第2話「移動」
僕はこの世界についてカイラから話を聞き終えた。
その頃にはもう、雨がやみ始めていた。
段々薄くなっていく雲間から光が差して、霧が少しずつ晴れていくのを下水管から眺めていた。
雨でぬれた瓦礫は日の光を浴びて反射すると、とても綺麗だった。
霧が晴れて視界がひらけたことで、ずっと向こうの方に長方形のとても高い廃墟が連なっているのが見えた。
今にも崩れそうなその廃墟は、いつからこの世界を見ているのだろうか。
そんなことを考えていると、カイラが背伸びをしながら僕に言った。
「もうそろそろ移動するかー」
僕はその言葉に驚いた。
この瓦礫ばかりの世界を移動するのは、容易いことではないと思ったからだ。
「集落か何かが、近くにあるんですか?」
僕はカイラに質問で返した。
「そうだよ。歩いても日が暮れる前には着くよ」
そう言うとカイラは下水管から外に出て、東の方を指さした。
カイラの茶色い髪が陽の光を編み込んでとても眩しく見えた。
「向こうにあるんだ」
僕も下水管から外に出て、カイラが指をさしているほうを見た。
目の前には、一面が瓦礫で覆われた世界が広がっていた。
しかし、集落は見えそうになかった。
手前にあった瓦礫の山で遠くの方が見えなかったからだ。
「じゃあ、次の集落に向かうかな。お前にとっては、長い旅の始まりの街になるだろうな」
カイラはそう言って、僕に笑ってみせた。
僕もつられて笑った。そのまま、僕達は下水管をあとにした。
外に出てしばらくすると一気に世界が広がった気がして、下水管の中とは大違いだった。
しかし、いざ進んでみると瓦礫の上を歩くことは、予想以上に難しかった。
慣れているカイラの足取りは軽かったが、僕の足取りはおぼつかなかった。
おかげで、カイラの後ろを着いていくだけで大変だった。
瓦礫の上では足元が不安定で、常に気を配らなければならない。
瓦礫の隙間に足を取られたら、怪我をするかもしれなかった。
僕の膝は時々、震え始めた。
カイラはそれを見て笑っていた。
「笑わないでくださいよ」
僕はとても恥ずかしかった。
「わるいわるい。そんなんじゃこの先ちょっと不安だなぁって、思ったんだよ。初めて私が外の世界を歩いた時よりも、大変そうに見えたからね。まぁ、慣れたら大丈夫だから進むしかないけどね」
僕はもっと具体的なコツみたいなものを教えてほしかった。
慣れだと言われても大怪我はしたくなかった。
しかし、僕が何か言葉を返すよりも前に、カイラはまた進み始めた。
それからしばらくして、カイラが後ろにいる僕を振り返りながら前に進んでくれるようになった。
少しずつ間がひらいていくとカイラがそれに気づいて、僕が近づくまで待ってくれた。
そうやって垣間見えるカイラの優しさに、僕は泣きそうになった。
不安な時ほど、人の優しさは暖かく感じる。
空に浮かんだ雲が、少し滲んで見えた。
それでも吹く風には、相変わらず錆びた鉄の匂いが混じっていた。
抉られた大地は、たまに蟻地獄のように瓦礫を下に引きずり落としていく。
時々、小さめの瓦礫が下に向かって、転がっていくのを見た。
僕はたまに、その瓦礫と自分を重ねて見てしまう。
また膝が震え始めた。震える膝を抑えるために、歩みを止める。
それに気がついてカイラも止まる。
何回かそれを繰り返してしまっているうちに、カイラに甘えないようにしようと思い始めた。
僕は無理をしてでも前に進もうとした。
しかし、慣れてないうちにそんなことをすると失敗してしまうものだ。
案の定、僕は瓦礫に足を引っかけて転んでしまった。
カイラは僕が無理していることに気がついたのか、何も言わずに僕の手をとってくれた。
「あ、ありがとう……ございます」
突然の事に、少し声が小さくなった。僕はその時、カイラの目を見れなかった。
「ほら、行くぞ。ちゃんと、手を握っとけよ」
カイラの手はとても強く僕の手を握っていた。
僕は今まで女の人の手を握った事がなかった。
そのせいか、カイラの手がとても柔らかく感じられた。
その手に握られたまま、僕はカイラについていった。
なんとなく後ろを振り返ってみると、もう下水管は見えなくなっていた。
しばらく進むと視界の向こうの方から、周りより少し高い建物が見えてきた。
二階建ての家くらいの高さだった。その建物はトタンや色々な瓦礫を使って出来ていた。
カイラによると、この先の集落の看守塔らしかった。
立ち止まってその看守塔を2人で眺めた。上までの梯子が掛かっているだけの、簡素な作りだった。
すると突然、強めの風が吹いた。
人が見当たらないこの建物は、ひとりでに軋んでいる。
「今は昼間だから、警備時間外だ。きっと、看守は集落に帰って休んでるんだろうな」
カイラは繋いでいた僕の手を離しながらそう言った。
「こっからは集落の人が作った細道があるから手は握らなくても大丈夫だよな?」
僕はカイラと繋いでいたほうの手が、次第に冷えていくのが分かった。
「はい。ありがとうございました」
まだ握っていて欲しいなんて事を少しだけ思っていたけれど、気が引けてそう言った。
「じゃあ、行こうかな」
カイラはそう言うと、瓦礫を割いてできた細い道を進んでいった。
太陽が少し傾いてきていた。
夕方になると、少し肌寒い。
2人で並んで歩いていると、夕日とは反対方向に長い影が2つ出来ていた。
それを見ていると、忘れていた僕の記憶が蘇ってきた。
その中にあった懐かしい事を思い出して、少しだけ笑ってしまった。
「何笑ってんだ。気味が悪いぞ」
カイラが、僕にそう言った。思いもしていなかった言葉に、僕は少しだけ戸惑った。
「昔の記憶を思い出したんです。そしたら、その中に面白いのがあって笑ってしまいました。僕には弟がいるんですよね。僕の両親は僕が小さい頃に殺されてて、外の世界は危ないからずっと部屋の中で弟と過ごしてました。祖母がいたのでそういう生活ができてました。でも本当に僕が小さい時に、弟と外で遊んだことが何度かあったんですよね。その時に、ちょうど今みたいに長い影ができて、それ見てるだけで2人で笑ってた記憶を思い出したんです」
僕は色んな記憶を思い出しながらそう言った。
「そうか。それはいい思い出……だな」
カイラはそう言ってから、言葉に詰まっているようだった。
なぜか気まずくなってしまって、振り返って太陽を見た。
もう半分くらい沈んでしまっていた。それから集落に着くまで、カイラとは何も話さなかった。
特に話したいこともなければ、話さなくてもいいような気がしたからだ。
集落に着くまで、2人の足音だけが音になっていた。
日が沈んで少しだけ肌寒くなってきた。
登場人物
ナギト
男。13歳。気が弱いが、優しい性格。
冷静で平和主義。
カイラ
女。19歳。気が強く、好戦的で挑発的。
好奇心も強い。運動能力に優れている。