第である。


ただ、聖書云々の私論は覚え書き程度にこの後書きに残しておこうと思う。ただ、以下に書く『私見・覚え書き』は、あくまでも客観性の無い自己満足な私論であるため、話し半分に読み飛ばすことを推奨する。


『私見・覚え書き』

「that was where the bitterness of death came in」という少し変わった言い回しは、おそらく、旧約聖書の次の一節を踏まえた台詞だと、訳者は勝手に解釈している。

(日本語は口語訳聖書、英語は欽定訳聖書より引用)


サムエル記上 15:32

"時にサムエルは言った、「わたしの所にアマレクびとの王アガグを引いてきなさい」。アガグはうれしそうにサムエルの所にきた。アガグは「死の苦しみはきっと過ぎ去ったのだ」と思った。"


サムエル記上 15:33

"サムエルは言った、「あなたのつるぎは多くの女に子供を失わせた。そのようにあなたの母も女のうちで最も無惨に子供を失う者となるであろう」。サムエルはギルガルで主の前に、アガグを寸断した。"


I. Samuel 15:32

"Then said Samuel, Bring ye hither to me Agag the king of the Amalekites. And Agag came unto him delicately. And Agag said, Surely the bitterness of death is past."


I. Samuel 15:33

"And Samuel said, As thy sword hath made women childless, so shall thy mother be childless among women. And Samuel hewed Agag in pieces before the LORD in Gilgal."


(英語も聖書も専門ではないが)少し内容を述べると―――


イスラエル王サウルと預言者サムエルは「アマレク人を殲滅せよ」という神の言葉を聞き、アマレク人と戦う。サウル王は勝利を収めるが、アマレク人の王アガグを殺さなかった。神の言葉に従わないサウルをサムエルは諫言し、サウルの代わりにアガグを呼び寄せる。アガグは「死の苦みは過ぎ去った(=死に恐怖することは無くなった)」と喜んで参上したが、預言者サムエルの手によって殺されてしまう。


 ―――という内容である。「死の苦しみが過ぎ去った」とぬか喜びする王のエピソードを踏まえて、レジナルドはサイズの合わない手袋のことを「プレゼントをもらった瞬間は嬉しいが、使い物にならないことを知って落胆する」と揶揄しているものだと解釈した。葬式の白い献花で死者を慰める、の部分も同様の意味合いだろう。



4. 「ウマル・ハイヤーム」と「フィッツジェラルド」

 ウマル・ハイヤーム(Omar Khayyam, 1048-1131)はセルジューク朝ペルシアの文化人で、イラン・イスラーム文化を代表する詩人である。その詩集「ルバーイヤート」が有名で、英国の詩人エドワード・フィッツジェラルド(Edward Marlborough FitzGerald, 1809-1883)の翻訳によって西欧文化圏に広く知られるようになった。ちなみにサキという筆名の由来はルバーイヤートの詩の一節に由来するという説がある(中村能三「サキ短編集」の解説などを参照のこと)。さらに余談だが、日本でフィッツジェラルドというと「グレイト・ギャツビー」の著者であるスコット・フィッツジェラルドが有名であるが、本作のエドワード・フィッツジェラルドとは全くの別人なので、訳者わたしと同じような似非エセ読書家は気を付けた方がいいだろう。


5. 「モレル酒販の窓」(Morel’s window)

 作中に出てくる固有名詞をあれこれ考えることは、作品鑑賞にとって何か大きな意味があるとは思えないが、調べているうちに個人的に面白そうなことが分かってきたので、覚書としてここに記す。

このモレル(Morel)というのは「山田酒店」と同じくらい特に意味の無い言葉なのかもしれないが、大阪産業大学の林田治男名誉教授が記した「モレルの家系 On the Family Biography of Edmund Morel」という寄稿(大阪産業大学経済論集 10(2), 201-232, 2009-02)があり、CiNiiで公開されている抄録(https://ci.nii.ac.jp/naid/110007158725)を読むと、この「モレル酒販」なる酒店が実在したのではないかと思い至るようになった。

 この寄稿で触れられているエドモンド・モレル(Edmund Morel, 1840-1871)は明治期の所謂お雇い外国人で、日本の鉄道敷設に大きく関わった人物である。この抄録によれば、エドモンドの父方の祖父はロンドンでワインの貿易商を営んでおり、父と二人のおじはその事業で成功したとある。「Reginald」の発表時期とは少し年代がずれているが、20世紀初頭にこのモレル一族の店が存在していたとしても不思議な話ではないだろう。


6. 「クレーム・ド・マント」(Crême de Menthe) と「シャルトリューズ」(Chartreuse)

 どちらも緑色のリキュール。クレーム・ド・マントは直訳すると「ミントのリキュール」で、その名の通りミント風味の甘いリキュール。シャルトリューズはリキュールの女王とも呼ばれ、フランスのカルトジオ修道院発祥の130種類の薬草が入ったリキュールである。

また、19世紀から20世紀にかけて禁酒運動が盛んだったため、当時の社会の風潮からすれば、シャルトリューズのような宗教施設に由来する酒は、道徳(キリスト教)と非道徳(酒)が入り混じる反社会的な存在に映ったことだろう。レジナルドがキリスト教の腐敗云々と語っているのはそういうことである。


7. 「聖書に出てくる賢い婦人」(Good Woman of the Bible)

 こちらは本文中にも「聖書(Bible)」の語句が出てきている。例によって、旧約聖書の一節を挙げてみる。(日本語は口語訳聖書、英語は欽定訳聖書より引用)


箴言 31:10

"だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。"


Proverbs 31:10

"Who can find a virtuous woman? for her price is far above rubies."


 レジナルドの台詞はこの聖書の一節を受けたものと考えるのが妥当だろう。箴言の31章では、君主としての道徳的な振る舞いと道徳的な良き妻、良き夫のあるべき姿について触れている。レジナルドはそういった「絵に描いたような良妻賢母」ですら、プレゼントを選ぶことになると他の世間の人たちと同様にてんでダメだろう、と揶揄しているのである。現代の観点からすれば、全体を通して随分と女性蔑視な物言いが目立つが、他の多くの短編と同じようにサキの女性嫌いな一面を投影したものと言えよう。ただ、勘違いしてほしくないのだが、サキは女性だけでなく男性も同じように皮肉っている。

 人間というものを嫌い、冷笑して筆を走らせ、物言わぬ自然や動物への畏怖と若さという永遠に儚いものを賛美する。サキとはそういう作家である。



2019年4月13日 着地した鶏、記す。

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― 新着の感想 ―
[一言] Wikipediaの「オペラグローブ」を調べたところ、 「長さの呼称」の項目があり「グローブの長さを測る定規として「ボタン」が用いられる。」 という記述を発見しました。 最後の「出典」の「7…
2020/10/17 02:27 2. 「9号の大きな手袋」のthey
[一言] 勉強になりました。 実はその下の「nix」を含む例文一覧に James Joyce『エヴリン 「ダブリンの人々」より』 があったので、これもありかなと思ったんですがご指摘のとおりですね。 …
[一言] しつこくてすいません。 weblioという辞書・翻訳サイトで「nices」を検索したところ 名詞 *nices plural form of *nix というのがあります。 nixは「 主な…
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